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とりねこの小枝

【おまけ】先輩に学べ!

2013/03/09 22:20 騎士と魔法使いの話十海
  
  • 拍手お礼短編の再録。
  • 本編終了後に薬草店を訪れたエミル。によによしながら出迎えたおいちゃん。そしてこの回、ここにしか出番のなかった不憫なダイン。
 
「落ち着くの、下さい」
「……んー、それじゃあカモミールとオレンジの花ってとこでどうよ?」
「あ、それで」

 アインヘイルダールの下町、北区と呼ばれる一角にある薬草屋「魔女の大鍋」。
 薬も花も毒もいっしょくたに香る店のそのまた奥のカウンターで、亜麻色の髪の小柄な中年男――主のフロウライト・ジェムルことフロウが手際よく薬草茶を入れる。
 カウンター前のスツールに腰かけて、ぺったりと天板に突っ伏しているのは深緑のローブをまとった体格の良い黒髪の青年。中級魔術師にして魔法学院薬草科の優秀な学生、エミリオだ。

「ほい、お待ちどう」
「ありがとうございます」

 がっしりした背中を丸め、両手で湯気の立つカップを手で包み込んでまずは深呼吸。どこかリンゴに似た甘酸っぱい花と、柑橘系の爽やかさの入り交じった蒸気を何度も吸い込む。
 心ゆくまで香りを堪能してから、エミリオがおもむろにカップに口をつける。その瞬間、フロウが口を開いた。

「んで、結局入ったのか、薔薇風呂」

 途端に青年は、ぶっと吹き出した。まだ少量しかお茶を含んでいないのは幸いだった。
 
「何で……それを」
「にしし、何でってお前さん、そもそも薔薇風呂の話題出したのはニコラだろ?」
「あ」

 師匠と弟子。話が伝わらない訳がない。

「その後は、まあ……」

 にまにまとほくそ笑みつつ、フロウはついっと蜜色の瞳を上に向けた。
 剥き出しになった太い梁の上で、黒と褐色斑の猫のような生き物が一匹、きちっと翼を畳んで座っている。金色の瞳がこちらを見おろし、赤い口がかぱっと開いた。

「ぴゃあ!」
「ちびさん……」

 がっくりとエミルが肩を落とす。

「まあ、クッキー程度じゃ口封じにもならないってこったな」
「あうう」
「で、どうだった」
「それが」

 ずぞぞぞぞーっと薬草茶をすすると、エミルは深いため息をついた。カモミールとオレンジの混ざった、それはそれは香しいため息を。

「確かにいいにおいがしましたし、久しぶりにシャルと一緒に風呂入って幸せでしたよ! だけど。だけど、何かこう、違うんですっ」
「ほおお」

 かちゃり、と置かれた空のカップにそれとなく二杯目を注ぎながらフロウは促した。

「どこが、どう違うって?」

 三杯目をあける頃には、エミルは風呂場での一件を洗いざらい白状させられていた。

「……で、シャルにキスされて、鼻血出したと」
「はい。不本意ながら」

 エミルはがばっと両手で顔を覆った。

「必死で女神さまにお祈りしたんだけど。もちませんでした!」

 けらけらと笑いながらフロウはエミルの肩を叩く。

「まっ、祈るべき女神の神子さんが原因じゃ、どうにもなんねぇわなぁ」
「まさか、まさかシャルがあんなに積極的に出るなんてっ」
「もういっそ結婚しちまえば良いのによぉ」
「できればそうしたいっすよ、俺も」

 ようやく顔から手を離したエミリオの瞳は血走り……いや充血し、潤んでいた。

「でも誓っちゃったんです。上級術師になるまではって」
「そもそも……上級魔術師になるかならねぇかってのは、かなりの違いだぜ?」

 蜜色の瞳がすがめられる。上級術師になると言うことは、同時に自らの『魔名』を定める事。
 根源から己を支配し、使役すら為し得る呪文を独自に産み出す事でもある。

「『ならない方が良い事もある』くれぇにな」
「上級になるのには、はっきりとした目的があります。将来、ヴァンドヴィーレの力線の調律をするためです」

 エミルとシャルの故郷、ヴァンドヴィーレはこの世界を構成する純粋な魔力の流れ――力線と、精霊界や神界、魔界と言った『この世界とは別の世界』との境目から漏れ出した魔力の流れ――境界線。二つの大きな力が交わる、特別な場所だった。
 年に一度行われる神事において、二つの流れが滞りなく流れるように。歪められることのないように確かめ、整える。
 ヴァンドヴィーレの司祭は代々、その役目を担ってきた。しかし力線を感知し、調律するには魔術師の力が不可欠である。一人で全てをこなせる者は決して多くはない。
 そのため、ヴァンドヴィーレからは長きにわたり、魔術の資質のある子供をアインヘイルダールの魔法学院に進学させていた。ゆくゆくは魔術師として、司祭を助けるために。
 エミリオもその一人である。もっとも彼の場合、助けたいのはただ一人。生まれて数日後に下った神託により『女神の神子』とされ、母親からいち早く神事を取り仕切る役目を受け継いだシャルダン・エルダレント意外は眼中になかった。
 前任者である魔術師は彼の熱意を認め、本来なら見習いであるはずのエミリオに役目を譲った。
 しかしやはり、努力や熱意では追いつかない部分は、ある。幼い少年の頃はただただ一生懸命だった。だが中級魔術師となった今は、ひしひしと感じてしまう。
(俺って今、かなり女神様に助けてもらってる)
 シャルダン自身が、エミルを強く望んでいるから。
 神子の意志はすなわち、女神の意志でもある。

 エミルはうつむき、カウンターの上で軽く手を組んだ。

「正直、今はシャルの手伝いするのが精一杯なんで……」
「……はいはい、ごちそーさん」

 肩をすくめるフロウの手元に、ぽすっとちびが舞い降りる。ふかふかの羽毛をなでながら中年薬草師は言葉を続けた。

「まあ、魔名についての覚悟ができてるんなら良いんじゃね?」
「それは、もう! シャルに教えるって決めてますから」

 清々しく言い切ってから、エミルははた、と何かを思い出したようだった。打って変わって目を半開きにして、じとーっとフロウをねめつける。

「あの、それでフロウさん」
「ん? なんだい?」
「シャルのキスの仕方が、妙に手馴れていて。どこでこんなやり方覚えたのか、聞いてみたんです」
「ほおお?」
「そうしたら、ダイン先輩からいろいろフロウさんとの惚気聞いて覚えたって言うじゃありませんか」

(あんのお馬鹿わんこめ!)
 内心舌打ちしたものの、さすがは百戦錬磨の中年男。おくびにも出さず先を促す。

「へぇ……それで?」
「あやうく舌入れられるとこでした」
「おやまあ、積極的だねぇ」
「積極的すぎるんですよ」

 低くドスの利いた声だった。ごろごろと咽を鳴らしていたちびが、ぴっと耳を後ろに伏せる。
 エミリオはカウンター越しにずいっと上半身を乗り出した。

「ちょっとは加減しろって、ダイン先輩に言ってください」

 眼差しは真剣そのもの。抜き身のナイフにも似た鋭さと、食らいついたら最後、二度と逃がさない肉食獣さながらの迫力があった。
 フロウはじいと見返してから、ふいっと視線を横にそらし、小さな声でつぶやいた。

「……ダインに言い含めたとこで、何が変わるとも思えねぇけどなぁ」

 その瞬間、エミルは無言で頭をかきむしり、悶絶した。

「格好つけて、結婚先延ばしにしてるからじゃねぇか。お前さんにしろ、シャルにしろ、実家なら食っていけねぇわけでもねぇのに」

 時として若さは純粋で、歯止めが利かない。そして、正解に至る道は必ずしも一つではない。
 ここに愚痴りに来るくらいなら、くそ真面目に誓いを果たすより先に結婚でもなんでもしちまえ、と勧めたのだが……。

「それじゃダメなんです。俺は……シャルを支えるって決めてんですっ」

 むすっとした顔でエミルは腕組み。今度は自分がそっぽを向いている。
 男の意地か、はたまた若さゆえの頑なさと一途さか。いずれにせよ、決心は固いようだ。

「だったら頑張れ、っていうか夫婦の諍い持ち込むな……あ、そうだ、いい事考えた」

 にんまりとフロウは意地の悪い笑みを浮かべ、じいっと視線を下に注ぐ。

「いっそ、勃たなくしてやろっか。そうすりゃ悩まされる事もなかろ?」
「それだけはご勘弁をっ」

 エミリオは股間を抑えて後じさり。震えながら首を左右に振る。
 フロウは熟練の薬草師なのだ。この台詞、断じて洒落にならない。

「にしし、遠慮すんなって」
「めっそーもないっ」
「お茶のおかわりいるか?」
「遠慮しますっ」
「ぴゃ、とーちゃん!」
「え?」

 ぎぃ、と裏口に通じる扉が開き、のっそりと。エミルに負けず劣らず背の高い、がっちりした男が入ってきた。たくましい上半身には何も着ておらず、腕に丸めたシャツを抱えている。
 均整のとれた見事な筋肉質の体には、今しがた浴びたとおぼしき水の名残が滴となって残っていた。金髪混じりの褐色の髪もしっとりと濡れて、いつもよりくるっと巻いている。

「薪割りと水くみと草取り、終わったぞ」
「ご苦労さん、ダイン」

 どうやら、汗をかいたのでそのまま井戸で水をかぶって来たらしい。これ幸いと、フロウはわんこ騎士にエミリオの矛先を向けた。

「エミルがお前に話あるってよ」
「よっ、エミリオ来てたのか」

 ダインは疑いもせず、エミルに向って片手をあげてほほ笑んだ。騎士団員でこそないものの、彼にとってはエミルもまた、可愛い後輩なのだ。何でその頼みを断れよう。

「どーした何の話だ。聞くぞ、俺でよければ」

 全て心得たフロウはただ一人、にやにや笑って事の成り行きを見守る。
 そこはかとなく流れる不穏な空気に首をかしげるちびをなでながら。

「先輩……折り入ってお話が」
「ん?」

 すうっと胸いっぱいに息を吸い込むと、エミルはまなじり決してダインの緑の瞳をにらみつけ、びしっと厳しい言葉を叩きつけた。

「先輩のキスはエロすぎます。もっと控えてください!」
「……」

 五つ数えるくらいの間、ダインは全ての活動を停止し、無言で立ち尽くしていた。
 しかる後、エミリオの言葉の意味を理解したのか、急にかーっと頬が赤くなる。

「いきなり何言い出すかーっ」

 うろたえるダインを、フロウがのほほんとした声で諭す。

「後輩がお前さんのキスを真似できるくらい、俺とのアレコレ吐いてるから……被害者(エミル)から、苦情が来たんだろうが」
「だって、シャルが教えてくれって言うから!」 

 必死に言い返すダインを、エミルがぎんっと睨む。それこそ目つきで人をも刺せそうな勢いで。
 ひっそりとちびが尻尾を太くした。

「どんな風に始めて、どーやって唇重ねるか細かく聞かれてっ、それで、俺……肩つかむより、手のひらで頬を包んだ方がいいって、つい」
「まあ、可愛い後輩の頼みじゃあ断れねぇよな」
「うん」
「……あぁ、つまり……あれだ」

 うなだれるダインの胸板をぺちぺちと手の甲で叩きながら、フロウはゆるりとエミルにほほ笑みかける。

「『将来を誓い合った仲なのに、キスも無いなんて~』とか考えてたんだろ、シャルダンが」

 案の定、こくっと金髪混じりの褐色頭ががうなずく。

「涙目で」 
「涙目で!」
「そう、涙目で」
「わかりました。よーっくわかりました」

 エミリオは固く拳を握ったまま、ぶるぶると震え出した。ずごごごご、と音でも出そうな勢いでどす黒いオーラが立ち昇る。

「ぴゃああ………」
「いてて、こら爪立てんなって」

 ちびが本格的に怯えてフロウにしがみつく。

「涙目でシャルに迫られて、キスのしかたを教えたと……」
「どこをどう省略したらそうなる!」
「手取り足取り腰取り入念に!」
「ねつ造すんじゃねえっ!」
「あーもう、面倒くせぇなあ」

 もはや諦め半分。髪の毛も服もくしゃくしゃにしてしがみつくちびを頭に乗せたまま、フロウはカウンターに肘をつき、じとーっとエミルを上目遣いにねめつけた。

「要はエミルがちゅっちゅちゅっちゅキスしてやれば良いだけじゃねぇか」

 その瞬間。エミルの剣呑なオーラがしゅわわっと霧散し、入れ替わりに花が咲いた。
 いや、散ったと言うべきか。

「おわ、エミルお前すげえ大出血してるぞ、鼻から!」
「うえええっ?」
「おいおい、店の床汚すなよ?」
「拭け、拭けーっ……ってそりゃ俺のシャツだーっ」
「あーあ」

 苦笑いするフロウの頭上で、ちびがかぱっと口を開けてさえずる。

「えみる、はなー、ぼとぼとぼと」

(先輩に学べ!/了)

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