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ローゼンベルク家の食卓

殻のあるシーフード

2010/01/03 22:26 短編十海
 
  • 拍手御礼用短編の再録。
  • 本編【4-14】カルボナーラの夕食の場面で、実はこんな会話も交わされていました。
  • 今明かされる、ヒウェルの「カニ怖い」のルーツ
 
 水曜日。Wednesdayってのは、北欧の主神Odin、またはWodenに由来する日らしい。
 Wodenの日、すなわちWednesdayってことらしい。(oとeの違いはあるが、発音はoとeの中間だから許容範囲だろ)

 そのせいか知らんが、先週、今週と続いて俺は、バイキングと面を突き合わせて飯を食っている。金髪に青緑の瞳に眼鏡をかけた、斧の代わりに試験管と綿棒を武器にしたバイキングと。

 ハンス・エリック・スヴェンソンは、目下の所フォークを武器にして小エビのサラダと格闘中。
 ほとんど息もつかずにがっついて、残らず平らげてから、ほう……と幸せそうにため息をついた。

「そんなにエビが好きかい、おまえさんは」
「ええ、好きですよ。毎日食っても飽きない……あなたは?」
「んー、好きだよ」
「カニ」

 ぎっくうっと心臓が縮み上がる。落ち着け、落ち着け、不意打ちだからちょっとびっくりしただけだ。

「……も好きだけど、やっぱりエビは特別だなあ。あれ、顔色がよくないですよ、H」
「わざとじゃないよな?」
「は?」

 ぱちぱちとまばたきして、人の顔をじーっとのぞき込んで来やがった。それから、はたと膝を打つ。

「あー、あー、そう言えばカニ、苦手でしたっけね!」
「……………」
「もったいないなぁ、サンフランシスコの名物なのに……」
「ええい、それ以上、俺の前でアレの名前を口にするな!」
「でもエビは平気なんだ」
「まあな」
「どっちも殻のついたシーフードなのに」
「ぜんっぜん違う!」

 ぶんっと頭を左右に振って力説した。

「カニは……カニは……あいつは地球の生き物じゃねえっ!」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そうとも、カニは宇宙からやってきたんだ。 
 
 忘れもしない、あれは俺がまだいたいけな少年だった頃。
 里親のピーターとウェンディ夫妻に引き取られて間も無い、ある夜のこと。心細くてなかなか眠れず、やっとうとうとしてたら夜中に目をさましちまった。
 明かりの消えた部屋の中は、全て濃い藍色に塗りつぶされていて、しーんと静まり返っていて……。
 
 いや、声が聞こえる。ドアの向こうから、かすかに。足音を忍ばせ、ドアを開けた。何でもいい。自分以外の生き物のたてる音が恋しかった。
 自分以外の生き物が動いている姿を見たかった。

 ひたひたと廊下を歩く。居間に通じるドアの隙間から、オレンジ色の光が漏れていた。
 誘われるように近づき、ドアを開けると……ピーターがテレビを見ていた。

『おや、ヒウェル、どうしたんだい?』

 穏やかな低い声。いたずらを見つかった子供が肩をすくめるような、ちょっぴりきまり悪そうな顔。そいつを見てなんだかものすごく安心して、ちょこまかと近づいた。
 そして、見てしまったのだ……。

 テレビの画面に大写しになった円錐型の頭にぎょろ目、ぶつぶつの甲羅にハサミのある巨大な怪物を!
 女の人の立っている、窓のすぐ外にいっぱいに広がって。ハサミを振り上げて……。

 今思うとあれはいわゆるレイトショー、深夜にやってる俗悪映画(Bad Movies)だったんだな。
 タイトルもわかってる。ロジャー・コーマン監督のB級SF「金星人地球を征服」。ピーターのささやかなお楽しみ。

 だけどちっちゃなヒウェル坊やにとってそいつは、形を得た悪夢そのものだった。
 怯えきった俺は火がついたように泣き出し、あわててピーターはテレビをoff。寝室からすっ飛んできたウェンディ・ママにしがみついてわんわん泣いた。

『カニこわい……カニが……カニがっ』

 俺がティーンエイジャーになるまで、ピーターはひっそりと寝室の小さなテレビで深夜映画を楽しむようになった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
   
「……そんな事があったんですか」
「ああ。以来、アレは食えない」

 オティアとシエンは顔を見合わせ、エリックは慈愛に満ちたまなざしを注いできた。

「深夜映画で………ねえ……」
「ええい、そんな、生暖かい目で見るな! いくら俺でも、それだけでここまでのトラウマにはならねえよ!」
「え、まだあるんですか」
「あるともさ……」
 
 金星ガニとの恐るべき遭遇からひと月ほどが経ち、恐怖も徐々に薄らぎはじめた頃。
 ピーターとウェンディに連れられて買い物に行った魚市場で、更なる試練が待ち受けていたのだ。

 並んでいる屋台の一つに、大量にイチョウガニが積み上げられていた。
 膨れ上がったいびつな楕円形の胴体、禍々しくも黒みがかった赤い甲羅、ぶつぶつのハサミ、節くれ立った足。
 何、怖くないさ、アレにくらべりゃちっちゃい、ちっちゃい。
 目をそらしつつ、そばを通り抜けようとした瞬間。よりによってそいつは……動きやがった。がさがさっと足をばたつかせて!

『ぎゃーっ』

「あー……それは、けっこう強烈ですね………」
「ああ、その場で引きつけ起こして大パニックだよ」

 それ以来、味やにおいだけでもう、幼少時の恐怖体験がフラッシュバック。冷や汗は吹き出す、顔がひきつる。
 大人になってからは、どうにか隣で他人がカニ食っても冷静に対処できるようになったが……。

「子供の頃は、フィッシャーマンズワーフの看板すら直視できなかった」
「でもB級SFは好きですよね」
「もちろん!」

 B級映画は人生を彩るスパイスだ。あの忌まわしい殻のついたシーフードと一緒にしちゃいけない。


(殻のあるシーフード/了)

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