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ローゼンベルク家の食卓

【ex14-4】なりゆきホームスティ

2013/10/15 2:25 番外十海
 
「立ち話も何だから、まあ座ってくれ」

 ユージに勧められ、改めて六人そろってテーブル席に着く。ユージは気だるげな動作で湯を沸かして茶葉を入れたポットに注ぎ、カップを六つテーブルに運んだ。さらに器に盛ったヘーゼルナッツとチョコチップのクッキー、1ホール丸ごとのブルーベリーパイをでんっと乗せてひと言。先ほど、餌付けに使われたのと同じパイなのだろう。丸いパイは既に一切れ、切り取られていた。

「セルフサービスだ。食べたきゃ自由にとってくれ」

 純然たる客ではない、言うなれば身内の集まりだからこその手抜き……いや、合理的な選択だった。無論、文句が出るはずもない。ただし紅茶は当人にもこだわりがあるのか、きっちり三分経ってから一人一人のカップに注いでいた。

「Mr.アーバンシュタイン、パイいかがですか?」
「嬉しいね、ヨーコ。いただこう」
「他にも欲しい人、手ーあげて」

 ヨーコがてきぱきとパイを切り分け、皿に乗せて行く。めいめい紅茶を飲んでひと息ついた所で、ランドールは素朴な疑問を口にした。

「何故、彼女をメリィと?」

 紅茶のカップを持ったまま、ヨーコはその場で硬直した。ひくひく口元が小刻みに震えている。ロイと風見は緊張した面持ちで先生の様子をうかがっているが、ユージは一向に気にしない。

「羊だから」

 即答だった。しかし脈絡のない繋がりにランドールの疑問はさらに深まる。

「何故、羊?」

 高校生二人の顔からさーっと血の気が引いた。かろうじて笑顔は保っていたものの、じっとりと冷たい汗がにじんでいた。

(そこまで言う?) 
(それ以上は追求しちゃダメです!)
「それは、私から説明しよう」
(おじい様!)

 ニンジャマスター=ウィル・アーバンシュタインは素早く無駄のない所作で懐から、俳句用の短冊と筆ペンを取り出した。
 一座の者がおお、と息を飲む中、おもむろにペンのキャップを外してさらさらとしたためる。

「Missヨーコの名前は、漢字で『羊の子』と書くのだよ」
「おお!」

 ずあっと表にされた短冊には、見事な筆致で『羊(sheep)子』と記されていた。
 あまりに明快かつ鮮やかな回答に、ランドールは思わず手を打った。聞き慣れたあの童謡の歌詞が耳の奥に鮮やかに再生される。
 メリーさんの羊、羊、羊……

「メリィさんの羊なんですね!」
「そーゆーこと。可愛い羊のメリィちゃーんってな」

 不規則に歯を鳴らしてヨーコは紅茶を飲み干した。ソーサーとカップが触れ合いカチリと硬質な音がする。
 怒りのためか動揺のためか、あるいはただの静電気か、髪の毛が不自然にもわもわと舞い上がっている。

「め……」
「お?」
「……」

 おもむろに攻撃の準備体勢に入る。とっさにユージは次の一撃を予測した。頭突きか、蹴りか、とにかく来るはずだ。『メリィちゃん言うな!』と。しかし、ギリギリの所で大人の常識が勝ったらしい。
 髪の毛が勢いを失いぱさり、と元のように肩の上に落ちる。ヨーコは顔をあげてにこやかにほほ笑んだ。

「カルはお仕事で日本に来たんだよね? ここの近くって、どこ?」

 話題を別方向に振る手に出た。
 ランドールはものの見事に思考を誘導された。ころっと『メリィさん』を忘れ、手帳を引っ張り出す。

「綾河岸グランドホテルだよ。絹織物をテーマにした国際シンポジウムが開かれるんだ」
「お、結城神社のすぐ近くじゃねーの」
「そうなのかい?」
「え、あ、う、うん。綾河岸は絹織物の名産地だから……ね」

 せいぜい、隣町だろう、ぐらいに軽く考えていたのが、まさかどんぴしゃり、実家のご近所とは! 予想だにせず、慌てふためいた結果、ヨーコの答えはほとんど脈絡が無い。
 綾河岸市は絹織物の産地である。紡績会社の社長であるランドールの仕事との繋がりが深いであろう事は、容易に予測できただろう。
 そう、普段のヨーコなら速やかにその関連性に気付いたはずだった。
 
「綾河岸グランドホテルと言やあ、結婚式で毎度、結城神社の宮司と巫女さんが出張頼まれてるんだぜ。お前さんも何度も行ったろ?」
「う、うん、そーだね」

 ユージに指摘されてうなずくも、てんで棒読み。
 この時、男女の機微に聡いウィルは既に、ランドールとヨーコの間に流れる微妙な空気を読み取っていた。
 増して兄弟子の裕二にとって、結城羊子の思考パターンは手に取るようにわかる。三上から前もってランドール社長と間にと何があったか聞かされていたから尚更だ。
 そ知らぬふりでさらっとすすめる。

「いっそお泊めしちまったら?」

 言外に含まれる『何か文句あるのなら言ってみな』と言うニュアンスにヨーコは息を呑んだ。
 さらにニンジャマスターが畳みかけるように援護射撃を行う。正しく達人。人生の大先輩。

「それはいいね! ランドールくん、一度日本文化を体験してみるといい」
「えっ」
「心配するな、結城神社の部屋数は多い。そうだろう、Missヨーコ?」
「え、あ、はい、確かに部屋は多いですっ」
「年末年始は、確かロイとコウイチがお世話になった事もあったね」
「ハイ、そうです」
「三上さんも一緒でした」
「う、うん、手伝いの人とかホームステイを受け入れられるようになってるしね」
 
 答えながらヨーコはひしひしと感じていた。

(私、自分で退路を断ってる! って言うか……詰んだ!)

 カルヴィン・ランドールJrは天然だった。そして純粋に好奇心もあった。以前、メールに添えられた写真で垣間見た古めかしい日本の建物は、いたく彼の興味をそそったのである。

「ご迷惑でなければ、ぜひ。大丈夫、ちゃんとスリーピングバッグ(寝袋)も持って来たし」

 ユージは呆れて眉をしかめた。

「あんた、ほんとにセレブかよ」
「いつ野宿するハメに陥るかわからないしね」

 砂漠で車がエンストした時、以来常に備えているのだった。

「その心配はないぞ、ランドールくん。日本にはフートンと言うすばらしい寝具があるんだ!」
「おお、フートン! 話には聞いていましたが実物はまだ見たことがありません」
「善は急げだ、さっそく結城サンに連絡しよう」
「え、あ、あわわ、Mr.アーバンシュタイン?」
「ちっちっちっ、いかんなあ、Missヨーコ」

 慌てふためくヨーコに向かって、ウィル・アーバンシュタインはウィンクしてみせた。絶妙の笑顔とタイミングで繰り出されたパーフェクトなウィンクに思わずヨーコは時間を忘れ、見蕩れた。

「ウィルと呼んでくれたまえ」
「はい……」

 その間もちゃっかりウィルの手は携帯を操作し、電話をかけていた。

「ハロー? 結城サン! そうだよ、ウィルだ、久しいね」
「え、え、ええっ?」
「やあ、藤枝サン! 相変わらずキュートな声だね。うん、そうなんだ、孫に会いに日本に来ているんだ」

(え、なに、もう母に換わったの!?)

 慌てふためくヨーコを尻目に、着々と報告と交渉が進んで行く。宮司である羊子の父が話していたのはほんの二、三秒。そこから先、母と伯母に換わってからは急ピッチで話が進んで行く。
 やがてウィルはおもむろに携帯を切った。

「フートンを干して待ってるそうだ」
「うわあああんいつの間にぃいいっ」
「落ち着け、メリィちゃん。社長さんがおろおろしてるぜ?」
「め?」

 改めて振り返ると、確かに。途方にくれた子犬のような顔をしてじっとこっちを伺ってる。
 眉を八の字に寄せて、不安げに首をかしげて。何を考えているのか手に取るようにわかる。
(いいのかな。ほんとにいいのかな……)
 兄弟子とニンジャマスターのペースに乗せられてなし崩しに話がまとまっちゃったけど。元より好いた相手だ、泊める事に異存は無い。それに……。
 彼はいずれアメリカに帰ってしまう人なのだ。来てくれただけでも驚き。だけど会えた以上は、一秒でも一緒に居たい。
 ヨーコはランドールに向き直り、背筋を伸ばしてきちっと一礼した。

「……ヨロシクオネガイシマス」
「こちらこそ」

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