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ローゼンベルク家の食卓

【4-19-8】召しませ白酒

2010/06/25 23:20 四話十海
 
 西の空が赤く染まり、東に向かって徐々に薄紫から藍色に変わるグラデーションを描く頃。
 レオンとディフが戻って来た。腕を絡めてぴたりと寄り添い、軽やかなささやきとほほ笑みで互いの耳をくすぐりながら。
 2人とも髪の毛に湿り気が残り、ディフの赤い髪はいつもより強くカールがかかっていた。

「ただいま……おわ?」
「おや」

 居間に入るなり、ぱぱとままは目を丸くした。ローテーブルの上にずらりと紙が並んでいた。それも、ただの紙ではない。きちんと折られて、半ば立体的な形に整えられている。しかも鳥や船、花、カエル、人形っぽい形になってるやつもある。

「おかえりー」
「これ……どうしたんだ」
「オリガミ。サリーが教えてくれたんだ。これ便利だよ」

 そう言ってシエンは紙で折った箱を手に取った。

「チラシとかコピー用紙で簡単に折れるんだ。クリップとか、ピーナッツの皮とか、いろいろ入れられるでしょ?」
「なるほど、実用的だな」
「うん」
「こっちのトンガリ帽子みたいなのは何だ?」
「カブト。サムライの被るヘルメットなんだって」
「ああ……なるほど」

 言われてみれば、そんな形に見えてきた。

「お帰りなさい。夕食の準備、できてるよ」
「すっかり任せちまったな、サリー。世話になった」
「ううん、楽しかったし。こう言う料理って一人だと作らないからね」
「腹減ったー。今日の飯、何?」

 のっそりとへたれ眼鏡がやってきた。

「……いいタイミングで来たな」
「おわ、何だ、このオリガミの山は!」

 一目でわかる辺りはさすが物書き、この手の知識量はハンパなく多い。
 そして食卓の一角には、オリガミで作った人形らしきものが一対、並べられていた。キモノを着た男女のペアで、ご丁寧に顔まで描いてある。

「これも、オリガミか」
「うん。おひなさま」
「オヒナサマ?」
「今日は3月3日だからね」

 サリーの言葉に、ヒウェルがごく自然に頷く。

「ああ、ヒナマツリ」

 シーザーサラダにナスとトマトのマリネ、メインの押し寿司は型から抜いて、一番上にスモークサーモンや茹でたエビ、スライスした卵とアスパラをトッピングしてきれいに飾り付けてある。

「これはスクランブルエッグじゃないんだな。リボン……いや、糸みたいになってる」
「薄く焼いて、細かく刻んだんだ」 
「何だって食べるものにそこまで手間をかけるかねえ。どうせすぐ消えちまうのに!」
「んー、見た目がキレイだから? あとは食感かな」
「ケーキみたいだな。何だか食べるのがもったいないくらいだ」

 ケーキを切り分ける要領で取り分けて、一人分ずつ皿に取る。お代わりの欲しい人はご自由に、付け合わせはハマグリのクラムチャウダー。

「本当は、塩味でうすく味付けただけのシンプルなスープなんだけど。ここはサンフランシスコ式にチャウダーにしてみました」
「オシズシに、ハマグリのスープ。なるほど、見事にヒナマツリの料理だな! でも、もう一つあったんじゃないか? ほら、White-Sakeとか言うアレ」

 くいっとヒウェルがグラスをあおる動作をする。その手つきを見てサリーは秘かに思った。

(ああ言う動作って、万国共通なのかなぁ)

「白ワインじゃ代わりにならないかな?」
「それだ!」
「せっかくサリーが来てることだし、日本茶も入れるか」

 すっきりとした辛口のカリフォルニアワイン。きりっと冷えたボトルを氷を入れたステンレスのワインクーラーに入れる。だが、グラスを傾けるのは酒飲みの大人が三人、果たしてワインがぬるくなるまで、中味が残っているだろうか?
 
「おお、白ワインに合うな、これ」
「魚介類がメインだからか。酸味が利いてるのもいいな」
「じゃ、俺も一杯だけ」

 そーっと差し出されたサリーのグラスを、ディフは静かに、だがきっぱりと制した。

「君は、やめとけ」
「えー」
「……うん、その方がいいね」
「そうだな」

 うなずくレオンとヒウェルの脳裏には、桜色になって、すっかりぺろんぺろんにでき上がったサリーの姿が浮かんでいた。忘れもしないクリスマスの夜、そりゃあもう、頭にお花が咲いてそうなくらいにごきげんだった。

(テリーといい、ディフといい、どうして皆、お酒飲ませてくれないのかなあ。俺が23歳だって、ちゃんと知ってるはずなのに)

 小さくため息をつくと、サリーは素直にお茶をすするのだった。

(いいや。家で飲もう。でなきゃ、ランドールさんと一緒のときにでも)

 食堂の片隅では、オーレがカリカリのエビのスープ寄せを上機嫌で食べていた。
 この家唯一の女の子。本来なら、今日の主役は彼女のはずなのだが……。

「んにゃぐぐぐ、にゃぐぐぐるにゅう」

 ぴちゃぴちゃと美味しいスープをなめて、途中でちらりと王子様を見上げる。こっちを見て、にこっと笑ってくれた。うれしくて、うれしくて、尻尾がぴーんっと垂直に伸びる。

「にゃー」

 ふかふかの白い毛皮をまとった青い瞳のお姫さまは、王子様がいて、エビがあればご機嫌なのだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「それじゃ、ごちそうさまでした」
「いや、むしろごちそうになったのはこっちの方だ」 

 ディフはがっしりした手で華奢なサリーの手を握りしめた。力を入れ過ぎないようにそっと、包み込むようにして。

「ありがとう、サリー」
「どういたしまして」

 サリーはきゅっと握り返し、穏やかな笑みを浮かべた。それはまるで今日のお日さまのように、見ているだけでほんわりと、あたたかな金色に包まれる心地のするほほ笑みだった。

「シエンとオティアと一緒で、俺も楽しかったし」
「そう言ってもらえると……嬉しいよ、本当に。送ってかなくて大丈夫なのか?」
「うん、来るときかさばってたのはほとんど食材だったし、全部食べちゃったから」

 サリーは風呂敷に包んだ炊飯器を、よいしょっと両手で抱えた。

「これも、中味は入ってないしね」
「そうか……あ、これ、土産だ」

 ディフは無造作に紙袋に入れたボトルを渡した。

「夕飯の時に飲んだ奴と同じのだ。家に帰ってから飲んでくれ」
「ありがとう!」
「料理に使っても美味いぞ」
「わあ、贅沢……嬉しいな。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」

 ワインと炊飯器を抱えて、サリーは上機嫌で帰って行った。
 見送りながら、シエンは思った。

 あのオシズシって、いいな。野菜も、魚介類もいっぺんに取れるからバランスもとれてるし。
 見た目がケーキっぽくて華やかだけど、甘くないからオティアも食べられる。
 糸みたいに細かく切った卵の上にデコレートされた、スモークサーモンのオレンジとアスパラのグリーンがきれいだった。そして、フルーツみたいにきちんと並べたエビ。

(エリック、ああ言うの好きかな……)

 たぶん、まだ食べたことはないはずだ。
 
 また、作ってみようかな。巻くのでも、握るのでもないスシ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ふぇーっ、ただいま……」

 ビリーはくたくたになって家に帰り着いた。
 ずっしりと重たい手足を引きずり、洗面所で汗と、土と、芝生と犬の毛とよだれにまみれた顔と手足を洗う。

 売り言葉に買い言葉、成り行きでテリーのドッグシッターを手伝う羽目になった。子犬と遊んでバイト料もらえりゃ世話ないぜ、と軽く考えていたが、甘かった。
 
 相手の馬力とサイズを計算に入れていなかった。

『これ、投げて』
『遊んで。遊んで。あーそーんーでー』

 ゴムのワニを投げ、フリスビーを投げ、ボールを投げ、ロープをつかんで引っ張り合い。全力でぶつかってくる巨大なパピーに振り回され、夕方にはすっかりへとへとだ。
 しかもあの真っ黒な毛玉野郎ときたら、飼い主とテリーの言うことには従うくせに、自分の言うことはとんと聞いたためしがないのだ。

 待て。
 座れ。
 伏せ。
 放せ。

 聞こえてるはずなのに、知らんふり。好かれてるのは確かだが、どうにも、こう……なめられてる気がする。

(しょーがねーよな、まだ二回目だものな……)
 
 どっしりとした、ふわふわの体。ぐいぐいと押し付けて、ごろりとひっくり返る。
 パワフルに甘えてくる姿は、確かに可愛い。
 だが。

『犬は信頼した人間の言うことしか聞かない』

「……くそ」

(懐くのと、信頼するのとは、別ってことかよ!)

 荒々しくタオルで水気を拭い、居間に戻る。顔を洗ったら何だか余計にだるくなった。もう、部屋に戻るのもかったるい……。
 どさりとソファにひっくり返り、目を閉じた。

 と……。

 もわっと、ふかふかしたものが被さってきた。

「うわっ、何だ?」

 飛び起きると、明るいオレンジと黄色が目に入る。
 ブランケットだ。やわらかなフリース、かぶって寝るにはいささか小さい。ほとんどバスタオルぐらいのサイズだろうか。
 ばってんの口をした、白いウサギがプリントされている。

「……ああ?」
「かぜ、ひく」

 くるくるカールした黒髪に浅黒い肌、くっきりと天然のアイラインに縁取られたアーモンド型の瞳。
 すぐそばの床に、絵本を抱えた小さな女の子が立っていた。

「……お前のか、これ」
「みっしぃ」
「そりゃ、お前の名前だろ! こ、れ、は、ミッフィー!」
「……みっしぃ?」
「ミッフィー!」
「みっしぃ!」

 このやり取り、何十回繰り返しただろう。どうやら、この小さな『妹』はまだ口がうまく回らないらしい。

「あーもー、いいや、ミッシィで……」

 不毛なやり取りに疲れ果て、がくっと肩を落とす。すると、今度はにこにこして

「はーい」

 返事なんかしてやがる。

「だーっ、もう、いいからあっち行けよ。俺は眠いんだっ」

 びくっとミッシィは身をすくませた。
 あまりに見慣れた動作にどきっと心臓が縮み上がる。
 自分も同じだった。ここに連れてこられて間も無い頃、大きな声や物音を聞くたびに身をすくませ、手で顔を庇った。
 今も、ともすると体が勝手に動きそうになる。

「あ……ごめん」

 だけど、この子は目をそらさない。逃げ出しそうになったけど、一歩も引かない。そろそろと近づいてきて、ちょこん、とソファのすみっこに腰を降ろした。
 あまつさえ、絵本を開いて読み出した。

「………わかった、好きにしろ」

 ビリーは再び、ごろんと寝転がった。腹の上に小さなブランケットをかけ、ミッシィの邪魔にならないように、膝を曲げて。
 やがて、すやすやと穏やかな寝息を立て始めた。
 ミッシイは手を伸ばしてブランケットをかけ直し、ビリーの頭をなで、それから頬にキスをした。
 いつも自分がママにしてもらってるように、そっと。

「グンナイ、ビリー。いいゆめを」
 
(ベビーシッター/了)

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