▼ サワディーカ!
- 拍手御礼用短編の再録。
- 【3-15】サムシング・ブルー前編のちょっと前の出来事。
- 【3-15-5】ヨーコさんが来た!で「この間中華街で会っていっしょに食事に……」とか言ってますがサリーちゃん、果たしてその真相は?
チャイナタウンは好きだ。
この、適度にごちゃごちゃした雰囲気がいい。空いてる場所に後から後から物を積み上げて、しかも雑然としたなりに形になってるバランスが心地よい。
赤や黄色、光沢のある緑。派手な色彩が、カリフォルニアの陽光にさらされていい具合にあせた色合いもまた、なかなかに趣き深い。
油と砂糖と八角、茴香、山椒、肉桂、白檀、茉莉花、その他もろもろの香りの溶け込んだぬるっとした空気を吸うのも好きだし、何と言ってもこの町は食い物が美味い。
そんな訳で暇さえ見つけてはここに鼻をつっこんで、愛用の古い一眼レフでかしゃかしゃ写すのが日課になっていた。
出入りすれば自然と馴染みも増える。
黒髪に濃い茶色のアンバーアイ、やや浅黒い肌と言った俺の容姿もこの町に容易に溶け込む助けとなってくれる。
詳しくなればなったで、仕事も採れる。
その日も趣味と実益を兼ねてチャイナタウンをぶらついて、時折目に留まった風景を写真に収めていた。
あくびしてる猫とか、道ばたにとめられた自転車とか、どこかに1ポイントしぼって写す時もあるし、このへんか、と大雑把にあたりを着けて何枚も写して後で現像する段になって気に入りの風景を選ぶ場合もある。
本職のカメラマンの匠の技には遠く及ばないが、仕事を離れて好きなように写真を撮るのは楽しい。他に趣味らしいものもないしな。
店先に針金細工の鳥かごが置かれていた。値札もつけずに、ぽん、と。売り物なのか、店の飾りなのか微妙なとこだ。
すき間が大きい所を見ると、あくまで鳥かご型のオブジェであって実際に鳥を飼うためのものではなさそうだ。
その中に、偶然……本物の、生きた小鳥が入っていた。おそらくセキレイだろう。
こいつぁ面白ぇ! ってんでカシャカシャ連写して。ぱっと飛び立ったのを追いかけてレンズを道の方に向けると……。
「ん?」
ファインダーの中、下の方をすーっと見覚えのある顔が横切った。
一瞬、背筋がぞわっとなった。
(落ち着け、落ち着け、あの女は太平洋の向こう側だ、こんな所にいるはずがない!)
カメラを降ろし、深呼吸して肉眼で直に見てみる。
ぱっと見、ジュニアハイかハイスクールの学生さんと見まごうような東洋系の眼鏡くんが約一名。でっかい買い物袋を下げてとことこと、こっちに向かって歩いて来る。
近づいた所で手をあげ、声をかけた。
「やあ、サリー」
「こんにちは、メイリールさん」
「買い物、か?」
「ええ、ちょっと食料を……」
しみじみ見下ろす。ああ、DNAのつながりって偉大だ。
「………………………やっぱ似てるな」
「え、ヨーコさんに?」
「うん」
指で四角い窓を作り、サクヤを見てみる。きょとんとして首をかしげていた。
Tシャツにジーンズと、オフタイムらしくラフな格好だ。模様からしておそらくジュニア用だろう。
「ファインダー通してみるとわかる」
「あんまり言われたことないけれど、親どうしはすごくよく似てるから」
「何って言うか、骨格そのものが華奢なんだな、君ら。彼女、ひょっとしたらノーメイクに私服で教壇に立ってたら生徒はしばらく気がつかないんじゃねーか?」
「ああ、そうかも」
想像して思わず、けっけっけっと悪魔じみた声を出して笑ってしまった。また、高校時代のヨーコと来たら実にフラットな体型だったから、余計にな。
(何ですって?)
一瞬、背筋がぞわっとなって周囲を見回した。
………うん、気のせいだよな、そうに決まってる。
「どうかしましたか?」
「え、あ、いや別に……そうか、食料の買い出しかー。やっぱりこっちの食い物の方が口に合う?」
「んー、時々無性に食べたくはなりますね。わりとなんでもいいほうなんだけど」
「俺も好きだよー月餅とか揚げパンとか」
「チャーハンとか水餃子とか」
「いいねー餃子」
「ただこっちだとラーメンはいいのがないんだよなぁ……」
「……普通のスーパーでな。カップ入りのスープのコーナーに行ってみてごらん。多分、見覚えのあるロゴのやつがあるはずだ。ヌードルスープって商品名だけど」
いかん、いかん。
何だって俺は、二十歳過ぎた相手に子ども相手に喋るような口調で話してるのか。
「インスタントは日本からも送ってもらえるから」
「そっか」
「日本は麺の種類がわりと多いんだけど、うどんと蕎麦とラーメンは、納得いくものに遭遇することはほとんどないかな……」
思わずぷっとふき出した。
同じ骨格、同じ音質の声でほとんど同じ台詞を言った奴がいたのだ……昔。
「一瞬タイムスリップしたと思ったぜ」
「ヨーコさんも言ってた?」
「ああ、もうロクな蕎麦が食えないしうどんも全然だめーっ、とんこつラーメンたべたーい! ………って言ってた」
「アメリカって麺好きには厳しい国なんだよね。パスタはみんなゆですぎだし」
「そーなんだよなー。ゆですぎは食えたもんじゃねえ」
「ヨーコさんに言わせると、まだ最近のほうがマシなんだそうだけど」
「そうだな、ここ10年ぐらいでだいぶマシになってはいる。でもイタリアン食いに行くならピザにしといた方が無難だね」
「いっそベトナム料理店に行ってフォーでも食べようかな−」
「ああ、あれ美味いよな。食後のコーヒーがめっちゃくちゃ甘いけど」
「……焼きそば食べたくなってきた」
食い物のにおいのする空気の中で、食い物の話で盛り上がっていたら何だかやたらとこっちも腹が減ってきた。
って言うか俺は今日、昼飯はおろか朝飯も食ってはいないのだ。
チョコバーと水は口にしたがな。
「タイ料理じゃだめか?」
「パッタイですか。あれ米粉なんだよね……美味しいところあります?」
「案内するよ。けっこう仕事で食べ歩きしたからな」
「是非」
※ ※ ※ ※
馴染みのタイ料理店にサリーを連れて入って行くと、エプロンを着けて髪をきりっとポニーテールに結い上げた看板娘が、にこやかに声をかけてきた。
きちっと胸の前で手を合わせて。
「サワディーカ(英語のHello!に相当する挨拶)、メイリールさん!」
「やあ、タリサ。今日もきれいだね」
「はいはい、ありがとね」
さらっと流される。いつものことだ。
「席、空いてる? 二人分」
「どうぞ、こちらへ」
10人も入ればいっぱいになる小さな店だが、昼時を少し過ぎていたので空いていた。
四角い、低めのテーブルにつくと、大きめのガラスコップに注がれたよく冷えたレモンバームのお茶が二人分、どんどんっと出てきた。
「パッタイ二つと、春雨のサラダ。あとデザート、今日は何がある?」
「バジルシードのココナッツミルクがけ」
「じゃあ、それも二人分。大丈夫だよな?」
「ええ、平気です。ありがとう」
さらさらと料理の名前をメモすると、タリサは店の奥の父親に向かってはきはきした声でオーダーを伝えた。
すぐに奥の厨房から低い声で返事が帰ってくる。
オーダーを終えるとタリサはちょこん、と首をかしげて聞いてきた。
「それで……メイリールさん、どこのお子さん連れてきたの?」
「え?」
「珍しいよね、子連れだなんて?」
「あ……いや、違うんだ、そうじゃなくて」
そうだよな。傍から見れば今の俺って、子どもに焼きそばをおごるうさんくさいおじさんだ。
「いや、そーじゃなくて……友だち。動物のお医者さんなんだよ、彼」
「まだ学生ですよ」
にこにこしながらサリーが言い添える。
「あら、獣医さんなの? うちにも猫いるよ」
猫ってのは自分が話題にされてると嗅ぎ付ける才能があるらしい。ちょうどその時、ほっそりしたシャム猫が上品に体をくねらせて奥から出てきた。
クリーム色の地色に顔と耳、手足の先と尻尾の色がほんの少し濃い褐色を帯びている。
瞳はターコイズのようなブルーだ。
「ああ、すごく綺麗な子ですね。おいで」
猫はするりとサリーに近寄り、絹みたいにつややかな毛並みを彼の指先に掏り寄せた。
長い尻尾がくるりと彼の手に巻き付く。
「毛並みいいなぁ、すべすべだ」
「その子、私のお祖父さんが連れてきた猫の子孫なの。ネズミ穫りの名人なんだよ!」
タリサは誇らしげに胸を張った。
「ネズミ穫ってくれるからね、猫はすごく大事」
「ええ、そうですね」
猫はサリーになでられてすっかり上機嫌だ。目を細めてゴロゴロのどを鳴らしている。
「すごいなあ。この店に出入りするよーになってからけっこう経つけど、俺、まだそこまでフレンドリーにしてもらってねえ」
「メイリールさんは、タバコの匂いがするからですよ」
「やっぱヤニか……」
「動物は匂い気にしますからね」
「ヤニか………」
「俺も、病院から出た直後はだめな時もありますね。消毒液の匂いがするみたいで」
「ああ、猫にしてみりゃやっぱ怖いんだな、病院のにおい」
「柑橘系の強いのも苦手ですね、猫」
「ミントは?」
「ミントはどうかなぁ……多分きついとやっぱりだめだと思います」
「ああでもたまにすごく好きな子もいる……」
「そっか……」
一応、メンソールだからミントの香りなんだけどなあ。ヤニの方が強いんだろうか。
くんくん、と箱に入った煙草のにおいをかいでいると、ほこほこと湯気の立つ皿が二人分、目の前に出てきた。
太い麺と、茹でた海老、スクランブルにした卵と大量のニラとモヤシ、くだいたピーナッツに忘れちゃいけないパクチー。
あつあつのパッタイが盛りつけられている。
「どうぞ! 熱いから気をつけてね」
「サンキュ、タリサ」
ちらっと俺を見下ろすと、タリサは人さし指をぴっと立てて左右に振り、びしっと言ってくれた。
「メイリールさんは煙草吸い過ぎ!」
ああ。
十八の女の子に説教されちまったよ……。
「ライム、サービスで二切れ入れといたからビタミンとってね?」
「うん……いただきます」
「いただきます」
一口食ってからサリーは、あ、と小さく声をあげた。
「美味しい」
「だろ? ここ、店は小さいけど親父さんの腕は確かだから」
俺の皿には分厚く切ったライムが二切れ添えられていた。サリーの皿には一切れ、これが普通だ。
せっかくの心遣いを無駄にもできず、ぎゅっと絞って麺にかける。猫はちょっと顔をしかめて、すうっとまた奥に戻ってしまった。
通りすがりに、じゃあね、とでも言うようにサリーの足にすりよって。
俺のことは鞭のような尻尾でぴしゃりと叩いて。
まったく、この店のタイ美人は気が強い。
人でも。
猫でも。
(サワディーカ!/了)

