▼ 【2-7】ヒウェルSOS
なぜ、その時部屋を出ようと思ったのか。はっきりとはわからない。
強いて言えばただ漠然と『いやな感じがして』、オティアは久しぶりに一人で自分の部屋を出た。
静かに廊下を抜け、リビングをのぞきこむ。意図的に足音を忍ばせたつもりはなく、自然と自分の気配を消すのが習慣になっていた。
わずかに差し込む西日が部屋の片隅をうっすらと赤く染めている。珍しくディフの姿がない。
ここ数日、かすかに気配は感じていた。彼が仕事で出ている時はアレックスが入れ替わりで居た。
今はただ、ソファの上に上着だけが置かれている。肩から落してばさりと置いた形がそのまま残っていて、まるで脱皮した抜け殻みたいだ。
バイク乗りが着ているような、やたら分厚くて頑丈なレザーの上着。
本人を見ているとそれほどでもないのだが、こうして『殻』だけ見ていると改めて思う。
無駄にでかい図体だな、と……。
その瞬間、携帯が鳴った。
上着の胸ポケットから短く5秒ほど。いかにも実用本意の面白みのない着信音だったが、聞いた瞬間、ざわっと胸の奥が波立った。
少し迷ってから手を伸ばす。ほんの少し触れただけなのに指先に、ずしりと革の重みがかかる。
ポケットから携帯を取り出し、開いた。
送信者はヒウェル。
件名は……『SOS』
即座に自分の携帯に転送した。機種は違うものの同じ会社の製品だったのが幸いし、ちょっとした試行錯誤はあったものの楽に操作できた。
足音を忍ばせて……今度は意図的に……自分の部屋に引き返す。さっきは気づかなかったがレオンの部屋のドアが細く開いていた。
中をのぞきこむと……無人、ただし人の居た名残は歴然と残っている。
ベッドが乱れ、床の上に服が散らばっていた。
耳をすますとかすかに、バスルームから水音が聞こえる。
貴重な休みに恋人同士が同じ家の中に居るとしたら、やることなんか決まってる。
しばらくは出て来ないだろうが……急がなければ。
見つかったら、まちがいなく止められる。
出かける支度をしていると、シエンに袖をつかまれた。
「俺も行く」
「ダメだ、お前は残れ」
「絶対一人でなんか、行かせない」
「……わかった」
二人で手をとり、そっと抜け出す。途中でディフの上着に携帯を戻し、入れ違いに財布を抜き取った。
移動するには現金とカードが必要になる。
この時点では二人とも、まだ自由になる金を持っていなかったのだ。
『借ります。後で必ず返す。ごめんね』
シエンが走り書きして、ポケットに入れた。
※ ※ ※ ※ ※
シャワーから上がり、脱衣所で水気の残る髪をタオルで拭いていると。先に寝室に戻っていたレオンが引き返してきた。
「どうした?」
ぎゅっと口を引き締しめ、厳しい顔をしている。ただごとじゃないとすぐにわかった。
「これを……」
携帯をさし出して来た。ヒウェルからのメールが届いている。
件名はいたってシンプル、「SOS」。
いつも『ヤバいことになったら』送ってくる、奴からのメールだ。
速攻でリビングに走り、上着のポケットから自分の携帯を取り出した。
同じタイトルのメールが届いている。
座標と最寄りの道路標識、目印になるでかい看板。フォーマット通りだ、まちがいない。
「……あ……オティア? シエン!」
気配がない。部屋にもいない。
クローゼットを見る。
上着と靴がきっちり二人分無くなってる。
いやな予感がした。
「レオン! 双子が」
「ああ。他の部屋にもいない。きっと外に出たんだろう」
開封ずみになっていたメール。俺とレオン以外の誰かが開けたとすれば、双子以外にはあり得ない。
送信者はヒウェル。だとしたら……見たのは、おそらくオティアだ。
「あいつら、無茶しやがって……」
上着を羽織る。銃は……自分の部屋か。
「ディフ」
「追いかける。後で落ち合おう」
レオンに一声かけて飛び出した。
自分の部屋に立寄り、保管庫から拳銃を取り出す。装填数を確かめ、セーフティをかけて、ベルトのホルスターにねじ込んだ。
地下の駐車場までのエレベーターがやけにのろのろと感じられた。
扉が開くなり駆け出して車に乗り込み、発進。
地響きにも似たエンジン音が地下に轟く。
スロープを上がってゲートを潜り、外に出ると……一面に広がるどす黒い赤が目に飛び込んできた。暮れ始めた空。灰色の雲を透かして西の空が赤々と染まっている。まるで血がにじんだような不吉な色だ。
……ええい、縁起でもない。
しばらく車を走らせ、フリーウェイの入り口まで来たところで初めて気づく。
懐が妙に軽い。
携帯はある。だが……。
「あ……サイフがねえっ?」
代わりにかさっと指先に折り畳んだ紙が触れる。
予備のカードと、小銭少々。
別にとりわけといて良かったとつくづく思った。
移動するには金がいる。
未成年が長距離バスのチケットを買うにはカードも必要だ。そこまで見越して財布ごと抜き取っていったのだろう。
しかし……暗証番号、わかるのか?
次へ→【2-8】Bitter trip
強いて言えばただ漠然と『いやな感じがして』、オティアは久しぶりに一人で自分の部屋を出た。
静かに廊下を抜け、リビングをのぞきこむ。意図的に足音を忍ばせたつもりはなく、自然と自分の気配を消すのが習慣になっていた。
わずかに差し込む西日が部屋の片隅をうっすらと赤く染めている。珍しくディフの姿がない。
ここ数日、かすかに気配は感じていた。彼が仕事で出ている時はアレックスが入れ替わりで居た。
今はただ、ソファの上に上着だけが置かれている。肩から落してばさりと置いた形がそのまま残っていて、まるで脱皮した抜け殻みたいだ。
バイク乗りが着ているような、やたら分厚くて頑丈なレザーの上着。
本人を見ているとそれほどでもないのだが、こうして『殻』だけ見ていると改めて思う。
無駄にでかい図体だな、と……。
その瞬間、携帯が鳴った。
上着の胸ポケットから短く5秒ほど。いかにも実用本意の面白みのない着信音だったが、聞いた瞬間、ざわっと胸の奥が波立った。
少し迷ってから手を伸ばす。ほんの少し触れただけなのに指先に、ずしりと革の重みがかかる。
ポケットから携帯を取り出し、開いた。
送信者はヒウェル。
件名は……『SOS』
即座に自分の携帯に転送した。機種は違うものの同じ会社の製品だったのが幸いし、ちょっとした試行錯誤はあったものの楽に操作できた。
足音を忍ばせて……今度は意図的に……自分の部屋に引き返す。さっきは気づかなかったがレオンの部屋のドアが細く開いていた。
中をのぞきこむと……無人、ただし人の居た名残は歴然と残っている。
ベッドが乱れ、床の上に服が散らばっていた。
耳をすますとかすかに、バスルームから水音が聞こえる。
貴重な休みに恋人同士が同じ家の中に居るとしたら、やることなんか決まってる。
しばらくは出て来ないだろうが……急がなければ。
見つかったら、まちがいなく止められる。
出かける支度をしていると、シエンに袖をつかまれた。
「俺も行く」
「ダメだ、お前は残れ」
「絶対一人でなんか、行かせない」
「……わかった」
二人で手をとり、そっと抜け出す。途中でディフの上着に携帯を戻し、入れ違いに財布を抜き取った。
移動するには現金とカードが必要になる。
この時点では二人とも、まだ自由になる金を持っていなかったのだ。
『借ります。後で必ず返す。ごめんね』
シエンが走り書きして、ポケットに入れた。
※ ※ ※ ※ ※
シャワーから上がり、脱衣所で水気の残る髪をタオルで拭いていると。先に寝室に戻っていたレオンが引き返してきた。
「どうした?」
ぎゅっと口を引き締しめ、厳しい顔をしている。ただごとじゃないとすぐにわかった。
「これを……」
携帯をさし出して来た。ヒウェルからのメールが届いている。
件名はいたってシンプル、「SOS」。
いつも『ヤバいことになったら』送ってくる、奴からのメールだ。
速攻でリビングに走り、上着のポケットから自分の携帯を取り出した。
同じタイトルのメールが届いている。
座標と最寄りの道路標識、目印になるでかい看板。フォーマット通りだ、まちがいない。
「……あ……オティア? シエン!」
気配がない。部屋にもいない。
クローゼットを見る。
上着と靴がきっちり二人分無くなってる。
いやな予感がした。
「レオン! 双子が」
「ああ。他の部屋にもいない。きっと外に出たんだろう」
開封ずみになっていたメール。俺とレオン以外の誰かが開けたとすれば、双子以外にはあり得ない。
送信者はヒウェル。だとしたら……見たのは、おそらくオティアだ。
「あいつら、無茶しやがって……」
上着を羽織る。銃は……自分の部屋か。
「ディフ」
「追いかける。後で落ち合おう」
レオンに一声かけて飛び出した。
自分の部屋に立寄り、保管庫から拳銃を取り出す。装填数を確かめ、セーフティをかけて、ベルトのホルスターにねじ込んだ。
地下の駐車場までのエレベーターがやけにのろのろと感じられた。
扉が開くなり駆け出して車に乗り込み、発進。
地響きにも似たエンジン音が地下に轟く。
スロープを上がってゲートを潜り、外に出ると……一面に広がるどす黒い赤が目に飛び込んできた。暮れ始めた空。灰色の雲を透かして西の空が赤々と染まっている。まるで血がにじんだような不吉な色だ。
……ええい、縁起でもない。
しばらく車を走らせ、フリーウェイの入り口まで来たところで初めて気づく。
懐が妙に軽い。
携帯はある。だが……。
「あ……サイフがねえっ?」
代わりにかさっと指先に折り畳んだ紙が触れる。
予備のカードと、小銭少々。
別にとりわけといて良かったとつくづく思った。
移動するには金がいる。
未成年が長距離バスのチケットを買うにはカードも必要だ。そこまで見越して財布ごと抜き取っていったのだろう。
しかし……暗証番号、わかるのか?
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