ローゼンベルク家の食卓

【ex15-2】ラーメン屋で再会

2013/10/15 2:42 番外十海
 
「ここだよ、ここ! 鳳凰軒っての」

 記憶をたどってやって来たラーメン屋は、あの頃とちっとも変わっていなかった。
 煮しめたようなのれんも、赤を基調にした店の外観も。ただ幾分、雨風や日光にさらされてくすんでいた。無理もない、あれから6年近い月日が流れたのだ。

「こんにちわー」
「へい、らっしゃい! 何名様ですかっ」
「三人。テーブルでお願いね」
「どうぞ、開いてるとこへ!」

 入り口のガラス戸を開けると、もわっと濃厚な油とスープのにおいが押し寄せてきた。
 昼食のラッシュ時を少し回っていたおかげだろうか。さほど広くない店だが、食べ終った家族連れが立った所に入れ替わりに席に着く。

「少々お待ちくださいねー」

 手早く丼が片づけられ、テーブルが拭かれる。すかさずロゴ入りのガラスコップにつがれた水がとんとんとんっと三つ出てきた。

「ご注文お決まりですか?」
「醤油ラーメン一つ」
「あ、ボクも」
「豚骨ラーメン一つ、大盛りで!」

 白いタオル地のおしぼりで手をふきつつ、風見光一は「んっ」と首をかしげた。
 店の中は熱気と蒸気がこもっていて暑かった。外よりも、学校よりも。汁が跳ねるのを防ぐためでもあったのだろう。羊子先生が上に羽織っていたアイボリーの上着を脱ぎ、下に着ていたネイビーブルーのブラウス一枚になった。
 濃い色の布地に覆われて、いつもにも増してすとーんと滑らかに見える胸元に、三日月一つ。
 いつも勾玉と鈴のあるべき位置にふらりと揺れている。蜂蜜を溶かした紅茶のような優しく煙るオレンジ色……何かの宝石だろうか。一緒に銀色の星のモチーフが二つ揺れていた。

「先生、それ……」

 思わず指さしていた。

「ん、ああ、これか?」

 先生はそ、と人さし指と親指で三日月のペンダントヘッドをつまんだ。

「お守りだ。今日は特別な日だから」
「そっか」

 見慣れぬ六芒星と五芒星、月と星のペンダント。どことなく西洋魔術の香りがする。きっと、藤野先生からもらったものなんだ。そうに違いない。

「ごちそうさま」
「ありがとうございましたー」

 また一組食事を終え、カウンターに座っていたお客がまとめて席を立った。店の中の人口密度がごっそりと減って、奥の席まで視線が通る。

 と。

「ん……あれ、メリィ?」
「え?」

 小柄な男が座っていた。年上だとは分かるが具体的な年齢が判然とせぬ風体で、長めの茶髪を首のすぐ後ろで束ね、無精ヒゲがうっすら顎を覆っている。
身に付けているのは着崩したワイシャツにスラックス、そして視線の位置が……低い。身長が羊子とほとんど差がない。床に立った状態でもせいぜい5cmあるかないかだ。目尻が下がったたれ気味の目のせいか顔立ちも柔和で、そこはかとなく幼さを感じさせる。

 茶髪の童顔男は赤いドンブリを前にチャーシューをかじる手を、いや口をとめてこっちに歩いてきて、羊子先生をまじまじとのぞきこみ、うなずいた。

「……うわ、やっぱメリィか、変わってねぇなぁ」

(うわあ!)
(言ったぁ!)

 途端に風見とロイは蒼ざめ、身構えた。

(その名前で呼ぶってことはハンターだろうけど!)
(いきなりそれはーっ)

 炸裂するのは回し蹴りか。パンチか? 場合によっては体を張って止める覚悟で次の動きを見守る。しかし意外にも羊子はきちっと背を伸ばし、手をそろえて一礼した。

「お久しぶりです、神楽さん」
「え」
「ええ?」

 こんなことってあるんだろうか? 殴らないし、怒らないし、怒鳴らない。頭突きも回し蹴りもグーパンチも無し。

「ん、久しぶり」
「それと……できればその名前で呼ばないでいただけます?」

 強いて言うならほんの少し、口の端がひきつってる。

「って、この名前気に入ってなかったっけか?」
「気に入ってるとか気に入ってないとかそうじゃなくってですね……」

 ロイと風見はかぱっと口を開けたまま、一時停止の状態に陥っていた。信じられない。こんなことって、あるんだろうか?
 メリィと呼ばれて、よーこ先生が大人しくしてるなんて。

「……まあ、良いや。元気そうで何よりさね。なんか、後ろで若干2人ほどわたわたしてるが」
「あ、これ私の高校の教え子で、風見光一とロイ・アーバンシュタイン」

 くるっと振り向いて、見上げてきた。

「ロイ、風見、こちらは神楽裕二さん。藤野先生のお孫さんで、私の兄弟子にあたる人だ」

 やはりハンター仲間だった。しかも、ついさっき自分たちがお参りしてきた人のお孫さん。
 それなら、この反応もうなずける。

「風見光一です」
「ロイ・アーバンシュタインと申しマス」

 二人はそろってきちっと背筋を伸ばして一礼した。

「その教え方するってことは、この子らも……ってことか」
「はい」
「神楽 裕二だ、まあ孫っつっても血は繋がってねぇけどな。ちょい、手ぇ出しな?」
「はい?」

 素直に手を出すと、神楽裕二と名乗った人はころん、ころん、と丸いものを手のひらに置いてくれた。

「よろしくな」
「あ……キャンディ?」

 その時、風見光一は気付いてしまったのだ。神楽の手首に巻かれたブレスレットに、三日月と銀色の星が二つ揺れているのを。
 三日月の材質は白く霞むムーンストーン。石の種類こそ異なってはいたが、羊子のペンダントと似ている……いや、おそろいと言ってもいい。

(同じだ……先生のと、同じ)

「ありがとうございます」

 半ば上の空でお礼を言う。

 いつも身につけていた勾玉のペンダントの代わりに今、羊子の胸元に揺れているのと、同じ。兄弟子だから。同じ人に師事していたのだから当然なのだ。増して今日はその藤野先生の命日なのだから。
 判っていても、胸の奥がざわつく。

「ん〜、この日にこの辺に居るってことは……祖母さんの墓参りに来てくれたのか、サンキューな」
「はい」
「掃除とかは俺がやっちまったけど」
「やっぱりな。あの一輪だけのラベンダー……兄ぃだったんだ」
「あぁ」

 そう言って神楽は手をのばし、わしゃわしゃと撫でた。先生の頭を。つやつやした黒髪を無造作に。おそろいのチャームの下がったブレスレットをつけた手で。

(……あ)

 薄いガラス片を積み重ねて、ざらっとなであげたような感覚を指先に覚える。
 何だろう、この感じ。

(よーこ先生、何だって大人しく撫でられてるんだ? いつもなら『子ども扱いするな!』ぐらい言う。絶対、言う!)

 そうこうする間に神楽はにんまり笑ってとんでもない事を口にした。

「あ、そういや三上から聞いたぞ。彼氏出来たんだって?」
「レン……あんにゃろ……」

 拳を握り、ふるふると震えている。これは、やばい。嵐の予感がする。果たして、次の瞬間。

「彼氏じゃなーいっ!」

 とっさに背後からしがみつき、準備体勢に入っていた回し蹴りを、間一髪で阻止。

「先生っ、蹴りはまずいです、蹴りはっ」
「お店の中デス! ラーメンにほこりが入りマスっ!」

 丁度その時、店員さんができあがったラーメンをどんっとテーブルに置いた。この程度では動じないらしい。

「はいお待たせ、豚骨ラーメン大盛り一つと醤油ラーメン二つね」
「ほら先生、ラーメンが伸びますよ?」

 効果はてきめんだった。ささっとテーブルに戻ると羊子はきちっと手を合わせて一礼。

「いただきます」

 ぱっきんっと慣れた手つきで割りばしを割り、ずぞぞぞーっとすすり始めた。

「おーおー、相変わらずいい食べっぷりだね。そら、今のうちにお前らも食っとけ」
「……はい」
「ではお言葉に甘えテ」

 ロイと風見も慌ただしくラーメンをすすった。

(食べてる間にクールダウンしてくれればいいんだけど……)

「美味いか?」
「はい、美味しいです」
「そーかそーか」

 爆弾発言を打ち上げた当人は余裕でチャーシューの残りをかじってる。好物は最後にとっておく主義らしい。
 
「……ぷは、ごちそうさまでした……」

 かちゃ、と丼が置かれる。中味はからっぽ、汁も残さず完食していた。
 ハンカチで口元をぬぐうと、羊子先生はとことこと神楽の元に歩み寄り、きっぱりと言い切った。

「彼氏じゃない………私の片思いだ」
「……へぇ、お前さんにしちゃ珍しく消極的……ってわけでもねぇな。肝心な所で引け腰になるなぁ、メリィは」

 上から目線、かつメリィ呼ばわり。しかもよりによってランドールさんの事を話題にしてる。普段の羊子先生なら、とっくに回し蹴りの一つや二つ、三つ四つは炸裂してる。
 でなきゃ、暴れ羊と化して頭から突っ込むか、だ。

「……ま、恋愛経験なんて欠片もねぇ兄弟子でよけりゃ、相談に乗ってやるさね。」

 始めて手が出た。
 羊子先生はぐい、とばかりに神楽の胸ぐらをひっつかみ、じーっとにらみ付けた。
 大人同士がやっていると思うと物騒な仕草だが、いかんせんそろって小柄な体格と幼い顔立ち。にらみ合ってるとどこか子ども同士のケンカのように見えてしまう。
 今ひとつ深刻さに欠けるせいか。あるいは単にじゃれてるように見えるのか、誰も止めに入らない。だが内心、風見とロイは気が気ではなかった。
 少なくとも片方の『子ども』の中に潜む激しさ、鋭さを知っているから尚更に。

(いざとなったら……)
(力使ってでも止めるか)

 しばらくしてから、羊子先生は手を離し、ぽんぽん、と神楽の胸元を叩いて皴くちゃになった服を整えた。

「……考えとく」
「……おう」

(あ)
(あ)

 また、わしゃわしゃ頭を撫でている。それだけではない。
 その瞬間、風見光一は見た。
 頭をなでられている羊子から、もう一人が伸び上がって神楽の頬に手を当てて引き寄せ、きゅっと抱きしめるのを。
 彼の顔を胸元に包み込むようにして……
 穏やかな目をしていた。心細い時、うつむいた時、自分も何度もあんな風に抱きしめてもらった。
 だからこそ、余計に落ち着かなくなる。先生と自分たちの間にいきなり、割り込まれたような気がして。

「どうした少年、何か不機嫌だぁねぇ」

 はっと気付くと手が伸びてきて、わしゃわしゃと頭をなで回されていた。男の人の手ではあったけれど、角度や高さが羊子先生と同じだったものだから、つい素直に受け入れてしまう。

「いえ……なんでも……ありません」
「そうか? 初めて会った親戚の叔父さんにお姉ちゃん取られて何か悔しい弟……みてぇな顔してたぜ?」
「なっ!」

 ものの見事に言い当てられてうろたえる。そうだ、確かに自分の中に湧いているもやっとした気持ちはそんな感じだ。

「心配しなくてもとりゃあしねぇよ………な?」

 咽の奥で笑うと、神楽裕二は風見とロイ……何故か「2人」に向けてこう言ったのだった。
 
(…………デキル)

 ロイの背にじわっと冷汗がにじむ。そう、神楽が風見の頭をなで回した瞬間、彼は前髪のすき間からぎりっと睨んでいたのだ。
 ばっちり気付かれていたらしい。

(さすが、よーこ先生の兄弟子、タダモノではない!)
(コウイチを守らないと!)

 この瞬間、金髪忍者の魂に秘かに火がついた。しかし当の風見光一はその理由を露ほども知らず、着けた本人は気付いているのかいないのか。ひとしきり黒髪と金髪頭を交互になで回してから、改めて羊子に向き直る。
 先生はひと足早く離脱して、ツゲの櫛で乱れた髪を整えていた。

「結構先生出来てるじゃねぇか、慕われてんねぇ」
「ふ、ふふん、どーだ恐れ入ったか」

 得意げに羊子が胸を張る。

「……でも、三上から聞いてちょっと言っておきたいことあるから、とりあえず店来い」
「了解」

 顏は笑ってはいるが、目が笑っていない。羊子先生はと言うと何やら察したのか神妙にうなずき返している。

「店?」
「喫茶店やってるんだ、この人。オーサーも兼ねてる」

 その一言で、どんな種類の店なのかおおよその察しがついた。ただの喫茶店ではない、ハンターの拠点としても機能し得る場所なのだ。

「あ、俺はオーサーじゃねぇぞ? 祖母ちゃんがオーサーだったから、ちゃんとフェローズ決まるまでは俺が代理してるだけで……な」
「失礼、オーサー代理。でも、もう5年ばかりそう言い続けてるよーな気がするんだけどなー」
「しゃあねぇだろ、中々後引き次いでくれる人みつからねぇんだから」

 申し合わせたように二人は同時にそれぞれ、ラーメンの伝票の留められたクリップボードをがしっと掴んだ。

「行くか」
「はい」

 めいめい会計をすませて店を出る。

「ありがとうございましたー」

 外に出てからレシートを見て、羊子はきゅうっと眉を寄せ、口をすぼめた。

「どうしたんですか、先生」
「三人とも学生料金になってる……普通、制服着てなければ学生証見せてくださいって言われるはずなのにーっ」

 ぷっと神楽が盛大に噴き出した。

「……6年前にも来てたのになぁ」

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