▼ 科学のココロ
- 拍手お礼用短編の再録。
- 【4-19-6】ドアの向こうにでヒウェルから贈られたプレゼント、オティアはけっこう気に入ったようです。
2月も終わりに近づいたある日、ヒウェルから箱をもらった。やけにきれいな紙で包装され、ご丁寧に青いリボンのかかった箱を、何やらぶつくさ言いながらさし出してきたのだ。
「あー、その、これ……」
「何だ、これ」
「プレゼント」
「もらう理由がない」
「そ、そりゃ、まあ、うん、そろそろ3月だし、バレンタインにしちゃいい加減遅いけどっ、そのっ」
「……」
バレンタイン。
しばし記憶をたぐる。
2月14日……ドクターが往診に来た日だ。確か、あの日は食卓にマーガレットが飾ってあった。おそらくレオンがディフに贈ったんだろう。
「そう言うことか」
「う、うん、そう言うことっ」
包み紙の下から出てきた箱には、黒地に蛍光緑で「探偵セット」と書かれていた。
「何で探偵セット?」
「探偵だろ? おまえ」
「それはディフだ。俺は助手」
「いちいち細けぇな! 助手だろーがアシスタントだろーが、探偵事務所でお仕事してることに変わりはないだろ!」
そんな訳で今、オティアの目の前には「探偵セット」がある。中味は指紋採取キットに繊維分析キット、水に溶けるメモ、血液判定薬、簡易顕微鏡に紫外線ペンライトまで入っている。
今日の分の仕事はもう済ませたし、ホームスクーリングの課題のノルマも片づいた。
シエンに付き添って家にこもりきりになって以来、びっくりするほど時間が余っているのだ。本でも読むか、と思ったが、ここんとこずっと同じことをしていて、何と言うか……
メリハリがない。
ひとつ、こいつを試してみよう。どれから行こう?
箱の表面には倒れた人型と、射撃の的とおぼしき同心円、そして微妙にいびつな渦巻き状のマークが描かれていた。
「……指紋……か……」
犯罪捜査でどれだけ重要か、これまでの暮らしで学んできた。知識としては知っていたが、自分の手で実際に採取できるとなると、試してみる価値はある。
さて、この家で最も人の出入りの多い部屋はどこだろう。やはり……。
シエンが怪訝そうにこっちを見てる。
オティアは探偵セットを抱えてとことこと廊下に出た。シエンはちょっと考えてから、後をついていった。
ドアを開け、居間を見回す。
うん、やはりここだろうな。
※ ※ ※ ※
「ただいま……帰った……ぞ?」
帰宅するなり、ディフは目を剥いた。何てこった。ソファの背もたれ、ローテーブル、サイドボードにディーン用のキャンディポットにテレビにキャットウォーク……ありとあらゆる家具が、見慣れた粉にまみれている。極めて粒子の細かい、黒に近い灰色の粉末。
「何………だ、これは」
ぞわっと髪の毛が逆立ち、心臓が喉元までせり上がる。ダッシュで玄関に取って返したが、『立ち入り禁止』の黄色いテープは無かった。剥がされた痕跡も無し。制服警官も、科学捜査官もうろついていない。
(落ち着け……落ち着け、ディフォレスト)
今日はソフィアが付き添ってくれている。普段は下の階の自宅にいるが、ランチとおやつの時はこの部屋に来ている。何かあったら、まず彼女から連絡があるはずだ。
改めて、まぶされている粉を観察する。
この指紋採取パウダーは、サンフランシスコ市警の鑑識チームが使ってる奴じゃない。色が微妙に違うし、粒子も若干、粗い。
粉まみれになっている場所を一つ一つ検分して行く。
最初はどうやら、テーブルの縁から始めたようだ。明らかに慣れていないらしく、大量の粉を使っている。さらにカーペットの上にもこぼしていて、その上を踏んでいた。
靴跡の大きさから、採取した本人のおよその体格が見えてくる。このサイズに該当するのは二人。そして、この手の実験に興味を持ちそうなのは一人しかいない。
「………オティアか」
ちりん、と足下で鈴の音がした。
※ ※ ※ ※
子ども部屋に行くと、被疑者は採取した指紋をずらっと床に並べて座り込んでいた。
透明なフィルムに写し取り、指紋が見やすいように裏に白い紙を入れたスリーブ(袋)に収めてある。ご丁寧に一つ一つには採取した場所を書いたラベルが貼り付けてあった。
「どうしたんだ、これ」
サンプルから目も放さず、傍らの四角い箱を指さした。『探偵セット』……何度もリニューアルを重ねつつ、連綿と続いてきた科学玩具の定番中の定番だ。現にディフ自身も子どもの頃、夢中になって家中を捜査したものだ。
「あー……それ、か……」
懐かしさと若干の気まずさ、そして母の困り顔を思い出していると、とことことオティアが近づいてきた。
「ディフ、手、見せて」
「ああ」
言われるまま両手を広げ、手のひらを上にして差し出す。がっしりした指先をオティアはまじまじと観察し、手にしたサンプルと見比べ、うなずいた。
「だいたい合ってる」
床に置かれたサンプルは、いくつかのグループに分けられていた。
『オティア』『シエン』『レオン』『ディフ』『ヒウェル』『アレックス』『ソフィア』『ディーン』『オーレ』そして『未決』『準未決』。
自分とシエンの分は、実際に照合して、すぐに分かったのだろう。ディーンはサイズ、オーレは形状で一目瞭然。
そして今、本人と照合された指紋が『ディフ』の場所に厳かに並べられた。同時に、『準未決』のグループがさっくりと『レオン』と『ヒウェル』の場所に分類される。
「何で、わかったんだ?」
「数の多い大人の指紋は3種類。誰がどれかは大体、予測できていた。ディフの分が確定すれば、残りは必然的に判明する」
「なるほど。だが、ヒウェルとレオンの分はどうやって区別を?」
オティアは『ヒウェル』に分類された指紋サンプルのうちの一枚をつまみあげた。曰く、『採取場所:キャンディポット』
「……なるほどな」
レオンはキャンディポットには触らない。
日ごろの観察と人物の分析が、見事に採取した証拠と結びついている。しばしオティアの優れた洞察力に感心していたものの、はたとディフは我に返った。
「リビングが粉だらけになってたぞ。採取が終ったら、きちんと除去しとけ」
「ああ……」
「お前のにおいがついてるもんだから、オーレが顔をこすりつけて……今、すごいことになりつつある」
リビングに行くと今まさに、粉まみれになったソファのひじ掛けにオーレがぐしぐしと顔をすりつけていた。
「………オーレ」
「にゃー」
キャンディポットも、テーブルも、サイドボードも、キャットウォークも、念入りにこすられていた。
そして、なおもうっとりとひじ掛けに顔をこすりつけるお姫さまの白い毛皮もまた、黒灰色の粉まみれ。
「………」
これ以上被害が拡散する前に、オティアは素早くオーレを抱き上げた。
「み?」
「……」
あどけない顔でちょこんと小首をかしげている。ここで叱ったところで、何で叱られてるのか理解できないだろう。そもそも猫って生き物は、自分が悪い、なんてカケラほども考えやしないのだ。
いつの間にかシエンが部屋から出てきて、さくさくとリビングの掃除を始めていた。
お姫さまはケージに隔離され、双子が掃除をしている間、ずっとにゃーにゃーと抗議をしていた。
そして指紋採取パウダーの除去作業が終ってから、速やかにお風呂に直行したのであった。
夕食時。
何も知らずにやってきたヒウェルを出迎えたのは、スタンプ台をさし出すオティアだった。
「え、なに、もしかして指紋とるって?」
「ん」
「本格的だなぁ」
にまにましながらヒウェルは自らスタンプ台に指をぐりぐりと押し付け、台紙に指紋を押した。一本ずつ、丁寧に。
オティアは提出された指紋をキャンディポットから採取したサンプルと比較し、満足げにうなずいた。
(おー、おー、すっげえ夢中になってやがる。ちくしょう、いい顔してるなあ! 可愛いったらありゃしない)
熱心に指紋を調べるオティアを見て、ヒウェルは有頂天。ひらひらと頭の周りにチョウチョを舞わせつつ、上機嫌でしゃべりまくった。
「このインク、においも質感も警察で使ってるのとそっくりだよな。あれ、なっかなか落ちないんだよなー! ねばねばしてるし、乾燥するの遅いし。これもセットに入ってたのか?」
「いや。これは、ディフが」
「……そっかーディフが持ってきてくれたのかー。本格的だなー」
要するに、市警察ご用達のインクと同じ物ってことなのだが……幸せに舞い上がったヒウェルは気付かない。ぽーっとしたまま、無意識にシャツで指先を拭っているのにも気付かない。
さらにゆるみ切った表情のまま、尻尾を立ててしゃなりしゃなりと歩いてきたオーレに手を伸ばす始末。
「お、オーレ、ふわふわだな。風呂に入ったのか?」
(その手で触らないでよ、きぃ!)
ぴしっと前足が宙を走り、手の甲に赤い筋が刻まれた。
「どーしたお姫さまー。ご機嫌ななめだなー」
普段なら『いってえええ!』とか『何しやがるー!』と悲鳴が挙がる所なのだが……エンドルフィンでも出まくってるのか、猫なで声でにやにや、にまにま。オーレは尻尾をぼわぼわに膨らませ、背中を丸めて斜めに後じさった。
この後、舞い上がったへたれ眼鏡はふわふわと雲を踏みつつキッチンに向かい……
「お手伝いいたしましょうかぁ?」
「お、珍しいな」
「そりゃー世話になってるし、俺だって、たまにはね! これ運んでおけばいいのか?」
「ああ、頼む………って…………」
「どーした、まま」
「き、さ、ま」
双子は、見た。『まま』の赤いたてがみが、沸き起こる怒りのオーラでもわっと逆立つ瞬間を。
「その手であちこち触るなーっ!」
がっちりした右足がひょろ長い左足に絡みつき、高々と上がった左足が筋肉の盛り上がる膝の内側に首根っこを押さえ込む。ぶっとい右腕はガタのきた腰をがっちりホールド、仕上げに脇の下に抱え込んだか細い腕を、ぎち、ぎち、ぎち、と背中側に引っ張った。
「おごわっ」
「そもそも、今日は貴様の持ち込んだ玩具でえらい目に会った! だがあの子が興味を示すようになったのは進歩だ。感謝する」
「だったらこの手を離せ……ぐぎぎ」
「そこはそれ、それはそれだ」
「ふごっ」
炸裂するオクトパスホールド(卍がため)。
容赦なくシメられつつ、それでも幸せなヒウェル・メイリールさん(26)だった。
(科学のココロ/了)
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