▼ ボーイミーツボーイ
- 拍手お礼用短編の再録。ロイと風見、幼い日の出会い。
ロイ・アーバンシュタインは昔から素直な少年だった。
そして昔から祖父を心から尊敬し、慕っていた。愛していた。
彼は幼い頃、繊細で神経の細い子だった。人見知りで引っ込み思案。些細な刺激に怯え、夜はあまり寝つけず、食も細く、季節の変わり目にはしょっちゅう熱を出していた。そこで両親の住むワシントンDCを離れ、気候の良いカリフォルニアに住む祖父の元で過ごすことが多かった。
毎晩のようにロイはおじい様の広いあったかい膝に乗り、おじい様が出演した映画のビデオを見て過ごした。
結果として小さなロイ少年にとってのヒーローが、スーパーマンやバットマンより断然、ニンジャであり、サムライになって行ったのは自然な成り行きだったと言えよう。
「すごいや、おじい様、あの人、あんなに高くジャンプしてる。わお、素手で石を真っ二つにしたよ!」
「あれはニンジャだよ、ロイ」
「ニンジャ! すごいなー、かっこいいなー」
青い瞳をきらきらさせて、幼いロイは祖父に言った。
「ボク、大きくなったらニンジャになりたい!」
「そうか!」
おじい様はロイの頭を撫でて豪快に笑った。
「よし、では私の親友が日本にいる。優れた武道家だ。もうすぐ夏休みだし、お前、彼のところで修業してみるかい?」
「うん!」
引っ込み思案な孫の驚異的とも言える積極性に、有頂天になったおじい様は速攻で親友に連絡をとり……準備万端、訪日の手はずを整えた。
こうして幼いロイ少年は祖父に連れられて海を渡り、はるばると日本へ武術修業に赴いたのだった。
瓦屋根のあるどっしりした門をくぐると、現れたのはまるで映画のセットに出てくるような古い武家屋敷。本物の石灯籠、ふんわりとやわらかな緑のコケ。澄んだ水をたたえた池には、色とりどりのニシキゴイが泳いでいる。
(すごい、ここは本当にサムライの家なんだ!)
ロイは目を輝かせてきょろきょろしながら広い庭を歩き回った。力強い曲線を描く松の木に見とれ、近づいてゆくと。
「やあ、とう!」
鋭い気合いとともに、びゅん、びゅん、と刀を振る音が聞こえてくる。そう、とっさに刀だと思った。それ以外に考えられなかった。
松の木の幹に手をかけて、そおっとのぞきこむと……。
「やあ、とう!」
キモノを着た少年が一人、きびきびした動きで竹刀を振っていた。涼やかなまなざしはきっと前を見つめ、背筋がぴしりと伸びている。自分と同じぐらいの年ごろだろうか。手も、足も引き締まり、丈夫そうだ。
そして、この太刀筋……直感で悟った。
本物だ。
手にしているのは竹刀、だけどこの子はまぎれもなく斬っている。
(サムライだ……サムライがいる!)
「ん?」
気配に気付いたらしい。
ちっちゃなサムライボーイは素振りの手を休め、無造作に汗をぬぐうとロイを見て、にこっと笑った。その瞬間、ロイの心臓は目に見えない矢に射貫かれていた。
「やあ!」
どきどきする心臓を両手で押さえつつ、ロイは進み出た。いつものシャイな自分をすっかり忘れていた。
illustrated by Kasuri
「ハ、ハロー……」
「君、アーバンシュタインさんとこのお孫さんだろ?」
「う、ウン」
「やっぱりな! じっちゃんから聞いてたよ。俺は光一!」
「ボクはロイ」
「よろしくな、ロイ!」
「ウン!」
Boy meets Boy。
こうして二人は出会った。
一緒の部屋で寝起きして、ご飯を食べるのも一緒。ラジオ体操も一緒。稽古をするのも一緒。お風呂も一緒。どこに行くにも一緒。
風見光一の祖父は、彼に親友の孫の面倒を見るように言いつけていた。何より光一自身も、ロイと言う友だちができたのが嬉しくてたまらなかった。
同じ年ごろの少年では、初めてだったのだ。自分と同じレベルで野を駆け、竹刀を振るい、木に登ることのできる『仲間』を得たのは……。あるいは、身のうちに秘めた素質が、この頃から既に秘かに呼び合っていたのかも知れない。
ほどなく、彼らは固い絆で結ばれた親友になった。
光一の祖父の教えには、武道のみならず、書道や茶道と言った精神を研ぎ澄ます鍛練も含まれていた。最初は慣れない筆と墨に戸惑ったものの、少年たちは熱心に自分の名前を練習した。
勢い余って紙からはみ出したり。あるいは筆に墨をつけすぎて、紙が破けたり。さんざん失敗を繰り返し、やっと納得の行く一枚ができあがった時はロイと光一は顔を見合わせてにっこり笑った。
多少、文字がまちがってはいたけれど、光一の祖父は大きな花丸をくれた。
毎日、二人は修業し、勉強し、終ってからは裏の山で夢中になって遊び回った。
夏が終るころには、引っ込み思案で体の弱かったロイ少年は真っ黒に日焼けして、見違えるほど丈夫になっていた。
しかし、楽しい時間はあっと言う間に過ぎてゆく。
やがて夏休みは終わりに近づき、ロイがアメリカに帰る時がやってきた。
二人とも別れが悲しくてわんわん泣いた。一緒になって庭の松の木にしがみつき、双方の祖父がひっぱってもがっちり掴まり、離れようとしなかった。
孫の成長を喜ぶ一方でそのあまりの意志の強さに困り果て、ロイの祖父は言った。
「わかった。お前が一人前のニンジャになったら、その時また、日本に来なさい。コウイチと一緒に、日本の学校に通いなさい」
「そうだ、ロイくん、ぜひ、そうしたまえ! 私も待っているぞ」
「………ホント?」
「ああ、約束する。武士に二言はない」
「だから、その前に一度アメリカに帰ってこい。日本で一人で生活できるように、アメリカでしっかり勉強するんだ」
青い瞳に涙をいっぱいにためて、ロイはこくんとうなずき、親友と指切りをした。
「離れていても、俺たち親友だからな!」
「ウン! コウイチ、ボク、一生懸命修業する。立派なニンジャになって、必ず日本に戻ってくる!」
そもそも最初はニンジャになるために日本に来たんだろう、とか。それじゃ本末転倒だろう! とか。純真で一途なロイ少年はカケラほども考えつかなかった。
そして、現在。
「ロイくん、風見くん?」
「あらあら、まあまあ」
「よく寝てること」
「これじゃお部屋に運ぶのは無理ね」
「お布団もってきてあげましょう」
「そうしましょう」
「でも、その前に」
結城神社の居間で、ロイと風見はぴったり寄り添って眠っていた。
ぱしゃり。
二人の母さんたちの構えた携帯の画面の中、幼いあの日と同じようにしっかりと手を握り、しあわせそうにほほ笑んで。
(ボーイ・ミーツ・ボーイ/了)
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