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ローゼンベルク家の食卓

【4-2-1】リズの子どもたち

2008/09/08 22:17 四話十海
 
 その日、いつもと同じ様に5:00かっきりに目を覚ますと、エドワード・エヴェン・エドワーズは朝食後に庭に出て薔薇を摘んだ。

 こじんまりとした砂岩作りの建物の裏に広がるささやかな庭には大小色とりどりの夏薔薇が今を盛りと咲き誇り、とろりとした香りを朝の空気の中に漂わせていた。
 
 さて、あの人にはどんな花が似合うだろう?

 いつもより心持ち入念に手入れをしながら薔薇の花を品定めして行く。

 緑滴る朝の庭で目を引くのは、まず、おとぎ話のお姫様のドレスのようなひらひらした花びらを幾重にも重ねた大輪の薔薇……ゴージャスだが、いささかかさばる。香りも強い。外で香る分には佳いけれど、部屋の中では少しきつそうだ。
 花の中心から花弁の縁にかけてピンク色のグラデーションのかかった小花の薔薇と、同じ大きさのクリーム色のを合わせることにした。
 
 開いたばかりの花と、まだ開いていない蕾を選んでガーデニング用のハサミでちょきん、ちょきんと切って行く。贈る相手に思いを馳せながら、心をこめて、丁寧に。

 仕事場に持って行くのだから、あまりかさばらない方がいいだろう。花だけでは寂しいから、緑のシダの葉っぱも交ぜた方がいいかな……。

 朝露をふくんだ薔薇のトゲを丹念にとると、改めて丈を短く切りそろえる。母のやり方を思い出しながら、丁寧に。
 根本を濡らしたティッシュでくるみ、輪ゴムで留める。さらにその上からラップを巻いて水漏れを防ぐ。
 仕上げに薄紙でくるりと巻いて、薄いピンクと青の細いリボンの2本どりで結わえる。
 幸い、ラッピング用の薄紙とリボンは豊富にあった。

 贈り物として本を買い求めるお客も多いのだ。

 じっくりと時間をかけて小ぶりな薔薇の花束を作り上げるとエドワーズは満足げにうなずき、中にタオルをしいたピクニックバスケットを準備した。
 さて、どうやって誘導しようかと考えていると、子猫たちは自主的に近づいてきた。
 目をきらきら輝かせ、ヒゲをぴーんっと前倒しにして。

「みうー」
「にう、にう、にう」
「みゃ」

 助かった。
 この所、めっきり移動速度の早くなってきたこの6匹のにごにご動く毛玉どもを追いかけて、確保して、バスケットに詰め込むなんて……。
 想像しただけで目眩がする。
 できればそんな難易度の高い追いかけっこには参加したくないものだ。

 バスケットのにおいをくんくん嗅いでる子猫たちを、ひょい、ひょい、とつまみあげて中に入れる。しっかりとフタを閉めて留め具をかけた。
 準備をしている間中、リズはずっと足元にまとわりつき、何か言いたげに青い瞳で飼い主の動きの一つ一つを見守っていた。

「大丈夫、心配ないよ。サリー先生がどんなに優しいかお前も良く知ってるだろう?」

 手をのばして頭をなでると、ひゅうんと長いしっぽが巻き付いてきた。
 
「それじゃ、リズ。行ってくるよ」


 ※ ※ ※ ※


 20分後、エドワーズは大学付属の動物病院の待合室にいた。薄桃色とクリーム色の小さな薔薇をコンパクトにまとめた花束と、子猫の入ったピクニックバスケットを抱えて。
 さっきまでは、ごそごそ、もそもそと動き回る気配がしたが今は静かだ。フタをあけて様子を確かめる。

 初めての病院で緊張してはいないだろうか。
 怖がってはいないだろうか?

 もわっと、微かに湿り気を帯びたあたたかい空気が立ちのぼってくる。
 白と薄茶の毛玉が五匹、黒い縞模様のが一匹。互いの体に顔を寄せ合い、折り重なって眠っていた。思わず顔がほころぶ。
 しかし次の瞬間、子猫どもはぱちっと目を開き、一斉にこっちを見上げた。と、思ったら………押し合いへし合いしてよじ上ってきた。

 おおっと!

 あわてて閉めた。
 やれやれ、油断もすきもない。だが、この分なら心配しなくてよさそうだ。

「エドワーズさん、どうぞ」

 来た。
 彼だ。
 ラッキーなことに待合室まで呼びに来てくれた。すっと立ち上がると、エドワーズは水色の白衣を着た眼鏡の獣医師に歩み寄った。

「あの、サリー先生」
「はい、何でしょう?」
「これを……」

 さし出された薔薇の花束を見て、サリー先生はわずかに眉根を寄せて何とも微妙な表情をした。困惑と戸惑い、そして微笑が入り交じり、そのどれでもなくなっている……。
 慌ててエドワーズは付け加えた。

「ちょうど……夏薔薇が盛りでしたので……その、いつもお世話になってる感謝をこめてっ」
「……ありがとうございます、綺麗ですね……。 待合室に飾ってもらいますね」

 サリー先生の眉に入っていた力が抜ける。ほっとしたのが伝わってきた。

「……はい。棘はとっておきましたから……」

 早まったことをしてしまったかな。
 苦笑しながらバスケットを抱えて診察室に入る。
 ほわほわの砂糖菓子のようなクリーム色と薄いピンクの薔薇の花束は、アシスタントのミリー嬢に手渡された。

「それで、今日はどうしましたか?」
「はい、リズの子供たちを連れてきました。健康診断をお願いします」

 かぱっとバスケットを開けると、一匹ずつ子猫を取り出して診察台の上に並べた。たちまち、ちっちゃな尻尾が6本つぴーんと立てられる。

「みうー」
「うわあ、可愛いなあ……」

 サリー先生は屈託のない笑顔を浮かべて子猫たちを見ている。花を渡された時よりうれしそうだ。
 6匹の子猫たちは我れ先にサリー先生に近づき、鼻をくっつけてくんくんとにおいを嗅いだ。ピンク色の口をかぱっと開けて口々に、人間には聞こえないほどの甲高い声で何やら話しかけている。

「はいはい、順番にねー」

 サリー先生は次々と子猫たちを抱き上げて体温と体重を量り、素早く歯や目、耳、手足、爪、尻尾、お尻の穴、お腹を確認してゆく。
 撫でているとしか思えないようなさりげない仕草で、子猫たちもまったく警戒していない。
 楽しそうにころころと転がり、四つ足をじたばたさせながら「にうー」と甘えた声を出す。

「はい、終わり。次は君ね」
「みゅー」

 もっと遊ぶ、とまとわりつく子猫をぽいっとバスケットに入れてお次の一匹。見ているうちにさくさくと6匹ぶんの健康診断が終わった。

「はいみんな健康ですねー。特に感染症もなさそうだし。ワクチンはもうちょっとたってからにしますか?」
「そろそろもらい手も決まってるので……今日お願いできますか?」
「はい。じゃあ少しお待ちくださいね。すぐ準備します。マリー先生!」
「まあ、可愛い団体さん……リズの子猫?」
「はい」
「お母さんに似て器量よしぞろいね」

 サリー先生とマリー先生、二人の獣医師は手際よくぷすぷすと注射をして行く。初めて注射をされた子猫がちっぽけな牙を剥き、「しゃっ」と怒った時にはもう終わっている。
 ただ一匹、バーナードJr.は何をされても終始静かで、「にゃ」とも「しゃっ」とも鳴かなかった。

「はい、おしまい。みんな元気でね」

 サリー先生は名残惜しそうに最後のモニークを撫でるとバスケットに入れた。

「ありがとうございました」

 6匹もいれば少しは診療時間も長くなって、それだけ一緒にいられるかとほのかに期待したのだが……。
 こんな時はちょっぴりその手際の良さが寂しい。

「子猫たちがいなくなってしまうと、寂しくなりますね」
「そうですね。ずっと賑やかな日が続いていましたから。もらわれて行く先は、ほとんど近所なんですが」
「近くなら、時々会いに行けて、いいじゃないですか」

 ああ、花を渡した時より、何倍もすてきな笑顔だ。くやしいな。

「ええ……そうですね」

 でも、この顔が見られることが今、ひたすらうれしい。

「ワクチン接種時期は新しい飼い主の方にも教えてあげてくださいね」
「はい、忘れずに伝えます。ありがとうございました」
「お大事にー」

 バスケットを抱えて待合室に戻る。
 ふわっとかすかに馴染みのある香りを嗅いだ。
 ピンクとクリーム色の薔薇が花瓶にいけられ、受け付けのカウンターに飾られていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 花をいけた花瓶をカウンターに置いてから、ミリーは素早く手帳をめくり、秘かに日記に記入しているスコアを更新した。

『本日の撃墜者1名。クリーム色とピンクの薔薇の花束』

 後でサリー先生に聞いてみよう。「あの花をくれた人、どう?」って。


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