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ローゼンベルク家の食卓

【5-2-4】街角にて

2011/06/13 2:31 五話十海
 
 リーン……ゴーン……
 スピーカーから鐘の音が響く。授業終了の合図だ。
 聖アーシェラ高校は聖女さまの名前がついてるだけあって、この種の合図には教会の鐘の音が使われている。
 学校の敷地の中に礼拝堂まである。授業の中に「神学」なんてのがあって、生徒に礼拝が義務づけられていたのは昔の話。今は希望者のみがミサに参加し、聖歌隊もクラブ活動の一環だ。
 
 いつもなら、俺だって授業が終ると同時にまっしぐらにロッカールームに走ってく所なんだが……

「はぁ……」

 左手の包帯を見ていると、ついため息がもれちまう。やる事がないんなら、とっとと帰ればいい。だけど今の俺にはそれすらも許されちゃいない。
 ルームメイトのトムは、相変わらず目を合わせようとしないし、口もきいてくれない。必要なことがあると、メモに書いて机の上に置いてあるような状態だ。なまじ今まで上手くやって来ただけに、いたたまれない。
 出て行こうにも、新しい部屋はまだ見つからないし。
 もう、頼みの綱はマイク先輩だけだ!

(あの話、どうなったのかな。OKもらえたのかな)

「うぉーい、マックス!」

 背後からにゅっとほっそい腕が絡んできたなーと思ったら、ヘッドロックを決められていた。

「今日ヒマか? ヒマだよな?」
「うぐぐっ、ヒウェルっ?」

 不覚。よりによってこいつに技をかけられるなんて!

「知ってるぞー。怪我が治るまでは、クラブも休みなんだろ?」
「う……確かに、そうだけど……離せよ」

 絡みつく腕に手をあてて、ぐいっと押しのける。

「うぉっととと」

 ぐらっとヒウェルはよろけて床にぺったんと尻餅をついちまった。大げさだなあ。そんなに力入れてないぞ? どんだけひ弱いんだこいつは。

「……大丈夫か」
「思いっきり社交辞令で言ってるだろそれ!」

 ひょいっと足を伸ばし、弾みをつけて立ち上ってる。うん、その分なら大丈夫っぽいな。

「とにかく、あれだ。ベンチでうじうじしてるよか、ぱーっと騒いだ方が体にいいって、絶対!」
「……そうだな」
「OKOK、それならさ! アイスの美味い店知ってんだ」

 ぺち、と俺の背中を手のひらで叩くと、ヒウェルは笑顔でくいっと教室のドアを指さした。

「行こうぜ、ディフ!」
「うん!」

 耳慣れない名前だったけど、確かに自分に向けられた呼びかけだとわかった。たぶん、ディフォレストの略だろう。
 何だかとってもうれしかった。久々に名字じゃなくて、名前の方で呼ばれたからだろうか。とにかく、こいつとの距離がぐっと縮まったような気がした。
 あれ、でも俺のこと愛称で呼んでくれたってことは、俺もこいつのこと、愛称で呼んだ方がいいのかな。

「サンクス、ヒー」
「………何だそれは」

 あれ、あれ、目が三白眼になってやがるよ。眉も寄っちゃってるし。気に入らなかったかな。

「いや、お前の愛称?」

 ぽん、ぽん、と肩を叩かれる。

「無理すんな。ヒウェルでいい。一息で言えるだろ? 略す必要はない!」
「うん、わかった、ヒウェル」
 
  ※
 
 ネイビーブルーの制服、胸に輝く七芒星のエンブレム。サンフランシスコ市警の制服警官、エドワード・エヴェン・エドワーズ巡査は受け持ち地区のパトロールに余念が無かった。今日は午前中に隣の管轄区で強盗未遂事件があったばかりなのだ。幸い怪我人こそ出なかったものの、容疑者は未だに捕まっていない。
 自分の巡回区域に逃げ込んで来ないとも限らない。いつもより心持ち注意を払いつつ歩いていると……

「ん?」

 すうっと視界の片隅を、ちっちゃな人影が過った。通り過ぎる大人たち、学校帰りの学生に紛れて小学生らしい女の子が一人、ひょこひょこと街中を歩いている!
 黒の長袖カットソーの上から渋めの赤紫色のTシャツを重ね着して、下はデニムのショートパンツ、足下は赤いバスケットシューズにくるぶし丈の白いソックス。つるりん、ぺったんとした凹凸のない体型といい、幼い顔立ちといい、どこから見ても小学生だ……自分の記憶と、感覚に照らし合わせる限り。
 しかし、黄色がかった象牙色の肌や華奢な骨格、黒いさらさらした髪の毛から察するに恐らく東洋人だ。
 見かけだけでうかつに年齢を判断するのは早急。一応、保護の前に確認しよう。

(女の子は敏感だからな。自分が何才に見えるのか)

 しかも、若く見られて喜ぶことはまず、有り得ない。少なくともまだ、今の所は。
 早足で、だが礼儀を保つ程度に穏やかに。微妙なバランスを保った速度で近づくと、エドワーズ巡査は少女に声をかけた。

「やあ、お嬢さん」

 一人で何してるのかな? 次の言葉を待たずに彼女は顏を上げ、電光石火答えた。

「私、高校生です!」

 意外な答えに一瞬、言葉に詰まったところにさらに矢継ぎ早に。まるで小鳥のさえずりだ。発音そのものは幾分ぎこちないが、奏でる音階とリズムで何となく言わんとする事のニュアンスが伝わってくる。

「じゅーろくさいなんですってば!」

 写真入りの学生証をまるで警察バッジみたいに掲げている。やけに手際がいい。
 この手の質問にはすっかり慣れているらしい。と言うか、むしろうんざりしているのだろう。

「……まだ、何も言ってないよ?」
「あ」
「それに私は少年課でもないから」
 
 学生証に記された年齢は正しく16才。写真もまちがいなく彼女だ。学校は……聖アーシェラ高校か。確かにこの時間ならあそこの生徒が歩いていてもおかしくはない。

「すみません……早とちりでした……も、何回も同じパターン繰り返したもんだからっ」

 やはりそうだったか。危ない、危ない。あやうく自分も同じ轍を踏む所だった。

「で、何かご用ですか?」
「ああ、うん」

 一つめの用事は消えたが、二つめはまだ残っている。ポケットから容疑者の写真を取り出し、彼女に見せた。

「このあたりでこんな男を見かけなかったかい?」

 少女はすっと目を細め、眼鏡の縁に手をかけて位置を整えた。濃い褐色の瞳がじっと写真の男を見つめる。

「……4分前に2ブロック手前を歩いてました。でも服装は写真と違うな……」

 目を閉じて少し考えている。記憶を探っているのだろうか。

「マスタード色の地に赤い花柄のシャツを着て、上からグレイのジャケットを羽織っていました。下は白のズボンです」
「派手な色だな」
「最初はエビかカニかと思ったんですけど、よく見たらハイビスカスでした」

 大した記憶力だ。4分の時差を飛び越えてたった今、見ているかのような証言じゃないか。

「ありがとう! 気をつけて帰るんだよ」
「さんきゅー、ぽりすおふぃさー」

 少女に手を振り、歩き出す。
 2ブロック手前、か。まだそう遠くへは行ってないはずだ。バスやケーブルカーにも乗っていなければの話だが。
 無線で署に連絡を取る。今の服装がわかった。それだけでもかなりの収穫だ! よくぞ写真の男だと気付いてくれたものだ。派手な服装に気を取られるから、普通は顔形にまで意識が回らないものを。きっと並外れて観察力の鋭い子なのだろう。助かった。
 それにしても。

『じゅーろくさいなんですってば!』

 エドワーズ巡査は秘かに胸をなで下ろした。てっきり12才ぐらいだと思っていた。迂闊に子ども扱いしなくてよかった、と……。

    ※
 
「おーい、ディフ」
「んー」

 ヒウェルに呼ばれてはっと我に返る。
 こいつの行きつけだって言うソーダファウンテンに引っ張って来られたら、客はほとんどうちの学校の生徒ばかりだった。ヒウェルはけっこう顏が広いらしく、店に入るとあっちこっちから声がかかっていた。
 ハーイ、とか、元気? とか。さすが地元出身。ほとんどが女の子だったけど。

「アイス溶けるぞ」
「うぉっと!」

 手の甲にひんやりした感覚。白い滴がつすーっと流れ落ちる。もったいない!貴重な小遣いの一部で買ったんだ、無駄にはできない。慌てて舐め取った。
 うん、確かに、美味い。こくがあって、しっかりと牛乳の味が生きてる。
 バニラコーンのシングル、マシュマロとチョコチップのオプションはヒウェルのおごり。
『こう言う時は誘った方がおごるもんだぜ!』なんて偉そうに言ってたけど、結局居合わせた上級生が出してくれたんだよな。
 金髪の魅力的な女の子が。

「どーした、ぼーっとして。可愛い子でも歩いてるのか?」
「あれ」
「お」

 くいっと窓の外を指さすと、奴は食べかけのチョコミントと同じくらい真っ青になってがたがた震え出した。

「あれは……ヨーコじゃねぇかっ」
「うん」

 紺色のシャツにズボン、胸に輝く七芒星のエンブレム。憧れのサンフランシスコ市警の警官が歩いていたから、つい目で追っていた。その金髪の制服巡査が声をかけた相手が、ヨーコだったんだ。

「すげえな、彼女! ポリスに聞き込みされて堂々と答えてるぜ!」
「見ていない。俺はなんにも見てないぞ!」

 目を背けて、取り憑かれたみたいにがつがつアイスを食ってやがる。変なヤツ。何がそんなに怖いんだ?
 そうこうするうちに、ポリスマンは手を振ってヨーコと別れて歩き出した。せかせかと足早に、無線に何か話しながら。署に連絡とってるんだろうな。

「やっぱかっこいいよな……」

 一方でヨーコはちょこまかとホットドックの屋台に向かい、はきはきした口調で話しかけてる。屋台の店員がにこっと笑ってうなずいた。
 てっきり誰かに頼まれたんだと思った。一人で六つも買ってるから。だけど俺の予想は見事に裏切られた。歩きながら彼女はおもむろにばくっと一つ目をほお張った。

(ああ帰るまで待ちきれなかったんだな……)

 甘かった。
 次の曲がり角に行くまでの間に、ホットドックは一つ残らず消えていた。ちっちゃくてつるっとした女の子の腹の中に。

「す……すげぇ」

 いったいどこに入ったんだろう?
 
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