▼ 【ex15-3】エンブレイス
駅から伸びるメインストリートが終わりにさしかかり、やがて徐々に町並みに溶けてゆく。そんな境目の場所にその店は在った。
ありふれた三階建ての雑居ビル。外壁は永年の風雨にさらされ、昔風の余裕のある……ある意味遊びと装飾の多い造りと相まって、石造りの古い洋館のような雰囲気を醸し出している。
「こっちだ」
鉄の手すりに支えられた上がり段を登る。アーチ型に石が組まれた戸口の上部にはステンドグラス、その下には木枠に偏光処理の施されたガラスがはめ込まれた、両開きの扉が収まっていた。
軒先に下がる磨き抜かれた真鍮のプレートに曰く「Embrace」。その下の電気じかけの置き看板はもっと今風の書体で、カタカナで読みが振ってあった。
「エンブレイス?」
「抱擁、とか受容、帰依とか、まぁそんなとこだな……」
小さな声で『お前さんたちには』とか何とか呟いたのは気のせいか。
慣れた手つきで鍵を開けると、神楽はドアノブにかかっていた札をくるりと回し、「open」に変えた。
「入ってくれ。まあ狭い店だがな」
「お邪魔します」
「失礼シマス」
かららん、とドアベルが優しくも深い音色を奏でる。始めて来た場所のはずなのに、風見とロイはどこか懐かしいような感覚を覚えた。ベルの音の根底に流れる響きが、同じなのだ。とても身近な鈴の音に。
磨き抜かれた木の床とカウンターは深みのある焦げ茶色。店内に置かれたテーブルと椅子も全て同じ色の木材で作られている。
淡い色調の草花模様の壁紙は目に優しく、陽の光を含んだ香りすらほんのりと漂ってくるような心地がする。
どこからかカチ、コチと規則正しい音が聞こえる。見回すと、壁に小さな振り子時計がかかっていた。
(ああ。変わっていないな、ここは。今にも奥から藤野先生が出てきそうだ。黒い猫と、カラスを連れて……)
『いらっしゃい、メリィちゃん。待ってたわ』
カウンターに裕二兄ぃがサクヤちゃんと並んで座って。私の『授業』が終るのを待っていた。静かに紅茶を飲んで、クッキーをかじって……
「気持ちのいい場所だな」
「落ち着きマス」
教え子たちの声に我に返る。
「そこのドアベル、実は夢守りの鈴なんだ」
「えっ」
「こんなのもあるんだ……」
「特注品だよ。それと、ほら」
羊子は東西南北の壁を順繰りに指し示した。何もかも記憶のまま、あの日と同じ場所に置かれていた。
北の壁に、金貨を埋めた盾のオブジェ。
「これはタロットのペンタクル、土の護り」
南側、さっき入ってきた扉の取っ手は炎を模した棒の形。
「これはワンド、もしくはロッド。炎の護り」
西の壁には杯の形をした花瓶、東の壁には模造剣がかけられている。
「あっちの花瓶は聖杯、水。そしてこの剣は風の護り」
「結界になってるんだ!」
「そうか、だからこんなに空気が清浄で、心が引き締まるんだネ!」
「まぁ、そう言うことだ。一応、夢魔からの避難所にもなる程度にはな?」
神楽はカウンターの椅子に腰を降ろし、身振りで座るように勧めてきたので三人もそれぞれカウンターの椅子に着いた。
店の中に他に客はいない。ほとんど貸し切り状態だ。それでも何となく一ヶ所に集まってしまうのは、狭い部室で過ごす時の習慣が染みついてるせいか。
「……さて、と」
神楽のまとう空気が変わる。飄々とした雰囲気から気だるげな印象が増し、無気力とも言える目でじっと羊子を見た。単にやる気がない、と言うよりもっと根源的な何かが欠落している。そんな底知れぬ空虚さを感じさせるまなざしで。
「……アメリカで呪いかけられたって?」
「い、いえす」
「……間抜け」
「面目ない」
(えっ)
風見とロイは思わず顏を見合わせ、我が身我が目を疑った。
こんなことってあるんだろうか。先生が一言も言い返さないなんて!
「言いたい事があるなら聞くぜ?坊主共」
「………………ないです」
そう答えるしかなかった。
サンフランシスコでの一件、三人の魔女と戦ったとき、自分たちも油断をしていた。不覚をとったのは事実なのだから。
※
『そーいえばメリィちゃんなんですけどね、上原さんのことを忘れるとまでは言わなくとも、過去のことに出来そうなんですよ』
先立つこと数日前、三上蓮と神楽裕二の間ではこんな会話が交わされていた。
『ええ、彼女本人から『好き』と明言されましたし』
『この前の事件の時に少し突っついてみたんですが、相手の方もまんざらでもなさそうです。最後は単身彼女を救出してくれましたし、ね』
『彼を意識しだしたのはアメリカでの事件後のようですね。私はその時は関わっていないので伝聞ですが、皆で呪われてしまって一時は危なかったようです』
呪われたとはどう言うことか?
問われるままに仔細を語る三上の口から、初めて神楽は知ったのだ。妹弟子の勇み足故の失態を。
『私が言うよりは兄弟子からの方が効くでしょうから、一度説教してあげてください』
次へ→【ex15-4】兄弟子と妹弟子
ありふれた三階建ての雑居ビル。外壁は永年の風雨にさらされ、昔風の余裕のある……ある意味遊びと装飾の多い造りと相まって、石造りの古い洋館のような雰囲気を醸し出している。
「こっちだ」
鉄の手すりに支えられた上がり段を登る。アーチ型に石が組まれた戸口の上部にはステンドグラス、その下には木枠に偏光処理の施されたガラスがはめ込まれた、両開きの扉が収まっていた。
軒先に下がる磨き抜かれた真鍮のプレートに曰く「Embrace」。その下の電気じかけの置き看板はもっと今風の書体で、カタカナで読みが振ってあった。
「エンブレイス?」
「抱擁、とか受容、帰依とか、まぁそんなとこだな……」
小さな声で『お前さんたちには』とか何とか呟いたのは気のせいか。
慣れた手つきで鍵を開けると、神楽はドアノブにかかっていた札をくるりと回し、「open」に変えた。
「入ってくれ。まあ狭い店だがな」
「お邪魔します」
「失礼シマス」
かららん、とドアベルが優しくも深い音色を奏でる。始めて来た場所のはずなのに、風見とロイはどこか懐かしいような感覚を覚えた。ベルの音の根底に流れる響きが、同じなのだ。とても身近な鈴の音に。
磨き抜かれた木の床とカウンターは深みのある焦げ茶色。店内に置かれたテーブルと椅子も全て同じ色の木材で作られている。
淡い色調の草花模様の壁紙は目に優しく、陽の光を含んだ香りすらほんのりと漂ってくるような心地がする。
どこからかカチ、コチと規則正しい音が聞こえる。見回すと、壁に小さな振り子時計がかかっていた。
(ああ。変わっていないな、ここは。今にも奥から藤野先生が出てきそうだ。黒い猫と、カラスを連れて……)
『いらっしゃい、メリィちゃん。待ってたわ』
カウンターに裕二兄ぃがサクヤちゃんと並んで座って。私の『授業』が終るのを待っていた。静かに紅茶を飲んで、クッキーをかじって……
「気持ちのいい場所だな」
「落ち着きマス」
教え子たちの声に我に返る。
「そこのドアベル、実は夢守りの鈴なんだ」
「えっ」
「こんなのもあるんだ……」
「特注品だよ。それと、ほら」
羊子は東西南北の壁を順繰りに指し示した。何もかも記憶のまま、あの日と同じ場所に置かれていた。
北の壁に、金貨を埋めた盾のオブジェ。
「これはタロットのペンタクル、土の護り」
南側、さっき入ってきた扉の取っ手は炎を模した棒の形。
「これはワンド、もしくはロッド。炎の護り」
西の壁には杯の形をした花瓶、東の壁には模造剣がかけられている。
「あっちの花瓶は聖杯、水。そしてこの剣は風の護り」
「結界になってるんだ!」
「そうか、だからこんなに空気が清浄で、心が引き締まるんだネ!」
「まぁ、そう言うことだ。一応、夢魔からの避難所にもなる程度にはな?」
神楽はカウンターの椅子に腰を降ろし、身振りで座るように勧めてきたので三人もそれぞれカウンターの椅子に着いた。
店の中に他に客はいない。ほとんど貸し切り状態だ。それでも何となく一ヶ所に集まってしまうのは、狭い部室で過ごす時の習慣が染みついてるせいか。
「……さて、と」
神楽のまとう空気が変わる。飄々とした雰囲気から気だるげな印象が増し、無気力とも言える目でじっと羊子を見た。単にやる気がない、と言うよりもっと根源的な何かが欠落している。そんな底知れぬ空虚さを感じさせるまなざしで。
「……アメリカで呪いかけられたって?」
「い、いえす」
「……間抜け」
「面目ない」
(えっ)
風見とロイは思わず顏を見合わせ、我が身我が目を疑った。
こんなことってあるんだろうか。先生が一言も言い返さないなんて!
「言いたい事があるなら聞くぜ?坊主共」
「………………ないです」
そう答えるしかなかった。
サンフランシスコでの一件、三人の魔女と戦ったとき、自分たちも油断をしていた。不覚をとったのは事実なのだから。
※
『そーいえばメリィちゃんなんですけどね、上原さんのことを忘れるとまでは言わなくとも、過去のことに出来そうなんですよ』
先立つこと数日前、三上蓮と神楽裕二の間ではこんな会話が交わされていた。
『ええ、彼女本人から『好き』と明言されましたし』
『この前の事件の時に少し突っついてみたんですが、相手の方もまんざらでもなさそうです。最後は単身彼女を救出してくれましたし、ね』
『彼を意識しだしたのはアメリカでの事件後のようですね。私はその時は関わっていないので伝聞ですが、皆で呪われてしまって一時は危なかったようです』
呪われたとはどう言うことか?
問われるままに仔細を語る三上の口から、初めて神楽は知ったのだ。妹弟子の勇み足故の失態を。
『私が言うよりは兄弟子からの方が効くでしょうから、一度説教してあげてください』
次へ→【ex15-4】兄弟子と妹弟子