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びじんひしょ出勤する

2008/10/27 18:20 短編十海
  • 拍手お礼用の短編に加筆、修正した「完全版」です。
  • 探偵事務所には美人秘書がつきものです。そんなわけでマクラウド探偵事務所にもこのたび新しく職員が加わりました。
 
「ディフ」
「何だ?」
「猫……連れてっていいか?」
「事務所にか」

 こくっとオティアはうなずいた。オーレにマイクロチップを入れたその日の夜の出来事だった。

「オフィス・キャットってやつか。構わないぞ。ちゃんと環境整えておかないとな」
「ん」
「荷物多くなるから、初日は車で送って行こう」
「OK」
「ベッドと、食器と、トイレと……」

 打ち合せをする二人の背後で、オーレが愛用の爪研ぎダンボールでばりばりと豪快に爪を研いでいる。

「…………爪研ぎ」
「そうだな」

 何故か夕食時、ヒウェルが来る前になるといつも爪を研ぐのだ。
 それはもう、念入りに。

「にゃっ」

 感心なことに家具やじゅうたんでは決して研がない。母猫のしつけがしっかり行き届いているのだろう。
 トイレの外で粗相をすることもない。これなら、事務所に連れていっても問題はないな、とディフは思った。
 ペット探しも重要な業務だし、何より自分がいない間、オティアが一人でいるよりずっといい。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして翌日。
 ユニオン・スクエアのとあるオフィスビルの一角で、地下の駐車場から上がって来たエレベーターが止まり、扉が開いた。
 待っていた数人……OLにピザの配達人にビジネスマン、メッセンジャーボーイ。職種も年齢も様々な人々は中をひと目見るなり打ち合せでもしたように一斉に、『え?』っと言う顔をした。

 まず、膨らんだ大きなキャンバス地のトートバッグを肩にかけた大柄な赤毛の男性。バッグの中には猫用トイレに猫砂、キャットフードがぎっしり詰まっている。
 その後をくっついて金髪の少年が、両手で平型のバスケット(中にクッションが入っている)を抱えてちょこまかと。さらにその後ろから瓜二つの少年がペットキャリーを下げて出てくる。
 キャリーの中には白い子猫。
 3人+1匹の風変わりな行列は何食わぬ風にすたすたとギャラリーの前を通りすぎ、廊下を歩いて行く。
 そしてマクラウド探偵事務所のドアを開け、中に入っていったのだった。

『一体今のは何だったんだろう』
『夢でも見たんだろうか?』

 居合わせた人々は言葉もなく顔を見合わせた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 オーレは目をまんまるにして、床に置かれたキャリーの中から外をうかがっている。

 オティアのデスクの傍らに真新しいカゴベッド。(オーレはとにかくカゴの好きな猫だった)
 壁際には家で使っているのと同じ爪研ぎダンボールと食器と水入れ。
 さらに事務所の一角がペット用のサークルで囲まれ、中にはトイレも設置してある。真新しい砂の中にはほんの少し、家で使っているトイレの砂が混ぜてあった。
 
 きょろきょろしながらペットキャリーから顔を出し、そろりそろりと体を低くして周囲を見回す。それからとことこと歩いて行き……爪を研いだ。

「大丈夫そうだな」

 ほっと見守るオティアとディフが安堵の息をついた。

「ドア開ける時、外に飛び出さないように気をつけないとな。彼女は脱走の名人だから」
「ああ」

 爪を研ぎ終わるとオーレはするするとオティアの足から腰、肩へとよじ上り、たしっと頭の上に前足を乗せた。

「……すっかりそこが定位置だな」
「ん」
「みう!」

 あたしは、今日からここではたらくのね。

 所長と少年助手の会話を聞きながら、オーレはきらきらとした目で事務所の中を見渡した。

 おうじさまといっしょに、まじめにお仕事するわ。でも、あたしのお仕事っていったい何なんだろう。
 ママはエドワーズさんのお店でネズミをとるのが大事な仕事だと教えてくれた。でもここにはネズミはいないみたいだし……。
 
 疑問は直に解けた。
 事務所にやってきた顧客の一人が、オーレを見てほほ笑んだのだ。

「まあ、可愛らしい秘書さんね」

 Secretary!

 そうか! あたしのお仕事は『秘書』だったのね。でも『秘書』って何をするのかしら……。
 考えていると、微かな音が聞こえた。オーレは立ち上がり、ぴん、と尻尾を立てて電話の方を見つめた。
 その直後にベルが鳴る。

「はい、マクラウド探偵事務所………」

 所長さんが受話器をとり、うなずきながら話を聞いている。

「わかりました、すぐ伺います。オティア」
「ん」
「例のジャックが脱走した。手伝え」
「わかった」

 オティアと所長さんがいそがしそうに動き出す。
 あたしもお手伝いしなくちゃ。
 オーレは尻尾をたててするすると二人の間を行ったり来たり。腕の間ににゅっと鼻をつっこみ、ひこひことにおいを嗅ぐ。

「……お前はこっち」

 キャリーバッグに入って出発。どこに行くのかと思ってわくわくしていたら、エレベーターに乗せられて上に、上に上がって行く。
 着いた所は見たことのない、広い部屋だった。

 ここはどこっ?
 知らないにおいがいっぱいあるわっ!

「アレックス、事務所を空けるんでしばらくこの子を頼む」
「かしこまりました」
「おいで、オーレ」

 あっ、シエンがいるわ。アレックスもいる。そうか、今度はここでお仕事をするのね……。

「じゃ、行ってくる」

 いってらっしゃい。
 お見送りをしていると、のしのしと床がゆれて、頭の上から低い、太い声が降って来た。

「やあ、可愛い猫だなあ!」

 オーレはびっくり仰天。尻尾をぼわぼわにして本棚の上に駆け上がった。

「あ……逃げちゃった」
「恐れながらレイモンドさま、猫にはもう少し静かにお声をかけた方がよろしいかと」
「そうか……気をつけるよ……」

 
 ※ ※ ※ ※
 

 お昼過ぎに『王子様』が迎えにきた。オーレは本棚の上からすとんと飛び降りた。
 ずっとそこに居たら、アレックスがクッションを敷いてくれた。ふかふかのクッション、大きさもオーレにぴったり。
 本のにおいは大好き。本棚にいるとすごく落ち着く。

 でも、オティアがいちばん。

「にゃう」

 オティア、オティア、あたしちゃんとお仕事したのよ!

 報告しながら足元にすりよる。オティアはオーレを撫でて抱き上げてくれた。
 あれ?
 何なの、このにおい!

 くんくんとジーンズのにおいを嗅ぐ。もわっと背中の毛が逆立った。

 知らない動物のにおいがする!
 すごく毛が堅くてやかましい。きっと犬だわ。お医者さんでかいだことあるもの。

 事務所に戻ると、オーレはくいくいと王子様に顔をすりよせた。

 かまって。
 かまって。
 さみしかったの、かまって。

「ほら……」

 デスクに座ってパソコンを叩くオティアの膝の上に乗り、オーレはくるりと丸くなる。オティアは作業のかたわら時々手をのばし、白くやわらかな毛皮を撫でた。

 オーレはご機嫌、ごろごろと喉を鳴らす。
 
 これが『秘書』のお仕事なのね……。今度、ママに教えてあげよう。あたし、ちゃんとお仕事してるよって。


 そしてマクラウド探偵事務所にはこの日から、強面所長と、有能少年助手に加えて……

「にゃー!」

 美人秘書が増えたのだった。


(びじんひしょ出勤する/了)

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ハッピーハロウィンin文化祭

2008/11/10 0:31 短編十海
  • 拍手お礼用短編に一部加筆したものです。
  • ハロウィンと文化祭、初掲載時は十月の終わりだったので季節ネタです。。
  • ヨーコ先生と教え子二人、再び参上
 
 文化祭を二日後に控えたある日の午後。
 戸有高校の社会科教務室でくつろいでいた結城羊子は教え子二人の訪問を受けた。

「あ、いたいた、よーこ先生」
「おう、風見にロイか。どうした?」
「何してたんですか?」
「うん、よその学校の部誌なんだけどな。知り合いの先生が送ってくれた。けっこう面白いぞ」
「へえ、『十六夜伝奇行』か……」
「地元の古い言い伝えや伝説を集めたものなんだ。作りも凝ってる。読むか?」
「日本の民間伝承ですか! とっても興味あります。ぜひ読ませてくださいっ」
「いいよ、2冊あるから。ちょっと難しい表現もあるけどな」
「問題ないです」

 にまっと笑うと、ロイは風見光一の肩に手をかけた。

「コウイチに教えてもらいます!」
「うん、いいよ?」
「そーかそーか、よかったなー」

 幸せそうな教え子を見守りつつ、羊子はうんうんとうなずいた。

「あ、でも俺、英語苦手だからな……そうだ、サクヤさんにメールして」
「No! ボクはコウイチに教えてほしいんだ」
「……そっか。がんばるよ」

 アメリカからの留学生にして風見光一の幼なじみロイは秘かに、サリーことサクヤを警戒していた。久しぶりに再会した幼なじみのコウイチが、見知らぬ青年をセンパイとして慕っていたからだ。

(たとえセンパイと言えども、ボクのコウイチには指一本触らせない!)

「それで。何か、用か? 大荷物抱えて……」
「ああ、これ……衣装です」
「衣装?」
「はい」

 文化祭の出し物で、彼らのクラスは『ハロウィン喫茶』をやることに決まっていた。
 要するに教室をオレンジと黒を主体にしてお化け屋敷チックに飾り付け、パンプキンクッキーやパイ、かぼちゃぜんざい(え?)等のハロウィンっぽいメニューを出す。
 そしてウェイターならびにウェイトレスは(ここがハロウィン喫茶のハロウィンたる由縁なのだが)全員、仮装。

「だからって何で担任まで……あー、巫女装束でいいかな」

 たるそうに言う羊子にすかさずロイがビシっと突っ込んだ。

「センセ、それ仮装じゃないです。正規のユニフォームです」

 結城羊子の実家は神社。彼女も本職ではないが幼い頃から実家を手伝っているのだ。従弟のサクヤともども。

「あーもーめんどくせーなー。それじゃ、何かてきとうに考えて……」
「実は先生の分はすでに用意してありまして……これです」

 風見光一がうやうやしく手にした紙袋をさし出した。

「準備がいいなあ……」

 羊子は素直に衣装の入った袋を受けとった。ずっしりと手に重さがかかる。もしかして、すごく凝ってる?

「どんだけ金かけたんだ」
「先生の衣装はクラス一同で選びました」
「女子のみなさんのハンドメイドです」
「わかった……わかったよ」

 参った参った。ここまでされたんじゃ、断る訳にも行かないや。

「それじゃあ、ちょっと試着してくる」
「行ってらっしゃい」
「俺たち、教室に戻ってますね」

 そして、10分後。
 教室で各々の衣装合わせにいそしむ生徒たちは、どどどどどどっと駆けて来る足音を聞いた。

「わ」
「何?」

 廊下を走っちゃいけないのに……なぞと突っ込む暇もあらばこそ、がらりと教室の扉が開いて……。

「ロイ! 風見ぃいいい! よりによって甘ロリたぁどう言う了見だ!」
「着てるし」
「お似合いですヨ」

 08923_159_Ed.JPG ※月梨さん画「アリスと白兎とチェシャ猫」

 羊子がまとっているのは風船みたいなパフスリーブにぽんっとパラソルみたいにふくらんだスカートの水色のワンピース。白のふりふりエプロン、頭にはレースのヘッドドレス、足元はしましまの靴下(ちなみにオーバーニー)に赤のストラップシューズ。
 スカートのすそからは、動くたびに長めのパニエのレースがちらりとのぞく。

 さらに出迎える風見はピンクと紫の縞模様の猫耳、しかも猫手袋にしっぽつき。ロイはと言うとタキシードに白い兎の耳と尻尾、さらに懐中時計をぶらさげている。

「もしかして、これは………アリスか」
「アリスです」
「………どこがハロウィンだっ!」
「アメリカでは定番ですヨ?」

 ぐっと羊子は言葉に詰まる。
 そうだった……。
 アメリカのハロウィンでは、仮装はお化けに限らず何でもありなのだ。
 ドラキュラもいたしお姫様もいた。医者にナースに何故か迷彩服の兵士、海賊、妖精、当然アリスもいた。

「安心してください、交代制ですから」
「そ、そうか」

 落ち着いて見回すと、他にもアリスやチェシャ猫、白兎がいるようだった。
 文化祭の間この格好かと冷や冷やした。
 ほっと胸をなでおろした瞬間、カシャリとシャッターの音が聞こえる。

「ちょっと待て、風見、何撮ってる!」
「え、いや、せっかくなのでサクヤさんに写メを」
「ぬぁにいいい!」
「What's!」
「………どうした、ロイ」
「い、いや、何でもない、何でもないヨっ」

(落ち着け、落ち着くんだ、ロイ)
(サクヤさんはヨーコ先生のイトコだ。だから報告するだけなんだ。これは決して、コウイチとサクヤさんが親交を深めるためでは……)

「あ、返事来た。早いな……『がんばってね』だそうですよ、先生」
「うぐぐぐぐ」
「ぬぬぬぬぬ」

(ああっ、やっぱりガマンできないっ!)

「コウイチ!」
「ん、どうした、ロイ」

 その瞬間、ロイはうっかり真っ正面から見てしまったのだった。猫耳をつけて、ちょこんと小首をかしげる風見光一の愛らしい姿を……。
 肋骨の内側で心臓がどっくんどっくんとスキップを踏み始める。送り出された血流が、一気に顔へと駆け上がり……ぼふっと赤面。

「い、いや……何でも………ない」

 おろおろと目を逸らす。

(ああ、コウイチ……何てCuteなんだ。その愛らしさ。ボクにはあまりに破壊的だっ)

 一人苦悩するロイの横では。

「あ、先生、あとでもう一着、試着お願いできますか」
「まだあるのかっ!」
「クラスの総意パート2です。満場一致で、ハートの女王を、ぜひ」

 教師と生徒が丁々発止の漫才を繰り広げていた。

「お前らあたしを着せ替え人形かなんかだと思ってないかっ」
「いや、だって……」
「似合うし」
「可愛いっすよ、先生」
「むきーっ」

 結城羊子の身長は154cm。
 うっかりヒール付きのサンダルを脱いでぺったんこのストラップシューズをはいた今、彼女の視線は生徒たちより余裕で低い。

 実はこの後さらに羊飼いの女の子の衣装も控えているのだが。
 しかも犬耳の自分(牧羊犬役)に羊のロイまでついているのだが。
 それにしても、ロイはさっきから真っ赤になって何をうろうろしているのだろう?

「あーその、先生」
「何?」
「実はさらに羊飼いの女の子(ちっちゃなボー・ピープ)の衣装もあったりするんですけど……」
「お前ら……やっぱり、あたしを着せ替え人形かなんかだと思ってるだろ」
「着てくれないんですか?」
「アリスとハートの女王で十分だろ! それに、羊飼いなんかあたしがやったら……行く先々でメリーさんの羊〜♪の大合唱だぞ!」

 実はそれが狙いだったりするんだけど。ここはストレートに押してもよけいにヘソを曲げられるだけだ。
 風見光一は腕組みして、じーっと羊子のウェストのあたりをねめつけた。

「ふむ‥…衣装担当が夏休み前のヨーコ先生のサイズ参考にしたって言ってましたけど。夏も終わって食べ物が美味しい季節になってきましたから…ひょっとして油断しちゃいましたか?」

 しかし敵もさるもの、ふっと鼻で笑われる。

「甘いな風見……自分のサイズは常に把握してるのだ、その程度の挑発に乗ってたまるか!」

 しかたない。プランB、発動だ。

「……女子の有志が夜なべして作ったこの羊飼いの衣装…着てくれないんですか……?」
「そ、それは……そっか……夜なべか……」

 情にほだされた羊子がぐらりと来たところで必殺最終兵器、プランCが炸裂した。
 風見光一は軽くうつむくと、さみしげな子犬のような瞳でじーっと羊子の顔を見上げたのだ。ただ黙って、じーっと。

「う………よ、よせ、その目は………」

 しかしこの必殺最終兵器、ちょいとばかりレンジが広すぎたらしい。

「うわっ、ロイ、よせっ、何血迷ってるんだよっ」
「離せっ! コウイチが泣いている! ヨーコ先生が着ないのなら、代わりにボクがーっ!」

 ピンクのパフスリーブのブラウスに、ぽんっと膨らんだ白地にピンクの水玉のスカート、白とピンクのボンネットに白い羊飼いの杖。
 ちっちゃな羊飼いの衣装を無理矢理着ようとするロイを、クラスメートたちが必死で押しとどめていた。

「無茶言うな! とてもじゃないがお前には入らないぞ! ……主に肩幅が」
「そうよ、ロイくんには小さ過ぎるわ! ……胸囲も、多分」
「お前ら……その限定的なサイズ表現は、いったいどう言う意味なのかなぁ?」

 ドスの利いた声にはっと硬直する生徒一同。アリスが両足をふんばってにらみつけていた。

「先生……その格好で仁王立ちはどうかと」
「おっと」

 ささっと足を閉じると羊子はこめかみに手を当てると、ふーっと深ぁく息を吐いた。

「わかった、素直に着るから、羊飼い。だから、ロイも落ち着け。な?」
「Y……Yes,Ma'am」

 やれやれ。
 風見はほっと胸を撫で下ろし、ロイの背中をばふばふと叩いて耳元に口を寄せ、囁いた。

「ナイスフォロー、ロイ。ありがとな。見事な陽動作戦だったよ」
「コウイチ……いいんだ、君の役に立てたのなら、それで!」

 耳まで真っ赤になってうつむくロイをにこにこと見守りながら風見は思った。

 それにしても、あそこまで一生懸命になるなんてロイの奴、きっと、よっぽど好きなんだな………

 ハロウィンが。

(ハッピー・ハロウィンin文化祭)

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芸術劇場「赤ずきん」

2008/12/12 22:02 短編十海
  • 拍手お礼用の短編を再録。ほんのちょっとですが一部加筆してあります。
 
 むかしむかし、ある所にサリーと言う女の子がいました。
 サリーちゃんはおかあさんが作ってくれた赤いずきんが大好きで、いつでもどこに行くにもかぶっていたのでみんなから「赤ずきんちゃん」と呼ばれていました。
 
 ある日、おかあさんが赤ずきんちゃんを呼んで言いました。

「赤ずきん。ちょっとお使いたのみたいんだけどいいかな」
「いいですよ? 何をすればいいんですか?」
「うん、コーンブレッド焼いたから、おばあさんの所に届けてほしいんだ。ああ、このワインも一緒にな」
「……えーっと……これ、全部ですか」
「それぐらい余裕だろ? 彼女なら」
「あー……そうですね」
「森を通る時は気をつけるんだぞ?」
「はい、気をつけます」
「悪い奴にだまされんなよ」
「はい、わかりました」
「知らない人にはついてくんじゃないぞ」
「大丈夫ですよー。それじゃ、いってきます」

 赤ずきんはにこにこしながら手をふって、おつかいに出かけました。見送るおかあさんはそわそわ、落ち着きません。

「やっぱり心配だな。俺も一緒に行った方が……」
「その必要はないんじゃないかな」
「え? レオン?」
「それより、せっかく夫婦水入らずなんだから……ね?」

 おとうさんは素早くおかあさんにキスをして、めろめろになったところを抱き上げてさっさとベッドにさらってゆきました。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 赤ずきんちゃんはコーンブレッドとワインの入った大きなバスケットを抱えて、とことこ森の小道を歩いて行きます。
 枝の間からさしこむおひさまの光はきらきら金の色、風はそよそよやさしくほほをなで、ことりはさえずり、草むらには花が咲いています。
 なんて気持ちのいい日なんでしょう。

 ふと見ると、木の枝の合間には黒イチゴがつやつや光っていました。

「あ……これおばあちゃん好きなんだよな。ちょっとお土産にもってってあげようかな」

 かがみこんで黒イチゴに手をのばしたそのときです。
 しげみがガサガサとゆれて、にゅうっと子牛ほどありそうなおおきなおおきな狼が顔をつきだしました。

「わあ、びっくりした」
「やあ、赤ずきん。散歩かい?」
「いえ、お使いです。おばあちゃんの家に、パンとワインを届けに。でも、ちょっと足りないから黒イチゴもつんでこうかなと思って」

 狼さんはちらっとバスケットの中をのぞきこみ、パンの大きさを確認してうなずきました。

「うん、足りないね、きっと……よし、私も手伝おう」
「ありがとうございます」

 赤ずきんちゃんと狼は並んでぷちぷち黒イチゴをつみました。

「もうちょっとあった方がいいかな」
「そうだね、もうちょっと」

 ぷちぷちと夢中になっていると、あ、いけない! ぷちゅっとつぶれた黒イチゴの汁が、赤ずきんちゃんのほっぺに飛びました。
 狼はごく自然に顔を近づけて、ぺろりとなめました。

「ついてたよ、汁」
「あ……ありがとうございます」

 くすぐったいのと、はずかしいのとで赤ずきんちゃんがほんのりほほを染めたその時です。
 黒イチゴのしげみから、ぶーんと……大きなマルハナバチが飛び出して来たではありませんか。黒と黄色のまるっこい体が、赤ずきんちゃんの目の前でホバリング。

 赤ずきんはびっくり。なぜなら、虫がだいっきらいだったからです。

「きゃあっ」

 思わず悲鳴をあげたその瞬間。

「SFPDだ! 速やかにその子から離れろ!」

 昔取った杵柄、両手で拳銃を構えた金髪の猟師が突入

「両手を上げて頭の上に載せろ!」

 狼は困った顔で。それでも素直に前足を持ち上げましたがそれが精一杯。

「そのままゆっくりとこっちに歩いてこい!」

 四足歩行動物に向かって無茶を言う猟師さんです。しかたがないので、後足だけで歩こうと努力しましたが、やっぱり無理なものは無理。
 ぐらっとよろけて、つい、赤ずきんの肩に前足をかけてしまいました。

 その途端。

「くぉら、この遊び人! 俺のダチに手ぇ出しやがったらタダじゃおかねえぞ!」

 がさっとしげみから猟師2号が飛び出して、どげしりっと狼に蹴りをかましました。

「きゃんっ!」

 倒れた所に猟師1号と2号は飛びかかり、あっと言う間に二人がかりで狼をボコボコにしてしまいました。

「きゅいーん、きゅいーん」

 わけもわからぬままフルボッコにされ、尻尾を丸めてうずくまる狼の前に赤ずきんちゃんが両手を広げて立ちふさがりました。

「何てことするんだ! 何の罪もない動物に乱暴するなんて」
「え? 何もしてないんですか?」
「一緒に黒イチゴを摘んでただけです!」
「でも、あなたの頬をぺろって……味見して……」
「あれは、汁がついたから! 拭いてくれたんだよ」
「悲鳴も聞こえたし」
「あれは……ハチが飛び出してきたから、びっくりして」
「……そ、そうだったのか……」

 猟師1号と2号は気まずくなって顔を見合わせました。
 どうしよう。思わず容赦無くフルボッコにしてしまったけど、えん罪だったんだ。

「すぐに手当しなきゃ。テリー、手伝って!」

 赤ずきんちゃんは猟師2号と一緒にてきぱきと狼を応急手当しました。

「大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫だよ、ありがとう」
「あー、まだよろよろしてますね。しばらくおばあちゃんの家で休ませましょう」
「わかりました、お手伝いします」
「俺も、手伝う!」

 こうして、赤ずきんちゃんと猟師二人は三人がかりで狼を支えて歩き出しました。
 
 一方、森の中の小さな家では。
 ちっちゃなおばあさんが、ちっちゃなナイトキャップにちっちゃな寝間着を着て、大きなベッドにちょこんと寝ていました。

「おそいなー、赤ずきん。迷子になってないかなー。途中まで迎えに行こうかなー」

 ぴょん、とベッドから飛びおりて、せかせか家の中を歩き回っていると、とん、とん、とノックの音が聞こえます。

「だれだい?」
「わたしよ、赤ずきんよ。おかあさんの焼いたパンと、ワインと黒イチゴをもってきたの」
「おはいり、待っていたよ」

 ばたん、とドアが開いて、赤ずきんちゃんと……大きな狼と、猟師が二人ぞろぞろと入ってきました。

「………わあ、ずいぶんいっぱいいるねえ。おともだち?」
「うん、ともだち」
「どーぞ、こちらへ」
「おじゃまします」

 おばあさんは狼と猟師と猟師2号をテーブルに案内して、戸棚からおせんべいを出してきました。

「めしあがれ」
「変わったクッキーですね」
「お米が材料なんですよ」
「お茶がはいったよー」
「お、ジャパニーズ・グリーンティーだ」
「ヨーコ!」
「なに?」
「そんな格好でうろうろするとは何事だ。せめてガウンを羽織りたまえ!」
「はいはい……まったく真面目だなあ、カルは……」

 もそもそとガウンを羽織ると、おばあさんはぽん、と手を叩きました。

「あ、そうだ、みかんもあるよー」
「Mikan?」
「はい、どうぞ」
「変わったオレンジですね。皮がうすい……」
「カナダではクリスマスオレンジとも言うそうですよ。十一月から一月にかけてが食べごろだからかな」
「日本でも冬の風物詩よね」

 赤ずきんちゃんとおばあさんは、みかんを一個ずつ手にとると、打ち合せでもしたようにまったく同じタイミングでぱかっと二つに割りました。
 それからちまちまと皮をむいて、ひとふさ口に運んでもこもこと。こくん、と飲み込んで、また次のひとふさをむしって、もこもこと。

「食べ方、同じなんだ……やっぱ、同じ群れで育ったからか?」
「なんだか……」
「うん……そうですね……」

 みかんを食べる二人を見ながら、猟師と猟師2号と狼は同じことを考えていました。

 まるで小動物みたいだな、と。


 ※ ※ ※ ※


 一方、その頃、おとうさんとおかあさんは。

「……レオン、そ、そろそろ赤ずきんを迎えに」
「まだいいだろう? もう少しだけ」
「あっ、よせ、こらっ」

 まだいちゃらぶしていたのでした。
 めでたし、めでたし。


(芸術劇場「赤ずきん」/了)

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メロンパンの森

2008/12/19 22:40 短編十海
  • 拍手お礼用短編を加筆して再録。
  • サンフランシスコで大変なことが起きていたのとほぼ同じ頃、日本では……
 
 昼休み。
 ロイは胸の時めきを爽やかな笑顔で巧みに隠しつつ、幼なじみの風見光一に声をかけた。

「Hey,コウイチ。一緒にランチを食べないか?」
「うん、いいよ?」

(やったーっ!)

 アメリカ生まれの彼にとって、二人で一緒にカフェテリアでランチを食べる、と言うのはそれなりに特別なイベントだった。
 要するにおつきあいするようになったカップルの、嬉し恥ずかし初々しい校内デート。周りに「二人はおつきあいしています」とさりげなくお披露目する場でもある。

 うきうきしながら並んで歩いて行くその先は、しかし学食ではなく何故か部室だった。

「……Why?」
「だって、俺もロイも弁当じゃないか。屋上で食うのも気持ちいいけど、今日は風強いだろ?」

(がっで〜〜〜む!)

 2号校舎の4階はもともとは三年生が使っていたのだが、昨年新設された3号棟に移っていったため、大量に部屋が空いた。
 そこで空き教室を有効に活用すべくこの一角は文化系クラブの部室や生徒会の執務室に転用されたのだ。

 そして風見とロイ、遠藤 始の3人は『民間伝承研究会』、略して『伝研』なる同好会に所属している。
 顧問は言わずと知れた社会科教師、結城羊子。

 とかく人には言えない理由で……もとい、人知を越えた事件を解決するために行動する際、部活動と言うのはかっこうのカモフラージュなのだ。
 妖怪や魔物、魔術に呪術、妖術、怪人、怪獣。怪しげな話題を展開していようが、休日ごとに神社や寺に足蹴く通っていようが対外的には『部活ですから!』の一言で説明できる。

(はっ、でも、これは考えようによっては学食よりイイかもしれない!)

 基本的に文化部の部室は一つの教室をパーテーションと戸棚で区切って二部屋に分けている。彼らの部室は顧問の根回しと裏工作で上手い具合に校舎の角部屋をあてがわれていた。しかも隣は物置だ。
 多少、行き来に時間はかかるが人に聞かれて困る話も心置きなくできる。

 ついでに言うと部員の一人、遠藤は昼休みは必ず早々に食事を済ませて自主トレに出かける。はち合わせする可能性はかなり低い。

 二人っきりで静かにランチタイム!

 予想とは若干違う展開になったものの、期待に胸をふくらませて部室に入って行くと……。

「あれ、羊子先生」

 奥の椅子にちょこんと腰かけて、しょんぼりうつむいてる人がいたりするわけで。

 身長154cm、うっかりすると生徒に紛れそうな童顔、だがこれでもれっきとした26歳。
 夏休みの見回りで、「学校はどこかね」と補導員に声をかけられて「(勤務先は)戸有高校です」と答えたら「担任の先生は?」と真顔で聞かれたと言う伝説を持つ女教師、結城羊子。

 彼らの担任にして同好会の顧問、そして『チームメイト』でもある。
 ロングのストレートを本日はハーフアップにして、トレードマークの赤い縁のちいさな眼鏡を顔に乗せ、白いハイネックのセーターの上から薄いカフェオレ色のストールをくるりと巻き付けている。
 何だかハムスターみたいな配色だ。それがまた妙に似合っている。

「どうしたんですか」
「小鳩屋さんのメロンパンが……売り切れてたんだ」
「ああ、学校の前のパン屋さん」
「仕方なくて角のコンビニまで遠征したんだけど、そこでも売り切れててっ」

 しゅん、と羊子先生は肩を落してうつむいた。

「メロンパンが………買えなかったんだ」
「先生好きだもんね、メロンパン」
「メロンパンたべたかったのに………メロンパン………」

 ふるふると小さく震えている。よっぽどがっくりきたらしい。空腹と失望のあまり、微妙に幼児化している。

 購買で買ってきたら、と言いかけてロイは口をつぐんだ。どうやら風見も同じことを考えたらしい。
 昼休みの壮絶な争奪戦の繰り広げられるパン売り場に、このミニマムでプチな先生が潜り込むなんて………。

 想像してみる。

 殺気立った食べ盛りの高校生が群がるパン売り場に、よじよじと羊子先生が潜り込んで行く。あっと言うまにもみくちゃにされて、きゅーっと床に倒れた所を踏みつぶされて………。

 ロイと風見は同時にぶるっと身震いした。

(だめだ、あまりにも危険すぎる!)
(通勤ラッシュの山手線にハムスターを放り込むようなもんデス!)

「あのー、先生」
「ボクたちが買ってきましょうか?」

 その瞬間、羊子先生は顔をあげて、にっぱーっと笑顔全開。こくこくうなずくと、赤いがまぐちから500円硬貨を一枚取り出して風見の手に握らせた。

「ありがとう! お釣りで好きな物買ってきていいよ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 昼休みのパン売り場はやはり戦場だった。
 お腹をすかせた食べ盛りの高校生がぎっちり群がり、獲物を確保しようとぎらぎらと目を輝かせてにらみ合う。一瞬の油断が命取り。
 だが、幸いにしてこう言った場では「メロンパン」は人気が薄く、競争率は若干低い。

「よし、行くぞ……」
「コウイチ、ちょっと待った!」

 ロイは親友の肩をわしっとつかんだ。伸ばした前髪のすき間からちらりと青い瞳がのぞく。

「ボクが行ってくる」
「大丈夫か?」
「ボクの方が身のこなしは軽いからネ! 適材適所だヨ」

(あんな、人口密度の高い所にコウイチが入って行くなんて……他の生徒にもみくちゃにされるなんてっ! ダメだ。絶対に、許せない!)

 爽やかな笑顔を浮かべるロイの胸の内は、ほんのりブラックだった。

「わかった。任せたぞ、ロイ!」
「御意!」

 しゅたっとロイは天井に飛び、空いた空間を見極めるやいなや、すかさず着地。床に足がついたときにはもう、メロンパンを確保していた。この間、わずか5秒弱。

「これクダサイ!」
「はいメロンパン、120円ね」

(よし、ミッションコンプリート!)

 安堵した瞬間、後ろから圧倒的な質量と勢いで容赦無く押され、ぐらりとよろける。

(ふ、不覚っ)

 バランスを失い、傾いたロイの体をがしっと力強い手が支えてくれた。

「コウイチ? いつの間に……」
「危なかったな、ロイ。買い物が終わったら横にどかないと危ないぞ?」
「う、うん………今度から気をつけるヨ」

 コウイチが、ボクを助けてくれた。
 コウイチが。
 コウイチが!

「ありがとう……」
「気にするな!」

 その瞬間、ロイの頭からはパン争奪戦を繰り広げるクラスメイトの姿も。購買部の喧騒も、まとめてデルタ宇宙域の彼方へすっ飛んでいた。
 ぱああっと広がる虹色の光と天使のハープの音色に包まれて、彼は(ささやかな)幸福のただ中に舞い上がった。

「行こうか。先生が待ってる」
「うん!」

 二人は手に手をとってパン売り場を脱出した。
 
「お釣りどうする?」
「そうだな、とりあえず飲み物でも買ってくか……」

 自動販売機の前で立ち止まる。

「お、新作入ってる」

 がしょん、と四角い紙パック入りのジュースが落ちてきた。

「ロイは何を飲む?」
「コウイチと一緒でいいよ」
「OK……ほら、これ」

 手渡されたのは、柔らかなクリーム色の紙パック。表面に印刷された文字は……

「豆乳ヨーグルト……きなこ味?」
「体に良さそうだろ?」

(ああ、コウイチ。その、ちょっとズレてるとこも……滅茶苦茶キュートだ!)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「はい、先生、メロンパン」
「わーい、メロンパンだーっ! ありがと、風見、ありがと、ロイ!」

 メロンパンを受けとると羊子先生はぺりっと袋を開けて、両手で抱えてあむっと一口。しみじみと目を閉じて味わっている。

「んー……美味しい………」

 その姿を見ながら風見とロイは同じことを考えていた。
 何だか、リスみたいだな、と。

「どうした、お前ら、弁当食わないのか?」

 いつもの調子が戻って来たらしい。

「食べますよ。あ、そうだ、先生これ」

 風見はカバンからオレンジ色の丸いものを取り出した。

「親戚がいっぱい送ってきたんです。よろしかったらどうぞ」
「みかんか! うん、それじゃありがたく………うわあ、大きいな。ずっしりしてる!」

 つやつやのみかんを手にとると、羊子先生はまずめきょっと二つに割って、それからちまちまと皮をむいて、ひとふさ口に入れた。

「うっ」

 口をすぼめて目をぎゅーっとつぶっている。

「すっぱーっ」

(あー、甘いメロンパンの後に食べるから……)

 でも、まだ食べる。次のひとふさを口に入れて、またきゅーっと口をすぼめる。どうやら、このすっぱいのが気に入ったらしい。
 ひとふさひとふさ丁寧に、しみじみ味わっている。

 少し考えてから、風見は携帯を取り出し、撮った。

「……何してるんだい、コウイチ」
「うん……なんか、和むから、動画で」
「なるほど、確かにそうだネ」

 ロイも携帯を取り出すと、写した。
 みかんを食べる羊子を撮影しながら、にこにこしている風見の横顔を。

 手のひらいっぱい分の丸いオレンジ色の果実を残らず食べ終えると、羊子は指をちゅぴちゅぴとなめて、それからほうっと幸せそうに息をはいた。

「はー、おいしかった。ごちそうさま」
「どういたしまして!」

 にこにこしながら風見光一は買ってきた紙パックにぷすっとストローを刺して一口すする。

「ん、けっこういける」

 その隣でロイも同じ様にさりげなく、ぷすっとストローを刺してちゅーっと一口。

(ううっ、豆乳のこくが喉にからまって……ヨーグルトの酸っぱさと、きなこと甘みと絶妙の不協和音をっ)

「う、うん、美味しいネ!」
「何、それ。自販機の新作」
「そうです、豆乳ヨーグルトきなこ味です。はい、これおつり」
「律儀だなあ……もっと贅沢しても良かったのに」
「これで十分ですよ。なあ、ロイ?」
「うん、十分、十分だヨっ!」

(コウイチと同じジュースを飲んでる、それだけでボクは十分幸せだ……)

「ところでさ、風見。お前、パスポート持ってる?」
「一応……」
「ロイは持ってるから問題ないよな?」
「ハイ」
「ふむ……」
「どうしたんですか、先生」
「いや、事と次第によっちゃ、海外遠征に付き合ってもらうかもしれないんだ」
「どこに?」

 くい、と羊子先生は人さし指で眼鏡の位置を整えた。赤いフレームの奥で、黒目がちの瞳がきらりと光る。

「サンフランシスコ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その夜、風見とロイは夢を見た。ひょっとしたら、二人で一緒に一つの夢を見ていたのかもしれない。

 とにかく二人は森の中にいた。足元には、茶色や黄色、赤の落ち葉がふかふかと積もっている。
 目の前をちょろちょろと羊子先生が走って行く。何故か手のひらに乗るほどの大きさで、両手で大きなメロンパンを抱えて。

 木の根本をちょろちょろと。
 そして、ちっちゃな手で地面を掘って、メロンパンを埋めて。土をかぶせて、落ち葉をのせて、満足げにうなずいた。

「何……やってるんだろう」
「保存してるんじゃないかな」
「もうすぐ冬だしな」

 ちょろちょろっと走っていったかと思うと、またもう一個、メロンパンを抱えて駆けて来て、さっきとは違う場所に埋めた。

「いくつ埋めるんだろう。って言うか、ひょっとしたら埋めた場所忘れたりしないのかナ。もったいない」
「大丈夫、そうなったら春になったら芽が出て、すくすく育って、秋になったらメロンパンの実がなるよ……こんな風に、ほら」

 風見が指さすその先には、メロンパンが鈴なりになっていた。

「そっか。こうやって自然の恵みは巡っているんだね……」
「この世には何一つ、無駄なものなんてないんだよ」

 メロンパンの木の枝の間を、ちょろちょろとちっちゃな生き物が走って行く。

「あれ? 羊子先生が二人?」
「あっちはサクヤさんだよ」
「あ……ほんとだ」

 サクヤと羊子が二人並んでちょろちょろと、足元に走りよってきた。
 と、思ったら森の奥からもう一人、ちっちゃな生き物が走ってきて仲間に加わった。

「あれ、ランドールさん」

 ちっちゃな生き物たちはロイと風見の足元で何やら互いにキィキィ話している。
 良く見るとランドールが手に抱えているのはヒマワリの種で、サクヤが抱えているのは桜餅だった。

 081223_0243~01.JPG ※月梨さん画「きぃ、きぃ、きぃ」

「そっか、主食が違うんだ……」
「サクヤさんの通った後には桜餅の木が生えて、ランドールさんの通った後にはヒマワリの種の木が生えるんだな」

 ロイはのびあがって森の奥を眺めた。それぞれ桜餅(何故か道明寺)と、ちっちゃなジップロックに入ったヒマワリの種がすずなりになっていた。
 しかもそれぞれの境目あたりには、ほんのりピンク色のメロンパンや、ヒマワリの種がトッピングされた桜餅までちらほらと。

「……ホントだ」
「かわいいなあ」

(むっ!)

 その瞬間、ロイの胸の中でざわっと何かが燃え上がる。

(ヨーコ先生ならギリで許せる、でも、サクヤさんとMr.ランドールはダメっ)

 ちっちゃな生き物に手を伸ばす風見より早く、ロイはランドールとサクヤをかっさらって抱き上げた。

「……ロイ、お前…………」
「か……かわいいねっ。うん、So cute!」
「いや……サクヤさんが泣いてる」
「えっ?」

 きぃ、きぃ、きぃ!

 ロイの手の中でちっちゃなサクヤがじたばたしてポロポロ涙をこぼしていた。
 足元では羊子が心配そうに見上げている。ふるふると両手を伸ばしてロイのズボンの裾をにぎり、きぃ、と一声、鳴いた。

「Oh,sorry………」

 そーっと地面に降ろすと、サクヤはとことこと羊子に寄って行く。羊子は安心したようだ。ぎゅっと両手でサクヤを抱きしめた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 目がさめてから、風見はしばらく布団の中でぼーっとしていた。

(妙な夢見たなあ……)

 羊子先生と、サクヤさんと、ランドールさん。いつも自分たちを教えて、導いてくれる人たちがあんなにちっちゃくなっちゃうなんて。
 でも、可愛かった。
 あれは何かの予知夢なんだろうか。それとも、ただの夢なんだろうか。

 一方、ロイはベッドの中で幸せに打ち震えていた。

(森の中でコウイチと二人っきり……いい夢だった。神様ありがとう!)

 ちっちゃな生き物の存在はとりあえずノーカウントってことらしい。

 そしてその頃、サンフランシスコでは……
 青年社長、カルヴィン・ランドールJrが、日本の『メル友』から送られた和み動画を見ながら昼食後のひと時を寛いでいた。

「ははっ、すっぱかったのか」

 くすくす笑いつつ、彼女の小動物めいた動きにふと、昨夜見た夢を思い出す。
 自分がものすごく小さくなって、森の中を走り回っていた。確かヨーコとサリーも一緒だったな……と。
 

 時計の針は確実に進んでいる。日本とアメリカ、二つの道の交差する、ある一点を目指して。


(メロンパンの森/了)

次へ→芸術劇場「赤ずきん」

奥津城より

2009/01/05 1:23 短編十海
  • 拍手お礼用の短編の再録。
  • ほんのり和風テイストの怪奇譚。
 
 友だちが病気になった。高校は別だけど、小学校から中学校までずっと一緒だった女の子。
 学校帰りに倒れているのが見つかって、それきり目を覚まさない。

 放課後、お見舞いに行った。彼女の好きな白い百合の花を持って。
 花屋に寄っていたら少し遅くなったので、近道をすることにした。

 竹やぶの脇の細い道を通り、崩れ落ちた家の横を抜ける………家と言っても、ずっと昔に火事で焼け落ちて、今は黒く煤けた柱と平べったい石がいくつか、残っているだけなんだけど。
 夏の盛りでも、ここには草一本生えない。芽吹いたそばから黒く干涸びねじくれて、後に残るのは燃えかすみたいな草の亡きがら。
 犬も、猫も、スズメもカラスも。虫さえもここには入ろうとしない。まるで目に見えない線が引かれてるみたいに。

 足早に通り過ぎようとしたその時。

 カラ……カラ……カサリ。

 空気がゆらいだ。真っ黒に干涸びた枯れ草が互いにこすれ合い、かすかな音を立てる。

 カラ、カラ、カサリ。

「あ………」

 誰かいる。
 白いワンピースの裾と、肩まで伸びた髪の毛を風になびかせて……彼女だ。

「すずちゃん」

 名前を呼ぶと、すうっとこっちを振り返り、ぼんやりと見つめてきた。まばたき一つせずに。

「こうちゃん?」
「うん……病気になったって言うから、心配した」

 すずちゃんは俺の抱えた花束を見てふわっとほほ笑んだ。

「きれい……それ、あたしに?」
「うん。お見舞い」
「うれしいな……」

 雲の中を歩くような足どりで近づいて来る。

「すずちゃん、君、靴はいてない!」
「うん、わすれちゃった」

 よく見ると着ているのもワンピースじゃなくて寝間着……ネグリジェだった。いったいどうしたんだ、すずちゃん。

「こんなとこで、何やってるの?」
「……よばれたの」
「呼ばれた?」

 こくっとうなずいた。

「知ってる? ここで昔、火事があったの」
「うん……聞いたことある」
「みんな燃えて……」

 ぶわっと視界が赤く染まる。夕陽よりもなお赤く。頬がじりじりと焼ける。熱い!
 燃えている。
 辺り一面、火の海だ!

「すずちゃん?」

 いない。どこに行った?
 
「うわ……ああ」

 すぐそばまで炎が迫っている。
 髪の毛の焦げるにおいを嗅いだ。

 早く逃げなければ!
 走っても、走っても炎が追って来る。それどころか近づいて来る。

 ……違う。
 燃えているのは、俺だ!

 手が燃えている。足が、髪が、体が。ごうごうと炎をあげて燃えている。
 熱い。熱い。熱い!

「うわぁっ」

 口の中が焼けただれる。目の前で手が炎に包まれ、皮膚が焼け落ち、肉が爛れる。血は流れない。じゅわじゅわと泡立ち、沸騰して蒸発してしまうから。

『みんな燃えて……死んだの』
             『死んだの』
『死』
                『死』
『死』
          『死』

 赤い炎がくねって伸びて、手に、足に絡み付く……動けない。はっきりと悪意を感じた。憎しみを感じた。

『 あ な た も こ こ で 死 ぬ の 』

(いやだ!)

 叫ぶ喉の奥に熱気が流れ込み、はらわたが焼ける。
 このまま焼けてしまうのか、俺は。骨まで残さず燃え尽きて、先祖代々の奥津城に眠ることさえ叶わずに。
 いやだ、いやだ、いやだ!
 恐ろしい。恐ろしい!

 炎が笑う。
 声の無い声で。

 胸が、喉が、顔が、皮膚も肉も一塊にごぞりと崩れ落ちる。
 ああ、それでも意識が消えない。
 ぱちん、と片方の眼球が弾けてどろりと溶け落ちた。

 炎が笑う。
 幼い子どもみたいに甲高い、調子の外れた無邪気な声で。
 笑いさざめきひらひらと、空ろになった目の玉の、くぼみの中で踊っている。

 左手はもう、ほとんど筋一本で繋がってるだけだ。
 鼻が崩れ、耳が落ちる。
 それでもまだ倒れない。立ったままぼうぼうと、松明みたいに燃えている。

 俺はいつまで燃えてるんだろう……。

「惑わされるな!」

 シャリン!

 鈴が鳴る。
 月の光が薄く結晶し、しん、と冷えた夜の空気の真ん中で触れあうような澄んだ音。

 さらり。

 緑の枝が揺れた。
 葉っぱの先から水晶みたいな雫が散って、ざあっと降り注ぐ。
 優しい雨が染み通る。

「………み…………」

 だれかがよんでる。

「しっかりしろ……お前は燃えてなんかいない………」

 本当だ。
 手も、足も、顔も髪も胴体も、燃えてなんかいない。

「………ざ……み……」

 りん、とした呼び声。とても良く知っているだれかの声が俺の名前を呼ぶ。
 その瞬間、風が走った。俺を中心にうずを巻き、迫る炎を押し戻す。
 
 そうだ……。
 風よ、走れ。もっと早く、もっと強く。こんな、憎しみに満ちた炎なんか………

「消してやる!」

 意志が力となり、形を成す。

「行けぇっ」

 降り注ぐ雨が風の螺旋に乗って広がり、紅蓮の炎を鎮めた。
 
「風見!」
「はっ」

 目蓋を上げる。
 焼け跡にいた。

「大丈夫か?」

 情けないことに俺は地面に仰向けにのびていて、小柄な女性がそばにいた。
 ハーフアップにした長い髪。赤い縁の眼鏡の奥から、黒目の大きなくりっとした瞳がのぞきこんでいる。

「え? 羊子先生? 何で、ここに?」
「お前のことがちょいと気になってな。後、ついてきた」
「………先生、それ、ちょっとストーカーっぽい……」
「おばか」

 こん、と握った拳でおでこを軽く小突かれる。

「一人で突っ走るなっつっただろ?」
「すみません」
「そら、これ」

 さし出された百合の花束を受けとった。花びらも、茎も、葉も、しゃんとしてる……よかった。

「あ……そうだ、すずちゃん!」

 起きあがり、慌てて見回すが……いない。どこに? 

「……佐藤さんなら入院中だぞ。今朝、お前が言ってたじゃないか」
「あれ……そうでしたっけ」
「しっかりしろ」

 ぱふぱふと背中を叩かれた。
 あんな事があった直後なのに、落ち着いてるなあ……見かけは俺よりちっちゃいのに、やっぱり大人なんだ。
 羊子先生はとことこと歩いて行くと、煤けた石を見下ろし、小さくうなずいた。
 さっきまですずちゃんが立っていた場所だ。

「どうしたんです?」
「うん……ちょっと……ね……」

 先生は肩にかけたバッグから手帳を取り出し、ぱらりと開いて中に挟んであったものを手にとった。
 白い紙……和紙かな。何となく、人の形に切り抜かれているように見える。
 羊子先生は人型の紙で、ちょい、ちょい、と石を撫でるとまた元のように手帳に挟み込んだ。

「さてと……ここの近くに、お墓とか、ないか?」

 何で知ってるんだろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 竹やぶの手前で道を右に曲がり、まっすぐ進むと墓地がある。畑と住宅地の間にぽっかりと思い出したように墓石の並ぶ空間が広がっているのだ。
 羊子先生はしばらくちょこまかと墓地の中を歩き回っていたが、やがて一つのお墓の前で立ち止まった。

 四角柱の形の墓石。これは、まあ普通だ。けれど先端がピラミッドみたいに尖っているのは珍しい。
 墓石の前に、線香立てじゃなくて小さな棚があるのも変わってる。

「変わった形ですよね、これ」
「神道式の墓だよ。奥津城(おくつき)って言うんだ……そら」
「ほんとだ」

 墓石には確かに『佐藤家之奥津城』と刻まれていた。

「佐藤さんが倒れてたのって、もしかしてここじゃない?」
「……そうです」

 墓石の台座の部分にわずかに開いたすき間を指さす。

「そこをのぞきこむようにしてうずくまってたって」
「だろうね」
「何なんです、それ」
「ああ、ここは、床下収納庫みたく開くようになっていてね」
「……収納庫って……何、しまうんですか」
「お骨」

 そうだよ……な。お墓なんだし。

「さて、と」

 羊子先生は手帳に挟んであった人型の紙を取り出すと、墓石のすき間に押し込み、とん、と軽く押した。
 すう………すとん。
 まるで吸い込まれるみたいに落ちて行った。それがそこにあったことすら、夢だったみたいにあっけなく。

「……帰りたかったんだね……」
「でも、こんなに近くにあったのに、何で?」
「縛られてたんだよ。あの場所でずっと」
「あ」

 手足に絡み付いた炎を思い出す。

「あいつか……」
「そう言うこと。さてと、病院に行こうか? たぶん、彼女も目を覚ましてるよ」
「はい……あ、ちょっと待って」

 花束から一輪、白い百合を取り出し、墓前に手向けた。

「OK。行きましょうか」
「ん……」

 羊子先生は満足げにうなずくと目元をなごませ、笑いかけてきた。

「優しいな、風見」
「何も無いのも寂しいし、幼馴染の家のお墓ですから。」
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……そんなことがあったんだ」
「うん。俺がまだ駆け出しだった頃にね」
「そ、それで、コウイチ。その、佐藤サンは?」
「先生が言った通りだったよ。病院に訪ねてったらすっかり元気になっていた」
「そ、そう……良かったネ」

(そうじゃないんだ。ボクが知りたいのはっ)

 後ろからにゅっと羊子先生が顔をつっこんできた。

「佐藤さんなら二つ隣の駅の学校だぞ。毎朝、彼氏と仲睦まじく登校してる」
「ちなみにその彼氏も幼馴染」
「そうなんですかっ。ああ、良かった………安心しましタっ!」

 爽やかにほほ笑むロイを見守りながら風見光一は思った。見知らぬ女の子のためにこんなに親身になって心配するなんて。

「ロイ。お前ってほんと、いい奴だな!」


(奥津城より/了)

inspired from "The Tomb" (by H.P.Lovecraft)

年賀状2009

2009/01/18 22:07 短編十海
  • 2009年年賀状。拍手用に掲載していたものを加筆して再録しました。イラスト一点追加有り。
 
Happy Newyear!

 nenga_2.jpg
新年あけましておめでとうございます。


 
face_y.jpg
ヨーコ「友人の旦那の方が美人です。どうすればいいんでしょう」

ヨーコ「って言うか友人(男)の方が巨乳なんです。胸囲はぶっちぎりであっちのが上だしたぶんカップも……」

ヨーコ「カルんとこの美人秘書に負けるのはともかく男に負けるのはなんか納得ゆかないです。きぃ!」

ランドール「安心したまえ、ヨーコ。彼の胸は筋肉だ。君の方が脂肪は多いはずだよ?」

ヨーコ「…………」

(ミルク缶でがごん!)

ランドール「ほぐわっ」

風見「あー……ランドールさん、鼻血が……どうぞ、ポケットティッシュですけど」
ランドール「Thanks」

ロイ「(むかっ)」

(ずいっと割り込み)

ロイ「どうぞ、箱ティッシュですけど」(ぼこんっ)
ランドール「……ありがとう」


(その間、背後で)
 
face_d2.jpg
「わ、いきなり何やってんだ、レオン?」

face_l.jpg
「その服、少々露出が多すぎるようだから……ね」(この上もなく爽やかな笑顔)


ヨーコ「むー、胸も色気もマックスに負けたー(えくえく)いいなー、シンディ、いいなー……(じー)」

シンディ「泣かないで、ヨーコ。ほら、好きなだけ触ってもいいから」

(むぎゅ)

 21738439_3408582026.jpg※月梨さん画「むぎゅっ」

ヨーコ「んぎゅっ、わぁい、ばいんばいんだー」
シンディ「ふふっ、かわいらしいこと……」

ランドール「……シンディ、そこまでだ」

2009年もよろしくお願いいたします。

★プレゼントは私

2009/02/03 19:50 短編十海
「ヒウェル」

 あと三日でクリスマスと言う日、飯が終わってからディフに呼び止められる。
 またお小言か?『用もないのに事務所に来るな』とか。『最近、オティアにひっつく時間が増えてないか』とか『少しは空気を読め』とか何とか……。
 自分としちゃあ目一杯節度ある態度をとってるつもりなんだが、やっぱ『まま』の目から見ればいろいろ突っ込みたいこともあるのかもしれん。

 やれやれ、素直に聞くのも友情のうちだ、お聞きしましょうかね……。

「ちょっと知恵を貸してほしいんだが。いいか?」
「何だ?」

 意表をつかれる。しかも、こいつ、ほんのり頬を赤らめてそわそわしてるじゃねえか。

「いや、レオンへの誕生日のプレゼント、何を贈ろうかと思ってさ。何か欲しいものあるかって聞いてもいっつも料理のリクエストしかしないし」
「あー、そりゃ、まあ、ねえ……」

 なんだ。そう言うことか。
 親友時代からずっと同じことしてるから癖になっちゃってるんだろうなあ。一言『君』とか気軽に言えるような間柄じゃなかったし。

「今年は、ほら。結婚してから最初の誕生日だろ?」
「ちょっとは特別なことしたいって? いいねえ新婚さんは……あ、そうだ、ちょい耳かせよ」
「何だ?」
「まずリボンを用意してだね」
「うん」
「あいつの好きそうな花もあったほうがいいかな……それで、お前さんがリボンくるくるまきつけて……お花も添えて……プレゼントはわ、た、しって」
 
 090108_0014~01.JPG ※月梨さん画「ぷれぜんとは…」

「阿呆か、お前は!」

 あ、あ、何、その冷めた目は。

「まてまて、まだあるぞ」
「まだあるのか」
「定番のカウボーイのコスプレってのはどうだ? ほら、居間に飾ってあるテンガロンハット被って、プレイメイト風に」
 
 090107_0056~01.JPG ※月梨さん画「カウボーイ」

「お前……やっぱり阿呆だろ」

 うーわー、今度は三白眼で睨みつけてきたよ。

「お前に聞いた俺がバカだった」
「いいアイディアだと思うんだけどなあ?」
「ヒウェル?」

 この上もなくにこやかにほほ笑むと、ディフはべきっと指を鳴らした。ネイビーブルーのセーターの下で、二の腕の筋肉が盛り上がるのがはっきりわかった。

「……ごめんなさい、もう言いません」


(でも思い切って首にリボン巻くぐらいはやっちゃうかもしれない)

(プレゼントは私/了)

義理と人情のバレンタイン

2009/02/14 0:25 短編十海
(バレンタイン前日、社会科教務室にて)

ロイ「ヨーコ先生、質問よろしいでしょうか?」
ヨーコ「ん? どーしたロイ。まーた深刻な顔しちゃって」
ロイ「日本のバレンタインデーはアメリカとは習慣が違いますよネ?」
ヨーコ「ああ。アメリカだと男女関係なく恋人同士で贈り物したりするよな。ぬいぐるみのクマとセットになったハートチョコとか」
ロイ「ハイ」(そわそわそわ)

ヨーコ「まあ、あれだ。日本でも友チョコなんてのもあるから気軽に贈ってもいいんじゃないか?」
ロイ「トモチョコ、ですか」
ヨーコ「うん。お友達同士で交換するんだ。あと義理チョコな」
ロイ「ギリチョコ……」
ヨーコ「そーそー。本命くんにあげたいのに気づかれたらどうしよう、そうだわ、大きく『義理』って書いておけば! なーんて矛盾に満ちた心の葛藤を優しくオブラートで包んでくれる奥ゆかしい風習で……」

ロイ「ありがとうございました!」(しゅたっ)

ヨーコ「おーい! ………行っちゃったよ。しかも窓から。ここ、二階だぞ?」


そして当日。
ロイがどんなのを贈ったかはこちらでご確認ください↓
 
  25211406_273476276.jpg
 
※月梨さん画「バレンタインの贈り物」(クリックで拡大)

スペースの都合で若干一名、入りきれなかった奴もいたりするんですが、気にしない方向で。
 
 090111_0049~01.JPG
 
※月梨さん画「ひろってプリーズ」

そしてロイから「由緒正しき義理チョコ」をいただいた風見くんは……

風見「先生、ちょっと買い物つきあってもらえませんか?」
ヨーコ「ん? いいけど、何買うの」
風見「チョコレート」
ヨーコ「ふーん……いいよ、あたしもお返しのチョコ買い足しときたいし。駅前の松越デパートでいいか?」
風見「いいですよ」
ヨーコ「あそこのテナントのチョコ、逸品ぞろいなんだー」(うきうき)
風見「(スキップしてるし……)」

そしてデパートのバレンタインフェア会場にて。

風見「すいませーん、このハートチョコ一つください」
店員「はい。メッセージはお入れしますか?」
風見「はい、お願いします(かきかき)これで」
店員「あの…………本当にこれでよろしいので?」
風見「はい!」(爽やかな笑顔)

爽やかに友チョコを返すのでした。
 
 090130_0118~01.JPG
 
※月梨さん画「それでも彼は幸せ(きっと)」

風見「やっぱ義理と言ったらこれだよな!」
ロイ「(ああコウイチ……そのちょっとズレたところもむちゃくちゃキュートだよっ)」
風見「それと、これはうちの妹からな。ロイおにいちゃんにって」
ロイ「Oh?」
風見「勘違いするな、義理だぞ、義理! 俺もじっちゃんももらってるんだ」
ロイ「そっか……義理チョコか……」

ちょっぴりふぞろいな形のチョコクッキーは風見くんとおそろのピンクの袋入り。

なお、当然のことながらバレンタイン当日にチョコ売り場でハートチョコを買い求めた風見くんの姿はクラスの女子に目撃され……

女子1「風見くん、風見くん! バレンタインにチョコ買ってなかった?」
風見「うん、買った。ロイにあげたんだ」
女子一同「えーっ」
風見「俺ももらったから、お返し。君らもよくやってるだろ? 友達同士で」

女子一同「(それ絶対友チョコ違うと思う……)」

風見「よーこ先生にもあげてるじゃないか」

女子1「あれは……何って言うか……餌付け?」

(ヨーコ「おいしー、おいしー、すっごいしあわせーっ」(ぱりぱり、さくさくさく……))

女子2「食べてる姿見てるとなんか癒されるし」
女子1「お返しもよーこ先生のくれるのなら外れないしね!」
 
(ヨーコ「はい、これお返し! みんなで食べて」)
 
風見「な? やっぱり普通じゃないか!」(爽)

女子一同「(やっぱ風見くん………わかってない)」


(義理と人情のバレンタイン/了)

スキップ・ビート

2009/04/20 0:33 短編十海
 
  • 拍手用お礼短編の再録。
  • 2006年11月の出来事。本編中でさりげなく美味しい所を持って行ったマクダネル警部補の日常。
 
 幼児誘拐事件とそれに絡んだ連続爆破事件を無事解決した翌日の朝。
 久しぶりに自宅のベッドでぐっすり眠ったマクダネル警部補は愛妻の腕の中で目覚め、熱いキスを交わした。

 軽くシャワーを浴びて身支度を整え、いつものように愛犬の散歩に出かけようとすると、妻に呼び止められた。

「あなた。スキップの尻尾が……」
「ん、どうした?」

 コンパクトにしてパワフルな真っ黒な長毛の犬。スコティッシュ・テリアのスキップは自分の名前が呼ばれると短い尾っぽをぶんぶんと猛烈なスピードで振って8の字を描いて走り回る。
 確認しようにも早すぎて見えない。

「スキップ。sit!(座れ)」

 命令を聞くなりスキップは後足をたたんできちんと座った。尾っぽの動きがゆっくりになり、異変の正体が見えた。

「はげてるな」
「ええ、はげてるの」
「赤くなってる」
「そうなの。しきりに噛んでるなと思ったら、こんなことに」

 おそらく湿疹だろう。今までも油断すると夏場はよくこんな風に赤くなっていた。
 しかし今は冬だ。何故?

 疑問はすぐに解けた。

 散歩から帰って食事をすませるなり、スキップはさも当然といった顔つきでとことこと歩いて行き……レトリバー犬ライラの寝床にもぞもぞと潜り込んだのである。
 高齢なライラのため、ふかふかのベッドの底面には犬用のヒーターが仕込まれている。本来の持ち主が寛容なのをいいことに、スキップはそこに一日中入り浸っていたのだ。顎をベッドの縁に乗せ、ライラにぴったり体をくっつけて。
 満足げに目まで細めている。

「あったかそうだなあ、スキップ」
「きゅ?」
「先祖が嘆くぞ……」
「きゅうん」

 テリア犬は歯が鋭い。湿疹ができるとかゆがって自分で噛んでかきむしって真っ赤に爛れさせてしまう。こうなるともう、お手上げだ。

「病院に連れて行こう。今日は非番だから、私が行く」
「お願いね。早い方がいいわ」
「ああ」

 幸い、スキップは外出好きだ。キャリーバッグを用意すると自分から飛び込んできた。
 きっと楽しい所に連れて行ってくれると信じているのだろう。
 
 動物病院の駐車場に着いてもまだご機嫌。リードをつけられ、車から降りても散歩と信じてとことこ歩く。小柄な体にありあまる筋力。歩くだけで一足ごとに体をぴょんぴょん弾ませて。

 しかしながらさすがに病院の入り口まで来たところで気づかれた。
 何かおかしい。ツーンとしたにおいがするぞ? あれ、あれ、もしかしてここ、前に来たことがあるかもしれない。
 もしかして、ここはっ!

「あ、こらスキップ、待て!」

 くるっと回れ右してだーっと走り出す。リードが伸びきり、反動でちっぽけな体が宙に浮いた。

「逃がさないぞ」

 マクダネル警部補は多少のことでは動じない。有無を言わさず首筋を押さえて抱えあげ、中に入った。

(うそつき、うそつき、おさんぽだってゆったのにーっ)

 全力でじたばたしても警部補の腕はぴくりともゆるまず、がっちり抱え込んで順番を待つ。

(ああ、ママならこんな時、優しい声でいいこ、いいこって言ってくれるのに。頭なでてくれるのに!)

 だけどスキップはちゃんと理解していた。パパには逆らっても無駄なのだ。この人がだめと言ったら絶対、だめ。
 だからしぶしぶおとなしくする。暴れるだけ体力が無駄になるから。

「マクダネルさん、お入りください」
「はい」

 診察室に入ってきた警部補の姿を見て、サリーは目を丸くした。

「あれ……警部補?」
「おや、あなたは……えーと、確かサリー先生」
「はい」

 カルテを見て、彼が小脇にがっちりかかえこんだ黒いテリアを見る。いつもこの子を連れて来るのはMrs.マクダネル。そしてこの子はスコットランド原産。
 ああ、なるほど、そう言う訳か。

「獣医とはうかがっていたが、まさかあなたがスキップの主治医だったとは」
「いつもは奥さんですからね。それで、今日はどうしました?」
「尻尾に湿疹ができて。自分で噛んで、噛み崩してしまって……」
「どれどれ。よーしよしスキップ、いい子だね」

 診察台に乗せられたスキップはぺたりと伏せてサリー先生の顔を見上げて……猛烈な勢いで尻尾を振った。

「……それじゃ見えないよ。ちょっと触るよ?」

 短い尻尾をひょいと押さえて毛をかきわける。

「ああ、全体に広がっちゃってますね。サンフランシスコは湿気が高いから……」
「しかもこいつ、ライラのベッドに潜り込むことを覚えてしまって」
「………寒がりなんですね」
「ええ」
「長毛種なのに」
「きゅう」

 きまり悪げに耳を伏せて目をそらせている。何を言われてるのか理解しているようだ。

「よし、ちょっとだけ毛を刈りましょう。頭を押さえててくださいね」
「わかりました」

 サリーははさみでちょきちょきと黒い長い毛を刈り取った。短い太い尻尾に一カ所、まあるく赤く皮膚がむき出しになる。
 ちょい、ちょい、と薬を塗って、化膿止めとかゆみ止めの注射をぷつっと打った。

「はい、おしまい。よくがんばったね」
「わう!」

 斑点のできた黒い尻尾がぶんぶんぶんと左右に揺れる。
 
「かゆみ止めと化膿止めのお薬出しておきますね。食事のときに飲ませてください。注射をしたから、今夜の分はいいです」
「はい。ありがとうございました」
「それじゃ、お大事にね、スキップ」

 診察が終わって待合室に戻る。スキップは自分からひょい、と膝に飛び乗り、のびあがって胸に前足をのせ、鼻をくっつけてきた。

「やれやれスキップ、ずいぶんとご機嫌じゃないか」

 テリア犬はちっぽけなくせに馬鹿力だ。どれだけ暴れるかと覚悟していたのに拍子抜けした。以前、男の先生に当たった時はみぞおちに蹴りを食らわせて診察台から逃亡を計ったこともあると言うのに。

「お前、サリー先生がよっぽど好きなんだな?」
「きゅうん!」

 そう言えば普段は気難しい爆弾探知犬デューイも彼の前では大人しいとエリックが言っていた。

「不思議な人だな……」

 家に帰るなり、スキップはだーっと走っていってライラの寝床に潜り込んだ。
 やれやれ、こいつはまったく懲りていないらしい。さて、明日からどうやって薬を飲ませようか……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 翌朝。
 散歩から帰ったスキップを待っていたのは、大好物のヨーグルトのごちそうだった。

(わーいわーい、うれしい、うれしい、うれしい!)

 大喜びで皿に鼻面を突っ込み、黒い顔を白く染めてぺちゃぺちゃと平らげる。
 ぴかぴかになった皿を確認し、警部補は満足げにうなずいた。

「よし、クリア」

 黄色い苦い錠剤は、すり潰されてヨーグルトの中に。
 

(スキップ・ビート/了)

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卵とパンとやさぐれ兎

2009/04/20 0:35 短編十海
 
  • ちょっとだけ時間を先取りして、07年4月のイースターのお話。
 
 よ、元気かい?

 俺の方はちまちまと、小商いに精を出しつつそれなりに元気でやってるよ。何せ食生活は充実してるからね。

 そっちじゃそろそろ、新学期か。

 こっちではイースター(復活祭)だった。キリストさんが十字架で磔されてから三日後に復活したのを記念した日らしい。
 今年(2007)は4月の8日だった。
 俺にしてみればウサギと卵のチョコレートが大量に売り出されるハッピーな日だ。一応、祝日だから会社も学校も休みになるんだが、そもそも俺の場合はフリーだからあんまり関係ないしな。

 イベント関係の取材が入るから、かえって忙しいくらいだ。ほら、誰だってすきこのんで休みの日に働きたくないだろ?
 ま、こーゆーすき間があるから俺みたいな外注の書き物屋もどうにか食って行けるって訳だよ。
 
 アメリカのイースターのお楽しみと言えば、まず卵探し。
 カラフルに塗ったくった卵形カプセルの中に、ちっちゃなおもちゃを入れた『イースターエッグ』を部屋の中だの、庭に隠して探すんだ。
 隠すのは大人、探すのは子供。
 ま、要するにお子様のお遊びだね。

 去年は裁判の準備やら調査やらで忙しかったが、今年はやりましたよ? ローゼンベルクさんとこでも!

 とは言え金髪の双子ちゃんたちにとっては、どこにあるのかなんてすぐ分かっちまうだろうからほとんど意味がない。あいつら、とにかく勘がいいからな。

「さあ、探してごらん、見つかるかな?」

 なーんてこっちがわくわくしながら言ったところで、すたすたと一直線に隠し場所に歩いて、取り出すのがオチだ。
 面白くも何ともない。『子供だまし』にもなりゃしない。そもそもオティアは乗り気じゃなかったし、シエンも準備する方に回ってた。(賢明な判断だよ、うん)

 ほとんどディーンのためにやったようなもんだね。
 目ぇきらきらさせて、リビングやキッチン、食堂の中をあちこち嗅ぎ回って。エッグを見つけるたびに歓声をあげて、得意になって見せに来た。

 可愛いったらありゃしない。

 そうそう、白い尻尾のお姫様も、目を輝かせて、鼻面ふくらませて。尻尾をぴーんと立てて部屋中駆け回ってたよ。卵隠す時もひげを前ならいさせて、「おてつだい」気分全開であちこち先導して回ってたくせにな。
 
 このイースターエッグ、昔はチョコレートでできていたんだが、法律で「食べ物の中に玩具を入れちゃいかん!」ってことになってね。今じゃプラスチック製なんだ。
 毎年、この時期になると一斉にどこの店でも卵形のカプセルが売りに出される。あらかじめ、お菓子やおもちゃが中に入ってるのもあれば、空のカプセルだけ買って来て、家で詰める場合もある。
 
 卵と並ぶイースターの主役と言えば、兎だ。
 つっても食うんじゃないぞ。
 ぴょっこぴょっこ跳ねる兎は生命力の象徴だそうで。この時期、やっぱりあちこちの店先に山のように並ぶんだ。
 兎のカードとか。兎の形のパンとか。チョコレートとか、ぬいぐるみがね。

 ヨーロッパだと羊もイースターの主役になるらしい。山のように並ぶ羊のぬいぐるみ。
 ちょっと怖いね。
 いや羊は悪くないんだ、悪くないんだよ? でもあれを見てるとつい思い出しちまうんだよな……あのちっこい日本生まれの魔女を!(あ、これ本人には言うな、絶対言うなよ? 男と男のお約束だ)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 イースターの二日前、卵に仕込むちっちゃなプレゼントを買いにショッピング・モールに行った。
 雑貨屋の前のワゴンには、例に寄ってウサギのぬいぐるみが山積みになっていた。白いの、黒いの茶色いの、ぶちのやつ、ピンクのやつ、黄色いやつ。

 大きさはだいたい12インチ(30cm)ってとこかな。ちっちゃな子供が抱えるのにちょうどいいサイズだ。

 その中に一匹だけ、縫製のせいなのか。それとも目に縫い付けたビーズの角度のせいなのか。えっらい目つきの悪い兎が混じっていた。
 微妙に三白眼で、しかも目がつり上がり、口元もそこはかとなくゆがんでいる。
 工場で大量生産される安物だ。この程度の歪みは誤差のうちだろうが、どうしてもやさぐれてガンたれてるようにしか見えない。

 翌日、仕事のついでに何となく気になってその店の前に行ってみた。
 案の定、やさぐれ兎はしっかり売れ残っていた。相変わらずふてぶてしい面構えのまま、からっぽのワゴンに一匹だけ、ぽつりと転がっていやがった。

 しかも、今、まさに店員のお姉さんが、白いふかふかの可愛い兎を一山、ワゴンに追加しようとしてるじゃねえか。

 いかん。
 このままでは、こいつは確実に売れ残る!
 いや、ひょっとしたら去年のイースターから売れ残ってるのかも知れない……。
 
 つい、ほだされて、拾い上げていた。

「すいません、これください」
「いいんですか? こっちにもっと可愛いのがありますけど」
「いいんです、これで!」

 財布を取り出しつつ、思い出して付け加える。

「あ、贈り物なんで包んでください」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 マンションに戻ってから、やさぐれ兎を抱えて上にあがる。
 まだ「卵探し」の開始時間までには早いけれど、先に渡しておこうと思ったんだ。
 呼び鈴を鳴らすと、ソフィアが出迎えてくれた。

「あら、いらっしゃい、ヒウェル。ちょうどパンが焼けた所なのよ」
「ウサギ形? 卵形? それとも、ミックスフルーツの入った十字架の切れ目の入ったやつ?」

 ちょこまかと顔を出したディーンが、ずいっと胸をはってほこらしげに言った。

「全部!」
「そうか、全部か」
「お歌もうたえるよ!」

 ディーンはちっちゃな手をパチン、パチンと打ち鳴らしながら歌い始めた。

 ホット・クロス・バンズ
 ホット・クロス・バンズ

 1つで1ペニー、2つで1ペニー

 ホット・クロス・バンズ

 嬢ちゃんがいないのなら、坊ちゃんにあげとくれ

 1つで1ペニー、2つで1ペニー

 ホット・クロス・バンズ

 年季の入った、堂々とした歌いっぷりだった。(まだ三歳だけど)

 ホット・クロス・バンズは十字架の切れ目の入った、ミックスフルーツの入った丸いパン。イースターの期間中に食べる菓子パンだ。ルーセント・ベーカリーでも日がな一日、この歌が流れてるんだろう。

 惜しみなく賞賛の拍手を送ってから、抱えて来たプレゼントを進呈した。

「本年度のイースター最高の歌手に、敬意を表して……どうぞ、お受け取りください」
「ありがとーっ!」

 包みを開けた途端、ディーンは目を輝かせた。

「すっげえ! 黒ウサギ、かっこいー! ありがとー、ヒウェル、ありがとー!」

 yasausa.jpg

 かっこいい、と来ましたか。
 うんうん、さすが男の子だよ。

「お気に召して、何より」

 その後、卵探しゲームの時もしっかり小脇に抱えていたよ。
 三歳の子供の記憶ってのはおぼろげにしか残らないらしい。

 何年かして、あの子が今の双子ぐらいの年齢になったとき、ふと、部屋の片隅であの兎を見つけて思うんだろうな。

 何でこんなものがあるんだろうって。
 それとも、その頃は他の誰かが大事に抱えてるのかな?

 ……ってなことを考えてる自分にちょっと驚いた。今、自分が立ってる時間の流れのその先を、こんな風に想像するなんてね。

 あらゆる意味で、新鮮なイースターだった。
 
 らしくないって? うん、自分でもそう思う。
 
 それじゃ、そろそろ仕事に戻るとするよ。
 近いうちに、またな。

Hywel-Maelwys

(卵とパンとやさぐれ兎/了)

※ぬいぐるみ作成:月梨

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ディーンのおかいもの

2009/05/10 2:23 短編十海
 
  • 五月に入っても忙しさ続行中、せめて季節ネタ短編の更新だけでも。
  • 今回はディーンくん+1名の母の日を。
  • ローゼンベルクさんとこの「母の日」はこちら
 
 2007年5月13日、日曜日。
 珍しく午前中に起き出して街に出る。と、言うか仕事済ませてシャワーを浴びて、そのままほとんど寝ずに外に出た。
 カリフォルニアの青空は徹夜明けの目に容赦なく眩しく、外を歩くと紫外線がびしびしと目玉に突き刺さる。

 確かお肌にもあんましよくないんだよなー。
 三十路に突入する前に真剣にUVケアに取り組むべきだろうか。来月にはもう27だしなあ……。

 この強烈なまぶしさと低空飛行のコンディションを抱えたまま、日曜の人ごみを歩くのは辛い。いつも行くショッピングモールから、ちょいと横にそれた道に迂回する。
 確かこの通りにも目的の店はあったはずだ。そう、行き着けの古書店のすぐ近所に。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 こんな日にさすがに車で出歩くほど俺はチャレンジャーじゃない。
 ケーブルカーを降りて、コーヒースタンドで飯を食う。
 する事は済ませた。外に出たついでだ、食料も買い込んでくか……トイレットペーパーと、コーヒーと、ペーパーフィルター、あとは、リンゴとチョコバーかな。
 家族連れでにぎわうショッピングモールをふらふらとさまよっていると、聞き覚えのある声を聞いた。

「ディーン、お願いだから」
「だめ、ぜったいだめ!」
「……お?」

 ぐきぐきと固まった首をめぐらせ、声のする方に視線を向ける。
 短いくるくるカールした鹿の子色の髪。アレックスの細君、ソフィアとその息子、ディーンがいた。珍しいことに何やらもめているご様子。

 聞き分けがいいようでもやっぱり三歳児だ。わがままでも言ってるのか、それともおねだりか?

「どうしても今日じゃなきゃだめなの」
「だめなの!」

 おー、おー、えらく真剣な顔で、ぎゅっと拳をにぎっているじゃないか。いっちょまえに。ソフィアは首をかしげて、がんとして動かない息子を見つめている。両手に重たそうな買い物袋をぶらさげて。
 買い物を終えて、いざ帰ろうとしたところでディーンがだだをこねたって所か。

 友人としては見過ごす訳にも行かないね……
 のっそりと近づき、何げなく声をかけた。

「やあ、ソフィア」
「あら、ヒウェル」
「……ハイ、ヒウェル」
「よ、ディーン。元気か?」
「ん……」
「どーしたい、不景気なツラして」

 ディーンはむーっと口をとんがらせて、ぷいと横を向いてしまった。

「それが……買いたいものがあるんですって。絶対、今日でなきゃいけないって」
「ほえ? 現金持ってるんだ」
「クリスマスに、おじいちゃんから50セントもらった」
「あー、なるほどね」

 妥当な金額だ。
 まだトゥースフェアリーから1ドルもらうには早いものな。

「んで、ディーンくんは一体、何をご所望で?」
「それが……いくら聞いても教えてくれないの」

 ソフィアは眉を寄せて力のない笑顔を浮かべ、肩をすくめた。もう笑うしかないって状況らしい。

「ママにはひみつ、って言うばっかりで……」
「なるほどね」

 ママにはひみつのお買い物。しかも今日でなければいけない。

「これってもしかして、反抗期?」

 ピンと来た。

「んー……あ、いや、心配しなくていいよ。心当たりあるから」

 まあ念のため、確認しとこう。カプセルトイか、お菓子、もしくは絵本かマンガって可能性もあるからな。
 膝を曲げてしゃがみ込み、ディーンと目の高さを合わせる。

「ママには言えないってか。でも俺になら言えるかな?」
「うん」

 こくっとうなずくと、ディーンは耳もとに顔をよせ、ぽしょぽしょとささやいてきた。

「おはなやさん、いきたい」

 BINGO。

 口元がほころぶ。
 うんうん、やっぱりそう来たか。
 今日は五月の第二日曜日。ついさっき、俺も共同墓地に白い花束を手向けてきたばかりだ。

「OK、ディーン。つきあうよ」
「ほんとっ?」

 がっちりヘの字に曲がっていた口から力が抜ける。

「ママがいいって言ったらな」
「ママ……」

 ディーンはソフィアの顔を見上げた。

「おねがい、ヒウェルとお買い物いっていいでしょ?」
「え……でも」
「俺からもお願いするよ、ソフィア。ディーンのことは、俺が責任持って家まで送り届けるから」

 ソフィアはしばらく迷ってから、こくんとうなずいた。

「それじゃあお願いしてもいい……かしら」
「うん。買い物終ったら電話する」
「ええ、わかったわ」
「よし、ディーン、行こうか」
「うん!」

 ちっちゃな手を握り、歩き出す。見送るソフィアママに手を振って。

  09212_00_Ed.JPG ※月梨さん画「ディーンくん3さい」
 

 三歳児のペースに合わせてちょこまかと、いつものショッピングモールからちょいと横に入った小さな商店街に入る。

「お店ー」
「ああ。来たのは初めてか?」
「うん!」
「そーかそーか」

 石畳の道を歩いて、小さな花屋にやってきた。
 赤煉瓦作りの店先に足を踏み入れると、水を吸った生きた花の香りに包まれる。
 ガラスケースの中にはちょっと高めのバラや百合、カトレア。外側のバケツにはぎっしりと、もっとポピュラーな花がひしめいている。フリージアやヒマワリ、スイートピー、マーガレット、かすみ草……。

 花畑を切り取ってそのまま小さな建物の中に敷き詰めたような光景に、ディーンは目をまんまるにし、小さな声で「おお」とつぶやいた。
 最近じゃ、なかなかお目にかからないよな。こんな、絵本に出てくるような『典型的な』花屋ってのは。
 今日はいつもにも増して店の一角が赤く、もこもこになっている。

 店の親父さんは朝見かけた時と同じように、エプロンをつけて店先の椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。

「ハロー」
「おや、ヒウェル?」
「やあ。さっきはどうも」

 ちょいと一歩横に引いて、ディーンが見えるようにする。

「実はこちらの紳士がお花をご所望だそうで。一つ見繕ってやっていただけませんか?」

 ディーンは緊張した面持ちでちょこまかと進みでて、ずっと握ってた右手をひらいた。
 ちっぽけな手のひらの上に、ぴかぴかの50セント硬貨が乗っかっている。

「赤いカーネーションをください!」
「なるほど、赤いカーネーション、赤いカーネーションね……」

 店の親父さんは、うんうん、とうなずくと新聞をたたんで立ち上がり、赤いもこもこの波に手をさしいれ、注意深く一本選び出した。

「ああ、ちょうどおあつらえむきのがあった。これなんかどうかな? 1本50セントだ」
「おお……」

 マジか?

 一瞬、我が目をうたがったね。
 フラメンコダンサーのスカートさながらの大輪の赤いカーネーション。
 どう見たってそんな値段で買えるような代物じゃない。念のため値札を確認するが、白紙のままだった。ただ「母の日用」と書いてあるだけ。
 なかなかに粋な計らいをするもんだ。

 ちっちゃな子が小遣いにぎりしめて来るたびに同じことを言ってるんだろうな、この人は。

 ディーンはお気に召したらしい。ぶんぶんと首を縦に振ってる。

「リボンは何色がいい?」
「ピンク!」
「OK。それじゃ、しばしお待ちを」

 店の親父さんが奥に入るのと入れ違いに、猫が一匹にゅっと顔をつきだした。
 黒のトラ縞の猫。骨格はがっちりしていて面構えも堂々としているが、まだ大人になりきっていない。長いしっぽをひゅっとしならせ、興味しんしんに鼻を寄せてきた。

「キティ!」
「ああ、そいつはバーナードJrってんだ。オーレの兄弟なんだ」

 バーナードJrはふんかふんかとディーンと俺の周りを嗅ぎ回っている。やっぱわかるのか、オーレのにおいが。
 ディーンは目をかがやかせてしゃがみこみ、そっと手をさしだした。

 バーナードJrはぴとっと鼻をくっつけて、ぐいぐいと顔をすり寄せている。

「キティ、さわった……」

 喜びにうちふるえている。しょっちゅうオーレに逃げられてるからなあ……(突進するからだけど)

「なー」

 さらに、もう一匹のっそりと巨大な黒いトラ縞の猫が出てきた。小型の犬よりでかいんじゃないかってくらいの堂々とした貫禄で、最初に出てきた猫にそっくりだ。

「よう、パパ・バーナード」
「おっきい!」
「うん、こっちはオーレのお父さんだ」
「はろー、オーレのパパ?」

 パパ・バーナードはごろごろとのどを鳴らした。ブロンズの鐘の響きにも似た、聞く者をうっとりさせる天上の音楽。
 ディーンがちっちゃな手のひらでなでると、拡大コピーと縮小コピーはころんと足元にひっくり返った。

「つやつや……ふかふか……」
「うんうん、じっくり撫でろ」

 大きなバーナードも、小さなバーナードも、どちらももの静かで、実に愛想がいい。
 その間に店主はくるくると、虹色の光沢を帯びたセロファンでカーネーションをくるみ、細いサテンのリボンをまきつけている。
 薄い緑とピンクのリボンの二本どり。絡み合い、それ自体が花のようにほわほわひろがっている。
 カーネーションの根元はきっちりと水を含ませたティッシュと銀紙で包まれている。時間が経過しても鮮度を保つように。

 万事抜かり無く整えると、親父さんはうやうやしくカーネーションをさし出した。

「お待たせ。さあ、どうぞ」
「ありがとう!」

 ピカピカの50セントと引き換えに、赤い大輪のカーネーションがディーンの手の中に収まった。
 ディーンはくきくきと首を前後左右に動かし、あらゆる角度からカーネーションを確認すると、満足げにうなずいた。

 それから、はたと何かに気づいたらしく、ぴょこっと顔をあげた。

「ヒウェルは、ママにおはなあげないの?」
「ああ、俺はもう、すませてきたから……」

 生みの母。
 顔もろくすっぽ覚えていないが、俺をこの世に産んでくれた女性(ひと)には墓前に白いカーネーションを。
 5つの時から独り立ちするまで育ててくれたお袋には、カードを送った。

 毎年のこの日の恒例行事。

 だが。
 ちらりとディーンの手の中の花を見る。

「……………」
「ママにおはなあげると、よろこぶよ?」
「うん……そうだろうね」

 里親の家までは、ケーブルカーで駅三つ。そう大した距離じゃないが、電話やメールばかりであまり顔を合わせることはない。
 こんな小さな子どもでさえ、母親のために花を買いに来たのだ。
 ちっぽけな手のひらに、小銭を握りしめて。

 最後にお袋に花を贈ったのはいつだったろう?
 花屋の宅配サービスではなく、この手で直に。

 くしゃっと頭をかいて、財布を取り出した。

「あー、その……赤いカーネーション、1本もらえます?」

 価格設定は、ディーンの払った分と同じ、50セント据え置きだった。
 三歳児に便乗してしまいました。(あらゆる意味で)

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ハロー、ソフィア」
「ハロー、ヒウェル?」
「買い物は無事終ったよ。で、帰る前に一カ所寄りたい所があるけどいいかな?」
「どこに?」
「…………」

 行き先を告げると、携帯の向こうで小さく笑う気配がした。

「OK、ヒウェル。ごゆっくりどうぞ」
「サンクス」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 ケーブルカーの停留所を出て歩きだす。赤いカーネーション片手に、もう片方の手はディーンとつないで。
 住宅街を歩いて、四つ目の角で左に。突き当たりの細い道を右に。

「着いたぞ」

 白い柱、白い壁。グレイの屋根。記憶の中にあるのよりちょっぴり色がくすんでいるような気がした。
 広々とした玄関ポーチにはアマリリスの鉢植えが置かれ、空色のワンピースを着た女性が水をやっていた

 軽く深呼吸してから、声をかける。

「ハイ、ウェンディ」
「ヒウェルっ? どうしたの、突然っ」

 ああ、白髪が増えたな。ほがらかな笑顔も、張りのある声も昔のままだけど、何ってーか、全体的に、ちっちゃく、軽くなってる気がする。
 電話ってのは厄介だ。なまじ顔が見えないもんだからつい、いつも一緒にいた頃の姿で想像しちまう。
 
 それだけに直に顔を合わせた瞬間、愕然としてしまうのだ。自分の中のイメージとの落差をつきつけられて……。

「いや、近くまで来たもんだから、ちょっとついでに」
「ついでにって……せめて電話ぐらいしなさいよ」
「ごめん」

 もごもごと謝罪の言葉をつぶやいていると、ばったん、と勢い良く玄関のドアが開いて。
 がっしりしたシロクマが一匹……もとい。白い服を着た恰幅のいい男性が出て来た。

「ヒウェル! いやあ、久しぶりだなあ。ん? どうした、その子は」
「あー、いや、この子はディーンっつってね。一緒のマンションに住んでるんだ。俺の友だち」

 お袋はぱちぱちとまばたきをすると、ディーンと俺の顔を交互に見つめ、親父と顔を見合わせた。
 
「ヒウェルってばほんと、交友関係が広いのね」
「そらまー、ジャーナリストですから? ……ディーン、紹介するよ。ピーターとウェンディ。俺の、パパとママだ」

 冗談みたいな組み合わせだが、れっきとした本名だ。

「……カメラくれたひと?」
「そうだよ」
「赤い怪獣のついたライターも」
「そうだよ」

 親父はぱちっとウィンクしてディーンにささやいた。

「だけど、あれは怪獣じゃないんだ、グリフォンなんだよ」
「グリフォン!」

 ほんとはドラゴンなんだだけど。訂正するつもりは毛頭ないし、親父もたぶんそのつもりだ。

「ハロー、ディーン」
「ハロー、ヒウェルのパパ。ハロー、ヒウェルのママ」
「それで、今日はお友達を紹介しにきてくれたの?」
「あ、いやその……」

 もじもじしてると、くいくい、とちっちゃな手にズボンをひっぱられた。『前へ、前へ』と。

 まいったな、三歳児に指導されちまったよ!
 よたよたと進みでて、真っ赤なカーネーションをさし出した。

「はい、これ」
「あら。今年はカードだけじゃないのね」
「まあ、なんつーか、たまにはね」
「ありがとう……」

 嬉しそうに両手でカーネーションをうけとり、ウェンディはくすっと笑った。正確にはまあ、なんつーか笑う気配が伝わってきたっつーか……。
 照れくさくて顔が見られなかったんだ。

「あなた、変ったわね?」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 マンションに戻り、ディーンと一緒に五階にあがる。

「ママ、よろこんでくれるかな」
「おいおい、急に弱気になったね」

 ぽふぽふと肩を叩く。
 帰り道のケーブルカーの中で、でっかいカーネーションの花束かかえた人が何人もいたもんだから、ちょっと心細くなってきたらしい。

「自信持てって。俺のママだって喜んでたじゃねーか」
「うん……」

 オーウェン家の呼び鈴を押そうとすると、ディーンはささっと手を後ろに回し、カーネーションを隠してしまった。
 しまった、俺もあれ、やっとくべきだったか。

「ただいまー」

 がちゃっとドアが開いてソフィアが飛び出してきた。

「おかえりなさい、ディーン。ヒウェル、ありがとう」
「いやあ、ありがとうっつーのは、むしろ俺……かな」
「お母さん、喜んでくれた?」
「え、あ、うん」
「そう、よかったわね!」

 どうやら、俺からの電話で何しに行ったか悟ったらしい。そのくせ、自分のことにはてんで気づいてないんだなあ。

「ディーン、何買ってきたの? カプセルトイ? お菓子?」

 ぷるぷるっと首を横に振ると、ディーンは後ろに回していた手をばっと前に突き出した。
 細いピンクと緑のリボンがなびく。

 フラメンコダンサーのスカートさながらに広がる、密度の濃い赤。大輪の赤いカーネーション、1本50セント也。

「これ、プレゼントっ」

 ソフィアは目を丸くして、虹色のセロファンに包まれた赤い花と、同じくらい真っ赤になった息子の顔を交互に見ている。

「えっ、私にっ?」
「うん……」 
「朝、アレックスから薔薇をもらったから……朝ご飯も作ってもらったし……」

 ああ、目に浮かぶようだ。
 だから知ってたんだな、この子は。『花もらうとママよろこぶ』って。

「てっきり母の日のイベントはもう終ったって……」

 ソフィアはひざまずき、震える手でカーネーションを受け取った。顔をくしゃくしゃにして笑ってる。突然の息子の変貌に途方にくれてた分、理由がわかって安心して。
 とんでもなく大きな喜びの波が押し寄せてきたか。

「まさか……こんな」

 ぽとっと涙ひと雫、濃い褐色の瞳を濡らし、こぼれる。

「ママ、ありがとう」
「ディーン。ありがとう」

 ディーンは手をのばしてママを抱きしめ、耳元にささやいた。

「あいしてる、ママ」

 おー、おー、おー、さらっと言ったね、さすが三歳児。
 俺も愛してる、ぐらい言っとくべきだったか?

 ……ま、いっか。
 カードにちゃんと書いといたしな。
 
 今年の分は、とりあえず。
 
 
thanks Mom.
I love you.
 
Hywel
 
 
(ディーンのおかいもの/了)

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ちっちゃなピンクのハンドバッグ

2009/07/03 19:33 短編十海
 
  • 拍手御礼用短編の再録。
  • 2007年5月13日、母の日の出来事、サリーちゃんとヨーコさんの場合。
  • 海の向こうから届けられた贈り物。
 
 
 同じ日に、日本のとある神社にて。

「お母さん、ありがとう。はい、これカーネーション」
「ありがとう」
「……と、あとはヨーカンとたいやきとどら焼きとおはぎときんつば」
「ありがとうっ」

 結城羊子の母、藤枝はアンコが好物なのだ。それも高級な和菓子屋のよりむしろ、ご町内のお菓子屋さんで買ってきたやつに限ると言う。
 さらに赤いカーネーションの花束がもう一つ、隣に並ぶ瓜二つの女性に捧げられる。

「はい、こっちはおばさまに」
「ありがとう……」
「あと、黒ごまクッキーと抹茶バームクーヘンとレモンケーキ」
「ありがとうっ」

 サリーこと結城朔也の母、桜子は嬉しそうに花束を受け取った。
 ちまっと小柄な体格といい、子鹿かリスのような利発そうな顔立ちといい、この二人は実に似ている。
 それもそのはず、一卵性の双生児なのだ。

 結果として羊子とサクヤも従姉弟同士とは言え、まるで姉と弟のようによく似ている。互いの家も同じ神社の敷地内にあるため、ほとんど母親が二人いるようなものだった。

「よーこちゃん、見て、見て、これ」

 桜子がうれしそうにテーブルの上に置いたのは、ふっくらした可愛いバッグ。ちょうど女性の両手のひらにすっぽり収まるほどの大きさで、金色の金具と白いストラップがついている。
 色は光沢のあるピンク色。ほんの少し濃いめの色で、輪の形の模様が全体にプリントされている。

「わあ、可愛い。お姫様のドレスみたい!」
「でしょ、でしょ? サクヤが送ってくれたの」

 満面の笑みを浮かべながら、桜子はふと目を伏せた。

「いいのかしら、こんなおばさんが、こんな可愛いの使っちゃって」
「もちろん! おにあいよ?」
「そう?」
「OK、OK。何てったって桜色だもの!」
「うん、うん、おばさまの色だよね」
「それじゃ、よーこちゃんも、藤枝ちゃんもいっしょに使いましょうね」

 ※ ※ ※ ※

『あの、すいません、そこの棚のバッグを……』
『はい、これですね』
『いや、そっちの色のを……』
『お似合いですよお、ピンク!』
『……これでいいです』

 バッグに触れた瞬間、そんな光景が見えた。きっと自分用だって思われたんだろう。まあ、自然な流れだよね。
 サクヤちゃんに似合うってことは、おばさまにも似合うってことだから問題ないない。

「夕飯、私が作るね。何がいい?」

 二人の母は声をそろえてさえずった。

「カレー」
「……だよね、やっぱり」
「ニンジンはお星さまの形にしてね」
「わたしはハート」
「OKOK、お星様にハートね」

 いそいそと台所に立つ。サクヤが日本にいたときは、毎年一緒に作っていた。
 白いフリルのついた母親のエプロンを借りたサクヤの姿は、まるでエプロンドレスを着てるみたいで……
 そりゃあもう愛らしいったらなかった。

『よーこちゃん、たまねぎ切って』
『OK、じゃサクヤちゃんはニンジンね』
『うん』
『薄く切って、クッキー型で抜くんだよ』
『うん』
『あまったのは、ポチの分ね』
『わかった』

 母の日は、カレー。小さな子どもの頃から、それが年中行事だった。

 できあがったカレーは、叔母の桜子が写真に撮る。毎年、撮る。まめに撮る。最近はもっぱらデジカメだ。
 携帯でも写して待ち受けにしている。おかげで一年ごとに上達してゆく様子がはっきり記録に残っている。
 
 自分がアメリカに留学していた時はサクヤが一人で作っていた。
 
 そしてサクヤがアメリカにいる今は、こうして羊子が一人で作っている。

(今頃どうしてるのかな、サクヤちゃん)

 クッキー型で薄切りにしたニンジンを型抜きしつつ、ちょっぴりしんみりしていると……

「よーこちゃんよーこちゃん」
「はい?」

 ひょこっと桜子が顔を出した。

「カレーにこれ、入れてくれる?」
「……クミンシード、コリアンダー、チリ、ターメリックとココナッツパウダー? すごい本格的だねー」
「サクヤが送ってきてくれたの! こーゆーのもあるのよ」
「バジルシードにタピオカ……OK、こっちはデザートにしよっか」
「助かるわ、食べ方わからなかったの」
「そーだよね、あまり口にする機会ないものね……あれ?」
「どうしたの?」
「このパッケージの文字、タイ語だ」
「どこで買ったのかしら……あの子、アメリカにいるはずなのにね?」
「おばさま」
「なあに?」
「これ、もしかしてあのバッグと一緒に届いた?」
「ええ、そうよ。母の日のプレゼント」

 ちいさなピンクのバッグからは……ほんのりカレーのスパイスと、ココナッツの香りがしていたのだった。


(ちっちゃなピンクのハンドバッグ/了)

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大富豪

2009/07/24 0:28 短編十海
 
  • 拍手御礼用短編の再録。23日夕食前の日本組、ホテルでのできごと。
  • どんなに広い部屋でも隅っこに集まっちゃうのは日本人のサガと言うものでして……(ロイもいるけど)

「仕事が終わったらまた来るよ。詳しいことはそのときに打ち合わせよう」
「OK。部屋に来る?」
「いや、ホテルのレストランに席を取った。ディナーをとりながら話そう。6時に迎えに来るよ」

 そして時計が夕方5時30分をさそうかと言う頃。
 サリー、風見、ロイの3人はホテルの居間に顔をそろえていた。

「先生、まだかな」
「来るよ。ほら」

 サリーの言葉が終わるか終わらないかのうちに寝室のドアが開き、ヨーコが出てきた。
 赤いドレスの裾をなびかせ、真珠色のハイヒールで颯爽と歩いてくると、一同を見回して腰に手を当て、くいっと首をかしげた。

「みんな、仕度が終るの早すぎ」
「余裕を持って行動するのが習慣になっちゃって……」

 ちらっと風見光一はむき出しの細い肩に目をやった。

「先生、寒くないんですか、それ」
「この部屋、暖房効いてるからね。外に出る時は上着羽織るよ?」
「そ、そうですか……よかった」

 試着の時は、白いボレロを羽織っていてわからなかった。
 クローゼットいっぱいのドレスの中から先生が選んだのは、ノースリーブのワンピースだったのだ。
 首に巻いた黒いベルベットのリボンが余計にうなじの白さと肩の露出を際立たせている。もちろん、これだけでも十分、フォーマルな服装なのだと頭ではわかっているのだが、どうにも落ちつかない。

 きっと、滅多に間近で見る機会がないせいだ。十二月にノースリーブのドレスを着てる姿なんて……。
 テレビの映像や写真じゃなくて、生きている人間。それも、よく知ってる人が。

「どーした、風見。暖房強いか?」
「え、いや、大丈夫です」
「そーだよな、君ら、スーツだものな」

 これから食事に行くレストランはホテルの最上階。男性はタイ着用が義務づけられている。故に風見も、ロイも、サリーも、それぞれネクタイを締め、白いシャツを着て、きちんと折り目のついたスーツを身につけていた。

「OK、あたしも上着羽織っておこう。ロイ、暖房の設定温度下げて?」
「御意」

 すべすべした肩は白いふわふわのボレロの下に封印され、風見光一はひそかにほっと息をついた。

「んー、お迎えが来るまでにまだ時間余ってるな……微妙に手持ち無沙汰」
「そうだね」
「トランプでもしようか?」
「カードあるの?」
「あるよ」

 ヨーコはバッグの中から可愛らしい紙箱を取り出した。手のひらにのる程のピンク色の中では、黄緑、黄色、赤、青とポップなハートが飛び回り、中央には子ども向けのアニメの絵がプリントされている。

「どうしたの、それ」
「んー、飛行機の中でもらった」
「それって、まさか……」
「優しい青い目のCAさんがね、『飛行機のミニチュアとどっちがいいですか』って……」
「あー、やっぱり」

 ちょっと考えてから、サリーはあれっと首をひねった。
 
「でも、もらっちゃったんだ?」
「うん、せっかくだから!」

 笑顔でうなずくヨーコちゃん(26さい)。

「いいですね、トランプ」
「何して遊びまショウ?」

 神経衰弱、7並べ、ババ抜き、ナポレオン、ポーカー。
 いろいろ候補が出たが結局、大富豪をすることになった。

 最初は全員平民で。1ゲームして順位を決める。

「それでは、下僕めが配らせていただきます……」
「うむ」
「よろしい」
「え、光一くん、どうしたの?」
「ああ、ほら、ゲーム中は最下位になった人が配るでしょ?」
「学校でやる時はいつもこんな感じに、それっぽくお芝居してるんです」
「遊び心デス」
「そ、そうなんだ……」
「雰囲気出るでしょ?」

(高校生って、おもしろいこと考えつくなあ)

 1巡目の結果、大富豪は風見、大貧民がロイ、そして残る2人は平民に決まった。狙ったような順位にサリーは首をかしげた。

「ヨーコさん……何もしてないよね?」
「まーさーかー。『ナニか』したらサクヤちゃんたちにもわかっちゃうでしょ?」
「う、それはまあ、確かに」

 あっけらかんと言ってるけど、ヨーコさんは普段からタロットカードをたしなんでいる。
 そしてトランプは元を辿ればタロットの小アルカナだ。

(超能力なんか使わなくても、コントロールできちゃいそうな……いや、まさかね)

「それでは、下僕めが配らせていただきマス……」

 うやうやしくロイが2巡目のカードを配り、各自手札を確かめる。続いてカードの交換タイムへ。
 まず大貧民ロイがひざまずき、風見に手持ちのカードから一番強いのを2枚、献上する。

「どうぞ、おおさめください」
「うむ」

 風見は大富豪にふさわしく横柄な態度でカードを受け取り、確かめた。クラブのAとハートのA。大富豪における最強のカード「2」は手札になかったらしい。

「ふん、まあ、こんなものだろう」

 鼻で笑い飛ばして自分の手持ちから弱い札を二枚引き抜き、下げ渡した。

「そら、これでも使うがいい」
「ありがたき幸せ……」

 あごをそらして斜に見下ろす風見から下げ渡されたカードを、ロイはうやうやしく両手で受け取った。

(ああっコウイチ。そのふてぶてしい態度。上から目線。まるで悪代官のようだ!)
 
 スペードの3とダイヤの3、どちらも文字通り『最弱』の札を胸に抱きしめ、幸せに打ち震える。

(君になら、ボクは帯をくるくるされてもいい!)

 芝居っけたっぷりにカードをやりとりする大富豪と大貧民を、平民ふたりが見守っていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 午後5時55分。カルヴィン・ランドール・Jrはヒルトンホテルのプレジデンシャルスイートのドアの前に立ち、ベルを押した。カチャリと鍵の回る気配がして、ドアが開く。

「ん?」

 出迎えたのは身長20cmほどの小さな女の子だった。空中をふわふわと飛び回り、普通の人間の目には見えない。せいぜいおぼろな影として認識される程度の幻にも似た存在。
 白い小袖に緋色の袴、巫女装束をまとい、顔は呼び出した当人そっくりだ。

「やあ、ヨーコ」

 ヨーコの分身に案内されて部屋に入って行くと、これはどうしたことか。
 広々としたリビングの隅っこに集まって、きちんとスーツを着た男子三名とドレスの女子一名。みしっと顔をつきあわせ、何故かスーツケースをテーブルにしてカードに興じている。

 しかもこっちを振り向くや、打ち合わせでもしたみたいにそろって同じ言葉を口にした。

「あ、本物だ」
「本物の大富豪が来た」
「本物だね」
「本物デスネ」

 首をかしげながらも空中で鈴に戻った小巫女をひょいと片手で掬いとり、ヨーコに渡した。

「どうぞ」
「サンクス、カル」
「どういたしまして。ところで……本物ってどう言う意味なんだい?」
「ああ、今やってるこのゲームね、大富豪って言うの」
「……なるほど」

 うなずき、彼女の服装をじっと見る。

 髪の毛はハーフアップにしてラインストーンのついたコームでまとめられ、赤いワンピースの上から白いボレロを羽織っている。首に巻いたベルベットのリボンにアメジストをあしらったチョーカーは、おそらく日本から持参したものだろう。

 程よく慎み深く肌を隠し、華やかで何より彼女に良く似合っている。
 うん、これでいい。満足してうなずき、手を差し伸べた。

「え?」

 ヨーコは一瞬、きょとんとした。

(何でカル、手、出してるの? お手? それとも何かちょーだい、のサイン?)

「どうぞ」

 その言葉に、はたと思い当たる。ここはアメリカ、レディ・ファーストをよしとするお国柄。そして、彼は紳士なのだ。

(エスコートされてるんだ!)

 差し伸べられた手をとり、立ち上がる。靴を履き直す間、さりげなく支えていてくれた。
 ちょい、とドレスの裾をととのえ、歩き出す。導かれるまま、ごく自然に手を取り合って。

 その姿を少し離れて見守りながら風見とロイはうなずき合った。

「……さすが、本物だ」
「うん、本物ダネ」
「懐が深いって言うか、器が大きいって言うか」

 風見はくしゃっと髪の毛をかきあげ、照れくさそうに笑った。

「俺もまだまだ修行が足りないな」

(でも、ボクにとっては君が唯一の大富豪がダヨ、コウイチ。君のためなら、2枚でも3枚でも貢ぐ!)

 実は風見から下げ渡された2枚の『3』で、ロイの手札の中には『3』が4枚そろっていたのだが…… 
 革命を起こす、なんて発想は欠片ほどもないロイだった。
 
 
(大富豪/了)

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『H』はHOOKのH

2009/10/31 12:59 短編十海
 
  • イベント用短編。ハロウィンのお話。月梨さんから素敵なカラーイラストをいただきました。
  • イラストはクリックで拡大します。
 
 10月31日、ハロウィン。今年は去年と違って朝から快晴だ。
 雲の合間に青空が広がり、秋の日差しは黄金色の粉末となってきらきらと縁取っている。

 町中いたるところにあふれる、オレンジのカボチャを。

 しかしながら今日は平日、大人には仕事ってものがある。
 昼下がり、月末の書類整理に追われている真っ最中に、探偵事務所のドアがノックされた。
 妙にリズミカルに、楽しげに。

 オティアと顔を見合わせる。
 まさか、こんなオフィスビルに子供らが菓子ねだりに来たってのか? あるいは……。

「どうぞ。開いてます」
「Happy Halloween!」

 薄々予感はしていたが、的中したか。笑顔全開でヒウェルが入ってきやがった。かろうじて仮装は無し、いつものよれたスーツ姿で。
 キーボードを打つ手を止め、デスク越しにじろりとにらみつける。

「何の用だ。あいにくと菓子の用意はないぞ?」
「まさか! この俺がお菓子ねだりに来たとでも?」
「ちがうのか?」
「やだなあ、子供じゃあるまいし……」

 言うなりヒウェルはもったいぶった仕草で背後に隠し持っていた袋を掲げた。PETCO(アメリカのペット用品専門店)のロゴが入ってる。

「これ、オーレに!」

 するりと引き出された物体が、日の光を反射してきらりと光る。たっぷり5秒ほどその場の空気がフリーズした。

「………何だ、それは」
「何って、猫用のハーネスだよ。リード着けるための」
「いや、それはわかる。だが……何で、妖精の羽根がついてるんだ?」
「にう!」
「ハロウィン用に、いっぱいあったから」

 オティアが露骨にそっぽを向き、ため息をついた。うん、その気持ちはわかるぞ……。結局はイベント好きなんだ、ヒウェルの奴は。

「いや、ちゃんと機能的にも申し分ないんだってば。猫の体をしめつけない親切設計なんだぞ!」

 気まずい空気を感じたのか、ムキになって説明している。まるでテレビショッピングのセールスマンだ。

「脱着も簡単、ワンタッチ!」
「ほー?」
「羽根は取り外しできるから」

 オティアが顔を上げ、初めてヒウェルに目を向けた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……どうだ、オーレ」

 ファンシーな見た目とは裏腹に、確かにそいつはすごぶる機能的だった。
 パールピンクの羽根とハーネスは、オーレのしなやかな体に優しくフィットし、取り付けもプラスチックのジョイントをカチリとはめ込むだけ。だがさすがに羽根が気になるらしく、耳を伏せてぐるぐると回っている。

「やっぱり外す」
「せっかく似合ってるのに……」

 しゅん、とヒウェルがうなだれたその時、ドアがノックされた。

「どうぞ、開いてます」
「ハーイ、マックス」

 黒髪をきっちり結い上げた褐色の女性が、きびきびした足取りで入ってきた。

「ヒウェル居る? ああ、やっぱり……」
「げっ、トリッシュ!」

 ヒウェルは途端に青ざめて後じさり、びたっと仰向けに壁に張り付いた。

「まさか、編集長自ら原稿、取り立てに?」

 ははあ、なるほど、そう言う訳か……。

「ううん、レイとランチ一緒にとったんだけど、ついでだから、寄ってみようと思って。家に電話したけどいなかったし?」
「携帯にかければいいじゃねえかっ」
「留守電になってた」

 満面の笑顔でずばっと切り捨てる。

「あう」
「まさか、お忘れじゃないわよね?」
「う」
「うちの締め切りが、昨日だったって」
「やだなあ、忘れてる訳ないじゃないか……」

 じり、じり、とヒウェルは壁に張り付いたまま移動して行く。引きつった笑顔のまま、トリッシュから一定の距離を保ちつつ。

「夕方にはお届けしますから……」

 じりじりとドアまで来ると、後ろ手にノブを握り

「すぐに書いてきますっ」

 ダッシュで逃げていった。

「まったく。何やってたんだか!」

 腕組みするトリッシュの足下にオーレがとことこと歩み寄る。大男で、なおかつ声も低くて野太いレイは苦手だが、彼女にはなついているのだ。

「まあ、かわいい!」

 ひと目見るなり、ぱああっとトリッシュの表情が明るくなり、眉間のしわが消え失せた。

「お似合いよ、オーレ」
「みう」
「何って愛らしい妖精さんなんでしょう!」
「にゃ」
「お菓子をあげたいとこだけど、今日は猫用のおやつは持ってきてないの。ごめんなさいね」

 しなやかな指先でなでられ、オーレは目を細めてごろごろご満悦。

 やはり女の子、ほめられて悪い気はしないらしい。
 その後も来る客、来る客みんなにほめられて、帰る頃にはすっかり妖精の羽根がお気に入りになっていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして、夜。
 街のそこかしこでオレンジのイルミネーションがきらめき、本格的にお菓子ねだりの行列が練り歩く。
 さすがにマンションの6階までねだりに来る子はいない。来てもせいぜい、入り口のロビーまでだ。
 しかし、たまには例外もある。

 居間で待ちかまえていると、呼び鈴が鳴った。

「お、来たな」

 ドアを開けて出迎える。

「Trick or treat!(お菓子くれないとイタズラしちゃうぞ!)」

 縁がぎざぎざになった緑の袖無しチュニックに緑のタイツ、緑の帽子。全身緑の男の子がカボチャのランタンをぶらさげてぴょこぴょこ飛び跳ねた。

「ようこそ、待ってたよ、ディーン」
「ディーンじゃないよ、ピーター・パンだよ!」
「そうか、今年はピーター・パンか」

 ぴょこぴょこ飛び跳ねるディーン・パンをつれて居間に行く。シエンが目を丸くした。

「うわあ、このボタン、もしかして本物のドングリ?」
「うん!」
「よくできてるね。ママが作ってくれたの?」
「ううん。パパ!」
「え」

 思わず顔を見合わせる。双子と、俺とで。

「……アレックスが?」
「ついにそこまで極めたか」
「そう言えば、今月に入ってからずっと、昼休みに何かチクチク縫ってた……」

 考えてみりゃ、ずっとレオンの世話をしてきたんだから、裁縫の一つ二つできても不思議はないが。いったいどこまで高みを目指すのか、有能執事。

「Trick or treat! Trick or treat!」
「よしよし、わかった。待ってろ、ディーン。お菓子とってくるから」

 キッチンに行き、準備したカボチャのクッキーを袋に詰める。ソフィアとアレックスの分もあるから、こんなものか。

 さらにスーパーで買ってきたハロウィン用のお菓子も追加。
 どうってことないキャンディやチョコレートがカボチャやコウモリ、シーツをかぶったゴーストの絵のついた袋に入ってるってだけなんだが、とにかく、見た目がにぎやかで楽しい。
 ジップロックに詰めたハンドメイドのクッキーだけ渡すのも味気ないし、ちっちゃい子は、こう言うのが大好きだしな。

 ただ、大入り袋に入ってるからどうしても余る。残った分はヒウェルにでも食わせるか?
 ある意味、あいつも子供みたいなもんだしな。

 何故か今日は大荷物かかえてやってきて、来るなり「客間借りるぜ」とか言って客用寝室に引っ込んだが……
 仕事は終わったのか、あいつ?

「うげふぅっ」

 ゴムのアヒルがつぶれたような悲鳴が夜の空気を引き裂いた。
 あの声は、ヒウェル?
 急いで居間に引き返してドアを開けると………
 
 25211406_518376706.jpg
 illustrated by Kasuri

 何やらえらくスペクタルなシーンが展開していた。

 得意満面のディーン・パン。そして紫の衣装に身を包んだ海賊フック船長(やけに体格が貧弱だ)の頭上から、今まさに白い妖精が……ピンクの羽根を揺らしてすたん、と床に舞い降りた所だった。

 俺がいない間にいったい何があったんだ?

「あー、その……どうして、こうなったのか、だれか説明してくれるか」
「えーと……」
「………」

 オティアがそっと目をそらし、シエンがしとろもどろに口をひらく。

「ディフと入れ違いに、ヒウェルが出てきたんだ。海賊の格好して……」
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
『はっはっは、待ってたぞ、ディーン・パン!』
『………………ちがう』
『え?』

 ディーンはムっとした顔でヒウェルの顔を指さしていきなりダメ出し。

『メガネ、外して』
『あ、ああ、そうか。海賊が眼鏡かけてちゃおかしいものなー。なかなかチェック厳しいぜ』

 苦笑いしながらヒウェルは眼鏡を外してテーブルに置いた。一方でディーンは腰に下げたポーチからクレヨンを取り出した。

『お、お、どうした、俺の雄姿に絵心を刺激されたか、ディーン画伯?』

 おもむろに黒いクレヨンを手にとると、ぐりぐりと一心不乱に塗りたくる。ただし、画伯の選んだキャンバスは愛用のスケッチブックではなく、ヒウェルの眼鏡のレンズだった。

『あ、あ、あ、ああーっ!』

 幸いにして、片方だけ。

『はい。海賊は、こうでなきゃ』
『………そうか……そう来るか……だったら!』

 ふるふる震えながら眼帯(モノアイ)仕様に改造された眼鏡をかけ直すと、ヒウェルはおもむろに右手の鉤爪を振り上げた。

『海賊らしく、ケリつけてやろうじゃねーか! 来い、ディーン・パン! 勝負だ!』
『おお! 負けないぞ!』

 そして始まる大活劇。ヒウェルはムキになって鉤爪をぶん回し、ディーンはカボチャのランタンで颯爽と応戦。リビングを舞台にチャンチャンバラバラ、縦横無尽の真剣勝負。

「最初はヒウェルの方が優勢だったんだ」
「背が高いし、リーチも長いから、か」
「うん。ディーンががんばっても、なかなか手が届かなくて」
「やれやれ」

 腕組みしてじとーっと半目でヒウェルをにらみつける。
 ったく、4歳の子供相手に何をやってるのか、この男は……。

「大人げなさ全開だな」
「う、うるへぇ……」

 熊皮の敷物よろしく床にへばったまま、ヒウェルは息も絶え絶え、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。

「その分だとすぐに息切れしたな?」
「うん」

 よろよろした所に、キャットウォークの上からティンカー・オーレ参上!
 帽子に問答無用のフライングボディアタックをかまし、トドメを刺したのだった。

「そりゃーまあ、そんなヒラヒラしたもの着けて大暴れしてれば、なあ……」
「けっこう張り込んだんだぞ、この衣装。羽飾りだって、本物の鳥の羽だし!」

 ぽそりとオティアがつぶやいた。

「だからだろ」

 ちりん、と鈴が鳴る。
 キャットウォークの上で、帽子からむしり取った羽飾りをくわえたオーレが得意げに胸を張っていた。

「くそー、踏んだり蹴ったりだ」

 よれよれと起き上がると、ヒウェルは片目を塗りつぶされた眼鏡を外してため息をついた。

「これ、どーやったら落ちるんだ」
「水」
「え?」

 クレヨンの箱を手にオティアが答える。説明書きを読んでいたらしい。

「このクレヨン、水で落ちる素材のやつだ」
「はちみつクレヨン、水でおちます……ほんとだ」

 ここに至ってディーンもさすがにいけないことをしたらしいと察したらしい。しょんぼりうなだれ、ちらっと上目遣いにヒウェルの顔を見て。
 それからぺこっと頭を下げた。

「ごめんなさい」

 眼鏡をかけ直すと、ヒウェルはぽん、とディーンの頭を手のひらで包み、ほほ笑んだ。

「いや、何、これぐらい、かわいいもんさ。ハロウィンの悪戯のうちだよ」

「あ、いきなり大人になった」
「………」

「さてと、これ以上イタズラされちゃかなわんし」

 ヒウェルはポケットからチョコバーを取り出し、ディーンの手の中にぽとりと落とした。

「これは、俺からだ」
「ありがとう!」
「どういたしまして」
  
 
 ※ ※ ※ ※


 その後。

「ただいま」
「お帰り、レオン」
「さっき、エレベーターでディーンとすれちがったよ」
「ああ、菓子ねだりに来てたんだ」
「そうか、ハロウィンだものね……おや?」

 帰宅したレオンが目にしたのは、力尽きて居間のソファに突っ伏す海賊の姿だった。

「死体安置所に空きがあったかな……」

 突っ伏したまま、海賊ゾンビが答える。

「まだ死んでません……」
「残念だ」
「ひどいや、レオン」

 恨みがましげににらむヒウェルをきっちりスルーして、レオンは穏やかに愛する人にほほ笑みかける。

「デイビッドがパイを頼むからと、一緒に注文させられたんだ。もうじきアレックスが持ってくるよ」
「カボチャのパイか? デイビッドの選んだ店なら、期待できるな」
「そうだね。彼は甘いものには目がないし、舌も肥えてる」

(俺はスルーですか、そうですか……)

 なおもふて寝していると、呼び鈴が鳴った。
 ディフがいそいそと受け取りに出る。
 しばらくしてパイの箱を抱えて戻ってきて、食堂に向かう途中で立ち止まり、ソファの上の海賊ゾンビに声をかけた。

「おまえ、まだその格好でいたのか? さっさと着替えて来い!」
「へーい……」

 キッチンではレオンが紅茶を入れている。双子はいそいそとお皿とフォークをスタンバイ。
 特大のカボチャのパイを切り分けて、trickはおしまい、treatの時間。

「え、2つも?」
「事務所に5つ届いたんだ」
「15インチ(約40cm)を一人一枚かよ……」
「デイビッドの基準だからなあ」
「余るぞ、これ、絶対」
「テイクアウトするか?」
「食い切れねえよ!」
「………後でサリーのとこに持ってこう」

 Happy Halloween!

(『H』はHOOKのH/了)

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殻のあるシーフード

2010/01/03 22:26 短編十海
 
  • 拍手御礼用短編の再録。
  • 本編【4-14】カルボナーラの夕食の場面で、実はこんな会話も交わされていました。
  • 今明かされる、ヒウェルの「カニ怖い」のルーツ
 
 水曜日。Wednesdayってのは、北欧の主神Odin、またはWodenに由来する日らしい。
 Wodenの日、すなわちWednesdayってことらしい。(oとeの違いはあるが、発音はoとeの中間だから許容範囲だろ)

 そのせいか知らんが、先週、今週と続いて俺は、バイキングと面を突き合わせて飯を食っている。金髪に青緑の瞳に眼鏡をかけた、斧の代わりに試験管と綿棒を武器にしたバイキングと。

 ハンス・エリック・スヴェンソンは、目下の所フォークを武器にして小エビのサラダと格闘中。
 ほとんど息もつかずにがっついて、残らず平らげてから、ほう……と幸せそうにため息をついた。

「そんなにエビが好きかい、おまえさんは」
「ええ、好きですよ。毎日食っても飽きない……あなたは?」
「んー、好きだよ」
「カニ」

 ぎっくうっと心臓が縮み上がる。落ち着け、落ち着け、不意打ちだからちょっとびっくりしただけだ。

「……も好きだけど、やっぱりエビは特別だなあ。あれ、顔色がよくないですよ、H」
「わざとじゃないよな?」
「は?」

 ぱちぱちとまばたきして、人の顔をじーっとのぞき込んで来やがった。それから、はたと膝を打つ。

「あー、あー、そう言えばカニ、苦手でしたっけね!」
「……………」
「もったいないなぁ、サンフランシスコの名物なのに……」
「ええい、それ以上、俺の前でアレの名前を口にするな!」
「でもエビは平気なんだ」
「まあな」
「どっちも殻のついたシーフードなのに」
「ぜんっぜん違う!」

 ぶんっと頭を左右に振って力説した。

「カニは……カニは……あいつは地球の生き物じゃねえっ!」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そうとも、カニは宇宙からやってきたんだ。 
 
 忘れもしない、あれは俺がまだいたいけな少年だった頃。
 里親のピーターとウェンディ夫妻に引き取られて間も無い、ある夜のこと。心細くてなかなか眠れず、やっとうとうとしてたら夜中に目をさましちまった。
 明かりの消えた部屋の中は、全て濃い藍色に塗りつぶされていて、しーんと静まり返っていて……。
 
 いや、声が聞こえる。ドアの向こうから、かすかに。足音を忍ばせ、ドアを開けた。何でもいい。自分以外の生き物のたてる音が恋しかった。
 自分以外の生き物が動いている姿を見たかった。

 ひたひたと廊下を歩く。居間に通じるドアの隙間から、オレンジ色の光が漏れていた。
 誘われるように近づき、ドアを開けると……ピーターがテレビを見ていた。

『おや、ヒウェル、どうしたんだい?』

 穏やかな低い声。いたずらを見つかった子供が肩をすくめるような、ちょっぴりきまり悪そうな顔。そいつを見てなんだかものすごく安心して、ちょこまかと近づいた。
 そして、見てしまったのだ……。

 テレビの画面に大写しになった円錐型の頭にぎょろ目、ぶつぶつの甲羅にハサミのある巨大な怪物を!
 女の人の立っている、窓のすぐ外にいっぱいに広がって。ハサミを振り上げて……。

 今思うとあれはいわゆるレイトショー、深夜にやってる俗悪映画(Bad Movies)だったんだな。
 タイトルもわかってる。ロジャー・コーマン監督のB級SF「金星人地球を征服」。ピーターのささやかなお楽しみ。

 だけどちっちゃなヒウェル坊やにとってそいつは、形を得た悪夢そのものだった。
 怯えきった俺は火がついたように泣き出し、あわててピーターはテレビをoff。寝室からすっ飛んできたウェンディ・ママにしがみついてわんわん泣いた。

『カニこわい……カニが……カニがっ』

 俺がティーンエイジャーになるまで、ピーターはひっそりと寝室の小さなテレビで深夜映画を楽しむようになった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
   
「……そんな事があったんですか」
「ああ。以来、アレは食えない」

 オティアとシエンは顔を見合わせ、エリックは慈愛に満ちたまなざしを注いできた。

「深夜映画で………ねえ……」
「ええい、そんな、生暖かい目で見るな! いくら俺でも、それだけでここまでのトラウマにはならねえよ!」
「え、まだあるんですか」
「あるともさ……」
 
 金星ガニとの恐るべき遭遇からひと月ほどが経ち、恐怖も徐々に薄らぎはじめた頃。
 ピーターとウェンディに連れられて買い物に行った魚市場で、更なる試練が待ち受けていたのだ。

 並んでいる屋台の一つに、大量にイチョウガニが積み上げられていた。
 膨れ上がったいびつな楕円形の胴体、禍々しくも黒みがかった赤い甲羅、ぶつぶつのハサミ、節くれ立った足。
 何、怖くないさ、アレにくらべりゃちっちゃい、ちっちゃい。
 目をそらしつつ、そばを通り抜けようとした瞬間。よりによってそいつは……動きやがった。がさがさっと足をばたつかせて!

『ぎゃーっ』

「あー……それは、けっこう強烈ですね………」
「ああ、その場で引きつけ起こして大パニックだよ」

 それ以来、味やにおいだけでもう、幼少時の恐怖体験がフラッシュバック。冷や汗は吹き出す、顔がひきつる。
 大人になってからは、どうにか隣で他人がカニ食っても冷静に対処できるようになったが……。

「子供の頃は、フィッシャーマンズワーフの看板すら直視できなかった」
「でもB級SFは好きですよね」
「もちろん!」

 B級映画は人生を彩るスパイスだ。あの忌まわしい殻のついたシーフードと一緒にしちゃいけない。


(殻のあるシーフード/了)

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留守番おひめさま

2010/02/17 0:51 短編十海
 
 
 あたしは猫。
 名前はオーレ。
 
 ママゆずりの真っ白な毛皮に青い瞳、左のお腹のカフェオーレ色のぶちがチャームポイント。
 本屋さんで生まれて、今は王子様とお城に住んでいる。

 今日はおやすみの日。王子様とずーっと一緒に過ごせる日。うれしいな。うれしいな。
 ……って思ってたんだけど。

「……うん、いい男だ。カリフォルニアで一番、いや、世界一いい男だ」

 あれれ? レオンがきちんとスーツ着てる。お仕事に行く日とおんなじだわ。
 ちょっと恥ずかしそうにほほえんで、所長さんと抱きあってキスしてる。これもお仕事の日と同じ。

「行ってくるよ」
「行ってこい。レイによろしくな」

 見送ったあとの所長さんはちょっぴりさみしそう。あたしがいるわ、元気出して。

「……ありがとな、オーレ」

 大きな手でなでてくれた。でも、ちょっとだけ。
 朝ご飯のお片づけもみんなテキパキ、何となく急いでる。
 
「そろそろ出かけるか。支度してこい」
「うん」
「冷えるからしっかり着込めよ」
「わかった」

 わかった、今日はみんなお仕事の日なのね! あたしもお支度しなきゃ。
 ぺろぺろ、ぺろぺろ、毛づくろい。
 尻尾の先までつやつや、完ぺき。さあ、王子様。いつでも出勤OKよ。後はキャリーバッグに入るだけ。

「………」

 あれ? 朝ご飯はさっき食べたばっかりなのに、何でもうカリカリ出してるの? あれ? お水も、猫用ミルクまで。

「いい子にしてろよ。行ってくる」

 ええーっ!
 バタン、とドアが閉まる。 お家の中はしーんと静かになってしまった。
 所長さんも、シエンも行っちゃった。あたし一人お留守番ってこと?

 ……………………………………………ずるい。

 耳を伏せて、ぺしたん、ぺしたん。尻尾で床を、ぺしたん、ぺしたん。

「んみゃ」

 鳴いても一人、ひっくり返っても一人。エビを前足で放り上げて、ジャンプしてキャッチ。
 でも、一人。

 しかたがないから、お留守番。
 王子様の建てたあたしのお城でお留守番。

 一人は退屈。まあるくなってうとうと眠ってると……ドアがきぃって開いたの。

(おうじさまっ?)

「よっ、お姫さま。ごきげんいか………ぐぇっ」

 大外れ。
 狙いすましてお城の上から急降下、キック一発、すとんと床に。

「……元気だな……うん」

 ひゅっと尻尾を振ってにらみつける。
 あたしが待ってるのはオティアよ。あんたじゃないの!

 ヒウェルはあっさり降参。こそこそとトイレを掃除して、小エビの缶詰めを置いて逃げてった。戦利品ね、いただきます。
 
 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
 小エビのスープはおいしいけれど、一人で食べるとちょっぴりさみしい。
 食べ終わって念入りに毛づくろい。前足をぺろぺろなめて、おくちからヒゲの先まで丁寧にくしくし、くしくし。
 
 お腹いっぱいになったら、何だか眠くなって来ちゃった……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ドアの開く音で目がさめたの。のっし、のっしと重たい足音が一つ。ぱたぱたと軽い足音が二つ。
 つぴーん、とヒゲが前ならい。耳をぴんと立てる。
 
「……ただいま」

 おうじさまーっ!
 一直線に境目のドアを駆け抜けて、玄関までお出迎え。

 待ってたの、待ってたの、ずーっと待ってたのよ!
 足下にかけより、顔をすりすり………しようとして途中でフリーズ。何、このにおい!

 くんくんくん。
 くんくんくん。
 王子様にも、シエンにも、所長さんにも、嗅いだことのないにおいがみっしりしみついてる。しかも、大きくて騒がしい生き物のにおいが。
 ぴりぴしと背中の毛がさかだって、尻尾がぶわっとブラシ状態。
 
 oule_2.jpg
 
「なーっ、なーっ、なーっ」

 変なにおいする! 変なにおいする!

「何か……猛烈に抗議されてる気がする」
「みゃーっ!」
「手、洗ってくるか」
「み」

 そんなんじゃ足りないんです!

 あーもう、まったくこの人たちわかってないんだから。
 耳をふせて、しっぽでぴしぱし。三人の足を順番にぴしぱし。

「……シャワー浴びた方が良さそうだな」
「ん」

 王子様がお風呂に入ってる間、あたしはずっと待ってたの。ドアの外できちっと座って。
 水の音が止んで、王子様が出てくるまで。

「………」

 やがてガラスのドアが開く。
 王子様!

 くんくん、くんくん。
 ああ良かった、変なにおいがやっと消えた。安心して今度こそ思いっきり顔をすりよせる、王子様は手をのばしてあたしを抱っこして、何度も何度もなでてくれた。

 ごろ、ごろ、ごろ。
 のどからあふれる、しあわせの音。

(おうじさま、すき、すき、だいすき)
 
 ole2_2.jpg
 
 
(留守番おひめさま/了)

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サワディーカ!3皿目

2010/02/26 21:27 短編十海
 
 
 コロロン、コローン……。
 
「エドワーズさんって、いい人だな! 親身になって相談に乗ってくれて。ほんとに本を大事にしてくれる」
「うん……いい人だよ」

 ずっしり重たい紙袋を抱え、テリーとサリーはエドワーズ古書店を後にした。
 袋の中には絵本に童話、小説、図鑑、はては手芸の本や、お菓子のレシピ本まで。テリーが弟や妹のために買った本がぎっしり詰まっている。

「さすがに買いすぎたかなー」
「衝動買いしすぎだよ」
「この本、あいつが欲しがってたなーとか、この本、あの子が好きそうーとか思ったらさ、つい」

 二人並んで石畳の道を歩きだす。両脇には絵はがきに出てくるような古い造りの建物が並んでいる。端が細く、中央がぷっくりと膨らんだ柱はヨーロッパの洋館を思わせる。

「ちゃんと読みたがる相手の顔を思い浮かべて買ってるんだ。無駄遣いじゃない!」
「でもお財布の中味は有限だよ?」
「うう……」
「ランチ食べる分、残ってる?」
「ケ……ケーブルカーのチケット代は、どうにか」
「やっぱり!」

 冷たい乾燥した空気の中に、ふわりと花の香りが混じる。
 赤いレンガ造りの店先に、細長い金属のバケツにいけられた色とりどりの花が並んでいた。

「あ、バーナードのお店だ」
「バーナード?」
「うん。リズの子猫と旦那さんがここに居て、どっちもバーナードって名前で……あれ?」

 店の前に、見覚えのあるトレンチコートがうずくまっている。
 手元には黒い縞模様の猫が仰向けにひっくり返り、ふかふかの腹をおしげもなく撫でさせていた。

「おまえって、ほんとにおだやかな猫だよな、バーナードJr……」
「なーう」
「よしよし……猫ってこんなにじっくり撫でられる生き物だったんだな……」
「なー」

 サリーとテリーは足を止めた。

「あれ」
「お」

 むくっとバーナードJrが起き上がり、とことことサリーの足下に歩み寄る。

「な〜」
「こんにちは、バーナードJr。寒いのに元気だね」
「なーお」
「そっか、君はお父さんゆずりでふかふかしてるものね」
「何だ、おまえらも今帰りか」

 ヒウェルは顔をあげ、まぶしさに目をしぱしぱさせると、ゆらーっと立ち上がった。トレンチコートがぺらりと風にたなびく。

「頼みがある」
「何でしょう?」
「俺と一緒に………飯を食ってくれ。おごるから……」

 サリーとテリーは思わず顔を見合わせる。確かにそろそろランチタイムだ。でも、何で?

「一人で食事すると、さみしいんだよ……」
「あー……」

 なるほど。確かにさっきもエドワーズさんとそんなことを話してた。

「助かる、実は本買いすぎて!」
「わかるわかる。こう、脳みその回路がぱーっと開いちまうんだよな!」

 サリーが返事をする前に、ヒウェルとテリーはすっかり意気投合してしまったようだった。(どっちも本屋の紙袋を抱えてるし)

「……うん、じゃあ行きましょうか」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 中華街の小さなタイ料理屋。10人も入れば満杯になる店内に入って行くと、黒髪をきりっとポニーテールに結い上げた、アーモンド型の瞳の看板娘が出迎えてくれる。

「サワディーカ!」
「やあ、タリサ」
「こんにちは」
「……こんにちは」
「あれ、今日は三人?」
「うん。席空いてる?」
「空いてるよ。どうぞ、こっちへ!」

 青いギンガムチェックのビニールクロスのかかった四角いテーブルに腰をおろす。
 すかさず、どんっと、白いポットに入ったレモングラスのお茶が出てきた。続いて薄い磁器の湯飲みが三つ。
 三人で三杯ずつ、たっぷり余裕で飲めそうだ。

「ほい、メニュー。何食う?」
「パッタイ」
「じゃ、俺も同じの」
「はい、パッタイ二つね。メイリールさんは?」
「カオトム」
「え、お粥? カレーもトムヤンクンも無し?」
「うん。徹夜明けだから胃がもたれるしね」

 まじまじとヒウェルの顔をのぞきこむと、タリサは腕組みしてうなずいた。

「あー、確かに。いつもにも増して不健康そうな顔してる!」
「トッピングは卵と揚げニンニク。味付けはトウガラシとナンプラーで」
「やっぱり辛くするんですね」
「うん、辛いの大好きだから」
「胃は大丈夫なのか?」
「……タピオカのココナッツミルクがけも追加で」

 胃壁に防護壁を張る作戦に出たらしい。
 タリサは注文をさらさらとメモすると厨房に向かい、まもなく何か白いものを持って引き返してきた。

「メイリールさん、はいこれ!」
「何?」
「蒸しタオル。顔に当てると、だいぶ違うよ」
「……俺、そんなにボロボロですか」
「うん。ゾンビって感じ」
「わあ、容赦ない」

 苦笑しながらもヒウェルは素直に眼鏡を外して上を向き、湯気の立つタオルを顔にかけた。

「っあああ……効くなあ………」

 うん、うん、とうなずくと、タリサはサリーに向き直り、にこにことほほ笑みかけた。

「サリーせんせって、いつもお化粧してないよね。やっぱり動物相手だから?」

 サリーもにこやかに返事をかえす。

「やだなぁ。男に化粧すすめないでくださいよ」
「えっ」
「えっ」

 その瞬間、空気が凍った。たっぷり2秒ほど。

「サリーせんせって……ごめんなさい、てっきり、その、女の人かと……」
「あー……はは、は……」

 乾いた笑いで答えるサリーの脳裏に、今までこの店に来るたびに交わした会話の断片がフィードバックする。

『寒くなると、手あれがひどくなるよねー』
『だったら、馬油のハンドクリーム使うといいよ』
『こっちのシャンプーは、何か髪質に合わないみたいで。パサパサになっちゃった』
『中華街でいいの売ってたよ!』

 今まで何の疑問も抱かなかったけれど、考えてみればあれ、全部女の子同士の会話だった……な……。

「よく言われます………」
「きゃーっ、ごめんなさいっ、わたしったら!」

 ばっとエプロンで顔を覆うと、タリサはダッシュで厨房に飛び込んで行った。
 
(ばか、ばか、わたしのばかーっ)

 ちらっとヒウェルが蒸しタオルをもちあげる。

「どーしたんだ、タリサ」
「いえ……ちょっとね……」
「……………」

 サリーは力なく笑い、テリーはぽーっと厨房の方を見つめていた。つい今し方、タリサが消えた方角を。

(おやあ? これは、ひょっとして、ひょっとする、かな?)

「お待たせしましたっ」

 数分後、運ばれてきたパッタイは、サリーの分がちょっとだけ盛りが多かった。
 おわびのつもりらしい。一緒についてきた看板猫がサリーに顔をすり寄せ、ひゅうんと細い、長い尻尾で彼の手と足を撫でていた。

「み、み、み」
「……うん……ありがと」
「みゃおう」
「よくあることだから」

 慣れた手つきでトッピングを粥に投入し、かきまぜるとヒウェルは背中をまるめてずぞーっとすすった。

「そいや、君ら、何で本屋にいたんだ? あの時間に、珍しいよな」
「あー、たまたま午前中が空いてたし。絵本をさがしてて」
「絵本?」
「うん、テリーの妹が大事にしてる絵本が壊れちゃって……」
「なるほど、それで新しいのさがしに来たのか」
「ええ。でも直してもらえることになったんです」
「そうか! うん、Mr.エドワーズならきっとそう言うと思ったよ。で、何てタイトルの本なんだ?」
「竜の子ラッキーと音楽師」
「へぇ……あれ、それってけっこう文字の多い本じゃないか。その、テリーの妹ってのはいくつなんだ?」
「確か、5歳」
「そりゃ大したもんだ!」
「最初は読んでもらってたみたいですけどね」

 変だな。
 サリーはかすかな違和感を感じた。さっきから自分とヒウェルがしゃべっているばかりで、テリーの反応がない。
 いつもの彼なら『まだ5歳なんだぜ』『すごいだろ! かしこい子なんだぞー』とミッシィの自慢話に花を咲かせるはずなのに……

「テリー?」

 箸を持ったまま、動かない。コマドリの卵色の瞳はぽやーっとあらぬ方角をさまよっている。

「てりー?」
「おーい、テリーくーん」

 さすがに二方向から同時に名前を呼ばれ、我に返ったようだ。

「あ……俺……」
「……まあ、飲め」

 ヒウェルはぽん、とテリーの肩を叩き、たぱたぱとレモングラスのお茶を注いだ。

「ああ、うん」

 ごきゅごきゅと一息に飲み干すと、テリーは猛然と皿の中味を口に運んだ。山盛りのパッタイがみるみる消えて行く。
 あっと言う間に皿が空っぽになった。

「そんなに腹減ってたのか、君は」
「うまいなーこれ!」
「うん、うまいだろ。何か追加で食うか?」
「さんきゅ!」

 テリーは伸び上がって奥で控えるタリサに向かって手を振った。

「すいません、グリーンカレー追加で!」
「はい、グリーンカレーねっ!」

 ポニーテールをなびかせてさっと飛んで来て、伝票に追加分を記入している。

「おい、平気か? ここのカレー、結構辛いぞ?」
「平気、平気、俺、辛いの好きだからっ」
「わあ。さすがメイリールさんのお友だちね」

 タリサは目を細めて白い歯を見せ、ころころと笑った。まだほんの少し、眉の間に困ったような皺が残っていたけれど、それでも笑った。
 テリーはまた、ぽやーっとその笑顔に見入り……

「あ、あのっ」

 ぎゅっと拳を握り、タリサに向かってわずかに身を乗り出した。

「はい?」
「………空心菜のニンニク炒めも追加で」
「はい空心菜のニンニク炒めねっ!」

 そんなテリーを、ヒウェルは眼鏡の奥からつぶさに観察していた。

(何てわかりやすい奴なんだ……)

「なあ、テリー。ここの空心菜は、きっちりトウガラシが入ってるから……」
「俺、辛いの好きだしっ」
「うん、それはわかる、けど。何か甘いもん頼んでおいた方がいいぞ?」
「……じゃあ、ジンジャーチャイ」

 ダメだこりゃ。
 辛い料理食ったとこに、熱々のチャイ飲んでどうするよ、テリーくん。

「……タリサちゃん」
「はい?」
「タップティムグロープ(クワイのココナッツシロップがけ)も頼むわ」

 予想通りひんやりしたデザートは、テリーの救い主となった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 店を出ると、ヒウェルはんーっと大きくのびをして目をしばたかせた。

「んじゃ、俺、そろそろ帰って寝るから」
「あー、うん、その方がいいですよ……」
「飯、ごっそーさん、うまかった」
「いや、いや、こっちこそ。つきあってくれてありがとな。楽しかったよ」

 ぱちっと片目をつぶるとひらひらと手を振り、ヒウェルは歩き出した。

「それじゃ、な」
「お気を付けて……」

 ひょろりとした背を見送り、サリーとテリーも歩き出す。
 入り乱れる朱色と黄色。適度にごっちゃりした中華街の雑踏を歩きながら、テリーがぽつりとつぶやいた。

「今の子、かわいかったなぁ」
「あ、うん、そうだね………」

 答えたものの、サリーはてんで上の空。

(半年近くあのお店に食べに行ってたのに。ずーっと女の子だって思われてたんだ……)
(アメリカ人ならともかく、同じ東洋人のタリサにまで女の子にまちがえられるなんてっ!)

 テリーもやはり上の空。
 頭の回りにピヨピヨと、コマドリが輪になって飛んでいた。一羽残らずちっちゃなくちばしに、ピンクのハートをくわえて。
 互いの温度差に気付かぬまま、二人はとことこと歩いてケーブルカーに乗り込んだ。

(若いってのは、いいねぇ。実に率直で、わかりやすい!)

 一方でヒウェルは軽くなった財布を懐に、何となくふっくら幸せな気分で帰路に着いたのだった。
 

(サワディーカ!3皿目/了)
 
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★★★夜に奏でる

2010/04/10 22:05 短編十海
 
  • このページには男性同士のベッドシーン「しか」ありません。
  • 十八歳以下の方、ならびに男性同士の恋愛がNGと言う方は閲覧をお控えください。
 
 
 
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 illustrated by Kasuri


「レオン……いつまで指しゃぶってるんだ……うっ」

 答えの代わりに、ちゅぷっと吸い上げられた。

「っくっ」

 笑ってる。
 ふさふさしたまつげの下からのぞく瞳は、明らかに今の状況を観察し……楽しんでいる。

「いい加減……ちゃんとキス……させ……ろ……」

 乱れた息の合間から切れ切れにささやく。
 もどかしくてなめまわした。どんな彫刻家にも再現できそうにない、形の良い唇の周りを。それなのに奴は知らんふりしてしつこく指をしゃぶってる。
 指先に舌をからめてくすぐってる。その動きが、別の場所を舐める感触を生々しく呼び起こす。
 首筋に赤く浮かぶ火傷跡。耳たぶ。鎖骨のライン、胸板、乳首、足の指。背中の『翼』は特に念入りに。キスして、舐めて、またキスをする。
 そして、全ての熱が凝縮する足の間の……。

「レオ……ン……んっ」

 夢中になって舌を動かした。たっぷり唾液をからめて、ぺちゃぺちゃと湿った音を立てる。
 本当はそのかわいい唇の中に突っ込んでやりたい。思う存分なめまわして、お前の舌を吸い上げてやりたい。

「う……ん……」

 レオンがこくりと何かを飲み下す。わずかに上下するそのなめらかな咽を舐めあげた。
 二人分の唾液が混じりあってつ……と口の端からこぼれ落ち、火照った肌を濡らした。

100406_0157~01.JPG
illustrated by Kasuri
 
 胸を。背筋を。腹を通って足の間に熱い血流が流れ込み、飢えた獣がむくりと立ち上がる。
 痛いくらいに張りつめている。

「んっ……ふ……は、ふ、ぅ、んぅっ」

 俺はもしかして変態なんじゃないか? 見られてるだけで。指をしゃぶられてるだけで、全然関係ない場所がこんなに堅くなっちまうなんて……。

「あ」

 後ろの穴が、生き物みたいに呼吸を始めている。

 さっきまで腰に巻き付き、押さえ込んでいたレオンの左手はじりじりと滑り降り、太ももをなで回している。
 気持ちいい……だけど物足りない。
 もっと触ってくれ。もっと……奥を。もっと強く。
 遠慮なんかするな。
 弄れ。

「ん、あぅっ」

 いきなり、握られる。反り返る背筋を押さえ込まれ、唇をむさぼられた。

「う……くぅ……」
「ん」

 ずるいぞ、レオン。ああ、でもやっと……キスできた……
 しゃぶりつくされ、すっかり赤く濡れた右手を背に回し、抱き寄せた。
 その瞬間。

「ぃっ!」

 ぬるりとした水音とともに、痛みにも似た快感に襲われる。瞬時に瞳孔が拡散し、瞼が限界まで跳ね上がる。
 ばか、いきなりそんなに強く、しごく奴があるかっ!

「う、ぅ、くぅ」

 がっちり押さえこまれてろくに首を振ることができない。言い返そうにもくぐもったうめき声が漏れるばかり。

「ふ……んふぅ」

 ペニスに巻き付けられた指がもぞりと波打ち、根元から先端にかけて、絞るように蠢いた。
 
「く、う、うぅっ」

 体中さんざんいじり回されて溜まりに溜まった熱がどっと一点に集中し、濡れそぼった先端から込み上げる。だが、出口がない。レオンの指がぴたりと先端をふさいでる。
 為す術もなくぴくぴくと震えていると、念入りに舌を吸い上げられた。新たな波が込み上げる。
 身じろぎすればするほど強くつかまれる。もみしだかれる。たまらず悶え、また追いつめられる……逃げられない。

「う、う、ううーっ」

 ようやく口が解放された。むさぼる深い口付けが、何度も小刻みに与えられる、小鳥みたい優しいキスに変わる。
 しかし、無慈悲な指は相変わらず俺をしっかり捕まえたまま、ゆるむ気配がない。

「なん……で……も……許し……」
「ガマンして。もう少し」
「う……」

 すぐそばでほほ笑むレオンの顔がぼんやりと霞んでる。涙がにじんでるんだ。
 目元にキスされ、舐められる。

「ふぁっ」

 くすぐったい。
 思わず首をすくめた。

「かわいいな」
「ふ……」

 笑っちまった。
 爆発寸前まで弄られ、追いつめられて。揚げ句に出口を封じられ、荒れ狂う欲情に嘖まれながら、つい。

「かわいいのは、お前の方だ」
「そうかな」
「そうだよ……」

 ああ、その顔だ。最高にかわいい。うっとりと見つめながら鼻先にキスをした。頬に。額に。口をとがらせ、それこそ小鳥のさえずりみたいな音を聞かせてやった。
 不意にペニスを握っていた指が離れ、解放される。イく寸前のもどかしさを抱えたまま……収まることも、達することもできない。

「は……は……はー……あぁ……」

 すがりついて、必死で息を整えた。

「大丈夫かい?」
「あ、ああ」
「そう……か…」

 くるりとひっくり返され、ベッドにうつぶせに押し倒されていた。

「っ、レオンっ? く、うっ」

 起き上がる間もなく肩を押さえこまれる。ばさりと散った髪の毛が、無造作にかきわけられるのがわかった。

「きれいだ……とても」

 見られている。剥き出しの体を。肌に刻んだライオンと翼を。声だけでわかる。お前が今、どんな表情(かお)をしてるのかも。

「いい色になってる」

 声が近づいてくる。翼の付け根に手のひらが触れ、なでまわされ……ぎりっと爪を立てられた。

「っくっ」

 歯を食いしばってこらえる。それでも全身を襲う細かな震えは押さえきれなかった。火照り、研ぎ澄まされた肌が食い込む爪の数まで数え上げ、突き立てられた針の記憶を呼び覚ます。

『動くなよ? 余計に痛い思いをすることになるぜ』
『お前に似合いのを入れてやったよ』

 巻き戻る時間を必死で引き止め、意識をそらした。目に見えぬ堅い何かがのど元を押し上げてくる。たまらずかすれた声を振り絞った。

「レ……オ……ン」

 不意にレオンの手が離れ、爪のかわりに暖かな唇が押し付けられた。

「ぁ……」

 うっすらと唇を開き、息を吐く。滑る舌先が。繰り返し与えられる口付けが、背に刻まれた柔らかな翼の形を教えてくれる。
 そこにあるのは隷属の刻印ではない。二人だけの秘密なのだと。

「来てくれ。今すぐ、お前が欲しい!」
「まだ早いよ。ちゃんと、ほぐさないと」
「いいから!」

 自分から足を開いて高々と腰をあげ、後ろに回した指でアヌスを広げた。

「も……待ちきれないんだ……たのむっ」

 肩越しに振り返った視界の隅で、レオンがうなずくのがわかった。

「君が、望むのなら」

 ぐいと腰を引き寄せられ、堅いものが入り口に当てがわれた。開いた指の先に濡れた彼を感じた。

「あ……ひっ!?」

 息を吐く暇もなく、一気に貫かれた。入り口の皮膚が引っ張られ、内側に向かって絞り込まれる。

「う、あ、あうっ」

 稲妻が走る。
 堅く締まった内部を抉られる衝撃が、背骨を突き抜けた。
 歯をくいしばっても押さえられない。咽の奥からくぐもった音が漏れる。呻いているのか、鳴いているのか、自分でもわからない。
 たまらず両手を前につき、シーツに顔をすり付けた。握りしめる指の間で布地がぐしゃりと皺になる。

「ぐ……う……うぅ」
「あぁ……ディフ……っ」

 俺の中でレオンが震えてる。
 お前も、ずっと我慢してたんだな。嬉しいよ……。
 そっと振り返る。気配が伝わったのだろうか。レオンは閉じていた目をひらき、ほほ笑んでくれた。
 ごそっと前に手が回され、萎えかけたペニスをいじり回される。手のひらで包み込み、もみしだかれる。

「く、うあ、あ、んっ」

 たまらず、再びシーツに突っ伏す。

「な、何……をっ」
「元気がない。やっぱりきつかったようだね……」

 妙に楽しそうな口調だった。顔は見えないがきっとほくそ笑んでる。

「ごめんよ」
「っ、全然、悪いとか思ってないだろ、お前っ」
「うん、実はそうなんだ……ああ、だいぶ堅くなってきたね」
「あっ、あ、あ、ああっ」

 前をいじられる度に、後ろが絞まる。自分の意志とは関係なく、くい、くい、と打ち込まれたレオンのペニスにしゃぶりつく。

「そろそろ……いいかな……」

 すっかり勢いを取り戻した息子から手を離すと、レオンは改めて俺の尻をがっちりと抱え込んだ。

「いい眺めだ」
「っ?」

 言われて不意に気付く。今、俺はどんな格好をしてるんだろう?
 シーツに顔を押し付けて、尻を高々と掲げている。
 じわじわと腹の底がむずがゆくなってきた。
 そんな、プレイボーイのグラビアみたいな格好を、いつの間に!

「ちょ、ちょっと待て、レオン。この格好はっ! せめて、もうちょっと、ポジションチェンジを」

 支離滅裂に口走りつつ起こしかけた上半身を、ぐいっと押さえ込まれる。体がシーツにめり込むほど強く。

「あうっ」
「………待てない」

 低く押し殺した声でささやくやいなや、レオンは猛然と動き始めた。
 さながら交わる獣のように。本能のまま腰を振り立て、突き入れる。がくんがくんと体が容赦なくゆすられる。
 猛り立つ熱塊が後ろを出入りし、こする。えぐる。尻に打ち付けられるレオンの身体と俺の間で、ぱん、ぱん、と音がする。肉と肉がぶつかって、あられもない声が押し出される。

「あ、あ、やっ、あ、ん、くっ、うぐっ、ふ、あうっ、あっあっ、あっ」

 ローションもゴムもない。生の体と体が直にこすれ合う凄まじい快楽に溺れ、夢中になって腰をゆすった。声をあげた。

「お、ぅっあ、あうっ、レ……オ……ン」

 レオン。
 レオン。
 見てくれ。聞いて、感じてくれ。どれほどの甘い衝撃が俺の中に荒れ狂っているか……。

(お前のためなら、どんなことでもする)
(獣にもなる)

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illustrated by Kasuri
 
「あ、あ、あー、あー、あー」

 もう、かすれた咽からはAの音しか出ない。
 突き上げられる後ろから、もどかしいような熱が体内を伝わり、触ってもいないペニスがどんどん膨れ上がる。
 一方で腰が勝手にガクガクと揺れ、全身の毛穴と言う毛穴から、玉のような汗が噴き出し、重なる肌身を濡らす。

「んくっ、ううっ、あ、はふ、あう、レ、オ、ンっ」
「ディフ……」
「う、あ、あ、あ、あっ、あっ、あっ」

 最初の絶頂に達した時、奇妙なことに前からは何も出なかった。
 体中の筋肉が内側に引き絞られるような奇妙な感覚の中、腰が不規則に上下し、時間が止まる。
 貫かれたアヌスの奥に、意識が一気に吸い込まれる。

「レオンっ!」
「く、ううんっ、ディ……フっ」
「あ。あっ」

 身も心も真っ白に焼き尽くされながら、彼が俺の中に放つのを感じた。
 手は届かない。だけど確かに今、お前を抱きしめている……。

「は……あ……あぁ……」

 急速に力が抜ける。
 射精こそしていなかったが、強烈なエクスタシーを感じた。しかし熱は引かず、昇りつめた意識が覚めることもない。ぽやーっと暖かな春の日差しにも似た充足感に包まれていた。
 頬をあたたかな雫が伝い落ちている。
 気だるい。ゆですぎのパスタにでもなった気分だ。だけど、すごく……気持ちいい。

「ふ……あ……あぁ……」

 深く息をしながら震える手を背後に伸ばす。汗ばむレオンの腰をなで、引き寄せた。

「ディフ……」
「ん……レオン」
「おや? 君はまだ、堅いままだね……」

 ごそっとしなやかな指が蠢く。

「よせ、どこ触ってっ、くっ!」
「大丈夫、夜はまだ長いんだ……」
「っ!」

 ひそやかな忍び笑いと共に、耳たぶを噛まれる。

「じっくり、愛し合おう」
「う……ん……」
 
 ぬるぬるとぬれそぼった指が、そろりと咽をなでる。

「鳴き過ぎて声が枯れても」

 顎を這い登り、唇をなぞり……

「離さないよ、ディフ」

 ずぷりと、ねじ込まれる。
 今度は俺がしゃぶる番だった。
 
(夜に奏でる/了)

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うわさのヒウェ子

2010/04/17 17:55 短編十海
 
  • 拍手お礼用短編の再録。実は★★★夜に奏でると同じ日の夕食時の出来事でした。
  • 女装して一番アレなのは誰だろう? と言う話題から月梨さんが描いちゃったイラストに調子に乗ってテキストをつけて出来上がったお話。
  • タイトルの元ネタがわかった方は、おそらく同世代。
 
 土曜日は少し早めに上に行くことにしている。
 夕食の時間が早いからだ。加えていつもより凝った献立が出ることが多い。デザートにも気合いが入ってる。いかにも週末! って感じで年がいもなくウキウキしちまう。
 第一、これくらいのメリハリがないと、つい忘れちまうものな。締め切りまでの残り日数以外の日にちの数え方ってものを。

「腹減った。今日の飯なに?」
「まだ少しかかるよ」
「さいですか……それじゃ」

 どっかとリビングのソファに腰を降ろす。携帯を出すか、新聞をめくるか、さてどっちにしよう。
 すると。珍しいことにレオンが雑誌を一冊テーブルに載せ、すっと指先でこっちに押しやってきた。

「お、ありがとうございます」

 ごく自然に手にとり、ぺらりと開いて……硬直した。

「こ、これは………」
「ああ、うん。雑誌の整理をしていて見つけたんだ。懐かしいだろ?」

 懐かしい?
 冗談じゃないよ! 目に入るたび、この雑誌はことごとくこの世から抹殺してきたと言うにーっ!
 俺は本来写す側の人間だ。滅多に自ら被写体になることはない。だがたまには例外もある。その中で最も記憶に留めたくないケースがこれだ。

「……何固まってるんだ」

 もわっと美味そうなにおいが漂ってきたと思ったら、さっと背後からがっしりした手が雑誌を奪い取ってしまった。

「ああっ」

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 illustrated by Kasuri
 
 ディフはまじまじととあるページ(折り目つけてたのは誰だ! いや、聞くまでもない)を凝視して。

「……ぷっ」

 盛大に噴き出しやがった。

「……ぷっ、ぶわははははっ、何だこれは!」
「あーあー、もーいっそ爆笑してくれた方がすっきりすらぁ!」

 何てこったい聖ウィニフレッド様(ウェールズの守護聖人)。爆笑を聞きつけ、双子まで出てきちまった!
 涙を流して豪快に笑いこけるディフを見て首をかしげてる。
 やがてシエンがひょいと手元をのぞきこみ………………硬直した。

「これ………ヒウェル、だよ、ね?」
「ちっ、ちがうんだっ、これは、趣味とかそう言うんじゃなくてっ、仕事! 仕事なんだよっ」

 ばばっとディフの手から雑誌を奪い取り、別のページを開く。そこには身長2m近い、岩を刻んだようなアフリカ系の美女(?)がオレンジのサマードレスを着て仁王立ち。当日、「スコーピオン・クイーン」の伝説を打ち立てた写真が見開きで掲載されていた。

「ほら、俺だけじゃない!」
「わっ、レイモンド!」
「うん……そう、レイ………」

 何かただならぬ気配を感じたのだろう。ぽとっと、オーレの口からエビのぬいぐるみが落ちた。
 そして飼い主は………絶対零度のまなざしでこっちを見てる。

「言い訳じゃなくて、本当に仕事なんだってば! 一昨年の四月一日に、ジョーイとトリッシュの勤めてる雑誌社で男女逆転デイってイベントがあってだね!」

 男女逆転デイ。
 読んで字のごとく、男女逆の扮装をして一日すごす。小学校や幼稚園で、社会勉強と余興を兼ねて行うイベントだ。
 男の子と女の子の違いや共通点を体で覚え、相互理解を深めようってことらしんだが……子どもの時はもっぱらはしゃいでた。
 で、成長とともに余興の割合が増えて行き、そのうち自主的にやり始めるようになる訳だ……ハロウィンとか文化祭、あるいは寮のパーティーの馬鹿騒ぎとして。

 さらに、いい年こいた大人がやらかすと……金にあかせてこり出す分、悪ノリ度に拍車がかかってすんごいことになる。
 うっかりその日が四月一日ってことを忘れ、わざわざ徹夜明けに原稿と写真を届けに行ったのがそもそものまちがいだった。
 徹夜明けでぼーっとした俺の襟首を、ジョーイがむんずとつかまえ、女性陣に売り渡してくれやがった。

「ウィッグはいらないわよね」
「そーね。十分長いもの。まーこの髪! 無駄にツヤツヤしちゃってにくったらしい」
「せっかくだからリボンもつけちゃえ」
「体が細いからタイトなデザインは似あいそうにないわね。ニットにしましょ!」
「何、あんたスネ毛ないの? 卑怯だわ!」
「まーお肌かさかさじゃないの。それにこのクマ! パックしときましょ」

 あれよあれよと言う間に着替えさせられ、パックにクリーム、化粧までされて。
 はっと気付くと写真を撮られていた。隣にいる巨大なスコーピオン・クイーンがレイモンドだと気付くまでにしばらくかかった。

 一ヶ月後、束で届けられた見本誌はことごとく抹殺した、はずだった。
 レイモンド経由でレオンの事務所にも行ってたのか………! いや、予想すべきだった。

「……あ、もしかして、このお下げの女の人は、ジョーイ?」
「うん。それ、ヅラ」
「こっちの、スーツ着てんのはトリッシュか」
「そ」
「で、これは……………」
「ええい、しみじみ見るなーっ!」

 シエンは小さな声でぽつりと

「…………………すごいね」とつぶやいた。
「うん、すごいだろ」

 ちりん、と鈴が鳴る。オティアが床にかがみこんでエビのぬいぐるみを拾ってる所だった。目があうと、肩をすくめてふ、と軽くため息をついた。
 
 ※ ※ ※ ※
  
 オティアは思った。
 仕事なら、しかたない。周りの男性陣に比べれば、穏やかと言うか、マシなレベル……と言えなくもない。目もうつろだし、あいつの言う通り、ぼーっとしてるうちに否応なしに女装させられたのだろう。
 気の毒………いや、同情する必要もないか。

 そもそも、その仕事からして好きでやってるんだから。

「で、こっちが去年の分」
「レオンーっ!」

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 illustrated by Kasuri

 前言撤回。

(だめだ、こいつは)

 ぷいっとそっぽを向くと、オティアはすたすたとキッチンへと向かった。ちらとも振り返らず、まっすぐに。
 
 
(うわさのヒウェ子/了)

★★君を包む柔らかな灯

2010/05/03 0:11 短編十海
 
「……ん……」

 密やかな振動に眠りの底から呼び起こされる。
 腕の中に抱いていたしなやかな体が、もそもそと抜け出す気配。うっすらと目を開けると、枕元のサイドランプが放つやわらかな灯りに包まれて、レオンがぽやーっとした顔で座っていた。視線を宙にさまよわせ、髪の毛はくしゃくしゃのままで。
 まだ半分、眠っているらしい。
 ああ、可愛いなあ……。うつぶせになったまま片目を開けて見守った。
 
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 illsutrated by Kasuri
 
 こいつ、これから何をするつもりなのかな。ここまで起き上がってるってことは、したい事があるに違いない。
 トイレに行くなら問題はない。ただこのままベッドの中で戻るのを待てばいい。だけど、のどが渇いた、水を飲みに行こうかな、なんて考えているとしたら話は別だ。
 ざっと頭の中でシミュレーションしてみる。
 このままふらふらとキッチンまで歩いて行って、ぽやーっとして思考の回らない頭で手探りで冷蔵庫を開けて、水のボトルをとり出す。フタを開けて、コップに注いで……。
 
 ガシャン。
 運が良ければ、ゴトン。いずれにせよ、やらかす。

 レオンはごそごそとガウンを羽織り、足をスリッパに突っ込み、ほてほてと歩いてゆく……バスルームではなく、寝室の出入り口に向かって。
 やっぱ水か。
 
「レオン」

 ドアノブに手をかけたまま、ゆるっとした動きで振り返った。目をしぱしぱさせて、まぶしそうにこっちを見てる。

「ああ………起こしてしまったかな」
「気にすんな」

 ベッドから滑り降り、ガウンを羽織った。微妙に丈が足りない……左胸を確認すると、イニシャルの縫い取りが『D』ではなく『L』だった。
 やれやれ、無防備にもほどがあるぞ、レオン。
 大股に部屋を横切り、隣に立つ。

「俺もちょうど、のどが渇いたところだ」
「ん……」

 こてん、と肩に顔を寄りかからせてくる。さらさらした髪の毛に顔をうずめてキスをして。
 二人で寄り添い、廊下に出た。

「今夜は冷えるね」
「ああ、冷えるな」

 肩に手をかけ、包み込む。レオンの身体をすっぽりと腕の中に。
 キッチンには、夕食後に仕込んだトルティーヤの香りがまだほんのり漂っていた。

「いいにおいだ」
「明日の弁当用だ」
「楽しみにしてるよ」

 シエンは夕食は一人遅れてとった。けれど、ランチの下ごしらえは一緒に手伝ってくれた。
 冷蔵庫からクリスタルカイザーのボトルをとり出し、コップに注ぐ。二つのうち片方をレオンに手渡した。

「そら」
「ありがとう」

 向かい合って水を飲む。ゆるく上下する咽の動きを見守った。
 最近、乾燥してるからな。寝室にも水、置いとくか。そうすりゃ、キッチンまで出なくてもその場で飲める。
 空になったコップを受け取り、軽くゆすいで食器カゴに立て掛けた。

「……」
「どうした、レオン」

 ぺろり、と胸元を舐められる。

「っ、なにをっ」
「こぼれてた」

 さらっと言いやがったな、こいつ!

「舐めたら、意味ないだろ」
「俺には、ある」

 すました顔で言うと、レオンは当然と言う顔つきでキスしてきた。逃げる理由はなかった。

「……これはおやすみのキスなのかな。おはようのキスなのかな」
「両方、だ」
「冷えてきたね」
「ああ、冷えてきたな」

 しんしんと忍び寄る夜の冷気に急かされ、ベッドに戻る。ガウンを脱ぐ段になってレオンは始めて首をかしげた。ようやく気付いたらしい。

「こっちは、君のだった」
「ああ」

 脱いだのをばさっと顔にかけてやる。

「わぷ」
「そっちがお前のだ」
「……」

 むっとした顔をすると、レオンはがばっと掴みかってきた。あっと思った時はスプリングがきしみ、ベッドに押し倒されていた。
 ゆるゆるとキスをして、互いに撫であい、まさぐりあう。じきにベッドの中に二人分の体熱が立ちこめて行く。
 
 もう、寒くはない。
 

(君を包むやわらかな灯/了)

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