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ローゼンベルク家の食卓

【3-4】ホット・ビスケット

2008/03/22 9:51 三話十海
 感謝祭も終わり、十一月も終わりに近づき、そろそろ気の早いクリスマスのデコレーションが町中にぽつぽつと顔を出すころ。

「……お帰り」
「ただいま」

 ディフが帰ってきた。

 恋人同士の再会はあたたかい部屋ではなく、寒風吹きすさぶ路上。片方は車の運転席、片方は大荷物かかえて歩道の上で。抱き合うのはおろかキスもろくにできやしない、色気皆無のシチュエーションだった。

 レオンが病院に迎えに行こうと地下の駐車場から車を出して。表通りに出たところで、迎えに行くはずだった当人が肩にでかいスポーツバッグを下げて悠々と坂道を登ってくるのに出くわしたのだ。
 慌てて車を路肩に寄せると、ディフもにこにこしながら近づいてきて再会の挨拶となった次第。

「今から病院に行くところだったんだが……」

 ディフはぱちぱちとまばたきすると、人懐っこい笑みを浮かべて答えた。ほんの少しはずかしそうに。

「……待ちきれなかった」
「しょうがないな」

「先に家に戻っててくれ。気をつけて。荷物は貰おうか?」
「大丈夫、自分で運ぶよ。でも、ありがとな、レオン」

 手を振って、走り出す。
 ハンドルを握ったまま、レオンはくすくすと笑っていた。

(まったく、あの子ときたら……体がなまるからって歩いて来たんだろうな)

 入院証明書とか。その他もろもろの保険に必要な書類のことになんか、ちらとも考えが向いていないに違いない。

「しょうがないなあ……」

 そう言いながらもレオンの顔からはしばらく、楽しげな微笑みが消えなかった。


 ※  ※  ※  ※


「ただいま」
「お帰りー」

 マンションに着くなりディフはまず、自分の部屋より先にレオンの部屋に直行した。
 シエンが少し驚いた様子で迎えに出る。
 やや遅れてオティアが顔を出す。

 シエンはちょこんと首を傾げて赤毛の頑丈な男を見上げた。
 少し色が白いのはあまり外に出られなかったせいだろうか。
 髪の毛が伸びて肩を通り越し、背中まで流れている。
 すそに行くにつれゆるやかなウエーブが広がり、なんだかゴールデンレトリバーみたいだ。

 撫でてみたいな……。

 ちらっと、思った。
 でも思うだけ。

「どうした?」
「ん……髪、のびたね」
「ああ。しばらく床屋行くのさぼってたからな」

 ふと、ディフは双子の着ている服に目をとめた。
 そろいのセーター、オティアが青と白、シエンが茶色と白。レオンの買ってきたカシミア100%の高級品。いい感じに「風合い」が出ている。

 しまった。

 胸の奥でひそかに舌打ちした。
 この子らの冬物はこのセーターと、『撮影所』の事件の前に自分が買ってきたフリース、合計二枚だけ。おそらく交互に着ていたのだろう。あとは秋物の重ね着でしのいだか。

「あー……その、参考までに聞くが、そのセーター……誰が洗ったんだ?」

 双子は顔を見合わせ、シエンが答えた。

「アレックス」

 やっぱりな。
 
 丁寧に手洗いで洗ったのだろう。縮みもへたれもせず、ふんわりパーフェクトに。さすが万能執事だ。
 しかし、毎日毎日、彼の有能さに甘えっぱなしってわけにも行くまい。

「よ、お帰りディフ……てうぉっとぉ!」

 ぬぼーっとヒウェルがリビングに入ってきて、床の上に置きっぱなしになっていたバッグに足をぶつけた。
 ガゴン! と何やら固い音がして、顔をしかめてとびあがった。

「ってぇなあ! ……何が入ってるんだ、これ!」
「ああ、これ」

 ファスナーを開けてディフが取り出したのは……ダンベル。しかもサイズ違いで2組ほど。さらにエキスパンダーまで。

「何で、帰宅したばっかの元入院患者の荷物にこんなもんが入ってんだよ」
「ベッドから動けなかったし、せめて腕の筋力だけでも維持しとこうと思って」

(この、ばか力め)


 ※  ※  ※  ※


 夕食の後、ディフは双子の顔を見ながら、遠慮勝ちに切り出してみた。

「そろそろ十二月だし……冬物そろえようと思うんだ。コートとか、厚手の靴下とか……あとネルのシャツとかフリースも、何枚か」
「え、でも、冬物ならレオンのくれたこれと、ディフが前に買ってくれたのがあるし」
「まー確かにそれはいいものだが……洗濯が大変だから。もっと楽に洗えてすぐ乾くのがあった方がいい。まとめ買いすると安いんだ」


 するとシエンは眉尻をさげてちょっとこまったような顔をした。

「そういうのよくわかんないから任せていい?」
「明日、一緒に…買い物来てくれると助かるんだが。サイズも合わせやすいし」


 シエンがオティアの方を見ている。オティアはぱっと見無表情だが、どうやらあまり乗り気ではないらしい。
 と、言うかそもそも明後日の方角……レオンの書斎の方に視線を向けている。外に出る気はなさそうだ。

「えっと……俺だけいればいい?」

 途端にオティアの態度が変わった。

「ちょっとまて」
「できれば二人とも。冬ものはかさばる。三人居た方がいい」

 双子は黙って顔を見合わせた。

「…………」
「…………」
「…………しょーがねーな」

 ……よし。


 ※  ※  ※  ※


 買い物は大抵、事務所のそばのSOMA地区のモールですませる。
 マンションからはケーブルカーで行けるが、今回は三人分、それも冬物だ。
 帰りが大荷物になるのは目に見えている。

 よって、車で行くことに決めた。

 バックミラーの角度を合わせながらディフは後部座席をうかがった。
 二人並んでちょこんと座っている。なんだかやけに車が大きく見える。ほんの二ヶ月前のことだった……同じ車に二人を乗せて、夜道を走ってレオンの部屋に戻ってきたのは。

(あの時は、こんな風に自分が子どもの世話を焼いてる姿なんざ想像もできなかった)

 地下の駐車場を出ると、ゆるく溶いた白い絵の具を塗ったような冬の青空が広がっていた。

 モールの駐車場で空きを探していると、すっと二人がある一点を指さした。

「そこの車、出る」

 大当たり。
 空いた場所に車を滑り込ませて外に出た。

「はぐれたら携帯で連絡しろよ」
「………」
「うん」

 ざかざかと歩き出すディフの後ろを、二人は手をつないでとことこと着いて来る。

 オティアも、シエンも、最初のうちはアレックスが買ってきた子供用の携帯を使っていた。しかしさすがに機能的にいろいろ足りなくなってきたのか、撮影所の一件の後で買い替えたらしい。

 そもそも子ども用の携帯はボタンの間隔が狭くて。いかに小柄とは言え、十六の少年の手にはいささか小さすぎるのだ。

 オティアが目の覚めるような青、シエンのは霧の中に優しく霞む森の木々にも似た緑色。
 今のところ電話帳に登録されているのは互いの分と。レオンと、ディフと、アレックス、そしてヒウェルの番号とアドレスのみ。

 ディフは思った。
 そのうち、同じ年頃の友だちもできればいいのだが。学校にも行かせてやりたいが……今は通信教育って手もあるし。

(って何で俺がそこで悩む? これはどっちかっつうとレオンの役割だろう!)

 ちらりと後ろを確認する。双子はちゃんと着いてきているが、若干顔が赤く息も早い。そこはかとなくつらそうだ。
 その時になって自分の歩くペースと歩幅が人よりいささか上を行ってることを思い出し、歩調をゆるめた。

 シエンがほっとした表情を浮かべた。
 これからはこのペースで歩こうと心に決めた。
 
 大手の洋品店に入ると双子はぎゅっと強く手を握ったまま、きょろきょろと周囲を見回している。
 物珍しいと言うよりは、草食動物が安全を確認しているようで、どこか落ちつかない。

「あんまし買い物とか…来たことないのか?」
「施設では基本的に古着だったし…んー、ちょっとぐらいはあるけど、だいぶ前かな」
「じゃあ結構驚くぞ。物価あがってるから」

 コートの値段を見るなり、シエンは小さく声をあげ、首を横に振った。

「こんな高いの買わなくていいよ!」

 実はレオンの買ってきたセーターはさらにその三倍ぐらいはするのだが。あえて言わないことにする。

「必要経費は養育費としてレオンから渡されてる。遠慮するな。風邪引いて医者にかかるよか安いさ」
「でも……」
「気になるんだったら、バイトしてみるか? レオンの事務所か、俺んとこで。ちょうどアシスタント探してるとこだったんだ」
「バイト? ……できるかな?」
「若いんだ、すぐ覚えるさ」

 双子は顔を見合わせしばらくそのまま。やがてシエンが口をひらいた。

「少し考えさせて」
「ああ。気が向いたらいつでも声かけてくれ」

 時折、二人の(と言うか主にシエンの)意見を聞きながら選んだのは定番中の定番、ダッフルコートだった。

「…これ、どうかな。このクリーム色のやつ。瞳の色にも、髪の色にもマッチしてる…」
「うん」
「こっちの紺色はオティアに。色違うから区別もつく」
「……ああ」

 その他、厚手のシャツや靴下もまとめて買う。

「穴が開いたりボタンとれたりしたら遠慮無く言えよ。つけ直すから」
「……うん……あの、ディフ」

 自分用に、と厚手の開衿シャツやらTシャツをまとめてカートに入れるディフに、シエンがおずおずと声をかける。

「いいの? こんなにたくさん、買ってもらって」
「まとめて買うと割引がきく。俺の分も買ってるからな」
「ん……」

 大量の荷物を抱えて店を出る頃には、シエンがだいぶへばってよろよろしていた。荷物多さと言うよりむしろ人の多さにあてられたようだ。
 ディフは後ろに引き返し、上体をかがめてのぞきこんだ。

「大丈夫か?」

 むっと言う表情で瓜二つの顔が目の前に割って入る。
 オティアだ。
 実際にはほとんど表情は動いていないのだが背後のオーラがめらめらと主張している。
『シエンに近づくな』と。

(参ったな、こいつかなり神経ピリピリさせているぞ)

 ディフは困ったレトリバーのような顔をして少し後にさがった。
 無理もない。今までほとんどマンションの部屋から出ていなかったのだ。見知らぬ場所で、大勢の人間に囲まれて。

(いきなりハードル高かったかな……)

「少し、休憩してくか。荷物多いし」

 オープンカフェの傍を通った時に何気なく提案してみた。
 オティアは今にもへたりこみそうなシエンの様子をじっと見て、それからうなずいた。

 ちょいと寒いが日よけの傘には小型のヒーターが仕込んである。
 今日は風もそれほど強くないし、陽射しも温かい。それほど寒さは感じない。

「何飲む?」
「…………」
「……………コーラでいい」
「OK、コーラな。何か軽く腹に入れてくか?」

 デザートのページを開いてメニューを見せる。二人とも微妙に困ったような表情を浮かべている。
 ディフはピンと来た。以前、デートに誘った女の子で甘いものを控えている子がいた。
 彼女がちょうどこんな感じの反応を見せたな、と。

「あ……もしかして……甘いの苦手か?」

「えっと…俺は食べられるけど…オティアは」
「そうなのか?」
「いいよコーラで」
「……俺が腹減ってるし。一人で食うと……寂しい」

 上から順番にメニューを見て行く。ケーキは論外。バナナスプリットやサンデーなんかもってのほかだ。
 ドーナッツもアウト。
 と、なると。

 ホットビスケット指さし、聞いてみる。

「これなら甘くないぞ」
「…ん」

 やがて、運ばれてきた特大サイズのホットカプチーノを飲みながらさりげなく様子をうかがってみる。

 双子はコーラちびちびとすすっている。どうやらさして好きと言う訳ではないらしい。
 どんな飲み物なのか、メニューを読んでもわからなかったのか。他に知っているものがなかったのか。
 あるいはいい加減疲れていて考えるのが面倒くさかったのかもしれない。

 しかしホットビスケットは気に入ったようだ。
 シエンはときどき添えられたクリームを少しだけつけているが、オティアはそのまま。
 両手で抱えてちまちまと食べている。

 内側のしっとりした部分が好きらしい。そのうち二人ともビスケットを手でちぎって食べ始めた。
 視線すら合わせていないのにぴったり同じタイミングで、ディフは見ていて思わず声を立てて笑いそうになった。

(なるほど、こっちは気に入ったんだな……)
(これなら、家でも作れそうだ)


 ※  ※  ※  ※


 そして数日後。
 ローゼンベルク家のキッチンで並んで粉をこねるシエンとディフの姿があった。
 きっちりと髪の毛を後ろで一つに束ねて(これはディフの方だけ)エプロンをつけ、腕まくり。

「混ぜてオーブンで焼くだけだからな。ミートローフと同じだ、基本は」
「そうかなぁ……」
「まあこっちの方が力は少ないけどな。粉だから」

 ふるった粉類とバターを、北欧製の大きな黄色いボウルにまとめていれて。指先でバターをつぶすようにしながら粉となじませる。
 卵と牛乳を入れて、スプーンでおおまかに混ぜたら軽く打ち粉をした台にとり、のばしては畳んで。
 のばしてはたたんで。
 20回ほどこねる。

「まだ半分残ってるけど」
「少し味を変えようと思ってな。これ入れて、混ぜてくれ」

 すりおろしたレモンの皮を加えて粉とバターをなじませる。
 牛乳の代わりに生クリームを少しだけ。

「なんか、口の中、すっぱくなってきちゃった」
「……俺もだ」

 何となく顔を見合わせて笑った。

「ディフ……ほっぺに粉ついてる」
「あ」

 ごしごしと手の甲でぬぐい、混ぜた生地を長方形に伸ばしてナイフでジグザグに。三角形に切って行く。

「そっち半分やってみるか? シエン」
「うん」
「刃をあてて、一気に押し切るんだ」
「……こう?」
「そうそう、上手いぞ」

 できあがったビスケットを天板に並べて、刷毛で軽く表面に牛乳を塗る。
 あらかじめ356°Fに余熱したオーブンで18分ほど焼く。

「ねー、ディフ、なんか……ふくらんだら割れてきちゃったよ?」
「ああ、それは気にすんな。店で食った奴も割れてただろ」
「そっか。そうだね」


 焼き上がった頃、玄関の呼び鈴が鳴る。

「客か?」
「ヒウェルだよ、きっと」

 シエンがとことこと走って行き、覗き穴から外を確認する。

 ……正解。

 何となく誰が来るのかわかるのだ。顔を見る前から、いつも。

「よ、シエン」
「ヒウェル」

 リビングに入るなり、ヒウェルはくんくんと鼻をうごめかせて見回した。

「男ばっかの部屋でなぜか菓子の焼けるにおいがする……」
「ホットビスケット焼いたんだ」
「……お前が?」
「うん。ディフと二人で。お茶入れてくるね」

(買ってきたの、あっため直した訳じゃ……ないよな)

 やや複雑な面持ちで首をかしげていると、キッチンからぬっとご本尊がお出ましになられた。

「よぉ」
「飯にはまだ早いぞ」
「いいじゃん、たまにはティータイムに来ても」
「食い物のにおいを嗅ぎ付けて来やがったか……」
「まさか。たまたまだよ、たまたま!」

 言えない。本当は、オティアの顔を見たくて来ただけだなんて。
 その肝心の相手は姿が見えず、ヒウェルは小さくため息をついた。

 焼きたてのビスケットと紅茶の組み合せは、コーラよりずっと美味しい。

「微妙に大きさが違うな。こっちのちっちゃいのはシエンが作ったのか?」

 こくこくと金髪頭がうなずく。
 思わずヒウェルは琥珀色の目を細め、含みのない素直な笑みを顔いっぱいに浮かべていた。

「すごいな。美味いよ」
「これ簡単だったから……」
「そーなのか?」
「材料混ぜて、オーブンで焼くだけだからな。ミートローフと同じだ、基本は」

(それ以前にミートローフをマメに焼く野郎そのものが希少なんだよ!)

 この分だとクリスマスには七面鳥はおろか、ケーキぐらい余裕で焼いちゃうんじゃなかろか、この男は。

「いいなこれ、気に入った」
「うん、手軽だし……焼きたてだとやっぱり美味しいね」

 自分の分を食べ終わると、シエンは「ごちそうさま」と言って小さめのビスケットを皿に載せてとことこと奥に入って行く。

「……オティア、また書斎か」
「うん。読み出したら止まらなくなっちゃったみたい」
「また?」
「うん、また」

 ヒウェルはなんとはなしにシエンの後をついてゆき、細く開いたドアから中をのぞきこんだ。

 書斎と言ってもレオンの書斎で並んでいるのは当然、難解で分厚い本ばかりなのだが。
 床の上に座り込み、ホットビスケットをかじりながらページをめくっている。
 紫の瞳が食い入るように、びっしり紙の上に並んだ細かい文字を追っている。

「……俺、なんかあの子らの見分けつきそうな気がする……今なら」
「服の色で、か?」
「いや、そうじゃなくて」

 あとでレオンがビスケットの欠片…いやそれはないか。
 ほんのりにおいが書斎に残ってるのに気づいたら、どんな顔するだろうか。

 想像しただけでおかしくて、ヒウェルはくすくす笑っていた。
 オティアの邪魔をしないよう、声をしのばせて。

 そんな悪友の姿を、デイフは不思議そうに首をかしげて見ていた。


(ホットビスケット/了)



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(注:男性同士のベッドシーンを含みます)
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