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ローゼンベルク家の食卓

【3-1-2】マーガレットの花かご(通常版)

2008/03/28 21:59 三話十海
「……ここで、いいですか、センパイ?」

 ヘーゼルブラウンの瞳がすうっと細められる。

「ん……そこ……あ、待て。もーちょい右」

 やれやれ、意外に注文が多いなこの人は。
 言われるままにエリックは細長い、器用な指を動かした。

「こう?」
「あ……うん、そこだな」
「ここ、ですね」
「ああ。そこだ」

 その瞬間、厳つさも険しさも全て消え失せて。満開のヒマワリさながらにあどけない笑みが顔いっぱいに広がる。

「サンキュ、エリック」
「どういたしまして」
「きれいだな……ああ、いいにおいだ」

 マーガレットの花かご(警察署の有志一同の出資により購入)を片手にエリックがディフの病室を訪れたのは、彼が入院して三日目のことだった。

「これ、あそこの花屋で買ったんだろ? エリスおばさんの店」
「ええ、あそこです」

 エリスおばさんの店。警察署から1ブロックも離れていない所にあるこじんまりとした……しかし充実した品ぞろえの花屋で。
 警官時代にディフはたびたびそこの店でデート前のちょっとしたプレゼントを調達していたのである。

「センパイの見舞いだって言ったら、おばさんが選んでくれたんです。『マックスはマーガレットが好きだったから』って」
「うん……好きだ」

 目をほそめてうっとりと、目の前の白い花びらに囲まれた黄色の丸、目玉焼きそっくりの配色の花を見つめている。

「白だからな。他の花を邪魔しない。バラやフリージアと合わせるとけっこうゴージャスに見えるし」

 相変わらず見かけによらずマメな人だ……。
 ぱっと見ガサツなタフガイで中味がこれだから、そこそこ女性にもてたのだろう。これで手料理の一つも披露すれば大抵の女の子はそのギャップにころりと落ちる。

 ただし長続きはあまりせず、二ヶ月もするとさっくり別の女性と歩いている。
 ディフォレスト・マクラウドはそう言う男だった。
 ほんの二年前までは。

「メアリはどうしてる? 元気か?」
「あー、彼女ね……田舎に帰ったそうです」
「ほんとか? もう身内はいないと聞いてたが」
「NYにはね。カンサスに伯母さんが一人いるそうで」
「……ああ、カンサスの。正確には大叔母さんだよ。おばあちゃんの妹だ」

 メアリ・ルー・キンケイドは花屋の看板娘だった。ハチドリが羽ばたくみたいにちっちゃな手を動かして、ディフの数多いガールフレンドのためせっせと花束を作ってくれたものだ。
 ふわふわの茶色い髪をショートカットにした、ハチミツ色の瞳の、小柄な女性。
 美人って訳じゃないが、ころころと鈴を転がすような声で笑う愛くるしい娘で。話していると自然と顔がほころんだ。

 グラウンドゼロで身内を亡くし、出直すためにサンフランシスコにやってきたと聞いた。
 父親も警官。婚約者も警官。だから警察署近くの花屋で働くことにしたのだと。

『なんとなく落ちつくの。パパや彼が、まだそばに居てくれるみたいで』
 
「……いつ辞めたんだ、彼女」
「センパイが爆弾で吹っ飛ばされる少し前っすね」

 さらりと言いやがったよこいつは。

「そうか……もう2年も前のことか」
「ええ」
「知らなかったな……」

 市内に住んでいるのに。
 もっともサンフランシスコ市警を辞めて以来、エリスおばさんの店に足を運ぶこともなかったし。

 ………いや、違うな。
 彼女の顔を見るのが、怖かったのかもしれない。

『マックス。寒いの。あたためて』

 それは二年前のバレンタインデーの出来事。すがりつく腕を振り払うこともできず黙って抱きしめた。
 愛を交わしたのはたった一晩。けれど決して軽はずみな気持ちでしたことじゃない。
 
 明日、店に行こう。
 明日こそは。

 一日延ばしにしている間にあの事件が起きた。
 処理中の爆弾に吹き飛ばされたのだ。

(それより前に辞めちまってたってことだよな……縁がなかったのかな)

「つらくないすか、センパイ……その体勢」
「まあな。背中に怪我したんだからしょうがないだろ」

 倒壊する倉庫の下敷きになり、ディフは背中に強度の裂傷を負った。そのため現在、病室のベッドにうつぶせに寝ているのである。塀の上に寝そべる猫さながらに、大きめの枕を抱えこんで。

 彼からよく見える位置に花かごを設置するため、エリックは四苦八苦したと言う訳だ。

「一つ、お聞きしてもよろしいっすか、センパイ」
「ああ?」
「現場で……ね、一つ気になることがあるんです。未だに見つからないんですよ」
「何が?」

 エリックはくいっと眼鏡のフレームに人さし指を添え、位置を整えた。

「爆発物の類いが」
「ほう」
「爆弾は爆発しても、爆弾を構成する物質が消滅する訳ではない。必ず痕跡が見つかるはずだって……あなたが言ったんですよ、センパイ」
「そうだっけ?」
「そうです」

 枕を抱えたまま、ディフはちらりと横目で後輩を見上げた。

erick.jpg※月梨さん画、エリック

 身長6フィート(約186cm)、細身とは言えけっこうな圧迫感がある。
 北欧系特有の色の白さとライトブロンドの髪色のおかげでだいぶ印象は和らいではいるのだが……。
 眼鏡の向こうからじっと見下ろす青緑の瞳が硬質の光を帯びている。
 仕事の時の目だ。

「なあ、ハンス・エリック・スヴェンソン。何事にも例外はつきものだよ」
「元爆発物処理班のお言葉とも思えませんね」
「ったく。頭堅ぇんだよお前は!」
「オレは、科学者ですから」

 フルネームで呼んできた。ますますもって怪しい。
 この人、真剣に人に相手に言うこと聞かせたい時は必ずフルネームで呼んでくるんだ。

 エリックがさらに口を開きかけたその時……。
 病室にすらりとした茶色の髪の男が入ってきた。とたんにディフの顔がくしゃくしゃに笑み崩れる。
 目が細められ、口の両端が上がり、白い歯がひらめく。上機嫌のゴールデンレトリバーそっくり、嬉しくてたまらないって表情だ。

「レオン!」
「すまない。遅くなったね……ああ、君は確か」
「エリックだ。シスコ市警CSIの」
「こんにちは、Mr.ローゼンベルク」
「やあ、スヴェンソンくん」

 まんざら知らない仲ではない。何度か取調室で顔を合わせたことがある。
 しかし……何なんだろう、この剣呑な空気は。
 容疑者を間にはさんで渡り合う時の比じゃないぞ?

 素早くレオンはベッドの上にうつぶせで横たわる恋人の姿を確認した。
 ……かろうじて毛布は被っている。背中も、腰も、エリックの目からは遮られている。
 だがそれでもディフが寝間着姿でいることに変わりは無い。

(これはかなり許しがたい状態だぞ)
 
「FBIのバートン捜査官から聞いたよ。例の倉庫倒壊事件の担当だそうじゃないか」
「ええ、所轄署から協力を要請されまして……」
「そうか。たいへんだな。さぞ忙しいんだろう?」
「ええ、まあ」

 にっこりと誠実そのものの笑みでレオンは立ちふさがり、恋人の寝姿をエリックの視界から遮った。

「応援してるよ、スヴェンソンくん」
「……ありがとうございます。それじゃ、センパイ」
「おう。気ぃつけてな。花……ありがとう」

 花……。言われてみればベッドの手前のサイドテーブル。ちょうどディフの目が届く位置に花かごが置かれている。

 藤のバスケットにアイビィとマーガレットをあしらった、白と緑のかわいらし花かごだ。
 細めた目蓋の合間から、ヘーゼルブラウンの瞳がじっと見つめている。
 よほどうれしいらしい。

「……もっと近くに寄せようか?」
「いや、そのままでいい」

 全てはもう終わったことなんだから。
 今の自分にできることがあるとしたら、メアリの幸せを祈ることだけだ。


(マーガレットの花かご(通常版)/了)


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