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ローゼンベルク家の食卓

サリー先生のわすれもの

2010/09/12 17:13 短編十海
 
  • 拍手お礼用短編の再録。番外編【ex11】ぽち参上!直後の出来事。
  • ランドール社長の愛犬サンダー、正式におひろめです。
 
 ぼくはサンダー。
 意外とタフな子犬だ。
 昔の名前はもう忘れた。荒々しく怒鳴る声や重たくて固い靴、雨あられと降り注ぐ、ささくれた四角い棒切れと一緒に。
 大事なのは今。新しい家と新しいボス、そして新しい群のなかまたち。

 ボスは優しくて、サイコーにいかしてる男さ。最初に会ったときは心底ビビってしっぽ巻いたけど……

(わお、何なの! このど迫力! こんな生き物見たことないよ!)

 ケージの奥で歯を剥いて縮こまっていたら、ボスはかがんで体を低くして。そっと手をさしのべてくれたんだ。
 今ではぞっこん。ぼくらはサイコーのコンビだ。ちゃんと毎日、大好物のトマトを食べさせてくれるしね。皮のパリっとしたフレッシュな奴を。ハッスルしながらトマトをくわえて、皿にもどして、また持ち上げる。

(遊んでるんじゃないぞ。味わってるんだ!)

 そんなぼくを見守りながら、ボスは大きな手のひらで優しく頭をなでてくれる。

「リコピンは老化防止………君にはまだ、あまり関係のない栄養素かな?」
「わふっ?」

 トマト美味い! もーサイコー!
 もっとも、これはサリー先生のおかげだ。

「この子、トマトケチャップが気に入ってるそうです。でもケチャップは刺激が強すぎるから、生のトマトをあげてください」

 サリー先生はすごいよ。ちゃんとぼくの言いたいことを理解してくれるんだ。
 テリー先生もかなりのもんだね。彼は犬って生き物の扱いを知りつくしてる。その分こっちの手の内もばれちゃうんだけど……安心できる。信頼できる。二人とも大好きだ。ボスの次にね!

 今週はとってもうれしいことがあった。サリー先生が泊まりに来たんだ。
 すごく大事なお仕事があるから、邪魔しちゃいけないよって言われたんで、寝床(もちろん、ぼく専用!)に座ってじっと待っていた。待ってるうちに、うとうと眠ってしまった。
 目が覚めたら終っていた。ボスもサリー先生もすごく疲れてるみたいだった。

「この部屋を使ってくれ……中にあるものは自由に……」
「はい……おやすみなさい」

 先生はゲストルームへ。ボスは自分のベッドにばたんきゅう。どうしよう。サリー先生のとこに行っちゃおうかな。
 でも、がまんがまん。ゲストルームには入っちゃいけない事になっている。いつものように、ボスの部屋で寝ることにする。ベッドの下のふかふかの毛布がぼくの場所。でもボスはすぐにぐっすり眠っちゃったから、こっそり布団に潜り込んで一緒に眠った。

(あったかいな。あったかいな。お母さんってこんな感じ?)

 次の日の朝早く、海岸まで散歩に行った。二月の海はすごく寒かったけど、サリー先生といっしょ! ボスといっしょ!
 力いっぱい走り回って、しょっぱい波をばしゃばしゃ飛び越えた。
 先生とさよならして、家に戻ると……。

 あれ、何だろうこれ。

 見たことのないものが落ちてる。形はソーセージに似てる。でもぼくの好みからすればちょっと細過ぎるし、第一固くてちっても美味しそうじゃない。試しにかじってみたけど、やっぱり美味しくない。歯の間からつるっと滑って床に落ちた。
 ヘンテコなソーセージ。食べられないソーセージ。
 だけど、サリー先生のにおいがした。
 これはしまっておこう。
 大事に寝床に持ち帰った。

 土曜日の午後、テリー先生がやってきた。
 ビリーも一緒だ。

(よう、おれのこぶん!)
 
 さあワニを投げろ。ボールを投げろ。次はフリスビーだ。かみかみロープも忘れるな!

「今度はこれ投げろってか? さっき持ってきたやつと違ってるぞおい」

 のどが渇いた、水もってこい。くみたてのやつ、ぬるいのは却下。

「はあはあ言ってるな、そろそろ水やっとくか……え、何で飲まない?」

 おやつ持ってるだろ、においでわかるぞ。とっととよこせ、さあ!
 
「座れ、サンダー、座れ……こら、す、わ、れ、って、うわ、よせやめっ」

 どんっと体当たり、芝生に転がった子分から、あっさりおやつを没収した。
 最初っから素直に渡せばよかったのに。
 得意満面でおやつを食べてたら、テリー先生とボスにしかられた。

 ……ごめんなさい。次は手加減します。
 
 ※ ※ ※ ※
 
「すまなかったね、ビリー。中で洗ってくるといい」
「そーする」

 遠慮なく洗面所で顔と手を洗い、ふかふかのやたらと上等そうなタオルで芝生にまみれた服をぬぐった。
 どーせ洗うのは俺じゃないし。

 庭に戻る途中、居間の犬用ベッドの上で何かがチカっと光った。

「何だ……これ……」

 ボールペンだ。つやつやの茶色で、ちょっぴり歯形がついている。

「あいつ、いたずらしやがって! しょうがねぇなあ」

 即座に回収。上着の胸ポケットに突っ込んだ。
 後で返しておこう。
 
 しかしながらその後のサンダーとの攻防戦は一段と激しさを極め、ビリーは拾ったペンのことはころっと忘れて家に帰ってしまったのだった。
 
 ※ ※ ※ ※
 
 ペン、ペン、つやつやのボールペン。一本で赤と青、黒と三色書ける素敵なペン。
 チョコレートみたいにこっくりした茶色に、オレンジ色で文字が描いてある。「カリフォルニア大学動物病院」って読むんだとテリーお兄ちゃんが教えてくれた。
 文字の横には、かわいい足跡。
 子犬かな。
 子猫かな。

 でもこのボールペン、何でこんなところにあるんだろう。
 テリーお兄ちゃんがいっぱいお土産に持ってきてくれたから、一本迷子になっちゃったのかな?
 ちっちゃな手を伸ばすとミッシィは、ソファの上に転がるチョコレート色のペンを拾い上げた。

「……ケガしてる?」

 ちょっぴりベタベタしてる。ぽつぽつと傷もついている。
 洗ってこよう。
 洗面所で丁寧にペンを洗って、拭いて、大事に大事にポーチにしまった。お口をばってんにした、白いウサギの顔の形をしたポーチに。

 ※ ※ ※ ※
 
「こんちわー、Mr.エドワーズ」
「おや、こんにちは、テリー」
「ハロー」
「やあ、Missミッシィも。お会いできて光栄です」
「にゃっ」

 エドワーズは穏やかな笑みを浮かべて兄と妹を迎え入れた。リズも上品に尾をくねらせ、するり、するりとミッシィの足に身体をすりよせる。

「Hi,リズ」
「みーう」
「本日は何をお探しでしょう?」

 ミッシィはアーモンド型の黒い瞳でじーっとエドワーズを見上げ、はっきりした声で告げた。

「絵本をください」
「かしこまりました。ご予算はいかほどですか?」
「2ドルです」

 うやうやしく、児童書と絵本のコーナーに案内する。

「こちらの棚は、どれも2ドル以下となっております」
「サンクス!」
「よろしければ、こちらの踏み台をお使いください」
「はーい!」

 アーモンド型の目をぱっちり開いて、ミッシィは後ろに手を組み、絵本の棚を調べ始めた。
 その隣では、きちんと床に座ったリズが一緒になって本棚を眺めつつ、ぱったぱったとしっぽを振っていた。

「しっかりしたお嬢さんだ。ちゃんとお金の価値を理解している。お母様から預かってきたのですか?」
「いや、トゥースフェアリーに1ドルもらった」
「なるほど」

 夜、抜けた乳歯を枕の下に入れておくと、トゥースフェアリーがやってきて、1ドルと取り換えてくれる。
 子どもの頃を思いだし、エドワーズはふっと目元を和ませた。

「先月と今月で、2本分、貯金してたんだ。前に来た時、どれでも2ドルっての覚えてたんだな」
「それは……とても、光栄です」

 じっくり考えてから、ミッシィは一冊の本を選んで持ってきた。

「これをください」
「ライオンと魔女、ですね。かしこまりました」

 少し彼女には難しいのではないか? とも思ったが、考えてみれば「竜の子ラッキーと音楽師」が読めるのだ。
 わからない所は、家族に聞いて覚えて行くだろう。
 
「ちょうど2ドルになります」

 ミッシィは、肩からさげたポーチのジッパーを開けて、中から1ドル札を二枚とり出した。

「はい!」
「……はい、確かに」

 きっちりと本を袋にいれて、レシートと一緒に渡そうとすると……
 ミッシィはさらにポシェットの中からペンをとり出し、かちっと芯を出した。

「……おや?」
「あー……その……ほら、荷物が届いた時よくやるだろ、受取書にサインをって」

 ペンを片手にそわそわしている妹を横目で見ながら、テリーは照れ臭そうにくしゃくしゃと頭をかいた。

「最近こいつ、自分の名前書けるようになったばかりなんだ」

 ああ! なるほど、そう言うことか。

「それでは、こちらにサインをお願いします」

 エドワーズはレシートの控えをとり出し、余白に指を走らせた。

「そら、よっと」

 テリーはミッシィを抱き上げ、カウンター前のイスに座らせてやった。
 ミッシィは真剣そのものの表情でペンを動かし、一文字、一文字、名前を書いた。

 M , i , s , s ,y

 書き上がったサインをじっくりと見直して、満足げにうなずく。

「はい!」
「ありがとうございます……おや?」
「おや?」

 エドワーズのライムグリーンの瞳と、テリーのターコイズブルーの瞳が、小さな手の中のペンに吸い寄せられる。
 チョコレートみたいにこっくりした茶色に、もぎたての果実みたいなオレンジ色。見慣れた動物病院のロゴマーク、そして肉球の1ポイント。

「これは……」
「動物病院の……」

 クリスマスの挨拶用に、職員や畜主や出入りの業者、学生に配っている品だ。
 テリーはおもむろに胸ポケットから。エドワーズはレジ横のペン立てから同じペンをとり出した。
 ひと目見るなりミッシィは大喜び。

「おなじ!」
「うん、そうだな」
「おそろいですね」
「エドワーズさんと、おにいちゃんと、おそろい!」

 とん、とリズはカウンターに飛び乗り、ふんふん、とミッシィの手の中のペンのにおいを嗅いだ。

「んにゅぅ」

 子犬と、男の子のにおいのついたペン。ちょっぴり歯形のついたそのペンが、サリー先生の忘れ物だと言うことは……

 リズだけが知っている。

(サリー先生の忘れ物/了)

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