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ローゼンベルク家の食卓

カフェモカ

2011/07/26 1:05 短編十海
 
 日曜日は、少し遅めのランチをゆっくりと食べる。それが、昨今のローゼンベルク家の習わしであった。

 朝、『ぱぱ』と『まま』はゆったりと寝室でくつろぎ、その間にオティアとシエンはさくさくと食事を済ませる。
 余裕たっぷりに起きてきたぱぱとままが、仲むつまじく朝食をとる頃合いには、双子はさっさと自分たちの部屋に引き上げ、各々の時間を過ごしていると言う寸法だ。
 昨年の十月以来、一家にのしかかっていた重苦しい雲はようやく薄れ、鉛色の雨雲のすき間から、ぱりっと鮮やかな青空が広がりつつあった。
 その事は、取りも直さず一家の父親役たるレオンの心の平穏にも繋がっていた。双子が安定すれば必然的に『まま』の心配事も減り、結果としてディフを独り占めできる時間が増えるからだ。

      ※  

 本日のランチは手作りのピザ。
 土曜日の午後、ファーマーズマーケットで仕入れてきた「ピザ・ストーン」を早速試してみたのだった。何のことはない、大きめの雑誌ほどの大きさの、四角いセラミックのプレートなのだが。
 これを敷いて焼くと、「普通のオーブンでも石釜で焼いたみたいに」パリっと仕上がると言う。同じマンションの5Fに住むオーウェン家のママにしてパン屋の看板娘、ソフィアから教わって以来、シエンとディフはこのシンプルな調理器具いたく興味をそそられていた。
 しかしながら「わざわざピザ焼くのに専用の機器を買うこともないだろう」と、実際に買うまでには至らずにいたのだが。
 ファーマーズマーケットには、ガレージショップやフリーマーケットがそのまま出張して来たような、個人の出店が多々ある。そんな出店のテーブルの上で、ティーポットとフェイスタオルの間にでんっと鎮座していたのだ。ほとんど使った痕跡のないピザストーンが、半額で。
 ディフがたくましい両腕で豪快にこねあげ、丁寧に伸ばしたピザ生地に双子が具材を載せて行く。同じく昨日、市場で仕入れてきた新鮮なトマトにバジル、チーズ、そして昨夜使った残りの冷凍のエビ。
 きゅっと丸まった白い小エビを、ぱらぱらとピザに載せていると……

「みゃーっ」

 一足飛びに飛んできた、しなやかな白い稲妻。
 青い瞳をらんらんと輝かせてオーレ参上。飼い主が素早くキャッチして肩にまきつける。襟巻きみたいにくるりっと。

「後でな」
「ふみゃぁ、ぐるるるにゃあう」
「お前の分はちゃんとあるから」
「にゅぅるるる」

『おうじさま』に言われちゃしかたない。
 オーレはぶつぶつ不平をもらしつつも、おとなしく爪を収めた。くるりとオティアの首に尻尾を巻き付け、じっと待機の構えに入る。
 そのまま黙々とバジルをちぎるオティアの姿は、台所ではかなり異彩を放っているのだが……もはや慣れっこ、誰も気にしない。少なくともこの家では。

 ピザストーンの効果は抜群。その日のピザは見事にぱりっと焼き上がった。オーレも小エビの切り身と、スープに浸したキャットフードをもらってご満悦。
 ある物を使って、手早く作ったちょっぴりジャンクな「お休みの日」の昼食。きれいさっぱり食べ終えて、さてそろそろ食後のコーヒーの準備をしようかと、レオンは腰を上げた。すると……。

「レオン、頼みがある」

 ディフがそ、と手首に触れてきた。

「何だい?」
「コーヒー、今日は濃いめに入れてくれないか? 俺の分だけじゃなくて、全員」
「かまわないよ。珍しいね?」
「うん、カフェモカにしようと思うんだ」

 カフェモカ。単純にモカの豆を使うと言う意味ではなさそうだ。この場合はおそらくコーヒーのバリエーションの一種だろう。
(珍しいこともあるものだ)
 身近にどっぷり首までカフェインに浸った中毒者がいるせいか、ディフは子どもたちに飲ませるコーヒーの濃度に関しては、殊更に気を配っていた。適度な濃さで、決して濃くなりすぎず。アレンジしてもカフェオレか、カフェラテにするぐらいだったのに。
 怪訝に思いながら、いつもより多めの豆を挽く。手回しのミルで、こりこりとリズミカルに。
 その間に、ディフと双子は冷蔵庫を開けて何やら取り出している。
 パック入りの牛乳(これはいつもの通り)、生クリームにココア、正体のわからない瓶に、小鍋まで準備している。
 おやおや、一体何が始まるのだろう? せいぜい、コーヒーに小さじに一杯か2杯、ぱらっとココアを混ぜる程度のものだと思っていたのに。

「ずいぶん材料が多いね」
「アレックスに教わったんだ。おやつの時間に作ってくれたのを飲んで、オティアが気に入った」
「なるほど、ね……」
「コーヒーだけ飲むより、体によさそうだろ?」

 確かに、胃壁が溶けそうなブラックコーヒーを流し込むのに比べれば、ずっと健康的だ。
 さすがはアレックス、有能だ。よく考えている。
 だが。

(そうか、またあの子たちのため、なのか)

 ディフが望むのなら、どんなリクエストにだって答えよう。だが、自分に向けられるべき心が双子に向けられ、その結果と言うのは正直、あまり面白くない。
 もっとも、これはレオンにしてみれば『ちょっと拗ねている』程度のものだった。以前陥った深刻な飢餓状態に比べれば、ずっと軽いし、根も浅い。
『拗ね』の『す』の字も見せず、レオンは淡々とコーヒー豆を挽き続ける。
 その間にシエンはミルクを温めて、ディフはハンドミキサーで生クリームを泡立てる。オティアは金色の缶からココアをマグに入れ、お湯を少しだけ注いでスプーンで練り始めた。

「うみゃうっ」

 ホイップクリームを見上げて、オーレは舌なめずり。しっぽをつぴーんと立てる。
 背中を丸めてジャンプしようと身構えるが、直前でひょい、とオティアに後ろから抱きかかえられた。

「こら」
「にゅー……」
「腹壊すぞ」

 人数分のマグカップに、お湯で練ったココアを入れて。上から濃いめのコーヒーを注ぐ。さらに温めたミルクとホイップクリームを加えて、仕上げにとろりとシロップを。ただし、オティアの分は無しで。

「このにおいは……ナッツかな?」
「ああ。ヘーゼルナッツのシロップだ」

 にこにこしながらレオンは手を伸ばし、シロップが満たされたガラス瓶をつるりと撫でた。
 シロップの色は、透き通った柔らかなミルクティの色……ヘーゼルブラウン。

「君の瞳の色だね」
「そうかな」
「そうだよ」

 念入りに入れたコーヒーの味は、クリームに負けないくらいにしっかりと苦く、濃厚で。
 ココアの香りと相まって、飲み物とデザートを一緒にとったような満足感がある。

「うん、悪くないね」

 うなずくレオンは至って上機嫌だった。さきほどの些細な不満は、きれいさっぱり晴れていた。

「チョコレートシロップを使うレシピもあったんだが、それだと甘すぎるからな」
「なるほどね」

 それでは『オティアが気に入る』可能性は、まずない。
 食卓に、濃密なコーヒーとチョコレートの香りが漂う。甘さと切り離されてしまえば、その香りは決して不快なものではなく。むしろ、コーヒーとは別の意味で意識をはっきりさせてくれるのだ、とオティアは学んだ。
 それにしても。

「濃いコーヒーと、チョコレート……か」
 何だか誰かを連想せずにいられない組み合わせだった。
「ヒウェルはチョコレート派かな」
「いや、それはないだろう。『コーヒーに混ぜ物? ないね。あり得ないね。邪道だ』とか言うぞ、絶対。いや……」

 ディフは軽く拳をにぎって口元にあてた。

「『ブラック飲みながら、板チョコかじった方がマシだ!』かも、な」

 レオンは改めて手元のマグをのぞき込んだ。
 ミルクにココアにホイップクリーム、仕上げのヘーゼルナッツのシロップは香りづけ程度にほんの少しだけ。

「確かにブラックコーヒーにはほど遠いね」

 きっと、力いっぱい嫌がるだろう。目に浮かぶようだ。
 目元が緩み、形のよい唇の両端がきゅうっと持ち上がる。自然と笑みが浮かんでいた。営業用のスマイルとはまるで違った、心底楽しげな……そして、どこか小悪魔めいたほほ笑みが。

「いいね、気に入った」
 
    ※

 その日の夕食。食後に出てきたコーヒーをひと目見るなり、ヒウェルは絶句した。
 マグカップの中をのぞき込み、においを嗅ぎ、しみじみと観察したところで、ようやく、声が出るようになった。

「何じゃ、こりゃあ!」
「何って、カフェモカだ」
「いや、そりゃわかるって。俺がいくらスタバにつぎ込んでると思うんだ」
 
 ヒウェルは眼鏡を外し、親指と人さし指で眉間をぐっとつまんだ。ぐりぐりと力を入れてもみほぐして後、再び眼鏡をかけ直して一言。 

「何故、それが今、ここにあるのか問いたい」
「レオンが気に入ってるんだ」
「あーそうですか、はい、そうですか」
「たまには気分を変えるのもいいだろ?」

 当然のごとくヒウェルの分もカフェモカなのだった。しかも明らかにホイップクリーム大盛り。

(いやがらせか! いやがらせだな!)

 実際のところ、少しでも胃壁にバリアーを張って、過度のカフェインの摂取を押さえようとする、双子の心遣いに他ならないのだが。

「いやならデカフェのもあるぞ。インスタントのやつが」
「いや、いや、いただきます、いただきますとも!」

 引きつり笑顔でヒウェルはマグを掲げ、満たされたふわふわのクリームをすすった。

「……あ?」
「どうした」
「いや、何でもない」

 好きなものと好きなもの組み合わせ、しかもココアもシロップも良質のものを選んでいる。不味い訳がない。しかしながら、ここで素直に美味いと言うのも何やら『負けた』気がしてむっつりとしかめっ面ですする。
 そんなヒウェルを見ながら、オティアも、シエンも、レオンもディフも、一様に思っていた。
 ああ、美味いんだな、と。
 
 110729_0014~01.JPG
 illustrated by Kasuri
 
 とっくに底が割れてることなど露知らず。ヒウェルはなおも眉間に皴を寄せたまま、口の周りについた白い泡を、ぺろりとなめるのだった。

(カフェモカ/了)

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