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ローゼンベルク家の食卓

【1-2】貴重な情報源なんだ

2008/03/11 4:37 一話十海
 紫の瞳の少年を連れてヒウェルが顔を出したのは、学生時代からの友人、レオンハルト・ローゼンベルクの部屋だった。
 呼び鈴を鳴らすと、ぬっとドアを開けて赤毛の頑丈そうな男が顔を出す。

「よお、ディフ」
「飯にはまだ早いぞ」

『もうちょっとマシなもん』とは要するにこの男。
 レオンの恋人ディフォレスト・マクラウドの手料理だった。すぐ隣の部屋に住んでいるのだが、恋人のためにこうして毎日、甲斐甲斐しく食事を作りに来ている。

 とかくこの男は外見に似合わずマメなところがあり、高校時代から寮の簡易キッチンでちまちまと料理をしていた。
 ルームメイトをやっていた時分はヒウェルもたびたび恩恵に預かり、部屋こそ違うものの同じマンションに住んでいる今はたびたび夕飯をたかりに来ている。

「俺はレオンに食わせるために作ってるんだ、貴様のためじゃない」なぞと言いつつ最近はきちんと3人分の食事を用意してくれているあたり、つくづく律儀と言うか、真面目と言うか。


 その間、一言も喋らないまま、少年はピリピリと神経をとがらせていた。
 庭付きの広々とした高級マンション。到底、こいつの住処とも思えないがドアマンに笑顔で手を振って入った。
 迷う風もなく最上階まで連れてこられて、呼び鈴を押したと思えば出てきたのはガラの悪い赤毛。

 身のこなしに隙がない。明らかにヤバいことに慣れている。

 目つきも鋭く、無駄にガタイがいい。履き古したジーンズにネイビーブルーの厚手の綿シャツ、ボタンは上二つ開けている。羽織っているのはバイク乗りが着ていそうなごっつい革のジャケット。
 服装といい、所作といい、どう見ても堅気じゃない。

 逃げた方がいいんじゃないか?

 思わず半歩後じさる。

「こいつに飯、食わせてやってほしいんだ。できれば風呂も」
「……ヒウェル」

 すっと部屋の奥からすらりとした男が出てきた。ライトブラウンの髪と瞳、一見たおやかな美人。
 仕立ての良いシャツと品の良いタイ、ぴしっと折り目のついたダークブラウンのズボンに磨かれた革靴。基本的なパーツは眼鏡の男と同じだが、ランクが違う。

 逃げかけた足が止まる。

 他の二人と比べると、明らかに着てるものが違う。この家の主人はこの男だろう。でも会社員とは思えない。
 いったい何者なんだろう?

「やあ、レオン」

 上質のスーツの上着を脱いだだけでまだタイも外していない。
 ついさっき帰ってきたばかりってところだろうか。

 やばいな。邪魔しちまったかな。

 秘かに胸の中で舌打ちしつつ、さらりと挨拶する。

「珍しいですね。今日はもう帰ってたんですか」
「たまには、ね。それで、その子は?」

 少し離れた所で黙ってそっぽを向いている少年を振り返る。

「あー、まあ、何てーか……取材の協力者です」

 わずかにかっ色の瞳がすがめられる。
 あまり歓迎されていないようだが、勝算はあった。
 ディフなら落せる。この保護欲の塊みたいな男が腹空かせてボロボロになった子どもを放っておくはずがない。

「……風呂、準備しとく」

 ……よし。
 
 ざかざかと浴室へと歩いて行くいかつい背中を見送りつつ、心の中でガッツポーズを取った。


 やがて準備が整い、少年が風呂に入っている間にディフは台所で何やら作り始めた。
 一人分追加してるのだろう。
 おそらくは弱った子どもでも楽に食べられそうなものを。
 
 レオンと二人、リビングで待つ。
 何となく、いや、かなり気まずい。

「……あ、俺ディフのこと手伝ってこようかな……」

 立ち上がろうとした刹那、にっこり笑ってぴしゃりと言われた。

「できれば事務所のほうにしてほしいね」

 冷たい目。冷たい声だ。ディフが見てない所ではこれだよ。だが、いつものことだ。

「俺の知ってるうちで一番まっとうな飯食えるところはここしかありませんし……それに。こんなに夜遅くに、俺が彼奴の部屋にあがりこんでもよろしいので?」

 レオンにこんな風に歯向かうのは初めてだ。冷や汗かきながらも精一杯虚勢を張る。

「もう連れてきちゃったんだからしょうがないじゃないですか」
「ヒウェル」
「……何です」
「次はないよ」

 ぞわっと鳥肌が立った。
 穏やかな言葉の後ろに刃物が潜んでいる。触れたと気づくより先に切られているような、研ぎ澄まされた抜き身の刃が。

 陪審員の前では非の打ちどころのない誠実な弁護士。
 敵に対しては容赦のない冷徹な策士。
 この男が心を許す相手はこの世でおそらくただ一人。

 二度と同じ手は使うなってことか。しかしとにもかくにもOKはOKだ。

「感謝します」

 肩をすくめてそっぽを向かれた。

 ひとっ風呂あびたシエンは出された着替えには袖を通さず、元の通りのぼろ服を(それでも精一杯ほこりをはらって)着て出て来た。

「やっぱり俺のシャツだとでかすぎたか?」

 困ったような顔して小声でささやくディフに同じく小さな声で返す。

「いや……警戒してるだけだと思うぞ」

 食卓を囲む人数がいつもより一人多い。
 微妙な緊張感の漂う中、出されたスープを少し口にした途端。
 少年は嘔吐して倒れてしまった。なごやかな? 食卓が一気に修羅場に変わる。

「お、おい大丈夫かっ! 医者っ! 救急車っ!」
「いや、ずっと食ってなかったんだと思うが……とにかく着替えさせて寝かせろ」
「そ、そ、そ、そうだな……」

 客用の寝室に運び服を脱がせようとすると、少年は弱々しく首を振り、もがいた。
 しかしほとんど力が入らず、やせ細った手足からあっさりすり切れた服が抜き取られる。

「っ!」

 三人は息を飲み、黙って顔を見合わせた。

 容赦無く掴まれた手の痕、指の痕。胸や内股、腹、太もも。皮膚の鋭敏な場所を執拗に狙った赤黒い吸い痕、そして歯形。
 それよりもっと酷い仕打ちをされた形跡も認められる。

 いくぶん薄くなってはいるが、おそらく一度や二度ではないだろう。虐待なんて単語ではもはや追いつかないくらい、凄まじい陵辱の痕跡が刻まれていた。

 ぐいっと柔らかな布が手に押し付けられる。見上げると、世にも凶悪な顔をした赤毛の野獣とご対面した。
 ヘーゼルブラウンの瞳がうっすら緑を帯びている……そうとう頭に血がのぼってるな。
 左の首筋には薔薇の花びらほどの大きさの傷跡がほのかに赤く浮び上がっている。
 昔、処理中の爆弾に吹き飛ばされた時の名残りだ。伸ばした髪に隠れちゃいるが、こいつが見え始めたら要注意。

「着せてやれ、早く」
「ああ」

 自分が今どれほど凶暴なご面相になっているか、自覚はあるらしい。

 大人もののTシャツは少年の体を覆うには充分な大きさがあった。

「これでは病院に連れて行けそうにない……ね……ヒウェル」

 有無を言わさぬ静かな声でレオンに言われる。
 事情を説明しろと言うことだ。

 観念して昼間あったことを洗いざらい話すしかなかった。

 少年を連れてくるまでのいきさつを聞き、レオンは素早くおおよその事情を察した。
 しかし今度はディフがいい顔をしない。

「やっぱりここは警察に行くべきなんじゃないか」

(あーもーこいつはこーゆーとこは融通きかないんだから……)

 警察に連れて行かれたら、こいつはもう自由に動けない。そうなったら、思い詰めて収容先の病院を脱走、なんてこともやりかねない。
「聞けよ、ディフォレスト。警察官は公務員だ、勤務時間しか働かない。でも…お前は違うだろ?」
 ヒウェルはここぞとばかりに二枚舌を駆使して説得にかかった。
「考えてもみろ。どっかのお役人さんが、夕食までに家に帰ってビールを飲みたいってそれだけのためにこの子の扱いを後回しにした、それが全ての発端なのかもしれないぜ?」
 返事はなし。だが身じろぎもせず聞いている。握った拳を口元に当てて。
「自分で仕事選べるからってんで私立探偵のライセンスとったんだろ。こう言うときのために使うんじゃないのか、その特権は」
「む……」


 ディフは思った。
 確かにヒウェルの言うことは筋が通ってる。
 今の自分なら、組織の命令や規則に縛られることなく、あの子のためにフルに時間を使える。

 ベッドに横たわる少年を見て。
 レオンを見て。
 ヒウェルを見て。
 また、レオンを見る。

 レオンは肩をすくめた。
 やれやれ。ヒウェルに協力するのは気が進まないが……しかたない。

「ヒウェルはその子と約束したんだろ」
「…そうなのか?」
「ああ、お前の兄弟に会わせてやるってな」
「……わかった」

 ぐったりした少年にレオンが温めたスポーツドリンクを与えた。失われた水分を補うために、少しずつ、少しずつ。

「本当は点滴した方がいいんだけどね……」
「…さっき吐いたのも、ほとんど胃液ばっかりだったもんなあ」
「呑気な台詞いけしゃあしゃあと吐いてんじゃねえっ! 俺は心臓止まるかと思ったぞっ」

 歯を剥いて唸るディフを無視してヒウェルは平然とした口調で問いかけた。

「…で、レオン。その子、どれぐらいで動かせます?」
「動かすのは難しいね。まともに話ができるようになるのも数日かかりそうだ」
「あー…そりゃまたなんとも………時間のロスが痛いな」
「いい……。話す…から」
「OK、いい心がけだ、シエン。さあ……知ってることを話してもらおうか」

 にっこり笑って手帳のページを開き、ペンを構える。
 背後でディフが目を剥いてるのが見えるようだがいつものことだと無視を決め込む。

 目を閉じたまま、少年はぽつりぽつりと語り出した。

 問題の施設から別々のところにひきとられて、でもそこからまたすぐに次のところに送られて「売られた」。
 隙を見て逃げ出して、長距離トラックの荷台に隠れてシスコまで戻ってきたのだと。

「なるほどね」

 背後の気配がさらに剣呑なものに変わる。
 だが、幸いにしてもはやターゲットはヒウェルではない。
 淡々とメモをとり、時折質問をはさんで確認しながら聞き込みを続けた。

「要するに…最初にお前さんを引き取った奴ぁ『仲買い』だったってことだな…ほい、探偵さん、これ最初にこの子を引き取った奴の住所と名前」

 ぴらっとメモを渡すとディフは無言で部屋を出ていった。
 今夜は徹夜で残業だろう。しかも自主的にタダ働きだ。
 高校の時と比べてずいぶん大人しくなったが『マッド・マックス』は健在だ。とくに子どもがからむとなると。

「知ってた…そいつ、前、にも…違う子を連れて…だから」
「…だから?」
「だから…二度と…会えない…って…」
「…忘れるな、その言葉」

 きゅっと眼鏡を外し、顔を寄せてささやいた。少年にだけ聞こえるように、小さな声で。

「絶対会わせてやるよ。お前の……兄弟に。二人そろったときに言ってもらうぜ。あの台詞は間違いだったって…な」
「遠いんだ…。遠くて…。わから…な…ぃ…」
「シエン? おいっ」

 思わず手を握る。やせ細った指がゆるくにぎり返してきた。

「ヒウェル。その子、体力がないんだ、続きは明日にしたほうがいい」
「……っ」

 唇を噛みしめる。
 遠い日の記憶が蘇る。

 何故一人になったのかはわからない。
 けれど血のつながった家族と呼べる存在から完全に切り離され、自分は『一人』なのだと初めて理解した瞬間の記憶が…
 積み重ねた時間の底からつかの間せり上がり、沈んだ。

(少なくとも俺は里親に関しちゃ『大当たり』を引いた)
(だが、この子は……)

「しっかりしろ…お前にはまだ……血のつながった兄弟がいる…一人じゃ…ない」

 ヒウェルの手を握ったまま、少年は深い眠りに落ちて行く。
 そっとその手を離して、眼鏡をかけ直した。

「レオン、この子しばらく預かってもらえますか? 貴重な情報源なんだ」

 つとめていつもの声を出した。少なくとも自分ではそのつもりだった。

「しょうがないな。…とはいえ、ずっとついていられるわけでもないし…」
「……客用寝室、空いてましたよね。しばらく寄せてもらっていーっすか。俺がひっついてるから……ディフと交代で」
「わかったよ。好きに使いなさい」
「……ありがとう」
「ひとり看護士を呼ぶよ、医者は無理としても…体調が心配だ」
「お願いします……」

 呼ばれてやって来たのは法律事務所の秘書にしてレオンの元執事、アレックスだった。


alex.JPG
月梨さん画。右がアレックス(左は法律事務所の共同経営者。レオンの先輩弁護士。今回出番無し!)


「……看護士の資格も、持ってたんだ」
「はい、趣味で色々と」
「………多趣味でいらっしゃる」

 いったい、彼はいくつ資格を持ってるんだろう?
 首をひねりつつヒウェルは愛用のノートパソコンを起動してネットにつなぎ、調査を開始した。

 レオンは何やら電話にメールにと忙しそうだ。
 どこに電話してるか知らないが、裏からディフのサポートに入るつもりだろう。相変わらず手際がいい。

「さあて……戦闘開始と参りますか」

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