▼ 【2-8】Bitter trip
オティアの記憶を頼りに路線を探し、バスターミナルでチケットを二枚買った。
カードの暗証番号はすぐに察しがついた。
レオンの誕生日を入れたら一発だった。
ディフときたら、ご丁寧に携帯のアドレス帳にレオンの誕生日も入力してあったのだ。
人ごみに紛れてバスに乗り込み、二人でぴったりと身を寄せ合って座席に座った。
ごう音と共にバスが走り出す。
あの時たどってきた風景が、逆の方向に流れてゆく。もう二度と引き返したくない場所に向かって……。
※ ※ ※ ※ ※
レオンはヒウェルの部屋に居た。
『デスクの上、封筒の中』
確かにあった。自分宛の封筒。中におさめられたファイルに目を通す。
読み進むうち、顔から血の気が引くのがはっきりと分った。
「これは……ディフに見せなくて良かったと言うべきかな……ん?」
電話が鳴った。発信者は『ヒウェル緊急』。
「ハロー」
返事はない。
「ヒウェル?」
「っ……あのっ、えっと、弁護士さん……だよねっ?」
子どもの声だ。少年、しかし双子ではない。しかもかなり動揺している。
「あの人が、言ってたっ。あな、あなたなら、助けてくれるって、だから、だからオレっ」
「落ちついて……そうだよ。私は彼の友人だ」
ヒウェル、いったい何をやらかしたんだい?
動揺する子どもに話しかけながら、小脇にファイルを抱えて部屋を飛び出した。もう片方の手で別の携帯を取り出す。
「アレックス。車を回してくれ。大至急だ」
次の電話はFBIへ。
シエンの救出以来、担当捜査官とは何かとマメに連絡を取り合っていたのだ。
アレックスの運転する車に乗り込み、走り出す。
「いいかい。今、警察の人に連絡をとったから……そこを動かずにじっと助けを待っているんだよ?」
「うん……うん……」
子どもの方はこれでいい。
さて……もう一本、電話しておかないと。
※ ※ ※ ※ ※
フリーウェイを飛ばしていると携帯が鳴った。
独特の着信音。
レオンからだ。インカムで受ける。
ジャック・バウアーを気取って携帯片手に運転する芸当に挑むつもりはなかった。今みたいにギリギリの局面ではなおさらだ。
「どうした、レオン?」
「ディフ。行き先変更だ。これから指示する場所に向かってくれ。住所は……」
指示された座標と住所をざっと頭の中で地図に置き換え、目をむく。
「……ってそれ方向違うだろう! 遠回りになる。冗談じゃねえ!」
「ディフ、落ちついて。俺の話を聞いてくれ……ヒウェルの携帯から電話があったんだ。緊急用の番号から」
淡々とした口調で事実を告げて行く。水みたいにしーんと落ちついたレオンの声を聞いているうちに、ぐらぐら煮え立ってた脳みそがいい具合に冷えて行く。
「ヒウェルが逃がした子どもたちが助けを待っている。既に地元の警察には連絡した。保護されるまでの間でいい、彼らをガードしてやってくれ」
「でも」
「ディフ」
わずかにトーンが変わる。どことなくたしなめるような口調で名前を呼ばれた。どんな顔してるか……TV通話なんざ使わなくてもはっきり見える。
「返事は?」
「……わかったよ」
不承不承に答えを返す。舌打ちもため息もこぼさなかった自分を褒めてやりたい気分だ。
「ただし、少しばかり距離は置くぜ?」
何度も言うが己の柄の悪さには自信がある。特に今はさぞかし目つきも鋭く、凶悪になってるだろう。双子のことが(ついでにヒウェルのことが)気がかりで。眉間にばっちり皺も刻まれているはずだ。
警官の制服を着てる時ならともかく、今、怯えた子どもたちの前に鼻面ぬっと突き出したら……まちがいなく、恐がる。きっと、泣く。
電話の向こうでうなずく気配がして、わずかに笑いを含んだ声が返ってくる。
「……充分だ。それじゃ、また後で」
路肩に車を寄せ、カーナビに行き先を入力した。ドライブインの駐車場か。人の出入りはそれなりに多そうだ。
がっとアクセルを踏み込む。今さら警察に未練はないが、この時ばかりはサイレンを鳴らせないのがもどかしかった。
※ ※ ※ ※ ※
ディフが子どもたちの護衛に向かう間、双子はバスを降りていた。
バスターミナルを出て歩き出す。目印の巨大な冷凍グリーンピースの看板は案外すぐに見つかった。
輸送の便宜を計るため、問題の倉庫はフリーウェイの近くにあったのだ。
少なくとも建設当初は純粋にそういった意図のもとに。
黙って歩く。
並んで歩く。
辺りはすっかり暗くなっていた。外灯と通りすぎる車のヘッドライト、そしてライトアップされた看板の灯りと。
わずかな光源を頼りに歩く。
二人でしっかり支え合って。
と、言うより……ほとんどシエンがオティアを支えていた。
バスを降りるころから次第にオティアの顔色は悪くなる一方で、看板の下までやって来た時は真っ青になっていた。息をするのもつらそうだ。時折細かく肩が震える。
「もう、無理だよ」
「……ここからは俺一人で行く。お前は待ってろ」
激しくかぶりを振るシエンの手に、オティアは自分の携帯とディフの財布を押し付けた。
「あいつら、お前のことは知らない。俺が出ていけば、もう仲間はいないと思って安心するだろう。その間に探偵か、弁護士と連絡とれ」
「でも……」
「俺は殺されないから大丈夫」
はっきりと理由があるわけじゃない。でもなぜだかそんな気がした。
小さくうなずくシエンをその場に残して、オティアは歩き出した。二度と戻りたくなかった忌まわしい場所につづく、細い道を。
オティアの背中が遠ざかる。
まだ少しふらふらしている。すぐにでも駆け寄って支えてやりたかった。
やがて、木々の闇の中に飲み込まれて見えなくなった。
シエンは声もなく立ち尽くし、ただ一人闇を見つめていた。
※ ※ ※ ※ ※
指定されたドライブインの駐車場のすみっこに、見覚えのある車が停まっていた。03年型のトヨタのセダン、色はシルバーグレイ。
ナンバープレートを確認する。
……間違いない、ヒウェルの車だ。
中には子どもが5人乗っていた。ぴたりと身を寄せ合って震えている。
10mほど離れた場所に車を停めて見守った。何かあったら、いつでも飛び出せるように身構えて。
せめてレオンの半分でもいい、穏やかな顔つきなら。ヒウェルの三分の一でもいい、巧みに口が回ったら。
いや、いや、今さら無いものねだりをしてもしょうがない。
自分にできることに専念しよう。
しばらくしてパトカーと救急車がやってきた。サイレンは鳴らさずに。ちらっと見たが婦人警官もいるようだ。
よかった、これでひと安心だ。
子どもたちが無事保護されたのを見届け、エンジンをかけた瞬間に携帯が鳴った。
※ ※ ※ ※ ※
「オティア……」
震える声でつぶやき、シエンは自分の携帯を取り出した。
強ばる指で電源を入れた。
誰に知らせればいいんだろう。
レオン?
それとも……。
束縛を断ち切り、冷たい台の上から解放してくれた温かいがっしりした手。
服を全て脱がされ、裸で震えていた自分を包み込んでくれたぶかぶかの上着。
ほんの時たま、穏やかな笑みを浮かべるヘーゼルブラウンの瞳。ふかふかの大型犬の毛並みにも似た赤い髪。
メモリーダイヤルから一つを選び出し……発信。
1回、2回、3回鳴って、4回目に低い声が答えた。
「シエンか」
「ディフ……」
涙がこぼれそうになる。
「今、どこだ?」
「看板の……下……オティアが」
「わかった。すぐ、迎えに行く」
「うん」
つーっと頬を温かな雫が滑り落ちて行く。
もう声が出ない。うなずくことしかできない。ごめんなさいって、伝えたいのに。言いたいのに。
「待ってろ」
「う……ん」
次へ→【2-9】ここで死なれたら寝覚めが悪い
カードの暗証番号はすぐに察しがついた。
レオンの誕生日を入れたら一発だった。
ディフときたら、ご丁寧に携帯のアドレス帳にレオンの誕生日も入力してあったのだ。
人ごみに紛れてバスに乗り込み、二人でぴったりと身を寄せ合って座席に座った。
ごう音と共にバスが走り出す。
あの時たどってきた風景が、逆の方向に流れてゆく。もう二度と引き返したくない場所に向かって……。
※ ※ ※ ※ ※
レオンはヒウェルの部屋に居た。
『デスクの上、封筒の中』
確かにあった。自分宛の封筒。中におさめられたファイルに目を通す。
読み進むうち、顔から血の気が引くのがはっきりと分った。
「これは……ディフに見せなくて良かったと言うべきかな……ん?」
電話が鳴った。発信者は『ヒウェル緊急』。
「ハロー」
返事はない。
「ヒウェル?」
「っ……あのっ、えっと、弁護士さん……だよねっ?」
子どもの声だ。少年、しかし双子ではない。しかもかなり動揺している。
「あの人が、言ってたっ。あな、あなたなら、助けてくれるって、だから、だからオレっ」
「落ちついて……そうだよ。私は彼の友人だ」
ヒウェル、いったい何をやらかしたんだい?
動揺する子どもに話しかけながら、小脇にファイルを抱えて部屋を飛び出した。もう片方の手で別の携帯を取り出す。
「アレックス。車を回してくれ。大至急だ」
次の電話はFBIへ。
シエンの救出以来、担当捜査官とは何かとマメに連絡を取り合っていたのだ。
アレックスの運転する車に乗り込み、走り出す。
「いいかい。今、警察の人に連絡をとったから……そこを動かずにじっと助けを待っているんだよ?」
「うん……うん……」
子どもの方はこれでいい。
さて……もう一本、電話しておかないと。
※ ※ ※ ※ ※
フリーウェイを飛ばしていると携帯が鳴った。
独特の着信音。
レオンからだ。インカムで受ける。
ジャック・バウアーを気取って携帯片手に運転する芸当に挑むつもりはなかった。今みたいにギリギリの局面ではなおさらだ。
「どうした、レオン?」
「ディフ。行き先変更だ。これから指示する場所に向かってくれ。住所は……」
指示された座標と住所をざっと頭の中で地図に置き換え、目をむく。
「……ってそれ方向違うだろう! 遠回りになる。冗談じゃねえ!」
「ディフ、落ちついて。俺の話を聞いてくれ……ヒウェルの携帯から電話があったんだ。緊急用の番号から」
淡々とした口調で事実を告げて行く。水みたいにしーんと落ちついたレオンの声を聞いているうちに、ぐらぐら煮え立ってた脳みそがいい具合に冷えて行く。
「ヒウェルが逃がした子どもたちが助けを待っている。既に地元の警察には連絡した。保護されるまでの間でいい、彼らをガードしてやってくれ」
「でも」
「ディフ」
わずかにトーンが変わる。どことなくたしなめるような口調で名前を呼ばれた。どんな顔してるか……TV通話なんざ使わなくてもはっきり見える。
「返事は?」
「……わかったよ」
不承不承に答えを返す。舌打ちもため息もこぼさなかった自分を褒めてやりたい気分だ。
「ただし、少しばかり距離は置くぜ?」
何度も言うが己の柄の悪さには自信がある。特に今はさぞかし目つきも鋭く、凶悪になってるだろう。双子のことが(ついでにヒウェルのことが)気がかりで。眉間にばっちり皺も刻まれているはずだ。
警官の制服を着てる時ならともかく、今、怯えた子どもたちの前に鼻面ぬっと突き出したら……まちがいなく、恐がる。きっと、泣く。
電話の向こうでうなずく気配がして、わずかに笑いを含んだ声が返ってくる。
「……充分だ。それじゃ、また後で」
路肩に車を寄せ、カーナビに行き先を入力した。ドライブインの駐車場か。人の出入りはそれなりに多そうだ。
がっとアクセルを踏み込む。今さら警察に未練はないが、この時ばかりはサイレンを鳴らせないのがもどかしかった。
※ ※ ※ ※ ※
ディフが子どもたちの護衛に向かう間、双子はバスを降りていた。
バスターミナルを出て歩き出す。目印の巨大な冷凍グリーンピースの看板は案外すぐに見つかった。
輸送の便宜を計るため、問題の倉庫はフリーウェイの近くにあったのだ。
少なくとも建設当初は純粋にそういった意図のもとに。
黙って歩く。
並んで歩く。
辺りはすっかり暗くなっていた。外灯と通りすぎる車のヘッドライト、そしてライトアップされた看板の灯りと。
わずかな光源を頼りに歩く。
二人でしっかり支え合って。
と、言うより……ほとんどシエンがオティアを支えていた。
バスを降りるころから次第にオティアの顔色は悪くなる一方で、看板の下までやって来た時は真っ青になっていた。息をするのもつらそうだ。時折細かく肩が震える。
「もう、無理だよ」
「……ここからは俺一人で行く。お前は待ってろ」
激しくかぶりを振るシエンの手に、オティアは自分の携帯とディフの財布を押し付けた。
「あいつら、お前のことは知らない。俺が出ていけば、もう仲間はいないと思って安心するだろう。その間に探偵か、弁護士と連絡とれ」
「でも……」
「俺は殺されないから大丈夫」
はっきりと理由があるわけじゃない。でもなぜだかそんな気がした。
小さくうなずくシエンをその場に残して、オティアは歩き出した。二度と戻りたくなかった忌まわしい場所につづく、細い道を。
オティアの背中が遠ざかる。
まだ少しふらふらしている。すぐにでも駆け寄って支えてやりたかった。
やがて、木々の闇の中に飲み込まれて見えなくなった。
シエンは声もなく立ち尽くし、ただ一人闇を見つめていた。
※ ※ ※ ※ ※
指定されたドライブインの駐車場のすみっこに、見覚えのある車が停まっていた。03年型のトヨタのセダン、色はシルバーグレイ。
ナンバープレートを確認する。
……間違いない、ヒウェルの車だ。
中には子どもが5人乗っていた。ぴたりと身を寄せ合って震えている。
10mほど離れた場所に車を停めて見守った。何かあったら、いつでも飛び出せるように身構えて。
せめてレオンの半分でもいい、穏やかな顔つきなら。ヒウェルの三分の一でもいい、巧みに口が回ったら。
いや、いや、今さら無いものねだりをしてもしょうがない。
自分にできることに専念しよう。
しばらくしてパトカーと救急車がやってきた。サイレンは鳴らさずに。ちらっと見たが婦人警官もいるようだ。
よかった、これでひと安心だ。
子どもたちが無事保護されたのを見届け、エンジンをかけた瞬間に携帯が鳴った。
※ ※ ※ ※ ※
「オティア……」
震える声でつぶやき、シエンは自分の携帯を取り出した。
強ばる指で電源を入れた。
誰に知らせればいいんだろう。
レオン?
それとも……。
束縛を断ち切り、冷たい台の上から解放してくれた温かいがっしりした手。
服を全て脱がされ、裸で震えていた自分を包み込んでくれたぶかぶかの上着。
ほんの時たま、穏やかな笑みを浮かべるヘーゼルブラウンの瞳。ふかふかの大型犬の毛並みにも似た赤い髪。
メモリーダイヤルから一つを選び出し……発信。
1回、2回、3回鳴って、4回目に低い声が答えた。
「シエンか」
「ディフ……」
涙がこぼれそうになる。
「今、どこだ?」
「看板の……下……オティアが」
「わかった。すぐ、迎えに行く」
「うん」
つーっと頬を温かな雫が滑り落ちて行く。
もう声が出ない。うなずくことしかできない。ごめんなさいって、伝えたいのに。言いたいのに。
「待ってろ」
「う……ん」
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