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ローゼンベルク家の食卓

【ex14-1】ニンジャマスター参上!

2013/10/15 2:20 番外十海
 
「ではテリーくん、ビリーくん、頼んだよ」
「OK、ボス」
「任せとけ。仕事がんばってな」
「わうん」
「ありがとう。じゃ、行ってくるよ」

 五月の第三土曜日、カルヴィン・ランドールJrは愛犬サンダーを二人のドッグ・シッターに預け、家を出た。
 目的は出張、予定は四日間。
 荷造りしている間、サンダーは不思議そうな顔をしてスーツケースを嗅いでいたものの、感心な事に中に入ろうとはしなかった。
 今回使うスーツケースはかなり大きい。何となれば出張先は海外だからだ。
 空港のパーキングに車を預け、ロビーに入って行くとそこには兼ねてからの打合せ通り、友人が待っていた。

「やあカル! ……楽しかったよハニー。それじゃ、またね」
「やあ、チャーリー……」
 
 どうやら黒髪美人と話が弾んでいたらしい。別れ際に投げキッスを交わしている。

「彼女、見送りかい?」
「いや、君を待ってる間に知り合った」
「………さすがだね、チャーリー」
「名前とメールアドレスはゲットしたよ」
「さすがだよ、チャーリー」

 さらっといつものように受け流しつつ搭乗手続きを済ませ、荷物を預ける。

「こう言う時ってどれだけ準備しても、何か忘れたんじゃないかって不安になるよね」
「ああ、大抵のものは日本で買う、ぐらいの心積もりで居ればいいんじゃないかな」
「なるほど、その手があったか」

 今回、日程が重なったのは幸運な偶然だった。ランドールは日本での絹織物のシンポジウムに参加し、同じ日程で親友チャーリーはデントンナッツの日本進出に伴い、提携メーカーとの打合せでそれぞれ訪日が決まった。
 ただし会場が離れている為、到着後は別行動になる。それでも長い道中、チャーリーと一緒なのは心強く、またありがたい。
 学生時代以来の親しい友人だし、何より彼と話していると飽きない。余計な事に気を回す暇が無い。

 何となれば、日本には、彼女が居る。去年の十二月、胸の引き裂かれるような思いで別れた女性……すなわち、ユウキ・ヨーコが。その後、間接的な方法ではあるものの、何度か言葉を交わしたし顔も見た。最後に話した時は笑顔だった。
 会場となる綾河岸市は、彼女の実家の所在地でもある。そこから電車でほんの2駅も行けばヨーコの住んでいる戸有市だ。
(いっそ会議をすっぽかして会いに行ってしまおうか)
 いや、いや、まさか。
 責任ある社会人としてそんな無茶な事はできない。するつもりもない。九割方、自分に当てた冗談のつもりで考えて、気を紛らわせている。そのつもりだったが……。日本出張が決まって以来、うたた寝の覚め際とか、寝入りばなの意識がもうろうとした時につい、考えずにはいられない。
(同じ国にいるのだから、会えに行ってもいいんじゃないかな)
(さすがに仕事中は無理だとしても、夜なら上手く時間をやりくりすれば、会えるんじゃないか?)
 気付いた瞬間から、遠足さながらにテンションは上がる一方。日本に向かう道中、もし一人だったら……熱気とやる気を持て余し、良識ある社会人として。企業の社長としていささか問題ある行動に走り兼ねない。
 要するに、暴走だ。

「チャーリー」
「ん?」
「君が居てくれて良かったよ」
「ありがとう、カル!」

     ※

 滞りなく搭乗手続きを終え、飛行機に乗り込む。座席は二人そろってファーストクラスだ。一応、大企業の社長であり、また恵まれた体格故にエコノミークラスの座席は窮屈なのだ。時差を気にせず、到着直後からフルの状態で動けるように考慮した上での選択である。

「お……おぉっ!」

 機内に乗込み、席に向かう途中で突如、チャーリーが目を輝かせた。

「見てよカル!」

 少年ならば大声で叫ぶ所だろうが、さすがに三十路の大人である。顔を寄せて小声で囁いて来る。

「どうしたんだいチャーリー。好みのCAでも見つけたのかい?」
「違うよ、ニンジャだよ!」
「まさか。いくら日本行きの便だからって」
「そうじゃなくて、ほら! ニンジャマスターのウィル・アーバンシュタインだよ!」

 ニンジャマスター。チャーリーの愛読しているコミックのヒーローだ。映画俳優ウィル・アーバンシュタインの主演で実写映画化され、彼の当たり役として大ヒットを飛ばした。チャーリーの解説によれば、近年ではコミックの絵柄の方がむしろウィル・アーバンシュタインに合わせていると言う。
 くい、くい、とチャーリーがそれとなく目線で指し示す方角を見て、納得した。
 なるほど、ニンジャマスターだ。
 シンプルなチャコールグレーのスーツに藍色のマフラー。正しくコミックで見たままのウィル・“ニンジャマスター”・アーバンシュタインが座していた。さすがにサングラスで顔を隠しているが、端正かつ威厳に溢れる顔立ちや濁りのない見事な銀髪、60代とは思えぬほど引き締まった体格は隠し切れるものではない。
 チャーリーがうずうずしている。すぐにでもすっ飛んでサインをねだりたいのだろうけれど、さすがにそこは大人だ。
 自制している。
 しかし、席についた途端堰を切ったように喋り始めた。

「アルティメット・セイバーズの新作映画が公開されるから、宣伝キャンペーンで訪日するんだね! ほら日本は時差の関係でアメリカより一日早く公開されるだろ? ああ、まさか同じ便に乗れるなんて僕は何てラッキーなんだろう!」
「ああ、まったくラッキーだね」

 大企業の御曹司が。れっきとした社長が、まるで少年のように頬を赤らめ、瞳をきらきら輝かせている。ほほ笑ましいやら、楽しいやらでついランドールはにじみ出る笑みを隠す事ができなかった。

 やがて飛行機が離陸して、ベルト着用のサインが消えた頃。

「……よし、行ってくる」
「健闘を祈るよ」

 チャーリーはコミック雑誌(当然、ニンジャマスターの本だ)を片手に立ち上がった。ウィル・アーバンシュタインの席に歩いて行き、礼儀正しく挨拶。雑誌を差し出してサインを求めている。
 ニンジャマスターはチャーリーとにこやかに言葉を交わして後、おもむろに懐からペンを取りだし、さらさらと走らせる。

「ありがとうございます! 映画最新作も楽しみにしています。初日に劇場に行きます!」
「ありがとう。嬉しいよ」

 席に戻ってくるチャーリーは、ほとんど雲の上を歩くようなふわふわした足取りだった。

「サイン、もらえたんだね?」

 こくっとうなずき、コミック雑誌のページを開く。そこには見事な毛筆書きでウィリアム・アーバンシュタインの署名が記されていた。

「……え、ショドウ!?」
「うん、彼、筆を携帯してたんだ」
「さすがだね」

 ぽーっとなったままチャーリーはもらったばかりのサインをしみじみと見つめ、いきなりガッツポーズをとった。

「やったあ、ウィル・”ニンジャマスター”アーバンシュタインのサインげっとだぜ!」
「実に気さくで気持ちのいい人だね」
「うん、紳士だね! いや、ニンジャか」

 無邪気に喜ぶチャーリーを見守りながらランドールは思った。
 大企業の社長なんだから、名刺を渡して社交上の付き合いを求める事もできただろうに。
 チャーリーは自らの社会的な地位を利用する事なんか考えもしなかった。ただ純粋な一人のファンとして礼儀正しく彼にサインを求めた。少年の頃そのままに瞳を輝かせて。
 そんな彼だから、ニンジャマスターも快く応じてくれたのだろう。
(まったく君は大した奴だよ、チャーリー)

 その後、日本に至るまでの10時間余りのフライトの間、チャーリーはしっかりと黒髪のCAを口説いて携帯のメアドをゲットしていた。
 やっぱり自分の社会的な地位をひけらかすことなく純粋に、一人の男として口説いてた。ある種、潔い。

     ※

「土曜日の夕方に出発して、土曜日の朝に着くって何だか不思議な気分だね」
「日本は東の国だからね」
「あ、お迎えの人が来てる」
「君の健闘を祈るよ、チャーリー」
「サンクス! 君もね、カル! 寂しかったらいつでも電話しろよ!」
「はは、ありがとう」

 出迎えの社員と共に立ち去る友人を見送りながらランドールは思った。
(君と一緒で良かったよ、チャーリー)
 一人残され、急に寂しさを覚える。
(しっかりしろ、カルヴィン・ランドール)
 自分で自分を叱咤しつつ、空港を出て、案内図を頼りにレンタカー店を目指す。
 シンポジウムの会場となる地方都市は、サンフランシスコほど交通機関が行き届いていない場所だった。宿泊先や会場への移動を考えると車を使った方が便利と判断したのだ。
 幸い国際免許証は修得しているし、乗り慣れたトヨタの車を借りる事ができた。カーナビも万全だ。交通ルールも予習済み。若干、不安がないではないが行けるはずだと確信していた。
 それに……。
 バスや電車に乗るより運転している方が、気が紛れる。
(電話……いやせめてメールの一通も入れるべきかな)
 レンタカーに乗込み、目的地の住所を確かめようと手帳を開く。だが開いたのは件のアドレスを書いたページではなく……大事に赤いリボンを挟んだページなのだった。
(君の国に今居ると告げたら、どんな顔をするだろう?)
 澄んだ目で常に先を見通すヨーコが、意表を突かれて慌てふためる姿を想像し、ついつい笑みがこみ上げてしまう。
 この間、ランドールの全神経は赤いリボンに集中していた。だから顔を上げてカーナビをセットしようと手を伸ばすまで、気付かなかったのだ。助手席にキモノ姿の男が座っている事に!

「……え?」

 鍛え抜かれた引き締まった体格、にごりの無い銀髪。服装こそ変わっているもののその姿に見覚えがあった。
 だが一瞬理解できなかった。何故、彼がそこにいるのか。いや、それ以前にいつ来たのか。
 呆気にとられて硬直していると、男はひょいとサングラスをずらしてほほ笑んだ。

「さあ行こうか、Mr.ランドール!」
「何故、私の名をご存知なのですか」

 ごくっと咽を鳴らし、半信半疑で相手の名を口にする。 

「Mr……アーバンシュタイン」
「何故なら私がニンジャマスターだからだ」

 それこそもう、何度もスクリーンから聞こえた台詞だった。だ、もんだからつい納得してしまったのだ。『ああ、そうか、ニンジャマスターならしかたないな』と。(げに、条件反射とは恐ろしい。チャーリーに付き合って何回も見たのがじわじわ効いてるらしい)

「……と言うのは冗談で」
「冗談だったんですか!」
「実を言うとね、Mr.ランドール。君と私の間には共通の友人がいるのだよ」
「……えっ?」
「改めてお礼を言わせてくれ、孫がお世話になっている」
「孫って……」
「ロイだよ」
「ああ」

 ここに至ってランドールはようやく気付いた。映画スターウィル・アーバンシュタインと、己のチームメイトたるロイ少年の血縁関係に。ファミリーネームが一緒だし、どちらもニンジャだ。むしろ事実が判明した今、何故気付かなかったのかと疑問にさえ思えてくる。

「確かに顔立ちがそっくりですね」
「そうか! いやあ、よく言われるんだよ」

 満面笑み崩して答えるその顔は、まるっきり孫を愛するおじいちゃんの顔なのだった。

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