▼ スクランブルエッグ
20000ヒット御礼短編「ねえ、ディフが初めて作った料理って、何?」
ディフの初めてのお料理。
まだディーと呼ばれていた、くりんくりんの赤毛にそばかす顔の男の子だった頃のお話。
朝飯の仕度をしていたら、シエンに聞かれた。即座に答える。
「スクランブルエッグ」
こればっかりは忘れようがない。
「最初の一品は見事に失敗しちまったけどな」
シエンは目をぱちくりして、それからくすくす笑いだした。
「ディフでもそう言うことってあるんだ」
「無茶言うな。まだ8つだったんだぞ」
「俺もそれぐらいかな。やっぱりお母さんのお手伝いで?」
「いや。必要に迫られて」
※ ※ ※ ※
「ただいまー。ママ、おなかへったー」
学校が終わってから友だちと力一杯遊びまくって。腹を減らして帰ってきたら、兄貴が途方に暮れた顔をしてキッチンに立っていた。
「にーちゃん、ママは?」
「………出かけてる」
兄貴の手にはお袋が書いたメモがにぎられてる。いつもならおやつの場所が書いてあるはずなんだが……。
この日に限ってよっぽど急いでいたらしい。『買い物に行きます』としか書いてなかった。
「にーちゃん、はらへったー」
「しょうがないな……」
兄貴と二人でパントリー(食品庫)、戸棚の中、冷蔵庫の中、くまなく探した。しかし間の悪い時ってのはあるもんで。
リンゴも、バナナも、クッキーもクラッカーもシリアルもなし。チョコもなし。かろうじてツナの缶詰を発見したがあいにくとまだ二人とも親のいない所で缶切りを使っちゃいけないことになっていた。
もちろん、火も。
「にーちゃん、はらへった……」
せめてパンがあればピーナッツバターとぶどうジャムのサンドイッチぐらい作れたんだが。あいにくとこう言う時に限って、ない。
兄貴はコップを二つ取り出すと、ミルクをなみなみと注いで、たん、とテーブルに乗せた。
「ほら」
「いただきまーす」
二人して向き合い、コップをかかえて、んくんくと飲み干す。けっこう腹がふくれる……ような気がしないでもないが、やっぱり足りない。
飲み物だけじゃ物足りない。形のある食べ物が食べたいよ。
じーっと空っぽになったコップの底をにらんでいると、兄貴が言った。
「もう一杯飲むか?」
「うん」
二杯目はちょっとだけゆっくり飲んだ。
それからしばらくは部屋でマンガ読んだりして時間をつぶしていたんだが。1時間もすると、猛烈に腹が減ってきてがまんできなくなってきた。しかもさっきより強烈に。
ちょこまかと兄貴の部屋に行くと、宿題をしていた。なかなかこっちを向いてくれないので、近寄ってくいくいとシャツの裾をひっぱってみた。
「にーちゃん、はらへったー」
「ガマンしろ」
「はらへったー」
「ミルクでも飲め」
「はーらーへーったー」
「……………うるさい」
やっとこっちを見てくれたと思ったら、ずるずる引っぱり出されて廊下にポイ。目の前でドアががちゃりと閉まる。
追い出された。
さて、どうする。あきらめてまたミルクでごまかすか?
とぼとぼとキッチンに戻り、冷蔵庫を開ける。
その時、ひらめいたんだ。目の前に材料はある。だったら自分で作ればいいじゃないか! ってね。
さて、何を作ろう?
包丁を使っちゃだめ、火を使っちゃだめとお袋に厳しく言われてる。叱られる要素は少ない方がいい。だから包丁は使わないようにしよう。
包丁を使わずに作れるものは……。
「ん、しょっと」
のびあがって卵を二つ、取り出した。
スクランブルエッグにしよう。
作り方なら、なんとなくわかる、ような気がする。毎朝、お袋が作るのを後ろからじーっと見ているから。(できあがるのが待ちきれなかったもんだから……)
シンク下の棚を開けて、フライパンをひっぱりだしてコンロに乗せる。幸い、よろけたりはしなかった。この頃から力は強かったんだな。
薄く油を引いて、コンロに火をつけて……あれ、順番逆だったかな?
まあ、いいや。
かちっとダイヤルを回して火をつける。胸がどきどきした。いけないことをしてるって自覚はあった。でも腹減ってるからそっちが優先だ。
強火でガンガン熱せられて、あっと言う間にフライパンが熱くなる。顔がチリチリしてきた。
あわてて卵をカシャカシャと割って中に放り込む。
なんか、妙な具合に力が入って握りつぶしちまったけど、細かいことは気にしない。中身を出してすっかり軽くなったカラを放り出し、フォークでフライパンの中身をがしゃがしゃ混ぜる。力一杯まぜる。
みるみる卵が白く固まって行く。
よしよし、いい具合だ。そうだ、味をつけないと。塩とコショウを出してきて、ぱぱっとかける。
一見順調。でも、なんか………変だな。
お袋が作った時みたいにとろっとしない。ぽろぽろのぱさぱさだ。妙にフライパンにくっついてるし。混ぜ方が足りないのかな。
フォークでさらに混ぜる。
なんか、余計にぱさぱさになったぞ? あ……やばい、茶色っぽくなってきた。こげる、こげる。
急いで火を止めた。
フライパンの中には粉砕されてパサパサになった卵が二つぶん。とろっとも、ふわっともしていない。だいぶ理想とかけ離れた代物だったが、とにかく食えればOKだ。
皿に乗せて、気に入りのフォークをそえてテーブルに運ぶ。太い柄のずっしりと重いフォークは8つの子どもの手にはいささか大きすぎたが、いつも食う時はこれと決めていた。
「いただきまーす」
ぱくっと口に入れる。うん、卵の味だ! 俺にもちゃんとできたぞ。得意満面であぐっと噛んだその瞬間。じゃりっと堅いものが舌に当たった。
(うぇ、なんだ、これ?)
ぺっと皿の上に吐き出す。白くてひらぺったい堅い物質……卵のカラだ。どうやら、割る時にぐしゃっとにぎりつぶしたのがまずかったらしい。
まいったな、ぜんぜん気がつかなかった! まあいい、細かいことは気にしない。食えればいいんだ。
じゃりっと堅いものが当たるたびに、ぺっぺっと吐き出しながら食べた。
何だかくやしかった。お袋が作ってくれる、とろっとして、ふわっとした金色のスクランブルエッグとはあまりに違いすぎる。
次はもっと上手く作ろう。子供心にそう誓った。
※ ※ ※ ※
生まれて始めての料理。こっそり隠れて作ったはずが、簡単にバレた。
なるほど、冷蔵庫はきちんと閉めたが卵のカラがそのままだったし、フライパンも皿もシンクに突っ込んだだけ。
帰宅したお袋に、現場は目一杯雄弁に語ってくれたのである。
兄貴は何も言わなかったが、出しっ放しのフォークで犯人はすぐ俺だと知れた。
「ディー! 一人で火を使ったのね? Bad-Boy!(いけない子)」
ヘーゼルブラウンの瞳にほんの少し、緑が混ざってる。本気で怒ってるんだ。
「……ごめんなさい、ママ」
「手、見せて。火傷してない? 怪我してない?」
真剣な顔でお袋は俺の手のひらや顔、首筋を確認し、それからほーっと深く息を吐いた。
「……うん、異常なしね。よかった」
ぎゅっと抱きしめられる。柔らかくてあったかい胸の中にすっぽりと包まれた。
「もう二度と一人で火を使っちゃだめよ? 使いたい時は、ママかパパを呼びなさい。いいわね?」
「うん………ごめんね、ママ」
心配かけちゃった。
叱られたことより、そのことが胸にずくんと突き刺さった。
「ごめんね、ママ」
くしゃくしゃと頭を撫でられた。しばらくの間、お袋は俺のことを抱きしめていたが、やがて大きく深呼吸してから、にこっとほほ笑んだ。
「それで……何を作ったの?」
声が長調になってる。
ママはもう怒ってない。
悲しんでもいない。
そう思ったら腹の底からくすぐったい波が登ってきて、にぱっと顔全体に広がった。
「スクランブルエッグ!」
「どうだった?」
「ぱさぱさでジャリジャリ」
「あらあら。でも全部食べたのはえらかったわね」
※月梨さん画。ディー坊や(8さい)
その日の夕食はどうしたかって?
もちろん、全部食ったよ。さすがにデザートは食べさせてもらえなかったけどな。
そして次の朝。
「おはよう、ママ」
「おはよう、ディー」
キッチンに入ってくと、お袋がいつものようにスクランブルエッグを作っていた。とことこと近づいて、見守った。目を皿の様にして、じっくりと。
お袋は俺が見てるのに気づくと、いつもよりゆっくりと作ってくれた。
かしゃん、ぽん、と卵を割って、ミルクをほんのひとたらし。
「いい? ディー。あわてちゃだめよ。やさしく、ささっと……ね?」
フライパンの中で、いつものとろっとしたスクランブルエッグができあがって行く。
そうか、あのダイヤルで火を小さくすれば良かったんだ!
それに、力いっぱいがしがしかき混ぜれば良いってもんじゃなかったんだな。混ぜるのも、普通のフォークじゃなくてサラダ用の大きな木のフォークを使うのか。
「あらかじめ卵をボウルに割っておいてもいいのよ。自分の分、やってみる?」
「うん!」
※ ※ ※ ※
カシャっと卵を片手で割り入れて、ミルクをほんのひとたらし。サラダ用の木のフォークでかきまぜる。
あわてず、中火で、やさしく、ささっと。
「よし、できたぞ。皿持って来てくれ」
「はーい」
もう失敗はしない。
(スクランブルエッグ/了)
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