▼ 【2-6】潜入
16の少年がトラックの荷台で餓えと乾きに苛まれながら辿ってきた道のりは、フリーウェイをすっ飛ばせば二時間ほどの距離でしかなかった。
(あちこち配送先に立寄りしながら走ってきたんだ。直通ならこんなもんだろう)
道から少し外れた茂みの中に車を隠す。
最寄りの道路標識と、目印になりそうな看板(おあつらえ向きに冷凍グリンピースのばかでかい立て看板があった)を携帯のカメラで撮影してからディフ宛のメールを作成する。
文面はいたって簡単、これから潜入する倉庫の座標だけ。
件名は『SOS』。
もう一通はレオンに宛てて。こちらも文面は至って簡単。
『デスクの上、封筒の中』
不覚にもメールを打つ指が震えた。
今さらながら、一人で来たことにビビっているらしい。
なに、様子を見るだけだ。証拠写真を撮ったらすぐ退散すればいい。
書き終えたメールに写真を添付して下書きフォルダに放り込んだ。
念のためだ、念のため。使うとは限らない。
※ ※ ※ ※
舗装されていない横道をざかざかと林の中に向かって入って行くと……木々の間に、ぬっと灰色の屋根が現れた。
あれだな。
道に刻まれたタイヤの跡から察するに、頻繁にでかい車が出入りしてると見た。
用心しながら近づいて行く。
ボロい倉庫の脇に少し離れて同じくらいボロい二階建ての管理棟がくっついている。
辺りには何台かの車が雑に停めてあった。
確かオティアのメモによると撮影現場は倉庫の方だった。
慎重に足を運び、窓のそばに忍び寄る。が、ご丁寧に真っ黒に塗りつぶされている。
不健康なこった。よっぽど太陽の光がお好きじゃないらしい。
そろりそろりと入り口に回る。
入り口のシャッターは空いていた。
薄暗い倉庫の中は真ん中を通路が通っていて両脇に小部屋が並んでいる。
どうする。
やっぱ、部屋ん中に入らないと証拠にゃならないよな……。
そろそろと通路に足を踏み入れる。
数歩進むと外の光は届かなくなり、今にも寿命の来そうなへたれた蛍光灯の明かりだけが頼りになる。
たったそれだけのことなのに外から遮断され、建物の壁と言う結界の中に閉じ込められたような息苦しさを覚える。
ただでさえ狭い通路の中に、これまた乱雑に段ボール箱が積み上げてあるもんだから余計に狭い。
ったく、どんだけ無精者がそろってんだ。
日頃の自分の行いを棚に上げつつそろそろ進んでいると……。
ぎぃ、と蝶番のきしむ音がした。
ドアの開く前ぶれだ。
とっさに積みあがった段ボール箱の陰に身を潜める。
派手なシャツの上に黒いレザーのジャケットを雑に羽織った男が出てきた。
ドアの向こうに人の気配がした。一人じゃない。怯えて息を潜めているような。
上着のポケットからマグライトを取り出した。
(おそらく奴は一度背を向ける。その時がチャンスだ)
予想通り、男は通路側に背を向けてドアを閉め、鍵をかけようとした。すかさず走りより、マグの柄を振り下ろす。
小型のやつだがそれなりに重みはある。
ごいんっと鈍い音。確かな手応え。
ちょっとばかり手の芯がしびれたが、大したことじゃない。
昏倒した男の脈を見る。
…よし、生きてる。まあ俺の腕力だとこんなもんだよ。
倒れた男のベルトとタイを外して手足を手際良く縛り上げるとポケットを探る。財布と、車の鍵、部屋の鍵。
速やかにドアを開けて中にすべりこみ、気絶した男を引きずり込む。けっこう重いな……。
ドアを閉めて、ふっとひと息、周囲を見回す。
予想通りの光景が待っていた。怯えた目をした子どもが5人。うち二人が女の子。年頃は十五、六歳ってとこか……上手い選択だ。家出してもおかしくない年齢の子を狙ってやがる。
(ええい、胸くそ悪い)
部屋の隅には寝床代わりらしいマットレスと、椅子が転がっている。どうやら宿舎――いや、監房に行き当たったらしい。
まいったね。証人を見つけちまったよ。さて、こいつは幸運と言うべきか、不運と言うべきか。
子どもたちは一言もしゃべらず、互いにぴったりひっつきあって、体を縮めてこっちを見ている。
乱れた髪の毛をかきあげ、にじんだ汗を拭う。自然と口元に笑みが浮かんだ。
幸運、ってことにしとくか、とりあえず。
「さーて……この中に車の運転ができる子はいるかな?」
※ ※ ※ ※ ※
それから数分後。表に停まっていた車のうち一台がエンジンをふかし、やたらとでかい音を立てて走り出す。
「ガキが逃げやがった!」
『撮影所』の男たちはてんでに車に乗り込み、追いかけた。
車はフリーウェイには出ようともせず。近くの町からも遠ざかるようにして走って行く。
ついには追いつめられて細い林道に入り込み、灌木の茂みに突っ込んで止まった。
「手間掛けさせやがって……出ろ! おら、さっさと出てきやがれ!」
でかい拳銃をふりまわし、どかどかと車体を蹴りつける。
「わかった、わかったって。今外に出るからさ。撃たないでくれよ?」
ひしゃげた運転席のドアが開き、乗っていた人間が出てきた。
背は高いが貧弱で、安物のスーツに細いネクタイのにやけた顔の黒髪の男が一人。
「お前、誰だっ」
「……おい、ガキがいないぞっ」
「何っ?」
ありがたいことに幸運は二度続いてくれた。
捕えられていた子どもたちの中に、運転できる子が一人いたのだ。
※ ※ ※ ※ ※
一番年かさの男の子に自分の車のキーと、予備の携帯を渡す。
「いいかい、俺が奴らの車で逃げる。きっと追いかけてくるはずだ。奴らが出払ったら……この車で、逆の方角に逃げろ」
「落ちついたら、携帯のこの番号にかけるんだ。俺の知り合いの弁護士に繋がる。きっと力になってくれるから……いいね?」
子どもに渡した携帯は、以前、ディフが爆弾で吹っ飛ばされた際にレオンに連絡をとったときの番号を使ってる。
「この番号でかけてきたときは緊急事態」を意味する、エマージェンシーコール専用の電話だ。スルーされることはないはずだ。
※ ※ ※ ※ ※
「ガキはどこだ」
「さあね。そんなにガキが好きか? 大人を相手にする度胸はないってか? そうだよな、お前らは子どもを苛めるぐらいがせいぜいだ……」
「この……」
「弱い者いじめしか能のない腰抜けだよ。男の風上にも置けない腑抜け……ぐっ」
つま先が腹にめり込む。既に押さえる必要もないぐらいにボコボコにされて、倉庫の床に転がされていた。
今のは……けっこう効いたなあ……。
眼鏡はとっくに無くしている。
追いつめられて車が茂みの中に突っ込んだ時、エアバックですっ飛ばされたのだ。
持ち物は全て、上着ごと持ってかれた。かろうじて携帯にロックをかける時間があったのが幸い。
最初は子どもらの行き先や、俺の目的、警察に連絡したのかどうか。そう言ったことを聞き出そうと殴っていたはずなんだが、皆さん次第に頭に血が昇ってきたらしい。
わずかにあった目的意識もすっ飛んで、今はただ俺を傷めつけることが最優先事項になってるようだ。
ひと思いに銃の一発でキレイに終わらせよう、なんて意識すらすっ飛ばしているらしい。
よっぽど悔しかったんだなぁ……俺に裏かかれたことが。
ざまあみやがれ。
口元にうっすら笑みが浮かぶ。
「何笑ってやがる!」
与えられる投打の波が一段と激しくなった。
やばい、墓穴掘ったかな……。
体の奥で何かが軋む。鼻の奥も喉も鉄サビの臭いでいっぱいだ。息をするたびにわき腹に鈍い痛みが走る。
殴られているのがだんだん他人の体のような気がしてきた。
やばいかも知れない。
だが、必要な情報は送った。レオンとディフがきっちりケリをつけてくれるはずだ。
お前は、自由だ、オティア。
陽の光の下を歩いて行け。
できればもう一度……会いたかったよ………。
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(あちこち配送先に立寄りしながら走ってきたんだ。直通ならこんなもんだろう)
道から少し外れた茂みの中に車を隠す。
最寄りの道路標識と、目印になりそうな看板(おあつらえ向きに冷凍グリンピースのばかでかい立て看板があった)を携帯のカメラで撮影してからディフ宛のメールを作成する。
文面はいたって簡単、これから潜入する倉庫の座標だけ。
件名は『SOS』。
もう一通はレオンに宛てて。こちらも文面は至って簡単。
『デスクの上、封筒の中』
不覚にもメールを打つ指が震えた。
今さらながら、一人で来たことにビビっているらしい。
なに、様子を見るだけだ。証拠写真を撮ったらすぐ退散すればいい。
書き終えたメールに写真を添付して下書きフォルダに放り込んだ。
念のためだ、念のため。使うとは限らない。
※ ※ ※ ※
舗装されていない横道をざかざかと林の中に向かって入って行くと……木々の間に、ぬっと灰色の屋根が現れた。
あれだな。
道に刻まれたタイヤの跡から察するに、頻繁にでかい車が出入りしてると見た。
用心しながら近づいて行く。
ボロい倉庫の脇に少し離れて同じくらいボロい二階建ての管理棟がくっついている。
辺りには何台かの車が雑に停めてあった。
確かオティアのメモによると撮影現場は倉庫の方だった。
慎重に足を運び、窓のそばに忍び寄る。が、ご丁寧に真っ黒に塗りつぶされている。
不健康なこった。よっぽど太陽の光がお好きじゃないらしい。
そろりそろりと入り口に回る。
入り口のシャッターは空いていた。
薄暗い倉庫の中は真ん中を通路が通っていて両脇に小部屋が並んでいる。
どうする。
やっぱ、部屋ん中に入らないと証拠にゃならないよな……。
そろそろと通路に足を踏み入れる。
数歩進むと外の光は届かなくなり、今にも寿命の来そうなへたれた蛍光灯の明かりだけが頼りになる。
たったそれだけのことなのに外から遮断され、建物の壁と言う結界の中に閉じ込められたような息苦しさを覚える。
ただでさえ狭い通路の中に、これまた乱雑に段ボール箱が積み上げてあるもんだから余計に狭い。
ったく、どんだけ無精者がそろってんだ。
日頃の自分の行いを棚に上げつつそろそろ進んでいると……。
ぎぃ、と蝶番のきしむ音がした。
ドアの開く前ぶれだ。
とっさに積みあがった段ボール箱の陰に身を潜める。
派手なシャツの上に黒いレザーのジャケットを雑に羽織った男が出てきた。
ドアの向こうに人の気配がした。一人じゃない。怯えて息を潜めているような。
上着のポケットからマグライトを取り出した。
(おそらく奴は一度背を向ける。その時がチャンスだ)
予想通り、男は通路側に背を向けてドアを閉め、鍵をかけようとした。すかさず走りより、マグの柄を振り下ろす。
小型のやつだがそれなりに重みはある。
ごいんっと鈍い音。確かな手応え。
ちょっとばかり手の芯がしびれたが、大したことじゃない。
昏倒した男の脈を見る。
…よし、生きてる。まあ俺の腕力だとこんなもんだよ。
倒れた男のベルトとタイを外して手足を手際良く縛り上げるとポケットを探る。財布と、車の鍵、部屋の鍵。
速やかにドアを開けて中にすべりこみ、気絶した男を引きずり込む。けっこう重いな……。
ドアを閉めて、ふっとひと息、周囲を見回す。
予想通りの光景が待っていた。怯えた目をした子どもが5人。うち二人が女の子。年頃は十五、六歳ってとこか……上手い選択だ。家出してもおかしくない年齢の子を狙ってやがる。
(ええい、胸くそ悪い)
部屋の隅には寝床代わりらしいマットレスと、椅子が転がっている。どうやら宿舎――いや、監房に行き当たったらしい。
まいったね。証人を見つけちまったよ。さて、こいつは幸運と言うべきか、不運と言うべきか。
子どもたちは一言もしゃべらず、互いにぴったりひっつきあって、体を縮めてこっちを見ている。
乱れた髪の毛をかきあげ、にじんだ汗を拭う。自然と口元に笑みが浮かんだ。
幸運、ってことにしとくか、とりあえず。
「さーて……この中に車の運転ができる子はいるかな?」
※ ※ ※ ※ ※
それから数分後。表に停まっていた車のうち一台がエンジンをふかし、やたらとでかい音を立てて走り出す。
「ガキが逃げやがった!」
『撮影所』の男たちはてんでに車に乗り込み、追いかけた。
車はフリーウェイには出ようともせず。近くの町からも遠ざかるようにして走って行く。
ついには追いつめられて細い林道に入り込み、灌木の茂みに突っ込んで止まった。
「手間掛けさせやがって……出ろ! おら、さっさと出てきやがれ!」
でかい拳銃をふりまわし、どかどかと車体を蹴りつける。
「わかった、わかったって。今外に出るからさ。撃たないでくれよ?」
ひしゃげた運転席のドアが開き、乗っていた人間が出てきた。
背は高いが貧弱で、安物のスーツに細いネクタイのにやけた顔の黒髪の男が一人。
「お前、誰だっ」
「……おい、ガキがいないぞっ」
「何っ?」
ありがたいことに幸運は二度続いてくれた。
捕えられていた子どもたちの中に、運転できる子が一人いたのだ。
※ ※ ※ ※ ※
一番年かさの男の子に自分の車のキーと、予備の携帯を渡す。
「いいかい、俺が奴らの車で逃げる。きっと追いかけてくるはずだ。奴らが出払ったら……この車で、逆の方角に逃げろ」
「落ちついたら、携帯のこの番号にかけるんだ。俺の知り合いの弁護士に繋がる。きっと力になってくれるから……いいね?」
子どもに渡した携帯は、以前、ディフが爆弾で吹っ飛ばされた際にレオンに連絡をとったときの番号を使ってる。
「この番号でかけてきたときは緊急事態」を意味する、エマージェンシーコール専用の電話だ。スルーされることはないはずだ。
※ ※ ※ ※ ※
「ガキはどこだ」
「さあね。そんなにガキが好きか? 大人を相手にする度胸はないってか? そうだよな、お前らは子どもを苛めるぐらいがせいぜいだ……」
「この……」
「弱い者いじめしか能のない腰抜けだよ。男の風上にも置けない腑抜け……ぐっ」
つま先が腹にめり込む。既に押さえる必要もないぐらいにボコボコにされて、倉庫の床に転がされていた。
今のは……けっこう効いたなあ……。
眼鏡はとっくに無くしている。
追いつめられて車が茂みの中に突っ込んだ時、エアバックですっ飛ばされたのだ。
持ち物は全て、上着ごと持ってかれた。かろうじて携帯にロックをかける時間があったのが幸い。
最初は子どもらの行き先や、俺の目的、警察に連絡したのかどうか。そう言ったことを聞き出そうと殴っていたはずなんだが、皆さん次第に頭に血が昇ってきたらしい。
わずかにあった目的意識もすっ飛んで、今はただ俺を傷めつけることが最優先事項になってるようだ。
ひと思いに銃の一発でキレイに終わらせよう、なんて意識すらすっ飛ばしているらしい。
よっぽど悔しかったんだなぁ……俺に裏かかれたことが。
ざまあみやがれ。
口元にうっすら笑みが浮かぶ。
「何笑ってやがる!」
与えられる投打の波が一段と激しくなった。
やばい、墓穴掘ったかな……。
体の奥で何かが軋む。鼻の奥も喉も鉄サビの臭いでいっぱいだ。息をするたびにわき腹に鈍い痛みが走る。
殴られているのがだんだん他人の体のような気がしてきた。
やばいかも知れない。
だが、必要な情報は送った。レオンとディフがきっちりケリをつけてくれるはずだ。
お前は、自由だ、オティア。
陽の光の下を歩いて行け。
できればもう一度……会いたかったよ………。
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