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ローゼンベルク家の食卓

【5-2-3】マイク先輩にお願い!

2011/06/13 2:29 五話十海
 
 寮の部屋を追い出された。
 正確には、引っ越し先が決まり次第出て行くことになった。
 この部屋に入って一ヶ月とちょっと、まだあまり荷物をほどいていないのは不幸中の幸いだったのかな。
 とにかく、部屋を出ると決めたその日から、本や着替えを箱に詰め直す作業を始めた。真っ先にしまったのは、オレンジ色の鍋だった。俺が生まれる前からお袋が大事にしてきた鍋だ。捨てるなんて、とんでもない!
 部屋を出るか、鍋を捨てるか。トムに問い詰められ、迷わず答えた。
 部屋を出る、って。
 だけど最大の問題は……引っ越し先のあてがまったくないって事なんだよなぁ。
 寮の他の部屋に移れるかどうか。それ以前に、寮の部屋が空いてるかどうか、だ。とにかく、寮長のマイケル・フレイザーに相談することにした。

「うーん、それは困ったね……」

 部屋を訪ねて事情を説明すると、マイク先輩はくいっと人さし指で眼鏡の位置を整えて、こつこつと人さし指でこめかみを叩いた。
 寮長って言うと、ものすごく頭の堅い真面目な生徒だってイメージがあったんだけど。このマイク先輩はちょっと違っていた。いつも穏やかな目をしていて、滅多に怒ったり声を荒げたりしない。着てるものも、きちっと完ぺき! からちょっと崩れてる。と、言うか微妙にずれている。
 くたんとしたポロシャツとか、洗い過ぎてけっこう色の抜けたジーンズとか。入寮の時の挨拶の時は、靴じゃなくてサンダルを履いていた。たまたま、その時だけかと思ったんだけど……未だに、靴を履いてるのを見たことがない。
 噂では体育の時間以外はいつもサンダル履きらしい。
 現に今も、サンダル。見るたびに微妙に色と形が違ってるから、何足も持ってるらしい。

「あいにくと、寮の部屋には今、空きがなくってね。その、どうにかトムを説得できないかな」
「それが、トムの奴ものすごく怒ってて。あれ以来、口きいてくれないんですっ」
「おやおや」
「俺が部屋に居ると、目も合わせようとしないし」
「うーん、それは深刻だねえ」

「俺、俺、サンフランシスコには親戚もいないんです。親父は寮に入るから、州外の学校に行くことを認めてくれたんだ。アパートを借りたい、なんて言ったら即刻連れ戻されちまう!」

「厳しいお父さんだね」
「頑固親父です」
「大概、こう言う時は友達の所に転がり込むのが定番なんだけど。まだ十月じゃあ、そこまで親しくなってないだろうしね」
「……です」

 がっくりと肩を落とす。
 このままじゃ、まとめた荷物は、新しい部屋じゃなくてテキサスに送り返す羽目になりそうだ。

(それでいいのか、ディフォレスト?)

「お願いします、先輩! 俺、この学校辞めたくない。テキサスに尻尾巻いて帰るのは嫌なんだ!」

(いやだ。絶対、諦めるもんか!) 

「物置の隅っこでもいい。いざとなったら、寝袋で寝るから!」
「いや、そこまでしなくても。そろそろ寒くなる頃だし」
「大丈夫、全シーズン対応のアウトドア用の寝袋です」
「……うん、君がすごく必死なのはわかったよ、マックス」

 ぽん、ぽん、と肩を叩かれた。

「実はね。空き部屋はないけれど、今、二人部屋を一人で使ってる二年生がいるんだ」
「ほんとですかっ、先輩!」
 
 上級生と同室か。ちょっと窮屈だけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
 この街に居られるってだけで御の字だ。万万歳だ!

「ただ、ちょっと神経質って言うか、気難しい子でね。あまり人付き合いは、得意じゃないらしい」

 気難しくて、神経質で、人付き合いの苦手な上級生。だから、最初は言わなかったのかな。

「君を入れてくれるかどうか、説得してみるよ」
「はいっ!」

 希望の光が見えた。
 寮を出なくて済む。サンフランシスコに居られる! まだ決まったわけじゃないけど、それだけでもう、胸がいっぱいになる。

「ありがとうございますっ、先輩っ!」
 
   ※

 赤毛の一年生が帰った後、マイケル・フレイザーは長い間考え込んでいた。
 マックスとトムの仲たがいは相当に深刻だ。これ以上、あの二人を一緒の部屋に置いておくのは良くない。
 マックスの抱える、のっぴきならない事情もよく分かった。この学校に居たい、辞めたくない。必死で訴えてくるヘーゼルの瞳はうっすらと緑を帯び、真剣そのものだった。
 何としても応えてやりたい。
 他の部屋の誰かしらとの交換も考えた。しかし、空いてる部屋に新たに人を入れるのと、既に落ち着いている部屋から人を移動させるのとではハードルの高さがまるで違う。動かす人数は少なければ少ない方が望ましいのだ。
 増して新学期が始まってから一ヶ月、ちょうどどの寮生も移動先で落ち着いてる頃だ。また動けと言われて、いい顏はしないだろう。

「やはり、彼に頼むしかない、か」

 意を決してマイクは廊下に出た。

 四階建ての聖ガブリエル寮の三階、突き当たりの角の部屋。ノックをすると細く扉が開いて、整った顔立ちの少年が顏を出した。
 さらさらと絹のように艶やかな明るい褐色の髪、日に透かした紅茶色の瞳は切れ長で、すうっと通った鼻筋、尖った顎に形の良い唇はさながら陶器の人形のよう。手足のすらりと伸びた華奢な体つき、だがひ弱さはない。
 優しげな色とは裏腹に瞳はあくまで冷たく透き通り、見る者をすくませる鋭さを秘めている。さながら氷柱のように。
 聖アーシェラ高校二年生、レオンハルト・ローゼンベルク。その美貌と気高さ故に、校内では秘かに『姫』と呼ばれている。この部屋の唯一の住人だ。

「やあ、レオンハルト」
「……何かご用ですか?」

 口調は丁寧だが、並の人間なら一発で回れ右して逃げたくなるだろう。かくも冷たき視線と声で迎えられれば。だがマイクは諦めなかった。穏やかな声で会話を続ける。

「実は君の部屋に」
「お断りします」
「……まだ何も言ってないよ」
「そうでしたね」

 レオンハルトはわずかに目を細めた。

「では、改めてお聞きしましょう。どうぞ」

 言外にその冷ややかな双眸が語っていた。
 聞いたところで結果は変わらないが、一応、話してみろと。

(やれやれ、相変わらずだな……)

 だが、こっちも引き下がる訳には行かない。一人の前途ある少年の。ディフォレスト・マクラウドの将来がかかってるんだから。 

「ルームメイトとそりが合わなくて、部屋を追い出された一年生が居てね。他に行くあてがないんだ。親戚もいないし、アパートを借りるのは親が許可してくれない。このままでは、学校を辞めて家に帰らなければいけないそうなんだ」
「俺には関係ないでしょう」
「路頭に迷うかどうかの瀬戸際なんだ。頼むよ、レオンハルト、君の部屋に彼を入れてやってくれないか?」
「お断りします」

 やはり答えは同じ。だが想定内だ。

「この季節だ、ぼちぼち退寮者が出る頃合いだ」
「それがいないから、わざわざ俺の所に来たのでしょう?」
「それは……その……確かにその通りなんだけど……困ったな」

 マイクは眉尻を下げて声を落とした。事実、自分でも言うように『困っている』のだろう。かろうじて笑顔を維持してはいるが。
 レオンハルト・ローゼンベルクは考えた。
 入寮して以来、マイク先輩には世話になっている。
 集団生活に付きものの煩わしいトラブルに悩まされずに済んでいるのは、少なからず彼の差配による所が大きい。
 だが。
 ただでさえ薄い壁一つ隔てた隣の住人の声や物音が煩わしくて、いらいらしているのだ。他の人間と同じ部屋で生活するなんて、考えたくもない。

「あくまで、一時的な処置だよ」
「具体的には、どれぐらいの期間ですか?」
「早ければ一週間ぐらいで空きが出る。そうしたら、マクラウドを君の部屋から移すから」

 一週間か……。
 いっそ人間だと思わなければいいのか? 動くインテリアだとでも。一週間程度なら、それでどうにか我慢できるはずだ。
 耐えられないほどの酷い相手だったら、出て行ってもらおう。先輩が何と言っても。いざとなったら、自分がホテルに移ればいい。

「…………仕方ありませんね。寮長にはお世話になってますし」
「ありがとう、恩に着るよ!」
「あくまで、一時預かりですよ?」
「ああ。充分だ。一年生の名前はディフォレスト・マクラウド、テキサス出身だ。素直でいい子だよ」
「そうですか。では」

 バタン。
 マイケル・フレイザーの鼻先でドアが閉められた。
 これにて謁見終了。

「うん、まあ、必要なことは話せたし……ね」

 くしゃくしゃっと髪の毛をかき回すと、マイクはめげずにドアの向こうに声をかけた。

「それじゃ、よろしく頼んだよ、レオンハルト!」
 
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