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ローゼンベルク家の食卓

五月の二番目の日曜日

2010/05/11 1:54 短編十海
 
 水曜日、いつものように夕食に現れたヒウェルが、食堂の壁に貼ったカレンダーをじーっと見ていた。サリーからもらった猫のイラストと病院のロゴマーク入りのやつ。
 クレヨンで塗った、絵本みたいなシンプルな絵柄が可愛い。五月の猫は白地に黒のぶち模様の入った子猫が二匹と白い親猫が一匹、ぴったりよりそった後ろ姿。ちょこんと座って、互いに尻尾をからめている。

「その絵、気に入ったの?」
「あ、いや、確かに可愛いけど」

 ヒウェルはひょろ長い指を伸ばすと上から二番目、左端の升目を指さし、ぽつりと言った。

「……そろそろ花とカード準備しとかないとな、って思ってさ」
「何で?」
「うん、今週の日曜日は……」

 指先が、小さな四角い枠の中に印刷された赤い文字をなぞる。
 Mother's Day

「……だろ?」

 次の日。シエンは事務所でアレックスに尋ねてみた。

「母の日って、何をするの?」
「母の日でございますか」

 有能執事はいつもと変わらぬよどみなさで答えた。が、ほんの少し頬に赤みがさしていた。

「わが家では……朝食はソフィアに代わって私が作り、花束を贈る予定を立てております」
「そっか、だからヒウェルも花を準備するって言ってたんだね」
「はい。家を出られてからは毎年、カードと花を送っているとうかがっております」

 シエンはそっと目を伏せ、記憶の欠片をたぐり寄せた。

「そう言えば、俺も……前のママにお花あげたことある。ティッシュでつくったやつだけど」

 子どもの小さな手で作ったティッシュの花を、ママは両手でそっと包み込んで受け取って、顔を寄せ、うっとりと目を閉じた。においなんかするはずのない紙の花なのに。それから目を細ーく開けて、『ありがとう』って言ってくれた。

「……母の日にはお母さんに花を贈るんだね」

 アレックスは静かにうなずき、控えめながらも同意を示した。

「生花ならカーネーションですね。色もたくさんありますよ」
「そっか……うん、ありがとう、アレックス」
「恐れ入ります」

 そして土曜日。
 オティアとシエンは花を買いに行った。花屋の店先には、赤に白、紫、オレンジ、黄色に緑。アレックスの言葉通り、ありとあらゆる色のカーネーションが咲き乱れていた。まるで大箱にぎっしり詰まったクレヨンみたいに。
 花のサイズも何種類もあって、スプレーとか、小花とか大輪とか……『ふつうの大きさはこれです』って、どこかに書いてあれば助かるのに。あまりに選択肢が多すぎて、とまどう。

「どれにすればいいのかな……」

 つい、口に出してしまう。
 髪の色に合わせるなら赤かオレンジだけど、何だか華やか過ぎて、あまり合わないような気がする。白……はあっさりし過ぎてるし、紫は、ちょっときつい。
 クリーム色か緑、かな。
 じっと顔を寄せてしみじみ見比べる。候補にしぼった二色の花を。
 緑の花って初めて見た。どこか野菜みたいで、今一華やかさには欠ける。けれど優しげで、爽かで、そばに置いてあるときっと、和む。
 よし、決めた。

「これを、ください」

 オティアが黙って別の一角に視線を向ける。一目見るなり、シエンは迷わず付け加えた。

「こっちの白い花も一緒にお願いします」
「はい、かしこまりました」
 
 お店のお姉さんは、ちょっぴり不思議そうな顔をしていたけれど、選んだ花をきれいにアレンジしてくれた。
 かすみ草とマーガレットを加えて藤のバスケットにふわりと活けた緑のカーネーションは、かすかにバニラに似た香りがした。
 ディフに見つからないように、オティアの部屋にこっそりしまうことにする。

「これ、預かって」
「………ああ」
「にゃー」

 オーレが飛んできて、くんくんとにおいを嗅いで、バスケットにそろっと小さな前足を伸ばす。

「いじるな」
「みゅ」

 不満そうに耳を伏せた。でも青い瞳は相変わらず狙っている。ヒゲをぴーんと前に突き出し、尻尾をひゅんひゅんしならせて、やる気満々だ。
 オティアはしばらく考えて、ケージの中に花かごを入れた。これでオーレは悪戯できない。

 さて、次は朝ご飯の用意だ。ディフが起きてこないうちに二人だけで作らなくちゃいけない。
 これは、けっこう難しい。朝早くから動いていたら、まず気付かれてしまう。あくまで準備を始めるのはいつもの時間通り、だけどその時、ディフがまだ寝室から出ていないのが理想的。
 レオンに相談したら、余裕たっぷりの表情で頷いてくれた。

「任せておいてくれ」

 これで準備OK。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 日曜日。
 朝の光の中、うっすら目を開けるともうキスされていた。いや、キスされたから起きたんだろうか。
 珍しいな、こいつが俺より早く起きてるなんて……
 ぽやーっと考えながらうっとりと唇を重ね、角度を変え、舌先を重ねてつついたり、くすぐったり。ようやく口が自由になった頃には、すっかり呼吸が乱れ、心拍数もいい具合に上がっていた。

「……おはよう」
「おはよう」

 連れ立ってバスルームに入り、朝の光の中でシャワーを浴びる。互いの手にボディーソープをつけてなで回した。洗ってるのか、抱き合ってるのか、かなりあいまいだが、結果として洗えてるんだからよしとしよう。
 ぬるめのお湯を浴びながら抱き合うのが何とも心地よくて、つい時間の経過を忘れていた。

 やばいな、ちょっと、ゆっくりしすぎたか。
 朝飯の仕度が遅れちまう。

 手早く体を拭き、シャツに手を通す。洗面所を出ようとしたら、ぐい、と肩を押さえられた。

「レオンっ?」
「いけないよ。髪の毛がまだ乾いていないじゃないか……」
「あ……」

 濡れた髪の間に手のひらが差し込まれ、すくいあげるようにしてなで上げられた。
 首筋がひんやりと朝の空気にさらされる。指先で耳たぶをくすぐられた。

「う、よ、よせって」
「うん、まだ湿ってるね」
「あ」

 腰に腕がまきつき、引き寄せられた。左の首筋に、あたたかな唇が押し当てられる。湯上がりで赤く浮かび上がっているであろう『薔薇の花びら』を丹念に吸われ、なめられた。

「あ……ふ……んっ……」
「ん……」

 やばい、膝の力が抜けそうだ……。
 洗面台にしがみついて体を支え、呼吸を整えていると、ばさりとタオルが降ってきた。

「しっかり乾かさないと。今朝は朝食のことは心配しないで。いいね?」
「う……わ……わかった……」

 ほくそ笑む気配がして、静かな足音が洗面所を出ていった。
 言われた通りごしごしと髪を拭き、ドライヤーを吹きつける。何だってあいつ、今朝はやけに、じっくり……絡んできたんだろう。

「……ふぅ」

 ふわっと乾いた髪をツゲのブラシで丹念に梳き、後ろで一つにゴムでまとめる。
 腕時計を確認すると、だいぶ時間が経過していた。朝食のことは心配するなって言われたけれど。子どもたちに任せっぱなしって訳にもいかないだろ!
 足早に寝室を出て食堂に向かう。キッチンからは既に、シエンとオティアが忙しく立ち働く気配が伝わってくる。

「すまん、遅くなった……」

 エプロンに手をのばそうとすると、シエンにちょん、と腕を押さえられた。

「……え?」
「今朝は、俺たちがやっとくから。ディフは座って待ってて」
「あ……うん」
「ほら、座って!」

 背中を押され、すとんと食卓のいつもの椅子に座る。キッチンでは双子がちょこまかと動き回り、パンを切り、野菜を刻んでいる。
 コンロの上では鍋がことこと言っている。
 どうにも落ち着かなくてもぞもぞしていると、レオンがすとん、と隣に座り、肩を抱いてきた。

「ん……どうした?」

 誘われるまま顔を寄せる。頬を手のひらで包まれ、ゆっくりと向きを変えられた。

「あ……」

 テーブルの上に、カーネーションの花かごが乗っていた。バニラに似たほのかに甘い香りに包まれて……。色はメロンシャーベットのような優しげな緑色。ふわふわしたかすみ草と、マーガレットの白がよく映える。かごはリボンで飾られ、「Thanks!」と書かれたカードが添えられていた。

「そっか……そうだったのか……」

 もわもわと沸き起こる照れ臭さと。あとからあとからにじみ出すどうしようもない嬉しさに、口元がふにゃふにゃと妙な具合にゆるんでしまう。
 スリッパの中でもじもじと足の指を握って、開いてを繰り返し。一方で手を髪の毛の間に突っ込み、ひたすらかき回した。

 でき上がった朝食をトレイに載せて、シエンとオティアが運んできた。こんがり焼いた厚切りトーストにベーコンエッグ、トマトとアスパラのサラダにコーンスープ。
 俺の好きなものばかりだ。
 何てこった。目元がかっかと火照り、視界がぼんやりと霞んでいる。うっかりすると、ぽろっとあったかい雫がこぼれ落ちそうだ。

「あー……その……えっと………」

 オティアと、シエン、そしてレオン。
 3人の顔を見ていたらふっと、言うべき言葉が見つかった。その途端、あっさりと口元がほほ笑みの形に落ち着いた。

「ありがとう」

 今日は五月の第二日曜日。
 母の日。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 昼食も双子が作り、俺はずっと居間でレオンと一緒だった。そわそわして落ち着かないでいたら、レオンにぐいっと引き寄せられて。結局、昼食ができ上がるまでぴたっと肩を寄せ合い、ソファに並んで座っていた。テーブルの上に載せられた花かごを愛でながら。
 
 そして午後。オティアは図書館に行く、と言って外出し、シエンも付いていった。
 何せ本の宝庫だ。夢中になって読み続け、閉館時間になってもどこぞに潜り込んで気付かれないまま、なんてことになりかねない。

「だから、俺も一緒に行く」
「……うん、そうだな。その方が安全だ。気を付けてな」
「うん。行ってきます」

 双子を送り出すやいなや、背後から優しい腕が巻き付いてきた。甘く低い響きが耳をくすぐり、朝方の甘美な震えを呼び覚ます。

「ベッドに行こうか。それとも、バスルームで今朝の続きをするかい?」
「さて、どっちにするかな………」

 誘われるまま歩き出す。Noと言う選択肢は、ない。


(五月の二番目の日曜日/了)

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