▼ 【4-2-3】オティア、猫を探す
ディフはもう行ってしまった。相変わらず歩くのが早い。振り返りもしない。ここは俺に任せたってことだろう。
まず猫がいなくなった現場を観察してみる。
病院の駐車場だが、メインではなくやや離れたところにある。横は病院目的以外の車はほとんど通らなさそうな路地だった。その向こうは住宅街が広がっている。
これなら慌てて飛び出して交通事故って可能性は減る。
3ヶ月の子猫だから、あまりうろうろしないでそのあたりに隠れてるといいんだが……。
チラシを入れたクリアファイルを手に歩き出す。
見失った場所を起点にして、半円を描くように道を選び、ゆっくりと。
何だか手足が重い。事務所で座っている時はそれほどでもなかったが、動き出すとじわじわと体調の悪さを自覚させられる。
9月初旬、天気は晴れ。海からの風が強い時はそれなりにひやりとするが、長袖シャツにジーンズという格好ではまだ暑い。野球帽はかぶってきたが、あまり時間をかけないほうが良さそうだ。
半袖の服は持っていない。サイズが同じだからシエンのを借りることもできるがそのつもりもない。
肌を晒すのが嫌なのだ。他人の目にも。自分の目にも。
このあたりの家は、表通りからは庭が見えないつくりが多い。
隣の家と庭同士がフェンス一枚で仕切られていて、道もない場所もある。手入れされていないとかなり茂っていたりして、そういう場所に入り込まれると外からでは探しようもない。
仕方がないので、用意したチラシをポストに入れて、見える範囲で中をのぞき込むことにする。
昼間の住宅街は、通る人もほとんどいない。時々すれ違う人にチラシを見せてみるが、皆首を振る。
もっとも、これは元々期待はしていないが。
時おりじっとチラシを熱心に見て、探してみるよと答える人がいる。きっと自分でも猫を飼ってるのだろう。
そんな調子で一軒一軒チェックしながら歩いていくと、数軒分離れた場所にある家のレンガ塀の上で、大きな猫が寝ていた。
顔の丸い、耳のたれた猫だ。
狭い塀の上で器用に横になっている。どう見ても身体がはみだしているんだが、落ちないんだろうか?
確かスコティッシュフォールドって名前だったよな…と思いつつ歩いていくと、猫もこちらに気づいた。だが、ちらりとこちらを見ただけであくびをひとつして、また寝はじめた。
「お前、オスメスどっちだ?」
「にゃー」
寝たままで返事があった。でもどっちだかわかんないぞ。
発情期のオスは子猫を見ると噛み殺すことがある、とサリーが言っていた。こいつはのんびりしてるから発情中ってことはないだろうが、それでも縄張りに他の猫が入ってきたら追い出すかもしれない。
うーん、尻尾つかんだら怒るだろうなぁ。
性別を確かめるのは諦めて、近寄って軽く撫でてみる。
猫は満足そうにごろごろと喉を鳴らした。
撫でていると、塀の向こうの庭の奥に、もう一匹違う猫が現れた。
今度は灰色と黒の虎縞だ。塀の上にいるやつよりはひとまわりほど小さい。身体を低くして耳を後ろに向けている。
警戒のポーズ、だが、狙っているのはこちらではない。
塀の上のやつはあいかわらず昼寝中。背後で何が起こっているか気にする様子もない。
虎縞は更に庭の奥に向かっている。植木の向こうに隣の家との境になるフェンスがあって、どうやらその向こうにターゲットがいるようだ。
低くうなり声をあげる。
「ふーーーー!」
その声に隣の家の茂みが、小さく揺れた。
……いた!
声は聞こえなかったし、姿も見えなかったが、間違いない。
虎縞はフェンスを超えることができず、威嚇しただけだ。
「わりぃ、通してくれ」
チラシを入れたファイルを小脇に挟み、いまだに動こうとしない昼寝猫の横に手をかけ、乗り越えようとした。
その時。
「待て、お前!」
「っと」
背後からの声に、塀の上にのっかった状態で止まる。ちょっとまぬけだ。
横で猫が不機嫌そうに「にゃー」と鳴いた。
「そこから降りろ!」
振り返ると、立っていたのは40前ぐらいの作業着の男性だった。
ポリスじゃない。おそらくこの家の主でもない。ただの通りすがりの。
しまったな。反射的に止まっちまったけど、無視するべきだった。通報されたところで、後でどうとでもなったのに。
さっきの猫を追いかけるには、タイミングを逸してしまった。
「このクソガキ、こんな昼間っから空き巣か!?」
作業着の男はやけにエキサイトしている。
………ウザい。
「うるせぇよ」
「なんだと」
「あんたこのへんの人間じゃねーだろ。口出すな」
「このガキ…!」
男が手を伸ばしてくる。それをかわして、道路に飛び降りた。ばさり、と足元にファイルが落ちる。中に挟んだチラシが数枚、こぼれ出して扇状に広がった。
どうする?
男は怒りに顔を赤く染めている。
最初から話し合う気はないし、単に逃げるのも手間と時間がかかる。
体調は良くないが、この程度の相手なら、どうとでもできる。
……やるか。
固く拳を握り、体重を軸足にかけた。
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