▼ 【4-19-7】サリー参上
3月の最初の土曜日は、珍しくぽかぽかと暖かい日だった。ずっと続いた冬の冷気に細かなヒビが入り、ほんの少し春の暖かさがこぼれたような、気持ちのいい昼下がり。
「こんにちわ!」
「やあ、サリー」
サリーがやって来た。
「すごい荷物だな、一人で大丈夫だったのか?」
「ええ、テリーに送ってきてもらったし」
シエンとオティアも出迎えて、みんなでキッチンまで荷物を運ぶのを手伝った。
ただし、レオンを除いて。
「それじゃ、行ってくる。シエンとオティアを頼む」
「はい。任せてください」
連れ立って部屋を出るレオンとディフを、サリーはにこにこしながら見送った。
「ごゆっくり!」
本日の役割は獣医さんではなく、『ベビーシッター』。
ローゼンベルク夫妻は久しぶりに2人そろっての外出。行き先は知り合いの経営するジム。まずは軽く体を動かして、それから一緒にプールで泳ぐのだ。
足下にとことことオーレが歩み寄り、体をすり寄せる。
「こんにちは、オーレ」
「んにゃあああん、なおーん、なおーん」
「……そう、がんばったんだね」
「みゃっ」
「えらい、えらい」
目を細めて白い猫をなでると、オーレはごろん、と床にひっくり返り、なぜかサリーを後足で蹴ってずり、ずり、とスライドを始めた。
嬉しくて自分でも何をしてるのかわからなくなってきたらしい。
「さてっと」
かばんから白い割烹着を取り出し、いそいそと身にまとう。キッチンでは、既にストライプのエプロンを身に付けたシエンとオティアが待っていた。模様もデザインもおそろい、違いは色だけ。シエンのはパステルグリーン、オティアのはネイビーブルー。
「今日は何を作るの?」
「押し寿司だよ」
「夕飯には、少し早いんじゃないか?」
「下ごしらえにけっこう手間がかかるし、作ってから時間を置いた方が味が馴染むんだ」
「そうか」
「それじゃ、まずはエビを解凍して……」
「サリー、それ言っちゃだめっ」
「え?」
時既に遅し。
ぴょいーんっと白い弾丸が飛んできて、サリーの足にしがみついていた。青い瞳を真ん丸に見開き、らんらんと光らせて。
「んにゃぐ、にゅぐ、ぎゅるるるるるっ」
「……そう………好物なんだ………」
「んぎゃっ、んびゃっ!」
※ ※ ※ ※
「オシズシって、巻きずしとどう違うの?」
「んー、まず、巻かない」
「じゃあ、握る?」
「握らない」
「えっ」
シエンは目をぱちくり、首をかしげる。
「巻かないし、握らない、それなのに、スシ???」
「うん。酢で調味したご飯に、魚や卵、海苔なんかの具をあしらった料理を『スシ』って呼ぶんだ」
「……なるほど、形状にはこだわらないのか」
「そうだね」
コンロの上では、カンピョウやシイタケ、レンコン等の野菜がことことと、ソイソースと魚ベースのスープで煮込まれている。
どれも巻きずしの時より、細かく刻んであった。
オティアが炊き上げた米を寿司桶にあける。すかさずシエンがさっぱりめに調合した寿司酢を混ぜて、ぽっこり山にして蒸らす。
「そうそう、上手い上手い」
「前にサリーがやってるの見たし……あれから何回か作ったから、スシ」
「みたいだね。この桶、けっこう使い込まれてる」
「ディフが巻くと、ちょっとつぶれちゃうんだ」
「力入れ過ぎちゃうのかな?」
「……みたい。きっちり巻かないと気が済まないみたいだし」
馴染ませた酢をあおぐためのウチワも、いい具合に表面がすり減っていた。
こうして酢を『切った』飯を、まず三つに分ける。一部に煮込んだ野菜を混ぜて、一部は白いまま、そして残りには細かく刻んだ茹でたホウレンソウを混ぜた。
「本当は菜の花にしたいんだけど、あれは独特の苦味があるからね。そこが美味しいんだけど、苦手な人もいるし……」
「あー……そうだね」
「ん」
三人の頭の中には、同じ人物の顔が浮かんでいた。ひょろなが猫背で黒い髪、よれたシャツに細いネクタイをしめて眼鏡をかけた文系男子。
三色に分けたすし飯を、四角い焼き皿……普段はコーンブレッドを焼く時に使っているやつだ……に順番に敷き詰める。間に具材を挟み込みながら、平らに色違いの層を作る。
「何だか、ケーキみたいだね」
「お祝いの料理だからね……よいしょっと」
上から四角い皿を重ねてフタにして、重しを載せる。
「これで、しばらく落ち着かせる」
「つぶれないの?」
「これぐらいなら、大丈夫だよ。一休みしようか」
「うん。お茶入れてくるね」
ジャスミンティーと、月餅でティータイム。一口ほお張るなり、サリーはぱあっと顔を輝かせた。
「うわ、これ、すごく美味しい!」
「チャイナタウンで買って来てくれたんだ。ヒウェルが」
「そっかー、さすが慣れてるだけあるなー。甘さが自然で……うれしいなあ、こう言うの、こっちじゃあんまり食べられないから」
「餡にフルーツが練り込んであるんだって」
「だから、こんなにさっぱりしてるんだね!」
オティアは月餅には口をつけず、もっぱらサリーの土産のスナックをぽりぽりとかじっていた。指先ほどの丸い粒状になっていて、味付けは塩とソイソース。以前、持ってきてくれた「センベイ」と同じように米で作った菓子だと言う。
たまに、薄いピンクや緑をしたものや、花の形をした粒が交じっている。「ヒナアラレ」と呼ぶのだとサリーが教えてくれた。
「ねえ、サリー。このヒナアラレも、オシズシもお祝いの時に食べるんだよね」
「そうだよ」
「何のお祝い?」
「日本では、子どもが病気をしないで健やかに育つように願う桃の節句って言うお祭りがあってね。その時に食べるんだ」
「サリーもお祝いしたの?」
「うん、したよ」
確かに、した。従姉と一緒に2人並んでお振り袖を着て、ひな人形の前で写真も撮った。
(あの時は、何の疑問にも思わなかったなあ……)
ず……とジャスミンティーをすする。
女の子のお祭りだという事実は、あえて説明する必要もないだろう。
オティアはしげしげとヒナアラレの袋を観察した。
成分表示や商品の説明は日本語で書かれていた。そう、それが日本語だと言うのはわかる。だが、何て読むのか見当もつかない。
印刷された絵に何か手がかりがないだろうか……キモノを着た、男女のペアに見える。何かのキャラクターだろうか?
サリーはそんなオティアの視線に気付いた。
「ああ、それはひな人形って言ってね、お祝いの時に飾るんだ」
「クリスマスツリーとか、イースターのウサギみたいなものか?」
「……うん、そんな感じ」
ふと見ると、キッチンカウンターの隅にきれいな紙が置いてあった。何かの包装紙だろうか。きちんと折りたたんである。
手にとって確かめてみる。うん、色も綺麗だし、けっこうしゃっきりしてる。
「気分だけでも出してみようか。これ、使ってもいいかな?」
オティアはちらりと折り畳んだ紙を見て、うなずいた。
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