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ローゼンベルク家の食卓

【2-7】ヒウェルSOS

2008/03/13 1:26 二話十海
 なぜ、その時部屋を出ようと思ったのか。はっきりとはわからない。

 強いて言えばただ漠然と『いやな感じがして』、オティアは久しぶりに一人で自分の部屋を出た。
 
 静かに廊下を抜け、リビングをのぞきこむ。意図的に足音を忍ばせたつもりはなく、自然と自分の気配を消すのが習慣になっていた。

 わずかに差し込む西日が部屋の片隅をうっすらと赤く染めている。珍しくディフの姿がない。

 ここ数日、かすかに気配は感じていた。彼が仕事で出ている時はアレックスが入れ替わりで居た。
 今はただ、ソファの上に上着だけが置かれている。肩から落してばさりと置いた形がそのまま残っていて、まるで脱皮した抜け殻みたいだ。

 バイク乗りが着ているような、やたら分厚くて頑丈なレザーの上着。
 本人を見ているとそれほどでもないのだが、こうして『殻』だけ見ていると改めて思う。

 無駄にでかい図体だな、と……。

 その瞬間、携帯が鳴った。
 上着の胸ポケットから短く5秒ほど。いかにも実用本意の面白みのない着信音だったが、聞いた瞬間、ざわっと胸の奥が波立った。

 少し迷ってから手を伸ばす。ほんの少し触れただけなのに指先に、ずしりと革の重みがかかる。
 ポケットから携帯を取り出し、開いた。

phone.JPG

 送信者はヒウェル。
 件名は……『SOS』

 即座に自分の携帯に転送した。機種は違うものの同じ会社の製品だったのが幸いし、ちょっとした試行錯誤はあったものの楽に操作できた。

 足音を忍ばせて……今度は意図的に……自分の部屋に引き返す。さっきは気づかなかったがレオンの部屋のドアが細く開いていた。
 中をのぞきこむと……無人、ただし人の居た名残は歴然と残っている。
 ベッドが乱れ、床の上に服が散らばっていた。

 耳をすますとかすかに、バスルームから水音が聞こえる。

 貴重な休みに恋人同士が同じ家の中に居るとしたら、やることなんか決まってる。
 しばらくは出て来ないだろうが……急がなければ。
 見つかったら、まちがいなく止められる。

 出かける支度をしていると、シエンに袖をつかまれた。

「俺も行く」
「ダメだ、お前は残れ」
「絶対一人でなんか、行かせない」
「……わかった」

 二人で手をとり、そっと抜け出す。途中でディフの上着に携帯を戻し、入れ違いに財布を抜き取った。
 移動するには現金とカードが必要になる。

 この時点では二人とも、まだ自由になる金を持っていなかったのだ。

『借ります。後で必ず返す。ごめんね』

 シエンが走り書きして、ポケットに入れた。


   ※  ※  ※  ※  ※
 
 シャワーから上がり、脱衣所で水気の残る髪をタオルで拭いていると。先に寝室に戻っていたレオンが引き返してきた。

「どうした?」

 ぎゅっと口を引き締しめ、厳しい顔をしている。ただごとじゃないとすぐにわかった。

「これを……」

 携帯をさし出して来た。ヒウェルからのメールが届いている。
 件名はいたってシンプル、「SOS」。
 いつも『ヤバいことになったら』送ってくる、奴からのメールだ。

 速攻でリビングに走り、上着のポケットから自分の携帯を取り出した。

 同じタイトルのメールが届いている。
 座標と最寄りの道路標識、目印になるでかい看板。フォーマット通りだ、まちがいない。
 
「……あ……オティア? シエン!」

 気配がない。部屋にもいない。
 クローゼットを見る。
 上着と靴がきっちり二人分無くなってる。
 いやな予感がした。

「レオン! 双子が」
「ああ。他の部屋にもいない。きっと外に出たんだろう」

 開封ずみになっていたメール。俺とレオン以外の誰かが開けたとすれば、双子以外にはあり得ない。
 送信者はヒウェル。だとしたら……見たのは、おそらくオティアだ。

「あいつら、無茶しやがって……」

 上着を羽織る。銃は……自分の部屋か。

「ディフ」
「追いかける。後で落ち合おう」

 レオンに一声かけて飛び出した。
 自分の部屋に立寄り、保管庫から拳銃を取り出す。装填数を確かめ、セーフティをかけて、ベルトのホルスターにねじ込んだ。
 地下の駐車場までのエレベーターがやけにのろのろと感じられた。

 扉が開くなり駆け出して車に乗り込み、発進。
 地響きにも似たエンジン音が地下に轟く。

 スロープを上がってゲートを潜り、外に出ると……一面に広がるどす黒い赤が目に飛び込んできた。暮れ始めた空。灰色の雲を透かして西の空が赤々と染まっている。まるで血がにじんだような不吉な色だ。

 ……ええい、縁起でもない。

 しばらく車を走らせ、フリーウェイの入り口まで来たところで初めて気づく。
 懐が妙に軽い。
 携帯はある。だが……。

「あ……サイフがねえっ?」

 代わりにかさっと指先に折り畳んだ紙が触れる。

 予備のカードと、小銭少々。
 別にとりわけといて良かったとつくづく思った。

 移動するには金がいる。
 未成年が長距離バスのチケットを買うにはカードも必要だ。そこまで見越して財布ごと抜き取っていったのだろう。
 しかし……暗証番号、わかるのか?

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