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ローゼンベルク家の食卓

【ex14-10】パニック朝ご飯

2013/10/15 2:36 番外十海
 
 日曜日の朝。
 風見光一と、ロイ・アーバンシュタインは爽やかに目覚めた。今朝は何と、ニンジャ・マスターが。ウィル・アーバンシュタインが直々に稽古をつけてくれるのだ! 前の晩は二人とも楽しみでなかなか寝つかれなかった。さながら遠足前日の小学生のように。
 睡眠時間が多少削られたが、そこは日ごろ鍛えた体力で乗り切る。稽古着に着替えて庭に出ると、そこには既に身支度を整えたウィルが待っていた。
「やあ、おはよう、ロイ、コウイチ」
「おはようとざいます!」
「おはようございます!」
「では行こうか」
 紺の稽古着姿でウィル・アーバンシュタインは胸を張り、懐からサングラスをだして、かけた。
「え、庭で稽古するのではないのですか?」
「うむ、今朝はちょっとばかり遠出をしようと思ってね。付いて来れるかな?」
 ロイと風見は顔を見合わせ、力強くうなずいた。
「もちろんです!」
「はっはっは、では来たまえ、若者たちよ!」
 言うなり走り出すニンジャマスター。その姿は常人には視認する事すら不可能! しかしロイと風見はためらわず、後を追った。ちらりと振り返ってそれを確認すると、ニンジャマスターは口元に笑みを浮かべ、一段と足を早めた。

 三人は走る。袴の裾をなびかせ、常人には感知し得ない早さで。通常の道はおろか、時には塀の上、屋根の上すらも通り道として、三次元的かつアクロバティックな経路で。
 直に二人の少年は気付いた。これは単なる移動ではない。ニンジャマスターに置いて行かれないように走る事そのものが、試練であり鍛練なのだと!
 時折、あまりに予想外の動きにニンジャマスターの姿を見失う時もあった。
 だが二人は力を合わせて彼の痕跡を探し、感知し、再び追跡を始める。夢中になって走り続けた。持てる力の全てを尽くして、感覚を振り絞って走った。
 やがて、ニンジャマスターは足を止めて振り返った。やや遅れて、二人の少年が彼の背後に下り立つ。

「よくぞついて来られたな。腕を上げたね、コウイチ、ロイ!」
「ありがとうございます!」
「やったぁ!」
 三人は今、こんもりと生い茂った森の中の、高い高い石段を上った先……神社の境内に居た。
 風見とロイは改めて周囲を見回し、あっと声をあげた。
「こ、ここはっ」
「結城神社じゃないですかっ!」
 ヨーコ先生の実家であり、二人とも度々手伝いで訪れている場所である。
「いつの間にこんな遠くまで」
「おじい様を追いかけるのに夢中で、気付かなかったヨ……」
「はっはっは! そうだろう、そうだろう! ……さて、せっかくだから結城サンたちにご挨拶して行こうか」
「え、でもこんなに朝早くからお邪魔しちゃっていいんでしょうか」
「大丈夫、既に桜子=サンと藤枝=サンには連絡しておいた」
 ウィルの手にはきっちりと携帯電話が握られている。
「ま、まさか走ってる途中で電話したんですか!」
「いや、さすがにそこまでは。ちょっとメールしただけだよ」
 風見とロイはぽかーんっと口を開けた。
(いつの間に?)
 自分たちはウィルに置いて行かれないように走るのに必死で、とてもじゃないけどそんな余裕は無かった!
「はっはっは、いやあ気持ちのいい朝だな!」
 爽やかに笑いながら歩き出すウィル・アーバンシュタインの背を見ながら二人はぼう然とつぶやいたのだった。
「さすが、おじい様デス……」
「ニンジャマスター、恐るべし」

 それはある意味、虫の知らせのようだった。
 珍しく朝早く、ベッドの中で目を開けた途端、神楽裕二はふっと思ったのだ。
(結城神社に挨拶入れとくか?)と。
 文字通り降って湧いたこの考えは、昨日会った妹弟子と、彼女との間に何やら訳ありな青い目の紳士に端を発する物だった。ゆるく仕掛けた糸が果たしてどんな結果をたぐり寄せたか、気になる。起き出す前に携帯に手を伸ばした。
 眠たい目をこすりながら、どうにかこうにか短いメールを打ち終える。
 ただひと言『おはようさん、心の鍵は開いたかい?』
 宛先はテンパり羊のメリィちゃん。まあ答える余裕があるかどうかは疑問だが、いつ見るかは問題じゃない。
 カンの良い妹弟子のことだ。この一文を見れば昨日、自分の渡したお茶の正体にも気付くだろう。
 ほくそえみながらベッドから抜け出す。軽くシャワーを浴びて、着替え済ませると下に降り、今しもエンジンをかけたばかりの車のドアを開けてひょいと乗り込んだ。運転席に座っていた、がっちりした体格の男がぎょっとした顔で目を見開いた。
「うぇ、ユージ? 何で? 俺、起こしちまったか?」
「いんや。ちょいと用事を思い出して、自主的に、ね」
「うっそだろ。マジかよ……雪降るんじゃね?」
「言ってろ」
 助手席のシートによりかかり、シートベルトを締める。ハンドルを握る青年が、自分の頼みを断らない事は百も承知の上だった。
「行きたい所があるんだ。車、出してくれるか?」
 青年は何やらぶつくさ呟いていたが、素直に車を発進させた。
「で、どこに行くって?」
「んー、結城神社」
 
 社務所の前で車を降りた頃には、何故、日曜の朝っぱらから自分がここに来たのか、あらかた理由を説明し終えていた。(もっともあくまで表面的な事柄ではあったけれど。)
「んじゃ、こっから先は俺一人で行くから」
「おう、気を付けてな」
「あんがとな、倫三」
 走り去る車を見送ってから、呼び鈴を……押す前にがらっと玄関が開く。
「ゆーじさん」
「待ってたのよ。ささ、一緒に朝ご飯食べてくわよねっ」
「え、あ、はい」
 ひらひらと現われた桜子と藤枝に挟まれて、否応なく中に連れ込まれる。今朝は食堂のテーブルではなく、茶の間の座卓に料理が並んでいた……人数が多いからだ。
「おや」
「やあ、ユージ、おはよう!」
「あ、おはようございます裕二さん」
「オハヨウゴザイマス」
 ウィル・アーバンシュタインと孫のロイ、そして風見光一までもが朝の食卓を囲んでいたのだった。
 皿の上には、人数分のシャケの切り身がこんがりと焼かれ、ナスとキュウリの漬物と、豆腐とホウレンソウの味噌汁、ご飯、納豆にひじきの煮物、目玉焼きが並んでいる。
「ほー、久しぶりだね、これだけきっちりした和食の朝ご飯は」
 それとなく目線を走らせる。隣り合って座ってるくせに、一向に目を合わせようとしないランドールとヨーコの二人に向けて。気配に気付いたのかヨーコがちらっと顔を上げ、ほんの一瞬、にらんで来た。どうやら、メールを読んだらしい。
 にじみ出す笑みを隠そうともせずに見返すと、熟したトマトよろしく真っ赤になる。ひと言も言い返してこないとは、珍しい事もあったもんだ。
「いただきます」
「いただきます……」

 にやにやしている間に食事が始まる。白いご飯にシャケを乗せて一口ほお張ってから、裕二はそれとなく水を向けてみた。
「で、昨夜はよく眠れたかい、社長サン?」
 びくっとランドールと、なぜかヨーコもそろって身をすくませた。
(おー、おー、おー……わっかりやすいねぇ)
 ほくそ笑む間もあらばこそ。次の瞬間、カルヴィン・ランドールJrは誰もが予測し得なかった行動に出た!
 がばっと畳に手をついて、頭を下げたのである。
 ヨーコの両親に向かって。
 そして、彼は言った。

「お嬢さんとの結婚を許可していただきたい!」

 もちろん英語で。

 一瞬のうちに、その場の空気がしんっと凍りついた。
 誰も彼もが箸を持ったまま凍りついていた。廊下でまるまると寛いでいた猫たちでさえ、動きを止めた。
「………………裕二くん」
「何すか、羊司さん」
「私は、あまり英語が得意ではなくってね……彼は、何と言ったのかな」
「あー、その………ヨーコと結婚させてくれって」
 裕二は見た。かくかくとした動きでヨーコが箸を置き、立ち上がり、右手を振り上げて、おもむろにランドールの後頭部をぺちっと張るのを。
「オウっ?」
「おばかっ! 順番が逆でしょうがっ! 何でいきなり、私をすっ飛ばしてお父さんお母さんに言ってるのよっ」
「すまない、動揺してたんだ」
 ランドールは慌ててヨーコに向き直り、がっしとばかりに両手を握った。
「昨日、自分の本当の気持ちに気付いた。君と一緒に居たいんだ。夢やメールや電話越しじゃない。生きている君と、同じ場所で、同じ時間を共有したいって」
「そんな……カル……」
 ぱちっと瞬きすると、黒目がちの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「わ、わたしだって、一緒にいられたらいいなって思ったけど………願っちゃいけないことなんだって、それで、それで……」
「一度、気付いてしまったらもう、二度と手放せない。改めて言う。君を愛してる。お願いだ、ヨーコ。私と結婚してくれ。生涯の伴侶となってくれ」
「っっっ!」
 凄まじい勢いで交わされる英語のやりとりを、裕二は手短に通訳していた。
 何となればウィル・アーバンシュタインは慈愛に満ちた瞳で見守っているだけだったし、ロイに至っては感動に打ち震えていてとてもじゃないけど、通訳どころじゃあなかったのだ。
 ヨーコは言葉も無しにぽろぽろと涙をこぼしていたが、やがて、ゆっくりと、確かにうなずいた。
「……はい」
 ランドールはヨーコを抱き寄せて、そのまま二人は……熱い口付けを交わしたのだった。
 朝食の席上で。
 両親と伯母と教え子とニンジャマスターと兄弟子が見ている前で。

「あー、その、裕二くん……もしかして私の娘は、OKしたってことなのかな」
「どうやら、そのようで」
 結城羊司はがばっと片手で目を覆い、肩を落として呟いた。
「あの子が留学するって言った時からいつか、こんな時がくるんじゃないかって思ってたんだ。金髪に青い目のボーイフレンドを紹介されるんじゃないかって」
「一気に結婚まで行っちゃいましたもんねえ」
「まあ、青い目だけど金髪ではないし。ダメージは半分、半分だっ」
 拳を握って何やら自分に言い聞かせる羊司の姿を見て、裕二は思った。
(この人も、かなり動揺してるんじゃね?)
 ここに来てようやく、真っ赤になってただただ震えていたロイが硬直状態を脱した。
「おめでとうございます」
 やや遅れて風見光一も後に続く。
「おめでとうございます。よーこ先生、ランドールさん」
「Thanks……」
「あ、ありがとう」
 やっと実感がわいてきたのだろう。二人はしっかりと手を握りあったまま頬を染め、うなずいた。
「おめでとう」
 よく響くバリトンでウィル・アーバンシュタインが祝福の言葉を述べる。
「やあ、今日は予想外に素晴らしい日になったね!」

 その間、伯母と母はさっさかさと台所で忙しく立ち働いていた。ほどなく、手際よく食卓に新たな椀が並べられて行く。
 中味が何なのか、確認した途端ヨーコの髪の毛がもわっと逆立った。
「え、お赤飯っ? いつの間にっ!?」
「………ナイショ」
「今は便利よね、炊飯器で簡単に炊けちゃうから」
「オセキハン?」
「日本の伝統だよ、カル。ハッピーな事があると、それを祝ってアズキを入れて炊いたゴハンを食するのだ」
「なるほど、この豆はアズキなのですね……」
 おめでたい席ではお赤飯。正しいのだけれど。正しい事なのだけれど。風見光一はじっと、椀に盛られた赤飯をにらんだ。
(何なんだろう。胸の奥がもやっとする)
 それが、姉も同然の先生が目の前でプロポーズを受け入れた事に対する戸惑いと、ささやかな嫉妬の混成物なのだとは、彼自身まだ気付いてはいなかった。
 
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