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ローゼンベルク家の食卓

スキップ・ビート

2009/04/20 0:33 短編十海
 
  • 拍手用お礼短編の再録。
  • 2006年11月の出来事。本編中でさりげなく美味しい所を持って行ったマクダネル警部補の日常。
 
 幼児誘拐事件とそれに絡んだ連続爆破事件を無事解決した翌日の朝。
 久しぶりに自宅のベッドでぐっすり眠ったマクダネル警部補は愛妻の腕の中で目覚め、熱いキスを交わした。

 軽くシャワーを浴びて身支度を整え、いつものように愛犬の散歩に出かけようとすると、妻に呼び止められた。

「あなた。スキップの尻尾が……」
「ん、どうした?」

 コンパクトにしてパワフルな真っ黒な長毛の犬。スコティッシュ・テリアのスキップは自分の名前が呼ばれると短い尾っぽをぶんぶんと猛烈なスピードで振って8の字を描いて走り回る。
 確認しようにも早すぎて見えない。

「スキップ。sit!(座れ)」

 命令を聞くなりスキップは後足をたたんできちんと座った。尾っぽの動きがゆっくりになり、異変の正体が見えた。

「はげてるな」
「ええ、はげてるの」
「赤くなってる」
「そうなの。しきりに噛んでるなと思ったら、こんなことに」

 おそらく湿疹だろう。今までも油断すると夏場はよくこんな風に赤くなっていた。
 しかし今は冬だ。何故?

 疑問はすぐに解けた。

 散歩から帰って食事をすませるなり、スキップはさも当然といった顔つきでとことこと歩いて行き……レトリバー犬ライラの寝床にもぞもぞと潜り込んだのである。
 高齢なライラのため、ふかふかのベッドの底面には犬用のヒーターが仕込まれている。本来の持ち主が寛容なのをいいことに、スキップはそこに一日中入り浸っていたのだ。顎をベッドの縁に乗せ、ライラにぴったり体をくっつけて。
 満足げに目まで細めている。

「あったかそうだなあ、スキップ」
「きゅ?」
「先祖が嘆くぞ……」
「きゅうん」

 テリア犬は歯が鋭い。湿疹ができるとかゆがって自分で噛んでかきむしって真っ赤に爛れさせてしまう。こうなるともう、お手上げだ。

「病院に連れて行こう。今日は非番だから、私が行く」
「お願いね。早い方がいいわ」
「ああ」

 幸い、スキップは外出好きだ。キャリーバッグを用意すると自分から飛び込んできた。
 きっと楽しい所に連れて行ってくれると信じているのだろう。
 
 動物病院の駐車場に着いてもまだご機嫌。リードをつけられ、車から降りても散歩と信じてとことこ歩く。小柄な体にありあまる筋力。歩くだけで一足ごとに体をぴょんぴょん弾ませて。

 しかしながらさすがに病院の入り口まで来たところで気づかれた。
 何かおかしい。ツーンとしたにおいがするぞ? あれ、あれ、もしかしてここ、前に来たことがあるかもしれない。
 もしかして、ここはっ!

「あ、こらスキップ、待て!」

 くるっと回れ右してだーっと走り出す。リードが伸びきり、反動でちっぽけな体が宙に浮いた。

「逃がさないぞ」

 マクダネル警部補は多少のことでは動じない。有無を言わさず首筋を押さえて抱えあげ、中に入った。

(うそつき、うそつき、おさんぽだってゆったのにーっ)

 全力でじたばたしても警部補の腕はぴくりともゆるまず、がっちり抱え込んで順番を待つ。

(ああ、ママならこんな時、優しい声でいいこ、いいこって言ってくれるのに。頭なでてくれるのに!)

 だけどスキップはちゃんと理解していた。パパには逆らっても無駄なのだ。この人がだめと言ったら絶対、だめ。
 だからしぶしぶおとなしくする。暴れるだけ体力が無駄になるから。

「マクダネルさん、お入りください」
「はい」

 診察室に入ってきた警部補の姿を見て、サリーは目を丸くした。

「あれ……警部補?」
「おや、あなたは……えーと、確かサリー先生」
「はい」

 カルテを見て、彼が小脇にがっちりかかえこんだ黒いテリアを見る。いつもこの子を連れて来るのはMrs.マクダネル。そしてこの子はスコットランド原産。
 ああ、なるほど、そう言う訳か。

「獣医とはうかがっていたが、まさかあなたがスキップの主治医だったとは」
「いつもは奥さんですからね。それで、今日はどうしました?」
「尻尾に湿疹ができて。自分で噛んで、噛み崩してしまって……」
「どれどれ。よーしよしスキップ、いい子だね」

 診察台に乗せられたスキップはぺたりと伏せてサリー先生の顔を見上げて……猛烈な勢いで尻尾を振った。

「……それじゃ見えないよ。ちょっと触るよ?」

 短い尻尾をひょいと押さえて毛をかきわける。

「ああ、全体に広がっちゃってますね。サンフランシスコは湿気が高いから……」
「しかもこいつ、ライラのベッドに潜り込むことを覚えてしまって」
「………寒がりなんですね」
「ええ」
「長毛種なのに」
「きゅう」

 きまり悪げに耳を伏せて目をそらせている。何を言われてるのか理解しているようだ。

「よし、ちょっとだけ毛を刈りましょう。頭を押さえててくださいね」
「わかりました」

 サリーははさみでちょきちょきと黒い長い毛を刈り取った。短い太い尻尾に一カ所、まあるく赤く皮膚がむき出しになる。
 ちょい、ちょい、と薬を塗って、化膿止めとかゆみ止めの注射をぷつっと打った。

「はい、おしまい。よくがんばったね」
「わう!」

 斑点のできた黒い尻尾がぶんぶんぶんと左右に揺れる。
 
「かゆみ止めと化膿止めのお薬出しておきますね。食事のときに飲ませてください。注射をしたから、今夜の分はいいです」
「はい。ありがとうございました」
「それじゃ、お大事にね、スキップ」

 診察が終わって待合室に戻る。スキップは自分からひょい、と膝に飛び乗り、のびあがって胸に前足をのせ、鼻をくっつけてきた。

「やれやれスキップ、ずいぶんとご機嫌じゃないか」

 テリア犬はちっぽけなくせに馬鹿力だ。どれだけ暴れるかと覚悟していたのに拍子抜けした。以前、男の先生に当たった時はみぞおちに蹴りを食らわせて診察台から逃亡を計ったこともあると言うのに。

「お前、サリー先生がよっぽど好きなんだな?」
「きゅうん!」

 そう言えば普段は気難しい爆弾探知犬デューイも彼の前では大人しいとエリックが言っていた。

「不思議な人だな……」

 家に帰るなり、スキップはだーっと走っていってライラの寝床に潜り込んだ。
 やれやれ、こいつはまったく懲りていないらしい。さて、明日からどうやって薬を飲ませようか……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 翌朝。
 散歩から帰ったスキップを待っていたのは、大好物のヨーグルトのごちそうだった。

(わーいわーい、うれしい、うれしい、うれしい!)

 大喜びで皿に鼻面を突っ込み、黒い顔を白く染めてぺちゃぺちゃと平らげる。
 ぴかぴかになった皿を確認し、警部補は満足げにうなずいた。

「よし、クリア」

 黄色い苦い錠剤は、すり潰されてヨーグルトの中に。
 

(スキップ・ビート/了)

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