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ローゼンベルク家の食卓

【4-3-2】もし、俺がハゲても

2008/09/15 23:19 四話十海
 
 風呂から上がって寝る前に髪をとかしていると、妙な手応えがあった。ずるりと絡み付き、引き抜くほどに糸を引くような……。
 不審に思ってブラシを見ると、ごっそりと髪の毛がからみついている。

 ぎょっとした。

 落ち着け、慌てるな。
 長さがあるから、少し抜けてもかさがあるように見えるだけだ。
 確かに頭を洗ってる時も妙に指にまとわりついていたが………。

 改めてブラシを見る。
 からみつく髪の毛にはいずれも毛根がついている。ってことは根本から抜けたのか? だが、その割に痛みは感じなかった。
 
 ……やばいな。

 ブラシから髪を抜き取り、無造作にゴミ箱に放り込む。ついさっき使ったタオルを手にとると、白い布地にまるでマーブル模様みたいにびっしりと赤い髪がこびりついていた。
 これは、深刻だ。
 寝室に戻り、レオンに聞いてみる。

「なあレオン。俺がもし将来ハゲても……愛してくれるか?」
「ん?」

 レオンは目をぱちくりさせて、逆に聞き返してきた。

「君の家系は髪が薄くなるほうかい?」
「いや。親父もじーちゃんもふさふさだけどな……」

 頭をかきそうになって、手が止まる。ここで指にからみついてまたごっそり、なんてことになったらそれこそシャレにならん。

「念のためだ、うん」
「別に君の体重が200kgぐらいになっても俺は全然かまわない……」

 にこにこしながら言いかけて、急に真剣な顔になった。

「いやちょっとかまうかな」
「…………それは……………ヤだな。すごく」

 ぺらっとシャツをめくって腹を確かめる。さすがにボディビルダーやアメコミのヒーロー、海兵隊員には負けるが一応割れてるし、今んとこ余計な肉はついてない。
 うん、異常なし。

「君が君のままならなんだっていいよ」
「……そっか」

 これまで何度も言われた言葉だ。だが今、彼のその言葉がいつになく嬉しくて、心に染みた。強ばった頬がゆるむ。
 ひょいとベッドに飛び乗り、レオンに後ろから抱きついた。

「髪が薄くなるのは俺のほうかもしれないよ?」

 肩を揺らしてくすくす笑ってる。ったく可愛い顔しやがって。どうしてくれよう、この男は?
 髪の毛をわしゃわしゃとかき回してやった。

「くすぐったいよ、ディフ」
「……お前は……髪の毛が薄くなろうが。いくつになろうが、美人だ。余計な心配すんな」
「なんで急にそんなことが気になったんだい」

 動きが止まる。
 別に。
 何でもない。
 この期に及んであいまいな言葉で言い逃れる自信はなかった。既にでかい隠し事を一つしてるとなれば、なおさらに。

「……………頭洗ったり…髪の毛とかしたりしてたら」

 ぽつぽつと言葉を綴る。

「うん」
「…………ごっそり抜けてた」

 レオンはちらりと俺を振り返り、眉をひそめた。

「原因はストレスかもね」
「……犬か、俺は」
「むしろ人間のほうが顕著に症状に出ると思うね。俺の依頼人達を見ていても、強い不安感や焦りは体調を左右するし、証言もかわる」
「そうだな……」
「このところずっと子供達のことを気に病んでいただろう。最近何かあったかい」

 目を閉じて、深く呼吸をする。
 何から話すべきか。
 オティアの飲酒の件は……あれは、もう終わったことだ。今さら蒸し返すまでもない。
 
「飯食ってた時に……スープを口にした瞬間、オティアが顔しかめたんだ……ほんの少しだけ。熱くて口の中にしみたらしい」
「うん」
「気をつけてよく見た。歯が、ほんの少し黄ばんでる。肌も荒れてる。多分、口の中も……………慢性的な嘔吐の証拠だ。何故、見落としていたんだろう」
「……俺から見てもそこまで悪そうには見えなかったよ、今まで」

 そう、確かにオティアは巧みに自分の不調を押し隠していた。だからって俺が気づけなかった言い訳にはならないが。

「目の下、うっすらクマ浮いてやがった。眠れてないのかな、あいつ」
「確かに……彼の調子が良い時と悪い時で波を感じることはあるけれど。それほど痩せたようでもない」

 肩に顎を乗せたまま、じっとレオンの声に耳を傾ける。

「だが、君が言うように……慢性化しているなら問題だな」

 レオンの手が伸びてきて、頭を撫でる。目を閉じて優しい指先に身をゆだねる。こめかみ、額の中央、顎の噛み合わせ。知らぬ間にあちこちにがっちりこびりついていた鈍色の塊がほどけてゆく。

「彼らはそんなにバカじゃない。自分達の状況はわかっているはずだ」
「……そうかな………そうだと……いい」
「それでも訴えてこないなら、何かそうしなければならない理由があるんだろう」

 こくん、とうなずいた。

「それで、君は。どうしたいんだい?」

 オティアの頑なな表情、抑揚のない低い声……堅く閉ざされた石の扉にも似て。この手でこじあければ、赤い血がふき出すだろう。

「俺に言えないことがあるのなら言わないままでもいい。ただ、今みたいにオティアが。それをフォローしてるシエンが身も心もすり減らしてるのだけは止めたい」

(ごめんなさい)

 ふて腐れてそっぽを向くオティアの隣でシエンが謝っていた。小さく身を縮めて、何度も。
 まるでカードの表と裏のようだった。
 眠れない夜を、不安に怯えて過ごしているのはあの子も同じなんだ。

「……実際、体に悪影響出てるんだしな。根っこが心の中にあるにせよ」
「言い出すきっかけを失ったとか、病院が嫌いだとか、それぐらいの理由だといいんだが……一度、俺から話してみるよ。それでいいかい」

 こくっとうなずき、耳元にささやく。

「ありがとな、レオン。お前の嫁になってよかった」

 レオンはようやくほほ笑んでくれた。しかめっ面もきれいだが。どんな表情をしていようが、こいつがきれいなことに変わりはないんだが。
 やはりその顔の方がいい。

 頬に温かな唇が押しあてられる。目を細めて受け入れた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ベッドに入ってから改めてディフを抱き寄せ、髪の毛に指をからめる。
 ことさら執着しているつもりはないのだが、長さがあって触りやすいものだからつい、弄ってしまう。

「よせよ、くすぐったい」

 くすぐったいと言いながら微笑み、甘えるように顔をすりよせてくる。その仕草が愛おしくてまた弄る。

 彼が髪を伸ばし始めたのは首筋の火傷の跡をカバーするためだった。

 初めて恋人同士のキスをかわした時は肩に軽くつく程度。今では背中にまで広がっている。
 アイリッシュセッターを思わせるやわらかな赤い髪。初めて出会ったころは今よりもっとカールが強くかかっていたが、年齢を重ねるにつれて次第にゆるやかなウェーブへと変わっていった。
 今でも水気を含むとくるりと巻きあがって少年の頃を思いだす。

 長い髪をかきわけ、なで回していると、ふと、見慣れぬものを見つけた。
 ぽつっと小さく白く地肌が見えている。豆一粒ほどの、小さなものではあったけれど……。

 何てことだ。

「あ、こら、どこ触ってるんだ?」

 指で撫でると、彼はくすぐったそうに身をよじった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 翌朝、事務所で。いつものようにその日のスケジュールを確認している時、アレックスに言われた。

「レオンさま。一つ、ご報告したいことがあるのですが……いささかプライベートなことで」
「何だい?」
「先日、居間のバーカウンターの中味をチェックしていたのですが」
「ああ。何か足りないものでもあったのかい」
「はい」

 アレックスは控えめな口調で手短に告げた。シエンに聞かせまいとする気づかいだろう。今は別室にいるとは言え、いつ入ってくるかわからない。

「中味が減っている?」
「はい。二段目の棚の瓶のものが、何本か」
「……わかった。心に留めておくよ。ありがとう」
「おそれ入ります」

 俺やディフでないことは確かだ。飲む時はいつも二人一緒だし、彼が寝酒に一杯二杯引っ掛けるとしてもそんな飲み方はしない。
 ヒウェルか、とも思ったが彼なら悪びれもせずに「一本もらってきますね」と瓶ごと持ち去るだろう。

 帰宅してから確かめてみよう。もっとも、だれの仕業かは、容易に想像がつくが。

(だからあんなに悩んでいたのか。まったく君って人は繊細なのか、豪胆なのか……)

 目を閉じると目蓋の裏にぽつりと、白い豆粒ほどの斑点が浮かぶ。赤いたてがみの中に生じた小さな空間。
 これは由々しき事態だ。ディフの髪がなくなる前に、解決しなければ……断固として。


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