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ローゼンベルク家の食卓

ディーンのおかいもの

2009/05/10 2:23 短編十海
 
  • 五月に入っても忙しさ続行中、せめて季節ネタ短編の更新だけでも。
  • 今回はディーンくん+1名の母の日を。
  • ローゼンベルクさんとこの「母の日」はこちら
 
 2007年5月13日、日曜日。
 珍しく午前中に起き出して街に出る。と、言うか仕事済ませてシャワーを浴びて、そのままほとんど寝ずに外に出た。
 カリフォルニアの青空は徹夜明けの目に容赦なく眩しく、外を歩くと紫外線がびしびしと目玉に突き刺さる。

 確かお肌にもあんましよくないんだよなー。
 三十路に突入する前に真剣にUVケアに取り組むべきだろうか。来月にはもう27だしなあ……。

 この強烈なまぶしさと低空飛行のコンディションを抱えたまま、日曜の人ごみを歩くのは辛い。いつも行くショッピングモールから、ちょいと横にそれた道に迂回する。
 確かこの通りにも目的の店はあったはずだ。そう、行き着けの古書店のすぐ近所に。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 こんな日にさすがに車で出歩くほど俺はチャレンジャーじゃない。
 ケーブルカーを降りて、コーヒースタンドで飯を食う。
 する事は済ませた。外に出たついでだ、食料も買い込んでくか……トイレットペーパーと、コーヒーと、ペーパーフィルター、あとは、リンゴとチョコバーかな。
 家族連れでにぎわうショッピングモールをふらふらとさまよっていると、聞き覚えのある声を聞いた。

「ディーン、お願いだから」
「だめ、ぜったいだめ!」
「……お?」

 ぐきぐきと固まった首をめぐらせ、声のする方に視線を向ける。
 短いくるくるカールした鹿の子色の髪。アレックスの細君、ソフィアとその息子、ディーンがいた。珍しいことに何やらもめているご様子。

 聞き分けがいいようでもやっぱり三歳児だ。わがままでも言ってるのか、それともおねだりか?

「どうしても今日じゃなきゃだめなの」
「だめなの!」

 おー、おー、えらく真剣な顔で、ぎゅっと拳をにぎっているじゃないか。いっちょまえに。ソフィアは首をかしげて、がんとして動かない息子を見つめている。両手に重たそうな買い物袋をぶらさげて。
 買い物を終えて、いざ帰ろうとしたところでディーンがだだをこねたって所か。

 友人としては見過ごす訳にも行かないね……
 のっそりと近づき、何げなく声をかけた。

「やあ、ソフィア」
「あら、ヒウェル」
「……ハイ、ヒウェル」
「よ、ディーン。元気か?」
「ん……」
「どーしたい、不景気なツラして」

 ディーンはむーっと口をとんがらせて、ぷいと横を向いてしまった。

「それが……買いたいものがあるんですって。絶対、今日でなきゃいけないって」
「ほえ? 現金持ってるんだ」
「クリスマスに、おじいちゃんから50セントもらった」
「あー、なるほどね」

 妥当な金額だ。
 まだトゥースフェアリーから1ドルもらうには早いものな。

「んで、ディーンくんは一体、何をご所望で?」
「それが……いくら聞いても教えてくれないの」

 ソフィアは眉を寄せて力のない笑顔を浮かべ、肩をすくめた。もう笑うしかないって状況らしい。

「ママにはひみつ、って言うばっかりで……」
「なるほどね」

 ママにはひみつのお買い物。しかも今日でなければいけない。

「これってもしかして、反抗期?」

 ピンと来た。

「んー……あ、いや、心配しなくていいよ。心当たりあるから」

 まあ念のため、確認しとこう。カプセルトイか、お菓子、もしくは絵本かマンガって可能性もあるからな。
 膝を曲げてしゃがみ込み、ディーンと目の高さを合わせる。

「ママには言えないってか。でも俺になら言えるかな?」
「うん」

 こくっとうなずくと、ディーンは耳もとに顔をよせ、ぽしょぽしょとささやいてきた。

「おはなやさん、いきたい」

 BINGO。

 口元がほころぶ。
 うんうん、やっぱりそう来たか。
 今日は五月の第二日曜日。ついさっき、俺も共同墓地に白い花束を手向けてきたばかりだ。

「OK、ディーン。つきあうよ」
「ほんとっ?」

 がっちりヘの字に曲がっていた口から力が抜ける。

「ママがいいって言ったらな」
「ママ……」

 ディーンはソフィアの顔を見上げた。

「おねがい、ヒウェルとお買い物いっていいでしょ?」
「え……でも」
「俺からもお願いするよ、ソフィア。ディーンのことは、俺が責任持って家まで送り届けるから」

 ソフィアはしばらく迷ってから、こくんとうなずいた。

「それじゃあお願いしてもいい……かしら」
「うん。買い物終ったら電話する」
「ええ、わかったわ」
「よし、ディーン、行こうか」
「うん!」

 ちっちゃな手を握り、歩き出す。見送るソフィアママに手を振って。

  09212_00_Ed.JPG ※月梨さん画「ディーンくん3さい」
 

 三歳児のペースに合わせてちょこまかと、いつものショッピングモールからちょいと横に入った小さな商店街に入る。

「お店ー」
「ああ。来たのは初めてか?」
「うん!」
「そーかそーか」

 石畳の道を歩いて、小さな花屋にやってきた。
 赤煉瓦作りの店先に足を踏み入れると、水を吸った生きた花の香りに包まれる。
 ガラスケースの中にはちょっと高めのバラや百合、カトレア。外側のバケツにはぎっしりと、もっとポピュラーな花がひしめいている。フリージアやヒマワリ、スイートピー、マーガレット、かすみ草……。

 花畑を切り取ってそのまま小さな建物の中に敷き詰めたような光景に、ディーンは目をまんまるにし、小さな声で「おお」とつぶやいた。
 最近じゃ、なかなかお目にかからないよな。こんな、絵本に出てくるような『典型的な』花屋ってのは。
 今日はいつもにも増して店の一角が赤く、もこもこになっている。

 店の親父さんは朝見かけた時と同じように、エプロンをつけて店先の椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。

「ハロー」
「おや、ヒウェル?」
「やあ。さっきはどうも」

 ちょいと一歩横に引いて、ディーンが見えるようにする。

「実はこちらの紳士がお花をご所望だそうで。一つ見繕ってやっていただけませんか?」

 ディーンは緊張した面持ちでちょこまかと進みでて、ずっと握ってた右手をひらいた。
 ちっぽけな手のひらの上に、ぴかぴかの50セント硬貨が乗っかっている。

「赤いカーネーションをください!」
「なるほど、赤いカーネーション、赤いカーネーションね……」

 店の親父さんは、うんうん、とうなずくと新聞をたたんで立ち上がり、赤いもこもこの波に手をさしいれ、注意深く一本選び出した。

「ああ、ちょうどおあつらえむきのがあった。これなんかどうかな? 1本50セントだ」
「おお……」

 マジか?

 一瞬、我が目をうたがったね。
 フラメンコダンサーのスカートさながらの大輪の赤いカーネーション。
 どう見たってそんな値段で買えるような代物じゃない。念のため値札を確認するが、白紙のままだった。ただ「母の日用」と書いてあるだけ。
 なかなかに粋な計らいをするもんだ。

 ちっちゃな子が小遣いにぎりしめて来るたびに同じことを言ってるんだろうな、この人は。

 ディーンはお気に召したらしい。ぶんぶんと首を縦に振ってる。

「リボンは何色がいい?」
「ピンク!」
「OK。それじゃ、しばしお待ちを」

 店の親父さんが奥に入るのと入れ違いに、猫が一匹にゅっと顔をつきだした。
 黒のトラ縞の猫。骨格はがっちりしていて面構えも堂々としているが、まだ大人になりきっていない。長いしっぽをひゅっとしならせ、興味しんしんに鼻を寄せてきた。

「キティ!」
「ああ、そいつはバーナードJrってんだ。オーレの兄弟なんだ」

 バーナードJrはふんかふんかとディーンと俺の周りを嗅ぎ回っている。やっぱわかるのか、オーレのにおいが。
 ディーンは目をかがやかせてしゃがみこみ、そっと手をさしだした。

 バーナードJrはぴとっと鼻をくっつけて、ぐいぐいと顔をすり寄せている。

「キティ、さわった……」

 喜びにうちふるえている。しょっちゅうオーレに逃げられてるからなあ……(突進するからだけど)

「なー」

 さらに、もう一匹のっそりと巨大な黒いトラ縞の猫が出てきた。小型の犬よりでかいんじゃないかってくらいの堂々とした貫禄で、最初に出てきた猫にそっくりだ。

「よう、パパ・バーナード」
「おっきい!」
「うん、こっちはオーレのお父さんだ」
「はろー、オーレのパパ?」

 パパ・バーナードはごろごろとのどを鳴らした。ブロンズの鐘の響きにも似た、聞く者をうっとりさせる天上の音楽。
 ディーンがちっちゃな手のひらでなでると、拡大コピーと縮小コピーはころんと足元にひっくり返った。

「つやつや……ふかふか……」
「うんうん、じっくり撫でろ」

 大きなバーナードも、小さなバーナードも、どちらももの静かで、実に愛想がいい。
 その間に店主はくるくると、虹色の光沢を帯びたセロファンでカーネーションをくるみ、細いサテンのリボンをまきつけている。
 薄い緑とピンクのリボンの二本どり。絡み合い、それ自体が花のようにほわほわひろがっている。
 カーネーションの根元はきっちりと水を含ませたティッシュと銀紙で包まれている。時間が経過しても鮮度を保つように。

 万事抜かり無く整えると、親父さんはうやうやしくカーネーションをさし出した。

「お待たせ。さあ、どうぞ」
「ありがとう!」

 ピカピカの50セントと引き換えに、赤い大輪のカーネーションがディーンの手の中に収まった。
 ディーンはくきくきと首を前後左右に動かし、あらゆる角度からカーネーションを確認すると、満足げにうなずいた。

 それから、はたと何かに気づいたらしく、ぴょこっと顔をあげた。

「ヒウェルは、ママにおはなあげないの?」
「ああ、俺はもう、すませてきたから……」

 生みの母。
 顔もろくすっぽ覚えていないが、俺をこの世に産んでくれた女性(ひと)には墓前に白いカーネーションを。
 5つの時から独り立ちするまで育ててくれたお袋には、カードを送った。

 毎年のこの日の恒例行事。

 だが。
 ちらりとディーンの手の中の花を見る。

「……………」
「ママにおはなあげると、よろこぶよ?」
「うん……そうだろうね」

 里親の家までは、ケーブルカーで駅三つ。そう大した距離じゃないが、電話やメールばかりであまり顔を合わせることはない。
 こんな小さな子どもでさえ、母親のために花を買いに来たのだ。
 ちっぽけな手のひらに、小銭を握りしめて。

 最後にお袋に花を贈ったのはいつだったろう?
 花屋の宅配サービスではなく、この手で直に。

 くしゃっと頭をかいて、財布を取り出した。

「あー、その……赤いカーネーション、1本もらえます?」

 価格設定は、ディーンの払った分と同じ、50セント据え置きだった。
 三歳児に便乗してしまいました。(あらゆる意味で)

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ハロー、ソフィア」
「ハロー、ヒウェル?」
「買い物は無事終ったよ。で、帰る前に一カ所寄りたい所があるけどいいかな?」
「どこに?」
「…………」

 行き先を告げると、携帯の向こうで小さく笑う気配がした。

「OK、ヒウェル。ごゆっくりどうぞ」
「サンクス」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 ケーブルカーの停留所を出て歩きだす。赤いカーネーション片手に、もう片方の手はディーンとつないで。
 住宅街を歩いて、四つ目の角で左に。突き当たりの細い道を右に。

「着いたぞ」

 白い柱、白い壁。グレイの屋根。記憶の中にあるのよりちょっぴり色がくすんでいるような気がした。
 広々とした玄関ポーチにはアマリリスの鉢植えが置かれ、空色のワンピースを着た女性が水をやっていた

 軽く深呼吸してから、声をかける。

「ハイ、ウェンディ」
「ヒウェルっ? どうしたの、突然っ」

 ああ、白髪が増えたな。ほがらかな笑顔も、張りのある声も昔のままだけど、何ってーか、全体的に、ちっちゃく、軽くなってる気がする。
 電話ってのは厄介だ。なまじ顔が見えないもんだからつい、いつも一緒にいた頃の姿で想像しちまう。
 
 それだけに直に顔を合わせた瞬間、愕然としてしまうのだ。自分の中のイメージとの落差をつきつけられて……。

「いや、近くまで来たもんだから、ちょっとついでに」
「ついでにって……せめて電話ぐらいしなさいよ」
「ごめん」

 もごもごと謝罪の言葉をつぶやいていると、ばったん、と勢い良く玄関のドアが開いて。
 がっしりしたシロクマが一匹……もとい。白い服を着た恰幅のいい男性が出て来た。

「ヒウェル! いやあ、久しぶりだなあ。ん? どうした、その子は」
「あー、いや、この子はディーンっつってね。一緒のマンションに住んでるんだ。俺の友だち」

 お袋はぱちぱちとまばたきをすると、ディーンと俺の顔を交互に見つめ、親父と顔を見合わせた。
 
「ヒウェルってばほんと、交友関係が広いのね」
「そらまー、ジャーナリストですから? ……ディーン、紹介するよ。ピーターとウェンディ。俺の、パパとママだ」

 冗談みたいな組み合わせだが、れっきとした本名だ。

「……カメラくれたひと?」
「そうだよ」
「赤い怪獣のついたライターも」
「そうだよ」

 親父はぱちっとウィンクしてディーンにささやいた。

「だけど、あれは怪獣じゃないんだ、グリフォンなんだよ」
「グリフォン!」

 ほんとはドラゴンなんだだけど。訂正するつもりは毛頭ないし、親父もたぶんそのつもりだ。

「ハロー、ディーン」
「ハロー、ヒウェルのパパ。ハロー、ヒウェルのママ」
「それで、今日はお友達を紹介しにきてくれたの?」
「あ、いやその……」

 もじもじしてると、くいくい、とちっちゃな手にズボンをひっぱられた。『前へ、前へ』と。

 まいったな、三歳児に指導されちまったよ!
 よたよたと進みでて、真っ赤なカーネーションをさし出した。

「はい、これ」
「あら。今年はカードだけじゃないのね」
「まあ、なんつーか、たまにはね」
「ありがとう……」

 嬉しそうに両手でカーネーションをうけとり、ウェンディはくすっと笑った。正確にはまあ、なんつーか笑う気配が伝わってきたっつーか……。
 照れくさくて顔が見られなかったんだ。

「あなた、変ったわね?」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 マンションに戻り、ディーンと一緒に五階にあがる。

「ママ、よろこんでくれるかな」
「おいおい、急に弱気になったね」

 ぽふぽふと肩を叩く。
 帰り道のケーブルカーの中で、でっかいカーネーションの花束かかえた人が何人もいたもんだから、ちょっと心細くなってきたらしい。

「自信持てって。俺のママだって喜んでたじゃねーか」
「うん……」

 オーウェン家の呼び鈴を押そうとすると、ディーンはささっと手を後ろに回し、カーネーションを隠してしまった。
 しまった、俺もあれ、やっとくべきだったか。

「ただいまー」

 がちゃっとドアが開いてソフィアが飛び出してきた。

「おかえりなさい、ディーン。ヒウェル、ありがとう」
「いやあ、ありがとうっつーのは、むしろ俺……かな」
「お母さん、喜んでくれた?」
「え、あ、うん」
「そう、よかったわね!」

 どうやら、俺からの電話で何しに行ったか悟ったらしい。そのくせ、自分のことにはてんで気づいてないんだなあ。

「ディーン、何買ってきたの? カプセルトイ? お菓子?」

 ぷるぷるっと首を横に振ると、ディーンは後ろに回していた手をばっと前に突き出した。
 細いピンクと緑のリボンがなびく。

 フラメンコダンサーのスカートさながらに広がる、密度の濃い赤。大輪の赤いカーネーション、1本50セント也。

「これ、プレゼントっ」

 ソフィアは目を丸くして、虹色のセロファンに包まれた赤い花と、同じくらい真っ赤になった息子の顔を交互に見ている。

「えっ、私にっ?」
「うん……」 
「朝、アレックスから薔薇をもらったから……朝ご飯も作ってもらったし……」

 ああ、目に浮かぶようだ。
 だから知ってたんだな、この子は。『花もらうとママよろこぶ』って。

「てっきり母の日のイベントはもう終ったって……」

 ソフィアはひざまずき、震える手でカーネーションを受け取った。顔をくしゃくしゃにして笑ってる。突然の息子の変貌に途方にくれてた分、理由がわかって安心して。
 とんでもなく大きな喜びの波が押し寄せてきたか。

「まさか……こんな」

 ぽとっと涙ひと雫、濃い褐色の瞳を濡らし、こぼれる。

「ママ、ありがとう」
「ディーン。ありがとう」

 ディーンは手をのばしてママを抱きしめ、耳元にささやいた。

「あいしてる、ママ」

 おー、おー、おー、さらっと言ったね、さすが三歳児。
 俺も愛してる、ぐらい言っとくべきだったか?

 ……ま、いっか。
 カードにちゃんと書いといたしな。
 
 今年の分は、とりあえず。
 
 
thanks Mom.
I love you.
 
Hywel
 
 
(ディーンのおかいもの/了)

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