▼ 【5-4-4】風邪引で三割増し
午後四時半。
授業を終えたレオンは、珍しくまっすぐ寮に戻った。図書館にも寄らず、学校内の『隠れ家』で時間を潰すことなく、まっすぐに。
扉を開けると、部屋の様子は朝出た時とほとんど変わっていないように見えた。
しかし徐々に微妙な違いが浮かんでくる。
ドアから向かって左側にある、マクラウドのクローゼットがまず開けっぱなし。扉からだらりと逆さ釣りになっているのは、脱いでそのまんまの形になったセーターだ。一瞬、仰向けにのけぞった人の体に見えてぎくりとした。
机の上には、薬の入ったオレンジ色の円筒形のボトルが転がっている。
そしてベッドの中には、朝出かけた時と同じようにマクラウドが入っている。体を丸めて、目を閉じて。周辺の床には丸めたティッシュが散らばっていた。マイク寮長に渡されたのを使ったんだろう。
念のため近くに寄って様子を確認してみる。
もわっと熱気が顔に当たった。まだ熱は下がっていないらしい。
(あ、生きてる)
相違点をまた一つ発見した。朝見たのとは別のパジャマを着ている。
今朝は白地に青の縦ストライプ。今着てるのは薄いクリーム色。形は同じ襟つきの前開き……シャツ型の寝巻きが好みらしい。この手のガサツな体育会系の男は、寝る時だろうと起きている時だろうと、スウェットを着てるものと思っていたが。
「ん……」
眠ったままマクラウドは眉間に皴を寄せ、ごろりと寝返りを打った。横向きだった体が、仰向けになる。
「っ!」
何てことだ。どう言うボタンの止め方をしたのかこいつは。
パジャマのボタンが互い違いにずれている。一番上のボタンが下から三番目の穴に。結果として襟元が大幅にひらき、鎖骨はおろか胸板まで見えている!
普段、服の内側になっている胸元は、陽に焼けた首筋や顔、手足と異なりくっきりと白かった。生まれたままの白さを保った肌の下を通る血管が、透けて見える。
肌が見えているのは、たかだか手のひらで隠れそうなほどの小さな面積だ。それなのに、まるで『裸』を見ているような、奇妙な感覚を覚える。
つーっとマクラウドの額から汗が流れる。顔から頬、顎、首筋と伝い落ち、鎖骨に沿って胸元へと消えて行く。つすーっと、また一つ。
目で追いかけていると、ざわぁりと何かが蠢いた。自分の皮膚の内側で、目に見えない生き物が身じろぎしたような、奇妙な感覚だった。
慌てて目をそらす。だが気になってちら、とまた横目で見てしまう。
「ふ……は………はぁ……っ」
口をうっすら開いて喘いでいる。
つらそうだ。
医務室に行ったはずなのに。薬ももらっているのに。
「は……は……は……あぁ……んぅう」
何だって悪化してるんだ?
机の上の薬瓶を手にとってみる。
添えられた説明書きによると、解熱鎮痛剤と、咽の炎症をおさえる薬、総合感冒薬の三種類を処方されている。毎食後に服用。だが、いずれも封を切った形跡がない。
こつんと何か重い、円筒形のものが足に触れる。ペットボトル入りの水だ。今朝、寮長が置いていったものだろう。やはりこちらも未開封。
この期に及んでようやく気付いた。そのガサツな性格と行動様式にも関わらず、マクラウドは真面目な奴だ。
この種の注意書きや説明書きにはきっちり従う。薬を飲んでいないと言うことは、つまり食事もしてないってことだ。
(こいつ、もしかして今日は何も飲み食いしてないのか?)
やれやれ。せっかく医務室に行っても薬を飲んでいないのでは、かえって動いた分悪化するばかりじゃないか。これだけ大量の汗や鼻水が流れたら、体の水分も失われているはずだ。
脱水症状を起こしかねないじゃないか。まったく、人の食事は心配するくせに……。
冷蔵庫を開けて中を確認する。部屋で朝食を食べるようになって以来、中に収められた食料品の数も種類も増えていた。
卵にベーコン、リンゴに牛乳、食パン、冷凍庫にはミックスベジタブル。
食べられそうなものは、それなりにあった。でも、どうやって調理すればいいのか、わからない。まさか病人を起こして作らせる訳にも行かない。
レオンは腕組みして考えた。
自分が熱を出した時、アレックスは何を食べさせてくれただろう?
記憶をたぐりよせる。
チキンスープ……論外。材料が無いし、第一難易度が高すぎる。
オートミール……これもやはり難易度が高い。
すりおろしたリンゴ。今、リンゴはあるけれど皮がむけない。そもそもむいたことがない。増してすりおろすなんて無理だ。不可能だ。
(アレックスは、他に何を作ってくれただろう?)
できれば包丁を使わずに調理できそうなもので……
「あ」
思い出した。あれならきっと、大丈夫。
改めてキッチンにある食材と調味料を確認し、使うものを調理台に並べた。牛乳、紅茶用のクリーム、卵、砂糖、そしてナツメグ。
「ふむ」
材料はそろっている。器具もある。後は、混ぜるだけだ。
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