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ローゼンベルク家の食卓

【4-3-1】飲酒発覚

2008/09/15 23:17 四話十海
 ひた、ひた、ひたり。

 汗が流れている。
 冷たい汗が。

 上からも滴り落ちて来る。
 生臭い、獣の臭いのする汗が。

 組みしかれた体の下で、金属が軋る。ぎいぎい、ぎしぎしと耳障りな音を立てて泣き叫ぶ。

(ああ、五月蝿いな)
 
 生臭い汗をまとわりつかせた大きな手が、足を押し広げる。薄暗い部屋の中、無機質な光が閃いた。

 カシャリ。
 カシャ。
 カシャッ。

 五月蝿い。
 五月蝿い。
 五月蝿い。

 ああ、嫌だ。いっそ、何もかも消えてしまえばいい。

 獣の臭いのたちこめる薄暗い部屋も。
 なす術もなく弄ばれる…………………………この体も。

 ひた、ひた、ひたり………

(やめろ)

 ぎし、ぎし、ぎぃ。

(やめろ)

 ぎぃ、ぎぃ、ぎちり………ぎちぎちぎち………

(やめろ!)

 ガシャン!
 ジィイン…………ジャラン。

 どこかで堅い物の割れる音がした。

「オティア……オティア?」

 だれかが呼んでいる。この世で一番、身近で安心できる声。うっすらと目を開けた。

「あ……」
「………オティア」

 シエンがのぞきこんでいた。

 また、やってしまったのか。

 見回すと枕元に置いてあった目覚まし時計が消えていた。
 1コインショップで見つけた、レトロな形のベル式の時計。つやつやと青い塗料で塗られた外見が何となく目を引いて、買ったものだ。

 目をこらすと、寝室の壁際に落ちていた。ガラスが割れて針が飛び、ベルの部分が妙な角度にねじれ、二つあったうちの一つが無くなっていた。

 まるで気まぐれな手がぐいと時計を壁に押し付け、猛烈な力でにぎりつぶしたような……不自然極まりない壊れ方をしてる。

 皮肉なもんだ。
 あんな力、起きている時は出そうと思っても決して出せない。

 シエンが手を握ってくる。
 すがりつくように。
 にぎり返した。

(絶対、知られちゃいけない)

 優しさも信頼も、このことが知られた途端、一瞬のうちに畏れと嫌悪に変わった。今までずっとそうだった。

(知られたくない)

 無くしたくない。今、惜しみなく注がれる笑顔と信頼を。温かさに包まれれば包まれるほど、放り出された時の冷たさが恐ろしい。
 この部屋を……………この家を、離れたくない。
 シエンの為に。

 シエンとうなずきあうと、オティアはベッドを抜け出し、床に立った。

(片付けなければ。何事もなかったように、跡形も無く)

 濡れた寝間着がじっとりと肌にはりつく。

 ひた、ひた、ひたり。

 冷たい汗は、まだ流れていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「っ!」

 ベッドの中、身を堅くして目を開けた。
 肋骨の内側で心臓が跳ね回っている。音が聞こえそうなほど激しく。口をとじていないと、喉から飛び出しそうだ。
 呼吸を整えながら隣を伺う。
 すぐそばでレオンが穏やかな寝息を立てていた。

 ほっとした。

 だが、相変わらずざわざわと、妙な胸騒ぎがする。
 そろり、そろりとベッドを抜け出した。愛しい人の眠りを妨げぬように、静かに。椅子の背にひっかけたガウンをとり、羽織る。足音をしのばせてドアを開け、廊下に出た。

 常夜灯のわずかな明かりを頼りに居間に向かう。
 胸の奥の不吉なさざ波はまだ収まらない。それどころか次第に強くなって行く。

 居間に入る。薄明かりの中、隣の部屋……かつては自分が住み、今はオティアとシエンの居る部屋に通じるドアが浮び上がって見えた。
 頭の半分は浅い眠りの中を漂い、もう半分は鋭く冴え渡る。夢と現つの境目の中、奇妙な確信を覚えた。

 子どもたちに何か起きたのだ。

 明かりのスイッチを入れる。
 まばゆい光の中、唐突に現実が戻ってきた。

(……俺、何やってるんだ?)

 日中、あのドアはほとんど開けっ放しだ。しかし今は鍵がかかっている。自分のキーホルダーにもその鍵はついているから、入ろうと思えばいつでも入れる。
 だが………あくまで、あそこは双子の住居だ。今、勝手に入ればあの子たちの信頼を裏切ることになる。
 そっとドアまで歩み寄り、耳をすます。五感を研ぎ澄まし、向こう側の気配をうかがう。

 ……。
 ………………。
 …………………………………何もわからん。
 
(当たり前だ、犬じゃあるまいし)

 震動もない。声も聞こえない。走り回る気配もない。やはり気のせいだったんだ。
 あの子たちも、隣に俺たちが居るのはちゃんと知ってるんだ。何かあったら、呼びに来てくれるだろう。
 そう、信じたい。

(呼ばれない限りこのドアの先へは入れない。今はまだ、入るべきじゃない)

 自分にそう言い聞かせる。だが、それでも立ち去りがたくて、未練がましくドアの前にたたずみ続ける。
 二月の終わり頃、二人そろって熱を出した時があった。あの時はまだこっちの部屋に居たから、夜中に様子を見に行くこともできたけれど……。

 ぽん、と肩を叩かれた。

「あ……レオン?」
「目がさめたら姿が見えないから……心配した」

 眉を寄せて、レオンは迷子の子どものような途方に暮れた顔をしていた。
 さらりとした絹のような明るいかっ色の髪をかきあげ、耳元で囁く。

「ごめん」

 優しい手が肩を包む。自分からも手を回して身を寄せた。そのまま明かりを消してリビングを出て、寝室に戻った。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 深く眠ってしまえばいいと思った。夢なんか見ないぐらいに、深く。
 眠る前にホットミルク? 冗談じゃない。ハーブティなんか気休めぐらいにしかならない。
 もっと強い物でなければダメだ。

 答えは意外に近い場所にあった。リビングの片隅に設えられたホームバー、その棚の中に。

 夕食が終われば朝が来るまで誰にも会わない。シエン以外には。
 翌朝、響かない程度に加減すればいい。

 最初に口にしたときは、あまりの刺激にむせた。それからは水で薄めることにした。
 一度に大量にとっていったら気づかれる。だから少しずつ。

 実際、しばらくの間は上手く行った。

 だがいくら聡いようでも所詮は子供。
 オティアは知らなかったのだ。本当の『酒飲み』は彼が思うよりずっと、酒の残量に目ざといと言うことを。 

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 飯の仕度をしていたら、料理用のウイスキーが切れていた。必要な量はほんの少し。だが肉のつけ汁に入れるとぐっと香りが良くなる。
 今さら買いに行く時間はないし、ちょいともったいないが……あるもので済ませよう。
 リビングに行き、片隅に設えられたバーカウンターの棚を開ける。ずらりと並んだ酒の瓶はほとんどレオンが依頼人や仕事の付き合いのある相手からもらったものだ。
 さて、どれにするか。
 順繰りにチェックしてゆき、一段目の端まで行って、二段目に移ったところで異変に気づく。

 妙だな。
 何本か、少しずつ中味が減っているのがあるぞ?

 ウイスキーは樽ん中で醸造してる間に蒸発したり、樽に染み込んだりして少し量が減る。こいつを『天使の取り分』と言うらしい。が、これはもう瓶に入ってる。天使が飲んだとは到底思えない。

 俺が飲む時はいつもレオンと一緒だし、第一、こんな妙な飲み方はしない。
 まさか、ヒウェルが?

 ………いや、奴なら一瓶まるごとガメてくはずだ。

「一体………誰が」

 答えはもう、見えている。減っているのは比較的低い位置にある棚の瓶ばかりだ。だが、確かめるのが怖かった。
 ぎりっと奥歯を噛む。

 ここで逃げてはいけない。可愛いだけ、愛しいだけじゃ『親』は勤まらない。

 アルコールに、ドラッグに、銃。

 誘惑の手は多く、落ちる時はあっと言う間だ。ほんのささいな兆しでも、見過ごすことはできない。信頼と言う言葉に甘えてはいけないのだ。

「………ディフ………」

 背後で小さく名前を呟く声がした。振り向くと、怯え切った紫の瞳が見上げていた。

「シエン。オティアを呼んできてくれ」

 幸い、レオンが帰ってくるまでにはまだ時間があった。

「話がある」

 ※ ※ ※ ※
 
 オティアとシエン、二人そろったところで改めて切り出す。 
 酒が不自然な減り方をしていること、自分やレオン、ヒウェルはこんな飲み方をしないこと。順序立てて説明してゆく。
 双子がやったのなら主犯はおそらくオティアだ。シエンならそもそも黙ってこっそり酒を持ち出したりしない。知ってはいたのだろうけれど……。

「お前が飲んだのか?」

 確認すると、彼はぶっきらぼうに一言

「ああ」と答えた。

「そうか。もう一度聞くぞ。お前が、一人で飲んだのか?」
「ああ」

 そうでなければいいとどんなに願ったか。だが、彼がYesと言うならそれは事実なのだ。
 何故今まで気づかなかった。何故、止められなかった。何故。何故?
 いくつもの何故、が喉の奥から競り上がり、声のボリュームが跳ね上がる。
 
「………………………オティア」

 震える両手で細い肩を包み込む。指に力を入れぬよう、精一杯の努力を振り絞った。顔が歪み、涙がにじみそうになる……ええい、こらえろ。ここで俺が取り乱したらそれこそ収集がつかない。

 オティアはちらっと俺の目を見て、それからぷい、と視線をそらしてしまった。

「…………………もうしない」
「……なら、いい………」

 反抗はしていない。だが反省もしていない。悪びれた様子もない。

「ごめんなさい」

 シエンが小さく縮こまっている。オティアの肩から手を離し、一歩下がって距離をとった。

「オティアがしないと言うなら、もうしないってことだ。それで……いい」

 ほほ笑むことはできなかったが、さっきより穏やかな声を出すことはできた。

 叱ることはできなかった。
 抱きしめることもできなかった。
 ただ、オティアの雇い主として『もうするな』といい、『もうしない』と返された彼の答えに納得することしかできなかった。
 もどかしい。
 口惜しい。

 結局、酒を飲んだ理由は聞けなかった。
 憶測は危険、だがオティアが一人で部屋で飲んでいたとなると……パーティで悪ノリしてビールをひっかけるのとは訳が違う。大人ぶって、悪ぶって、かっこつけて仲間に見せつけるのとも違う。

 飲まなければいけない理由があったのだ。俺には言えない、何かが。

 これからはオティアとシエンの様子をもっと注意深く観察することにしよう。
 話してくれないのなら、こちらから情報を集めるしかない。注意深く証拠を探して、真実を探り当てよう。

 口元に苦い笑みが浮かぶ。

 親のやり方じゃないな。
 まるっきり、警察の捜査法だ。爆弾のわずかな破片から仕掛けた人間、作った人間を探り出す時のやり方だ……子どもたちを容疑者扱いするようで、心苦しい。だが、俺は他にやり方を知らない。

(レオンには、話せない)

 その日。
 結婚して初めて、彼に隠し事ができてしまった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その夜、部屋に戻ってからオティアはため息をついた。

 ヘーゼルブラウンの瞳の中央にめらめらと緑の炎が揺らめいていた。
 ずっしりと肩にかかる手が重かった。

(ディフは怒っていたのだろうか。それとも、悲しんでいたのだろうか?)

 いずれにせよ、自分には関係ない。ばれてしまったのなら、しかたない。もう酒を使うのはあきらめよう。

(深く眠ってしまえればいいのに)
(夢になんか追いつかれないくらい、深く)

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