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ローゼンベルク家の食卓

【4-2-2】ひっくり返ったバスケット

2008/09/08 22:18 四話十海
 
 駐車場に戻るエドワーズの足どりは重かった。
 花束を渡した瞬間のサリー先生のあの何とも微妙な……困ったような顔が頭から離れない。

 あの人を困らせてしまった。しかも、フォローしようと慌てて心にもない言い訳をづらづらと口走って。みっともないにも程がある。
 感謝の印だって? 嘘をつけ。

(いや、確かに半分はそうだったのだけれど。あと半分は……)

 深いため息が漏れた瞬間、踏み出した足がガツっと固いものにぶつかった。駐車場の車止めだ。何故、こんな所に?

(いや、これはここにあるのが正しい。まちがっているのはむしろ踏み出した自分だ)

 大量に分泌されたアドレナリンが思考を飛躍的に加速する。
 妙に冷静な分析が閃く中、エドワーズの体は確実に駐車場のアスファルトの上に倒れてゆく。掴まり、体を支える場所はない。

 子猫たちを守らないと!
 とっさに片手で受け身をとりつつ、もう片方の手でがっちりとバスケットを抱え込む。警察を辞めてから3年が経過していたが、警察学校で身につけたことは抜けていなかった。

 思い出すより早く体がきちんと然るべき動きをし、直撃は免れた。バスケットも無事だった。
 だが何と言う不運。留め具の締め方が甘かった!
 衝撃でかぱっとフタが開き……

「みー」
「にゃっ」
「みゃっ」

 ころころとやわらかな毛玉が6匹、転がり出る。

「ああっ」

 地面に降りたと思ったら立ち上がり、短い足を素早く動かし、た、た、たーっと四方八方に飛び散って行く。

 脱走だ!

「大変だっ」

 あわてて手近にいた一匹をつかまえ、ベストの懐に突っ込んだ。

「にうー」

 もぞもぞと懐の奥で動いている。とりあえず一匹確保。だが他の子猫はどこだっ?
 がくがく震える膝をふみしめて見回す。ちらっと隣の車の下に見慣れた黒縞の尻尾が見えた。

「バーナード! そんな所に入ってないで……」

 懐の中にいた一匹をバスケットに移し、今度こそ留め具をしっかりかけてから腹這いになって車の下に潜り込む。

「おいで、バーナード」

 バーナードはとことこと近づいてくると、ふん、ふん、と指先のにおいを嗅いだ。くすぐったい。だが遠い。もうちょっと……今だ!
 前足をつかんだつもりが手の中にあるのは後足だった。素早いったらありゃしない、いったいいつ方向転換したのだろう?

「ごめんよ、バーナード……」

 じたばたするバーナードの後足をつかんで引き寄せる。痛くはないだろうか。心配だが今はまず、身柄の確保が最優先だ。
 じりじりともう片方の手が届く位置まで引き寄せて、両手で抱えて車の下から連れ出した。
 素早く確認する。

 よかった、怪我はないようだ。

「よくガマンしたね。えらかった」

 バスケットの中にいれると先客が「にう!」と声を出す。その時になって最初に確保したのがティナだったとわかった。

「あと4匹……どこだ?」

 見回した瞬間、心臓が凍りついた。
 そばの街路樹の幹を、ざっしざっしと登っている白い毛玉が………アンジェラだ。いつの間に、あんな高い所まで!

「Noooooo!」

 もはやなり振りかまっていられない。バスケットを木の根本に置くと、エドワーズは何年ぶりかで木登りに挑戦した。
 ベストやシャツにいくつもかぎ裂きができる。木の枝が顔をひっかき、葉っぱが髪の毛にへばりつく。だが、構わず遮二無二登り、なおも高みを目指すアンジェラを捕まえて懐に押し込んだ。

「危なかった……」

 降りるのは登る以上に大変だった。慎重に、慎重に。懐のアンジェラをまかりまちがってもつぶしたりしないように。
 ああ、地上が遠い。
 他の子たちはどこにいるんだろう。こうしている間に遠くまで行ってやしないだろうか。

「うわっ」

 ずるっと足が滑る。慌てて枝を掴み、体を支える。片足が宙に放り出される。危ない、危ない……。
 待てよ。この高さなら、飛び降りた方が早くないか?

 目で地面との距離を計る。今は一秒でも時間が惜しい。よし、やるぞ。

 どさりと飛び降りた。じーん、と足の裏から膝、腰にかけて衝撃が走る。懐でごそごそとアンジェラが身動きした。

「よしよし、驚かせてしまったね」

 取り出して無事を確認してから、バスケットに入れた。
 これで3匹確保!
 あとは? どこだ? どこだ? まさか表通りに出てはいないだろうな……。

「あら、子猫ちゃん」

 二台向こうの車に乗ろうとした女性がふと足元を見て首をかしげた。

「どうしたの、あなた。こんな所で何してるの?」
「そ、その猫、うちのですっ」

 全力で駆け寄った。
 女性は一瞬、ぎょっとした顔でエドワーズを見返してきたが、満身創痍の彼と抱えたバスケット(もぞもぞ動いてにーにー鳴いている)を見て全てを察したらしい。
 うなずくと足元にすりよるオードリーを抱き上げてくれた。

「どうぞ」
「ありがとうございます……」

 女性の手からオードリーを受け取り、バスケットに入れた。残りはモニークとウィルだ。いったいどこに?
 その瞬間、表通りの方ででキーっと車の急停車する音が聞こえてきた。

「まさかっ。ウィル? モニークっ?」

 駆け出そうとしたその時、目の高さで「にーっ」と鳴く声がした。

「あ………ウィル………………」

 白茶の子猫が一匹、すぐそばの車のボンネットの上でとくいげに足をふんばっていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ウィルを回収してから念のため表通りまで確認しに行った。幸いなことに……本当に幸いなことに、車の急停止は子猫とも、それ以外の動物とも無関係だった。

(神よ、感謝します)

 しかし、モニークの姿はこつ然と消えたまま、いくら探しても見つからない。
 時間はどんどん過ぎて行く。
 捜索範囲を広げようにも一人で探せる距離はおのずと限られてしまう。

 どうしよう。
 一体、どうすれば?

 不吉な予感がぐるぐると胸の底でうずを巻く。
 ふとその時、脱走したバーナードを届けた時の花屋の店主の言葉を思い出す。

『ああ、よかった、もう少しで探偵事務所に電話しようと思ってたんだ!』

 探偵。その一言から細い糸が伸びてゆき、記憶の底から友人の結婚式でサリー先生と交わした会話を釣り上げる。

『時々探偵事務所で動物探したりしてます』
『………迷子のペットも探してるんですね、彼が』

 エドワード・エヴェン・エドワーズはいざとなると迷わない男だった。
 決然とした面持ちでバスケットを抱えて車に乗り込むと、ユニオン・スクエアに向けて走り出した。
 自宅ではなく、友人の経営する事務所に向かって。急げば10分もかかからず着けるはずだ。
 彼は捜査のプロだ。こう言う時はプロに任せた方がいい。それがベストの選択なのだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「戻ったぞ」

 マクラウド探偵事務所では、ちょうど帰ってきた赤毛のいかつい所長が、ややくすんだ金髪に紫の瞳の有能少年助手に声をかけた所だった。

「留守の間、何かあったか?」
「急ぎの用事は、別に」
「OK。じゃあ、本日の捜査はこれにて終了。一件片付いたから報告書にまとめる」
「ん」
「留守番ご苦労。しばらく自由にしていていいぞ」
「わかった」

 所長がデスクの上のノートパソコンを起動し、有能少年助手が読みかけの本に手を伸ばしたその時……呼び鈴が鳴った。
 二人は顔を見合わせ、所長が声をかけた。

「どうぞ。開いてます」

 勢い良くドアが開いて、シャツもズボンも髪の毛もくしゃくしゃにした金髪の男が血相変えて、ピクニックバスケットを抱えて入ってきた。

「マックス、助けてくれ、リズの娘が行方不明なんだ!」

 行方不明?
 ディフとオティアは顔を見合わせた。いきなり穏やかじゃない。だが、それなら彼の取り乱した様子もうなずける。

「落ち着け、EEE。その子、年はいくつだ?」
「三ヶ月」
「誘拐かっ?」

 既にごつい手が卓上の電話に伸び、受話器を取り上げていた。

「いや……病院の帰りに……逃げ出して………」

 ぱちくりとディフはまばたきした。
 逃げ出した? 確かに今、そう言った。

「えらくアクティブな0歳児だな」
「私がいけないんだ………うっかり、バスケットをひっくりかえしたばっかりに!」

 バスケット?
 所長と助手は顔を見合わせると、改めてエドワーズの抱えたピクニックバスケットに視線を向けた。
 きっちりフタの閉められたバスケットからはかすかに、ごそごそと何かの動き回る気配がした。さらに落ち着いて耳をすますと何やら「みゅーみゅー」と小さな甲高い声が聞こえる。

「もしかして……いなくなったのは………猫、か」
「ああ。子猫だ」
「何てこった!」

 ディフは受話器を一旦置き、電話を切った。

「担当が違うじゃないか。SFPD(サンフランシスコ市警)じゃなくて、アニマルポリスだ!」

 いなくなったのが猫だろうが、人間の子供だろうが。一大事なことには変わらない。少なくともこの3人にとっては。

「それで、いなくなった場所は?」
「動物病院の駐車場」
「大学病院付属の?」
「ああ」
「そこなら馴染みの場所だ。第一駐車場?」
「いや、裏手の第二駐車場だ」
「そっちか。わかった。病院で保護されてないかどうか確認してみる」

(そうだ、まずは病院に確認をとるべきだった。何故、気づかなかったのだろう? しっかりしろ、エドワード)

「子猫の名前は?」
「モニーク。白い体に胴体の左側に薄茶のぶちがある。目は青、ピンクの首輪に迷子札をつけている」
「OK。メスだな?」
「ああ」
「マイクロチップは?」
「まだ入れていない。新しい飼い主の家に行ってからの方が良いと思って」
「そうだな、その方が手続きは楽だ……いなくなった時間は?」

 エドワーズは必死で記憶を手繰った。
 財布から病院のレシートを取り出し、記載されていたレシートの時間と自分の懐中時計を見比べる。祖父の代から受け継がれてきた銀色の時計はこまめなメンテナンスのおかげで今も正確に時を刻んでくれる。
 駐車場までは歩いておよそ5分、故に自分が転んでから経過した時間は……。

「だいたい30分ぐらい前だ」
「わかった。アニマルポリスにもかけとくか?」
「いや、自分でやるよ」
「OK、そっちは任せた」

 エドワーズは唇を噛むと携帯を取り出し、アニマルポリスに電話をかけた。万が一に備えて番号は登録してあったが、まさか使う日が来るなんて。

「ハロー? うん、俺だ。実は子猫が行方不明で……名前はモニーク、白に腹の左側に薄茶のぶち、ピンクの首輪、迷子札をつけている」

 マックスの声を聞きながら、半分、悪い夢を見ているような気分でアニマルポリスの担当にいなくなったモニークの特徴を告げる。
 しばらく電話口の向こうでパソコンを操作し、データを照会する気配がした。

『……お待たせしました』

 電話の相手は事務的な口調に適度な共感を織り交ぜつつ、『残念ながら該当する子猫はまだ保護されていない』と教えてくれた。
 見つかったら連絡してくれるよう頼んで電話を切る。

「……そう、エドワーズんとこの子猫だ。30分前に第二駐車場でいなくなった。そっちに保護されてないか? ……そうか。うん、ぜひ頼むよ。それじゃ、後でまた」

 どうやらマックスの方も空振りだったらしい。
 ため息をついてうなだれる。

 ウ……イィイイイン、カシャ。

 視界の隅で何かが動く。
 かすかな音とともにプリンターから紙が吐き出されていた。ちらっと見た所、動物病院付近の地図のようだった。どこでいつ、行方不明になったのかも詳細に記録されている。いつの間に準備していたのだろう?
 金髪の少年がカタカタとキーボードに指を走らせている。またたく間に画面上にチラシのひな形が呼び出された。
 タイトルは

『迷い猫さがしています』。

 Wordであらかじめ基本のフォーマットを作ってあったらしい。
 かたかたとキーが鳴り、先ほど自分の告げたモニークの特徴が打ち込まれて行く。

「写真、ありますか?」
「あ、ああ、これを」

 エドワーズは携帯を開き、モニークを写した画像を呼び出した。リズと6匹の子猫たちは全て一匹ずつ、写真に収めてあったのだ。

「その携帯、Bluetooth対応?」
「ええ」
「じゃ、こっちに送ってください」

 言われるまま、少年の操るパソコンに写真を転送する。彼は手際よくチラシにモニークの写真を張り付けた。

「ああ……こんなことなら、リズも連れてくればよかった」

 作業の合間に少年が顔を上げ、何やら物問いたげな視線を向けてきた。

「リズは母猫の名前です。いなくなったモニークは一番末っ子で……冒険心旺盛かと思えば臆病で。家にいるときもしょっちゅう物置やら庭木の下にもぐりこんで姿が見えなくなる。けれど、いつもリズが見つけてくれた」

 少年はじっと聞いていた。レイアウト作業が終わるとエドワーズを手招きし、画面を確認してくれと言ってきた。

「あの、このチラシに私の住所や電話番号は入れなくていいんですか?」
「連絡先は、ここの事務所にしています」
「でも、外に出ていたら」
「大丈夫、留守番で俺が残ります」
「そうですか……では、これでお願いします」

 少年はこくんとうなずくと、『印刷』のボタンを押した。かすかな音ともにプリンタが次々と「迷い猫探しています」のチラシを印刷して行く。
 ぴん、と尻尾を立てた白い子猫の写真が何枚も、何枚も重なって行く。

 ああ、モニーク。
 無事でいてくれ。

「モニークは、家から出たのははじめてなんです。家族以外の他の猫に会ったこともまだなくて……。臆病な子だから、引っ掻かれないように、気をつけて」

 こくん、とまた、金髪の少年がうなずいた。

「大丈夫」

 チラシの印刷が終わると、今度は写真そのものをプリントアウトし始めた。
 おそらく調査の時、人に見せて聞き込みをするのに使うのだろう。実に有能なアシスタントだ。しっかりと教育が行き届いているようだ。

「オティア、写真は二人分だ。人手が足りない。お前も来い」
「……ああ」
「事務所が空になるから上に連絡入れとけ」
「わかった」
 
 オティアと呼ばれた少年が青い携帯を開いてどこかに電話をかける間、所長は卓上の固定電話を操作していた。

「チラシの番号に連絡が入ったら俺の携帯に転送されるようにしておいた。お前は、こいつらつれて一旦帰ってろ。見つけたら連絡する」
「わかった……頼むよ、マックス」

 ぼふっと肩を叩かれた。骨組みのしっかりした、大きな手で。

「任せろ、EEE」

 
 ※ ※ ※ ※

 
 エドワーズを見送ってから、オティアとディフは車に乗り込み、問題の場所に向かった。

 動物病院の駐車場にいかつい四駆車を停め、ドアを開け、左右に降りる。
 手足の長さも体重も、筋肉の付き方も違うのに何故か二人が地面に降り立つタイミングはほぼ一緒だった。

「装備確認。地図」
「OK」
「写真」
「OK」
「チラシ」
「OK」
「よし、手分けして探そう。ここを中心にして、俺はこっちを探す。お前は向こうだ」
「わかった」
「猫を見つけたらその場で連絡。何かトラブルに巻き込まれてもすぐに連絡しろ。いいな?」
「OK」
「……体調悪くなったら無理せず休め。いいな?」

 オティアは黙ってうなずいた。いつもと同じポーカーフェイスで、ぴくりとも表情を動かさないまま。

「それじゃ調査開始」

 猫探しは円を描くように動くのが基本だ。
 所長と助手は背中合わせに歩き出し、それぞれ自分のペースで猫探しを始めた。

 一人は大またで、ゆっくりと。
 一人は小さな歩幅で小刻みに。


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