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ローゼンベルク家の食卓

【3-1】★マーガレットの花かご(BL版)

2008/03/28 21:53 三話十海
「……ここで、いいですか、センパイ?」

 わずかに眉が寄せられ。ヘーゼルブラウンの瞳がすうっと細められる。

「ん……そこ……あ、待て。もーちょい右」

(やれやれ、意外に注文が多いなこの人は)

 言われるままにエリックは細長い、器用な指を動かした。

「こう?」
「あ……うん、そこだな」
「ここ、ですね」
「ああ。そこだ」

 その瞬間、彼のまとう空気が変わった。厳つさも険しさも全て消え失せて、満開のヒマワリさながらにあどけない笑みが顔いっぱいに広がる。

「サンキュ、エリック」
「どういたしまして」

 ああ、まったく。自分が今、どれだけ強烈な吸引力を発揮してるかわかってるんだろうか、この人は。
 相手はベッドの上で寝間着姿。これ以上ないってくらいにおあつらえ向きのシチュエーションだ。
 ここが病院の一室でさえなければ。

「きれいだな……ああ、いいにおいだ」

 マーガレットの花かご(警察署の有志一同の出資により購入)を片手にエリックがディフの病室を訪れたのは、彼が入院して三日目のことだった。

「これ、あそこの花屋で買ったんだろ? エリスおばさんの店」
「ええ、あそこです」

 エリスおばさんの店は、サンフランシスコ警察署から1ブロックも離れていない所にあるこじんまりとした……しかし充実した品ぞろえの花屋だ。
 警官時代にディフはたびたびそこの店でデートの前に挨拶代わりに手渡す『ちょっとしたプレゼント』を調達していたのである。

「センパイの見舞いだって言ったら、エリスおばさんが選んでくれたんです。『マックスはマーガレットが好きだったから』って」
「うん……好きだ」

 目をほそめてうっとりと、目の前の白い花びらに囲まれた黄色の丸、目玉焼きそっくりの配色の花を見つめている。

「白だからな。他の花を邪魔しない。バラやフリージアと合わせるとけっこうゴージャスに見えるし」

 相変わらず見かけによらずマメな人だ……。
 ぱっと見ガサツなタフガイで中味がこれだから、そこそこ女性にもてたのだろう。これで手料理の一つも披露すれば大抵の女の子はそのギャップにころりと落ちる。

 ただし長続きはあまりせず、二ヶ月もするとさっくり別の女性と歩いている。
 ディフォレスト・マクラウドはそう言う男だった。
 ほんの二年前までは。

 そう信じていたからこそ、エリックも堪え難い吸引力を感じながらも片想いのまま月日を重ねてきたのだ。

「メアリはどうしてる? 元気か?」
「あー、彼女ね……田舎に帰ったそうです」
「ほんとか? もう身内はいないと聞いてたが」
「NYにはね。カンサスに伯母さんが一人いるそうで」
「……ああ、カンサスの。正確には大叔母さんだよ。おばあちゃんの妹だ」
「よくご存知で」
「お得意さんだったからな」

 メアリ・ルー・キンケイドは花屋の看板娘だった。
 ハチドリが羽ばたくみたいにちっちゃな手を動かして、せっせと花束を作っていた。
 ふわふわの茶色い髪をショートカットにした、ハチミツ色の瞳の、小柄な女性。
 美人って訳じゃないけれどころころと鈴を転がすような声で笑う愛くるしい娘で。女性に興味のないエリックでさえ話していると自然と顔がほころんだ。

 グラウンドゼロで身内を亡くし、知らない土地で出直すためにサンフランシスコにやってきたと聞いた。
 父親も警官。婚約者も警官。だから警察署近くの花屋で働くことにしたのだと。

『なんとなく落ちつくのね。パパや彼が、まだそばに居てくれるみたいで』
 
「……いつ辞めたんだ、彼女」
「センパイが爆弾で吹っ飛ばされる少し前っすね」
「そうか……もう二年も前のことか」
「ええ」
「知らなかったな……市内に住んでいるのに」
「まあ、仕方ないんじゃないですか。市警をやめて以来、センパイほとんどあの店に行ってなかったでしょ」
「……まあ、な」



 ディフは小さくため息をつき、枕に顔をうずめた。

(違うんだよ、エリック。俺はただ……彼女の顔を見るのが怖かっただけなんだ)

 二年前の冬を思い出す。

『マックス。寒いの。あたためて』

 それはバレンタインデーの夜の出来事。すがりつく腕を振り払うこともできず黙って抱きしめた。
 愛を交わしたのはたった一晩。けれど決して軽はずみな気持ちでしたことじゃない。
 
 明日、店に行こう。
 明日こそは。

 一日延ばしにしている間にあの事件が起きた。
 処理中の爆弾に吹き飛ばされたのだ。

(それより前に辞めちまってたってことだよな……縁がなかったのかな)

 収容された病院に駆けつけたレオンの青ざめた顔を見て、その手に触れた瞬間……世界中の色が全て塗り替えられてしまった。
 その後はただ一人の相手に身も心も捧げてしまい、彼女の記憶をたどることも滅多に無くなっていたのである。

 ため息が気になったのだろう。エリックが声をかけてきた。

「やっぱつらいですか、センパイ……その体勢」
「まあな。背中に怪我したんだからしょうがないだろ」

 倒壊する倉庫の下敷きになり、ディフは背中に強度の裂傷を負った。そのため現在、病室のベッドにうつぶせに寝ているのである。塀の上に寝そべる猫さながらに、大きめの枕を抱えこんで。

 よく見える位置に花かごを設置するため、エリックは四苦八苦したと言う訳だ。

「一つ、お聞きしてもよろしいですか、センパイ」
「ああ?」
「現場で……ね、気になることがあるんです。未だに見つからないんですよ」
「何が?」

 エリックがくいっと眼鏡のフレームに人さし指を添え、位置を整えた。

「爆発物の類いが」
「ほう」
「爆弾は爆発しても、爆弾を構成する物質が消滅する訳ではない。必ず部品が見つかるはずだって……あなたが言ったんですよ、センパイ」
「そうだっけ?」
「そうです」

 枕を抱えたまま、ディフはちらりと横目で後輩を見上げた。


erick.jpg※月梨さん画、エリック

 身長6フィート(約186cm)、細身とは言えけっこうな圧迫感がある。
 北欧系特有の色の白さとライトブロンドの髪色のおかげでだいぶ印象は和らいではいるのだが……。
 眼鏡の向こうからじっと見下ろす青緑の瞳が硬質の光を帯びている。
 仕事の時の目だ。

「なあ、ハンス・エリック・スヴェンソン。何事にも例外はつきものだよ」

 エリックはわずかに眉をひそめた。
 フルネームで呼んできた。ますますもって怪しい。
 この人、真剣に相手に言うこと聞かせたい時は必ずフルネームで呼んでくるんだ。

「元爆発物処理班のお言葉とも思えませんね」
「ったく。頭堅ぇんだよお前は!」
「オレは、科学者ですから」

 疑問を解明すべく、バイキングの末裔がさらに口を開きかけたその時だ。

 病室にすらりとした茶色の髪の男が入ってきた。とたんにディフの顔がくしゃくしゃに笑み崩れる。
 目が細められ、口の両端が上がり、白い歯がひらめく。上機嫌のゴールデンレトリバーそっくり、嬉しくてたまらないって表情だ。

「レオン!」
「すまない。遅くなったね……ああ、君は確か」
「エリックだ。シスコ市警CSIの」

 二人ともまんざら知らない仲ではない。何度か取調室で顔を合わせたことがある。
 しかし。

「こんにちは、Mr.ローゼンベルク」

 エリックは顔を会わせた瞬間、自分に向けて発せられた剣呑な空気に思わず一歩後じさりたくなった。
 容疑者を間に挟んで渡り合う時の比ではない。抜き身の刃が肌の上を掠めるような気配に全身の皮膚が泡立つ。

「やあ、スヴェンソンくん」

 堅苦しく苗字で呼びかけてから、レオンは素早くベッドの上にうつぶせで横たわる恋人の姿を確認した。
 ……かろうじて毛布は被っている。広い背中も、引き締まった腰も、エリックの目からは遮られている。

 だがそれでもディフがパジャマ姿でいることに変わりは無い。

 重ねた薄い布の下には、鋭敏な体が潜んでいる。
 なだらかな曲線を描く肩甲骨の下に軽く触れるだけで愛らしい悲鳴があがり、生まれたての子馬みたいに震える背中。
 初めてキスした時は「不意打ちだ」の「卑怯だ」のと文句を言われたが、それでも体の反応は実に正直だった。
 今では……。
 顔を寄せただけでもう、耳まで赤くする。

 ゆるくウェーブのかかった赤毛はうなじを覆い、肩の上に広がっている。まるで小さな翼でも広げたように。
 この『髪の合間からちらりと見える』と言うあたりがくせ者だ。傷跡の白さが際立ち、つい目が引きつけられてしまう。

 枕を抱えているのも問題だ。ルームメイトをしていた高校時代、何度この姿にあわてて目をそらしたことだろう。

 これはかなり許しがたい状態だぞ。
 まったく、添い寝の際に見なれているはずの自分ですら忍耐力を試されるこの状態を他の男が見ていたなんて!
 
「FBIのバートン捜査官から聞いたよ。例の倉庫倒壊事件の担当だそうじゃないか」
「ええ、所轄署から協力を要請されまして……」
「そうか。たいへんだな。さぞ忙しいんだろう?」
「ええ、まあ」

 にっこりと誠実そのものの笑みでレオンは立ちふさがり、恋人の寝姿をエリックの視界から遮った。

「応援してるよ、スヴェンソンくん」
「……ありがとうございます。それじゃ、センパイ」
「おう。気ぃつけてな」

 エリックの退場を確認してから、やっとレオンは肩の力を抜いた。

「……傷の具合……どうだい」
「ん、だいぶいい」
「またベッドから抜け出してナースに叱られたりしてないだろうね?」

 ディフはぴくっと小さく震えて、それから不自由な体をもぞもぞよじり、目をそらしてしまった。

 ……有罪(guilty)。

「……ディフ?」
「抜け出したって、あれは、その……ちょっと、洗濯しようとしただけだ」
「洗濯ならアレックスにやらせよう」
「……あ、いや、いい。極めてプライベートな洗い物だから」
「?」
「うん……お前の言う通りだ、大人しく寝て早く治すよ」


(まちがってもアレックスなんかに頼めるか。いや、頼める訳がないっ!)

 そう、極めてプライベートな洗い物だ。到底人の手には任せられない、ぜったい任せたくない類いの。
 まさに今、見下ろしている目元涼しげな男が……正確には夢に現れた彼の面影が原因の。

 体を拭くのもそこそこに慌ただしく飛び出したあの日の残り火がまだ体内にくすぶっていたのだろう。
 夜の眠りとともに解放され、十代の頃さながらに気まずい朝を迎えてしまった。

(言えないよ……レオン。お前には。絶対に)


 レオンは目を細めて恋人の首筋を見つめた。2年前の爆発事件の置き土産が。『薔薇の花びら』ほどの大きさの火傷の痕が、ほんのりと色づき始めている。

(まったく、この子はいったい何を考えているのだろう?)
 
 レオンは最大限の忍耐を発揮して巡らせかけた推測を強制終了し、彼のうなじからつ……と視線をそらせた。

(これ以上見つめたら、触れずにはいられない)

「ん? これは?」

 視線をそらした先。ベッドの手前、ちょうどディフの目が届く位置に花かごが置かれている。
 藤のバスケットにアイビィとマーガレットをあしらった、白と緑のかわいらし花かごだ。細めた目蓋の合間から、ヘーゼルブラウンの瞳がじっと見つめている。

「もっと近くに寄せようか?」
「いや、そのままでいい」

 ゆるく首を横に振ると、ディフは枕を抱える手をほどいてさしのべてきた。
 にぎり返し、手の甲にキスをする。
 わずかに緑を帯びた瞳が細められ、ほほ笑みかけてきた。

「今は、お前を……レオン、お前だけを、見ていたいから」


(マーガレットの花かご/了)


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