▼ 【ex5-1】★執事に片想い
カルヴィン・ランドールJr.は恋をしていた。まるでローティーンのようにもどかしい片想いを。
基本的に恋愛なんてものは互いの波長が合うか合わないかが要だ。
その関係を構築するのにあたっては、己の姿形や財力も少なからず大事な役割を果たしている。
ランドールは自信家で金持ちではあったが、その辺りの仕組みもちゃんと心得た男だった。
ルーマニア出身の母から受け継いだ、濃いサファイアブルーの瞳にウェーブのかかった黒髪。眉のラインはきりっと強く、彫りの深い、どこか異国めいたハンサムな顔立ち。
二代目ならではの毛並みの良さ故に、己の自信に見合うだけの財力をごく自然に使いこなし、決してひけらかさない。
全ての女性に対してはあくまで紳士的、好みの男性に対しては強引な男と紳士の顔の使い分けを心得た、分別のあるプレイボーイ。
実際、彼はもてた。
一夜限りの甘い情事。
数度の食事に買い物、映画にコンサート、そしてその後のめくるめく夜を共に過ごすパートナー。
あるいはパレード見物、きらめく夏のバカンス、感謝祭にクリスマスにニューイヤーにバレンタイン……四季折々のイベントを共に過ごす恋人。
種類を問わず、昔から相手探しに悩んだことなど一度もなかった。
強いて言うなら数多の候補者の中から誰を選ぶか、ぐらいのもので……。
口説く時は気障にならない程度に適度に甘く雄弁に。別れる時は相手の心情をやわらかく包み込みつつ後腐れなくきっぱり終わる。
そんな彼が、恋に落ちた。
最初に会った時はそれとは気づかず、ただ別れてからも彼の人の面影が心から去らない事に気づいて『はてどうしたことだろう』と首をひねるに留まった。
何しろその相手と言うのが今まで彼の付き合ってきた男たちとはまるきり違うタイプだったのだ。
まず第一に著しく年上、おそらく四十代。
空色の瞳に銀色の短い髪。きちんと背筋を伸ばして主の背後に控え、極めて有能。
彼の名はアレックス・J・オーウェン。
ランドールが父から受け継いだ会社の顧問弁護士、レオンハルト・ローゼンベルクの秘書だった。
まるで執事みたいだなと思ったら実際、以前は執事をしていたらしい。
そこまで知った頃には既に些細な用事……それこそ自分の秘書に任せればいいような些細な用事のためにさえ、ジーノ&ローゼンベルク法律事務所に足を運ぶまでになっていた。
「いらっしゃいませ、ランドールさま」
事務所に入り、忠実なるアレックスの出迎えを受け、応接室に通される。
彼の入れてくれた紅茶を味わうほんの短い間、幸せに浸る。美貌の弁護士も目の前の仕事の書類も素通りし、視線はひたすら傍らに控える執事へ。
たまに見習いらしい金髪の少年が資料を届けに来ることもある。
騒がしいラテンガイやがっしりしたアフリカ系の巨漢、法律事務所の個性的な面々もランドールにとっては興味の対象ではない。
あくまでビジネス上の付き合いだけの相手だ。
彼の訪問の目的は法律顧問たるレオンハルト・ローゼンベルクとの会見である。少なくとも表面上は。
だからローゼンベルク氏の不在中に事務所を訪れてしまった時などは大義名分を失い、宙に浮く気分を味わった事も何度かある。
目当ての人物はまさに今、目の前で主の不在を告げている本人なのだが。
「しばらく待たせてもらってもいいかな」
その一言を言うまでにどれほどの勇気が要ることか!
「かしこまりました、それでは応接室でお待ちください」
その一言で天使のハープの音が聞こえる。
「いや、ここでかまわない。それほど時間はかからないのだろう?」
「はい、じきに戻るかと存じます」
さりげなく。有能秘書の業務を妨げない程度に話しかけつつ事務室で時間をつぶしていると(実は彼にとってはこの上もない至福のひと時だったのだが)。
「よ、アレックス。良かった、いたか!」
望まざる訪問者が一名。ひょいと片手を挙げ、いかにも慣れた調子で入ってきた。
よれた薄いクリーム色のワイシャツに細めの黒いタイをゆるくしめ、襟元のボタンは上一つ開けたまま。紺色のスラックスを履き、足元はすり減った革靴、フレームの小さめの眼鏡をかけた黒髪の男。
かろうじてビジネス向けの服装と言えなくもないが、見るからに胡散臭い。およそ堅気の勤め人とは思えない。
「これはメイリールさま、いらっしゃいませ。何か、ご用ですか?」
ちらりとこちらを見て軽く挨拶してから、胡散臭い眼鏡の男はアレックスに話しかけた。
「ちょっと確認したいことがあってさ、いいかな。結婚式のことなんだけど」
結婚?
一瞬、こめかみの内側でダイナマイトが炸裂しそうになる、が。
そうだ、結婚するのはレオンハルト・ローゼンベルク氏だったと思い出し、平静を取り戻す。現に自分も招待状を受けとっているではないか。
アレックスがこちらを見ている。ほほ笑んで「かまわないよ」とうなずいた。
「こないだ渡したデモテープ、聞いてくれた?」
「はい」
「バグパイプの楽団なんだけど……どーも予定の人数だと、何か、こう今イチ華にかけるっつーか寂しいんだよな。もそっと人数増やしたい」
「それですと、いささか予算を超過するかと……」
「どっか削ってやりくりできない? 料理一品減らすとか、ランクを落すとか」
「いえ、それは流石に………」
アレックスの声のトーンが下がり、眉根に皺が寄った。彼にしてみれば耐えられないことなのだろう。
「あー、その、君。ちょっと、いいかな?」
「はい?」
その瞬間、眼鏡の男(確かメイリールとか呼ばれていた)の口元に小さく笑いが浮かんだように見えた。
「超過する予算と言うのは、いかほどかな?」
「そーっすね………」
メイリールはポケットから黄色の表紙のリング綴じのメモ帳を取り出し、さらさらと筆算を始めた。
「最低でも20人は欲しいから……こんなもんすかね」
メモを受け取り、記された金額に目を通す。
「……ふむ」
左のポケットから小切手帳を取り出し、提示された金額に少しばかり上乗せしてキリのいい数字にしたものを書き込み、署名して……アレックスにさし出す。
「これを。我が敬愛する顧問弁護士と、そのパートナーへの結婚の贈物として……」
アレックスは少しためらって、ちらりとメイリールの方を伺った。
「ありがとうございます。えーと」
「ランドールだ」
「感謝しますよ、Mr.ランドール。レオンもディフも喜びます」
その一言で執事は意を決したらしい。
両手で小切手を受けとってくれた。
「ありがとうございます、ランドールさま」
微笑を浮かべ、うやうやしく一礼するアレックスの姿を記憶に焼きつけた。どんなに些細な動きも見逃すまいと。
※ ※ ※ ※
その夜、ランドールは夢を見た。
お城のような広々とした屋敷……だが自分の実家ではない。彼が生まれ育った屋敷の建物はもっと近代的で機能的で。
庭には母が手づから植えた草花があふれていた。
どことなくヨーロッパ、それもドイツの頑強さを思わせる屋敷の庭は、葉っぱの一枚、枝の一本にいたるまでほんのわずかな乱れも許さぬくらい幾何学的、かつ直線的に整えられていた。
(これはこれで美しいが、しかし、味気ないと言うか、息苦しいな……)
そんなことを考えながら糸杉の木陰にたたずみ、四角く刈り込まれた生け垣に囲まれた庭を見下ろす。
男の子がいた。
ぽつんと一人、芝生にたたずみ庭園を眺めている。
明るい茶色の髪に茶色の瞳、愛らしい顔立ちをしてはいるが、およそ子どもらしいあどけなさと言うものが感じられない。
まだ五〜六歳だろうに。
『ぼっちゃま。レオンぼっちゃま!』
屋敷の方から呼ぶ声がする。
男の子は振り返り、笑った。しかめていた眉をほんの少しゆるめ、口の端をほころばせただけだったが……確かに笑っていた。
銀髪に空色の瞳の若い男が近づいてきた。年の頃は二十一、二歳ぐらいだろうか。ひと目見た瞬間、誰かわかった。
アレックスだ!
『おやつの用意が整いましたよ』
『今日は何?』
『マドレーヌでございます』
『ん』
男の子はうなずくと歩き出そうとして……ちらっと青年執事の顔を見上げ、おずおずと手をさし出した。
アレックスは愛おしげに笑みを返し、それからうやうやしく男の子の手を握ると歩き出す。ゆっくりと、歩調を合わせて。

遠ざかる二人をひっそりと木陰から見守りながら、ランドールは、ほう……と感嘆のため息をついた。
あの頃から一緒だったのだな。
それにしても、いくつになってもアレックスは……素敵だ。若い頃もそうだが、年を経た今だからこそ尚更に。
※ ※ ※ ※
しみじみとした温かさを抱えたまま、目をさます。
実に清々しい気分だ。
詳細は忘れたが、良い夢を見た。
それだけで今日一日、幸せに過ごせそうな気がした。
※ ※ ※ ※
同じ日の朝。
アレックスがいつもと同じ時間に規則正しくぱちりとベッドの中で目を開けていた。
(はて。何やら昔の夢を見たような……)
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