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ローゼンベルク家の食卓

【ex14-5】恥じらいメモリアル

2013/10/15 2:28 番外十海
 
「ここに来る前に藤野サンの墓前にも花を捧げて来たよ」
「さんきゅ、月命日、ちゃんと覚えててくれたんだな」
「当然じゃないか」

 ランドールの結城神社への宿泊プランをさっさと取りまとめた二人は、何事もなかったかのように故人に思いをはせている。元々、ウィル・アーバンシュタインはそのためにここに立寄ったのだ。こうなるのは当然の成り行きではあった。

「この店に来たのも何年ぶりだろう……懐かしいね」
 青い瞳で店内をぐるりと見渡すと、ウィルは左胸に己の手を載せて目を伏せる。
「こうしていると、今にも藤野サンが奥から出てきそうに思えてならないよ。黒い猫と、烏を連れて……」
 いつになくしんみりした口調の祖父の手をロイが握る。ヨーコもまた、カウンター奥の扉に視線を送る。どこか遠くを見ているような。あるいは夢見るような眼差しで。
 かつて在った人の面影を呼び出すには、あの日々はあまりに遠い。なまじ過去を見通す事を知っているだけに、届かぬ指先が寂しい。
 何とはなしに湿っぽくなった空気に、のんびりしたユージの声がするりと入り込む。
「何だったらばーちゃんの写真見てくかい、ウィル?」
「おお、ぜひに」
「ちょうど、こいつらに見せようとしてたとこだったからよ」
 こいつら、と言うのは言うまでもなく高校生二人の事である。亡き師との思い出に浸っていたからか、あるいは予期せぬランドールとの再会と、よりにも寄って彼が今晩、実家に泊まると決まった事実に動揺していたからか。その時、不覚にもヨーコは兄弟子の行動の行き着く先を読む事ができなかった。
「あ?」
 我に返った時は、既にユージがカウンターの下からアルバムを持ち出してテーブルの上に広げていた。
「あわ、あわ、あわわ……」
 見ちゃ駄目と、突っ伏して視界を遮るには既にタイミングが遅すぎる。この場で上に乗って許されるのは猫ぐらいだろうが、あいにくとヨーコは猫ではない。
「おお、ありがとう、ユージ。ああ、懐かしいなあ」
 それ以前に、口元をほころばせ、目を細め、(目尻に寄った細かな皴が魅力的すぎる!)しみじみと喜びを表しつつアルバムに見入るニンジャマスターの視界を遮るなんて、そんな非礼かつ非道なマネができようか。いや、できるはずがない!
 ウィルは一枚の写真に手を差し伸べ、愛おしげに撫でた。
「これが藤野サンだよ」
 ランドールとロイ、そして風見光一が彼の手元をのぞきこむのはきわめて自然な成り行きであった。
 そこには、ティーポットを手に、にごりのない銀髪を結い上げて穏やかな笑みを浮かべる老婦人の姿が写っている。
「優しそうな方ですね」
「うむ。優しくて強い人だよ、ロイ」
「ユージさんは写ってませんね」
「そりゃそうだ。この写真を撮ったのは俺だからな」
「あれ?」
 風見光一の素っ頓狂な声に、ヨーコはびくうっとすくみ上がった。
「この男の子はもしかして……サクヤさん?」
 藤野の隣に、眼鏡をかけた小柄な人物が写っている。骨格は華奢でボディラインはつるりとして平坦。身に着けているのは白い襟つきのシャツに黒いベスト、細身のズボン、腰に巻き付けるカフェスタイルのエプロンに蝶ネクタイと言ったギャルソンもしくはウェイターの制服。
「いや、それは」
 ユージより早くランドールが答える。
「ヨーコだね?」
「よくお分かりで」
「ひと目でわかるよ」
 この瞬間、ヨーコは不覚にも(本日二度目の不覚だ)時めいてしまった。男としての彼の観察力と、時折妙に冴える直感を思えば有り得ない事ではない。だがそれでも、嬉しかったのだ。ランドールが瞬時に自分と見分けてくれた事が。
「しかし、何故ギャルソンの格好を?」
「うん、さっきも言ったように当時ヨーコは俺のばーちゃんに師事して魔女術を学んでたんだ」
「併せて店の仕事も手伝っていたのか」
「Yes! 師匠の店を手伝うのは弟子の勤めだからな。で、当時のメリィちゃんはとにっかく余裕がなくてクソ真面目で」
「メリィちゃん言うな!」
「へいへい」
 くわっと牙を剥く暴れ羊をユージは片手で制止、開いた口へとキャンディを放り込む。不意を突かれてヨーコはとっさに口を閉じ、もごもごとキャンディをしゃぶる。
「喫茶店で働くんだから、形っから入るっつって最初は、まあこんな格好をしてたんだ」
 ひょいとユージが掌を返して別の写真を指し示す。そこには盆に乗せた水を運ぶヨーコの姿があった。
 身に着けた制服は基本的な構造はギャルソンの制服と同じ。だが下がエプロンを兼ねたスカートになっていた。丈は長めで、まるでパラソルのようにふんわりと裾が広がっている。
「ウェイトレスだね」
「そう、ウェイトレス」
「立ち姿が妙に心もとないように見えるのだが……」
「うん、正にそこなんだよ」
 ユージはくっくっと咽を鳴らして笑った。
「スカートの丈が長いからってんで、無理してハイヒール履いてんだな、これが」
 がきょっと硬い物を砕く音がした。
「兄ぃ!」
 続く言葉を予期して、あめ玉を噛みつぶしたヨーコが反撃ののろしを上げる。だが一歩遅かった。
「ところが、慣れない靴のせいでバランスがとれなくって、店のど真ん中ですっ転んでよ?」
 さっとランドールの顔が青ざめる。
「何と言うことだ。怪我はなかったのか?」
「いんや。幸い、とっさに受け身とったんで怪我はなかった。んでも転んだ拍子にスカートがめくれあがって……」
(まさか)
 ランドールの脳裏に、昨年のクリスマスの情景が浮かぶ。ベッドの上で飛び跳ねるヨーコを止めようとして自分は、よりにもよって……。
「パンツ丸出しになった」
「!?※@*¥%$#&…………!!」
(ああっ!)
 文句と反論と弁解をまとめて唇が読めないような速さでペラペラとまくし立てる彼女の言葉は、既に日本語として聞き取りきれないような速さだった。
 多量かつ超高速の文句をユージはしれっと聞き流し、ウィル・アーバンシュタインは慈愛に満ちたほほ笑みで見守っていた。そしてロイと光一はと言えば聞き流す事も見守る事もできず、ただ頬を赤らめ、そわそわと視線をそらすしか無かったのだった。
 もはや件のウェイトレス姿のヨーコの写真も直視できないらしい。
「……」
「……」
 ちらっ、と何かを伺うように自分を見てくる教え子二人に、羊子はたまらず声をあげた。
「こっち見るなばかぁっ」
「まあ、あれだな。ご開帳されたぱんつが可愛いキャラ物のだったから、皆大爆笑だったさね。ほほ笑ましいっつーか、あったかく見守ってるって言うか?」
「ちっ、ちがうっ、キャラ物じゃなくてっ! 鹿! 子鹿だから!『おやディ○ニーかい』とか兄ぃゆってたけどふつーの鹿だから、あれ!」
 慌てふためいているせいか、自分で盛大に自爆して墓穴を掘っているのに気付かないらしい。そんな妹弟子の慌てっぷりに、ユージはまたクツクツと喉を鳴らして笑う。
 そしてゆるりと、自爆の被害を受けた若者二人を指差した。
「普通の鹿なのは良いけどよぉ……男子連中の顔、真っ赤になってるぞ」
 そこには、顔を真っ赤にして肩身が狭そうに縮こまっているロイと光一、そして何故か片手で目元を押さえるランドールの姿があった。
「……………………………」
「…………………」
「…………」

(カルのH! HENTAI!)
(HENTAI? 私が、HENTAI……)
 あれは事故だったと、言い訳の効く状況ではなかった。いかに子供の姿だったとは言え、自分がヨーコのお尻に顔をつっぷした事実は変わらない。
「あらまぁ」
 ユージがランドールの頭の少し上を見て、何やら日本語で呟いた。意味はわからない。だが自分が今何を思い出し、そして考えているのか見透かされたような気がして、ランドールは酷くばつの悪い思いがこみ上げて来るのを感じた。
「いやいや、仲がいいことで」
「っ!」
 やっぱりばれてるのかっ?
 ああ、穴があったら入りたい。
 ぐるぐると渦巻き混乱する記憶の潮流に翻弄されつつ、ランドールの中の一部は奇妙なくらい冷静に分析していた。
 やっぱり鹿なのか。彼女のランジェリーはいつも鹿なのだな、と。
 一方でヨーコはいたたまれず、がばっと頭を下げた。
「…………ごめん」

 事態が一応の収拾に向い始めた頃合いを見計らってニンジャマスターが口を挟む。
「なるほど、それでギャルソンの制服を着たのだね」
「そそ。次の日からはギャルソンで。そうしたら客の警官に『男子中学生』と間違われて補導されかけてよ」
 少年二人は何も言えなかった。写真を見た瞬間、サクヤと間違えてしまっただけに。
「……結局、ばあちゃんがこいつ用に新しく制服作ったんだよ」
 指し示す写真には、長からず重からず。華奢な体格に合わせた優しげなAラインの生成りのワンピースと、青と白のギンガムチェックのエプロンを身に着けたヨーコの姿があった。
「無論、靴はぺったんこでな」
「兄ぃ!」
 ふたたび牙を剥いて詰め寄ろうとするヨーコの動きが途中で止まった。ランドールの漏らしたたった一つの呟きで。
「……似合ってる」
 ぱちぱちとまばたきして見上げてくるヨーコに気付かず、ランドールはほほ笑んだ。
 サファイアのように深い青の瞳を細め、過ぎし日の写真に向かって。
「エプロンとワンピースの配色を逆に持ってきた所が、実にユニークだね」
 気配を感じたのか目線を転じ、今のヨーコに笑みかける。
「似合ってるよ、ヨーコ」
「サ……thanks」
 もぞもぞとくすぐったそうに身じろぎをしながら、頬を染めてヨーコは感謝の言葉を口にする。
 その隣で風見光一ははたと何かを思い出し、手を叩いた。
「だから文化祭で喫茶店やったとき、ハイヒールやだって言ってたんだ」
「ギャルソンも断固拒否だったんデスネ」
「い、今はハイヒールで走れるから! ジャンプも余裕!」
 それは関係あるのか? と男性陣の脳裏を過ぎるものがあったが、さしもの兄弟子も多少の良心はあるのか、これ以上えぐることはしなかった。
 だが、予想外の方向から追い討ちが来た。
「今はこーゆーのも着ますよ」
「あ、風見、ちょっとストップっ」
 光一が携帯の画面に出したのは、昨年の文化祭の際に羊子がしたアリスのコスプレの写真であった。
 何も恥じる所は無いといわんばかりにどーんっと差し出す姿はいっそ清清しい。
「ぷっ……」
 ユージはひと目見るなり吹き出し、続いて咽をそらせて爆笑。
「っはは! 良く似合ってるじゃねぇか! うん!」
「やあ、これはアリスだね」
 その隣でニンジャマスターもさながら孫娘を見守るおじいちゃんのような温かいまなざしで見守っている。
「こんなのもアリマス」
「ああっ、そ、それはっ」
 続けてロイが風見に習って出したのは、ピンクのボンネットにワンピース、羊飼いの杖を持った姿。
「やあ、これは、『ちっちゃな羊飼いボー・ピープ』じゃないか」
 この瞬間、ランドールは閃いた。閃いてしまった。
 昨年、この写真がメールで送られて来た時はさほど深い意味を考える事はなかった。『ちっちゃな羊飼いボー・ピープ』はアメリカでも定番の仮装のモチーフだったからだ。しかしヨーコ=羊の子、と言うつながりを知った今は別の意味合いが見えて来る。
「……羊だから?」
「……イチオウ羊はボクでしたヨ?」
「俺が牧羊犬でした」
 教え子二人はさらりと話題をそらせる。
(イエスって言ったらヨーコ先生が!)
 横目に見た彼等の先生は、既に拳を握ってプルプルと震えている……。これ以上刺激したら爆発するに違いない。
 賢明な二人は、そっと言葉の地雷原を渡りきったのだった。
 そんな彼等を見て、裕二は楽しげに緩い笑みをへらりと浮かべる。どこか安心したような笑みだった。
 
     ※

「それじゃ、ご馳走さまでした」

 窓の外の日はすっかり西に傾き、濃いオレンジ色の夕焼けが空を染めている。占い喫茶「エンブレイス」の昼の営業時間がそろそろ終わりつつあった。

「カル、帰りにロイとコウイチも乗せてもらっていいかな?」
「はい、もちろんです」
「助かるよ。戸有市のコウイチの家まで頼む。そこから先、結城神社までは……」
 意味あり気な目配せを受けて、ヨーコも後を続けるしかなかった。
「私がナビするわ。自分の家だし」
「ありがとう、ヨーコ!」
「ではロイ、それにコウイチも車に乗りなさい」
「ハイ」
「はい!」
 ごく自然に車のキーを持つランドールも店の外へと向かう。後に続こうとするヨーコの袖を、くいとユージが引っ張った。
「ちょいと待て、メリィちゃん」
「何?」
 じと目で振り向く暴れ羊の鼻先に、突きつけたのは瓶詰めのハーブティ。つい今し方、小分けにして瓶に入れたばかりなのだろう。(何て手の早い!)ほんわりと甘い香りが漂っている。
「土産だよ。ハーブティだ。リラックスして疲れがとれる。社長さんにな?」
「何で私に」
「お前ねぇ」
 ついっと人さし指で額を突かれ、ヨーコはのけ反った。
「一番時差ボケできついのは今夜だろ?」
「はっ、そうだった!」
「泊まった先の家で。しかも勝手のわかんねぇ外国で、お茶入れるから台所貸してくださーいとか言えるか?」
「……無理です」
 しおらしくなった妹弟子の手に流れるような動作でハーブティの入った瓶を滑り込ませ、ユージはしみじみと言い聞かせた。
「だからお前さんが入れてやれ。な?」
 ヨーコはしばらくの間、目を伏せて手の中の可愛らしい、丸い瓶を見つめた。店頭に並んでいる瓶詰めと違ってラベルは無い。所々に青い花びらが混じって見える。多分、ラベンダーだ。軽く揺すると、かさかさと瓶の中で乾いた香草が揺れ、香りが強くなる。
「さんきゅ、兄ぃ」
 小さな声で礼を言う。耳まで赤く染めて。顔は伏せたままだ。けれどユージには妹弟子がどんな表情をしているのか、手に取るようにわかった。
 にやにやしながら見守っていると、やおらヨーコが勢い良く顔を上げる。
「あ、何度も言うけど! たまには神社にも顔出してよね? 母も桜子おばさんも、父も待ってるから!」
 ユージは口元をほころばせ、ひらひらと手を振った。
「ほいよ、そのうちなー」
「じゃ、またねっ!」
 片手を上げて挨拶したと思ったら身を翻し、ちょこまかと駆けて行く。ヨーコを見送りつつ、まだ店にとどまっていたウィルはぽつりとつぶやいた。
「懐かしい香りだ。あれは、藤野サンの秘伝のブレンドだね? 『オープンハート』だったかな」
「さっすが、よくご存知で」

 飲めばリラックスして心身の疲れが癒される。だが肝心要の効能はその名の通り、『壁を取り払い、頑なに閉ざされた心を開く』事にある。
 悪夢に取りつかれ、心を閉ざした人を癒すために藤野が長年の経験を元に編み出したものだ。
 本職の魔女が、本気でブレンドした特製の薬草茶。効き目は通常のハーブティーの比では無い。

「それでは、私も行こう。久しぶりに会えて嬉しかったよ、ユージ」
「ん、またな、って言いたいとこだけど滅多に会えるもんじゃねーしな」
「何、いつだって会えるさ」

 ウィル・アーバンシュタインはぱちりと片目を閉じてウィンクした。

「スクリーンの中でね!」

 しかる後、サングラスをかけ直し、和服の袖をなびかせ颯爽と歩き去る。見送りながら神楽裕二は一人呟いた。声音にも、眉を寄せた表情にも、どこか寂しげな色が漂う。

「……ほんっと、惜しいなあ」

 しかし。
 ドアベルが鳴り、扉が閉まるのを見届けるや否や、一転して携帯を取り出し、何やらぽちぽちと指を滑らせる。
 ランドールの今夜の宿泊先を知らせるためのメールであった。宛先は言うまでもない。

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