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ローゼンベルク家の食卓

【1-1】会わせてやるよ、お前の兄弟に

2008/03/11 4:34 一話十海
 
 彼は逃げ出した。
 撮影と称してくり返される陵辱の日々から。
 モノとして売られた先から、隙を見て。
 この世のどこにも行く宛なんかない。安心できる場所なんかない。
 どんな人間にも欠片ほども興味はない。信用なんてもっての他。
 彼が会いたいのはこの世でたった一人だけ…。

  ※  ※  ※  ※  ※

 どんよりと曇った灰色の十月の終わりの空を、そのまんま形にしたような薄汚れた灰色の建物。
 玄関脇の窓ガラスが割れていたが、既に割れた縁が黄ばんですり減っている。長い事そのまま放置されているらしい。

 庭に並ぶ子供用の遊具……すべり台やブランコ、ジャングルジムは元は明るい色に塗られていたのだろうが、今はすっかり色あせて。

 ぼろぼろとはげ落ち、赤錆の浮いた地肌と入り交じり、陰気なまだら模様を描いている。

 いい具合に荒んでやがる。

 ヒウェル・メイリールは玄関を出るなり、ため息をついた。
 設備と同じくらいすり切れた職員たちは、いかに自分たちが日々の業務を効率的にこなしているかを抑揚のない声でしつこくアピールしていた。

 いかにこの施設が身寄りの無い子どもたちに行き届いたケアをしているか。
 今まで何人の子どもたちが誠実な里親のもとに引き取られ、幸福な生活を送っているか。
 毎年とどくクリスマスカードの枚数、感謝の手紙。
 聞きもしないことまでべらべらべらべら、際限もなく。
 
 そのくせ、こちらが聞きたい事に向けてじわりと駒を進めるなり、手のひらを返したように黙り込み。ペーパークラフトみたいな笑顔を顔に貼付けて目配せしやがった。

『お会いできて光栄でした。もっとゆっくりお話したいのはやまやまなのですが、そろそろ私たちも大事な仕事がありますので……』

 まったくもって胸くそわりぃ……。

 柄にもなくきっちり締めていた細いタイを引っ張り、いつもの『適度にゆるんだ状態』に戻す。
 ごそっと胸ポケットに手をつっこみ、煙草を取り出した。ほのかなミントの香りが鼻腔をくすぐる。
 一本くわえて、ライターに火をつけようとしたその時だ。

「この野郎、おとなしくしろ!」

 物騒な声を聞いた。出所はすぐそばの路地。
 ほぼ条件反射でのぞきこむと、一人の少年と数人の大人がもみ合っている。

 こいつぁどう見たって『適切な指導』の範囲を越えてるぞ!

「おい、お前ら何やってんだ!」

 口から飛んだ煙草が地面に落ちるより早く、男たちは逃げ出した。派手なシャツを着てる割には、やましいことをしている自覚があったらしい。

 内心ほっとしながら近づき、少年を助け起こそうとしたが……ばっと乱暴に手を振り払われた。
 
 081008_1922~01_Ed.JPG ※月梨さん画「路地裏の猫」
 

 まるで猫だな。
 ガリガリにやせ細って毛並みもごわごわ。かけらほども人間を信用しちゃいない。

「…お前、ここの施設の子だろ」

 その言葉を聞くなり少年は逃げ出した。が、すぐにふらつき、ぱったりと倒れてしまう。

「あ、おい待て……って、え?」

 ぼろぼろにすり切れ、汚れた服に血がにじみ、殴られたとおぼしき傷もところどころにあった。
 少年がぐったりしている間に手持ちの救急キット(なにせ仕事仲間に約一名、生傷の絶えない奴がいるもんだからいつも持ち歩いてるのだ)で応急手当をすませた。

「飯…食ってないのか。ほれ」

 ポケットに突っ込んであったチョコバーををさし出したが、眉をしかめて目をそむけられた。

「……ピーナッツ入りは苦手か」

 肩をすくめてまた戻す。

 一瞬だけ浮び上がった感情の動きが消え失せて、少年もまた元の無表情に戻ってしまった。
 優しげな紫の瞳の奥に沈む、あまりに深い疑いの色だけは変わらずに。

 さて、どうしたものか。
 トラブルのにおいがぷんぷんするが、同時にそいつは自分が今追いかけているネタの手がかりでもある。
 油断をすれば逃げられる。かと言って押さえ込むのは逆効果。とにかくとっかかりが必要だ。こいつが自分の意志で俺のそばにいたいと思わせるだけの何かが。

 試しに取材で調べた『施設に預けられてた子のうち「問題のありそうな」子』のリスト取り出す。理由こそ明確にされないが、何度も里子先から施設に戻されたり。他の施設からたらい回しにされたりしている子ども。

 いなくなっても、あまり真剣に探されない子どもの名を順番に呼んでみた。

「シエンと…オティア・セーブル……兄弟だけど同い年ってことは双子か。どっちだ?」

 シエン、と呼ばれたときにわずかに表情が動く。

「シエンか、お前……よし、一人発見、と。オティアは一緒じゃないんだな。ああ、俺、こーゆーモンなんだ」

 名刺を渡すが『シエン』は無感動、まったく興味を見せない。かまわず話しかける。

「あそこの施設から里子に出された子どもらが何人か…行方がわかんなくなってるだろ」

「里子先から何回も戻されてるような『問題児』ばかりだから施設の連中も敢えて追跡しようとしない。探そうとしない」

「……そーゆーのに食らいつくメディアもあるのさ。でもヤバい仕事に自社のライターを使うと後腐れがあるから、俺みたいなフリーランスを雇うんだ」

「お前さんを見つけられたのはラッキーだったよ…あ、一本いいかな?」

 煙草をくわえ、今度こそ愛用のライターで火をつける。深く吸って、胸にためてから吐き出した。
 よし、いいぞ……だいぶすっきりした。

『シエン』は何も言わない。ただ煙が立ちのぼる様子を目で追っている。

「シエン。オティアがどこにいるのか……知りたくないか?」

 返事はない。

「俺は、知りたい。それが仕事だからな」

 背中を折り曲げ、少年と目の高さを合わせる。

「俺を信じろ、なんて虫のいい事ぁ言わないよ。だが…仕事だけはきっちりこなす主義でね…」

 じっと顔をのぞき込む。
 暗い目が見返してくる。底なしの水たまりをのぞき込んでいるような気がした。

 どこまでも深く、澄んでいるが魚もいない。水草も育たない。氷さえも張らない、純粋すぎる水。

「…………会わせてやるよ。お前の兄弟に」

 紫の闇の向こうでわずかに何かが動いた。

「だから…知ってることを教えてくれ」

 小さく首を横に振った。しかしわずかに迷いが見える。

「なあ、シエン。お前はまだ…子どもだ」

 いつもより少しだけ、話すペースを落した。頭の中にカードを広げて、慎重に選ぶ。
 さて。どの手札をオープンにして、どれを伏せようか?

「できることにしたって限度がある。一方、俺はオティアとは縁もゆかりもない。いきなり里子に出された先に押し掛けたって追い返されるのがオチだ。でもお前がいれば…次のステップに進める。ギブ&テイクだ」

 相手は子どもだ。
 しかも警戒している。ここで嘘をつけば立ちどころに見抜かれる。

 ひとりぼっちの子どもってのは野生動物か野良猫並みにカンが鋭い。かつて自分がそうだったように。

「…あの施設、俺のいた所に比べてかなり…子どもの扱いが雑だな。それでも行ったのはオティアに会いたいからじゃないのか?」

「……信用…できない…。誰、も…」
「ああ、いい心がけだ。俺を利用しろ。俺もお前を利用させてもらう。……OK?」

 ほんの少し間があって、こくり、と金髪の頭がうなずいた。

「来い。もうちょっとマシなもん食わせてやる。情報源に倒れられちゃかなわん」

 歩き出すヒウェルの後を、警戒しながらも、少年はついて行く。
 ゆっくりと、時折、わずかによろめきながら。

 引き離された兄弟の行方を探してあちこちさまよっていた。その間にかなり衰弱していた。
 本当は、今にも地面に崩れ落ちそうなぐらいだった。

 しかし、目の前の『見知らぬ男』を頼るつもりは欠片ほどもなかった。

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