▼ 【4-19-4】迷子もう一人
ビリーは舌打ちして電話を切った。
「病気じゃしょうがねぇよな……」
相棒のユージーンも今日は都合が悪い。従姉の結婚式で、田舎から親戚どもが大挙して押しかけてきたとかで、晩飯は断固として家族と一緒に食べなきゃいけないらしい。
「どーすっかな……」
一人でふらふらしていると、どうしても目立ってしまう。それだけ、警察や善意の市民に『保護』される率が高くなる。
仕方がない、ツルむ仲間は現地で調達するとしよう。互いに名前も知らない、その場で適当に楽しくやれれば十分。幸い、その程度の顔見知りには事欠かない。
何だか、午後の授業を真面目に受けるのも面倒くさくなってきた。
いいや、もう今日の学校はここまででおしまい。俺が決めた。誰にも文句は言わせない。
肩をそびやかして学校を抜け出し、ふらふらと繁華街を歩いていると。
足ツボマッサージ看板の下でばったりと、見覚えのある奴と出くわした。生憎とそいつは、顔見知りの遊び仲間じゃなかった。
「ビリー!」
「げっ」
濃い褐色の髪に、やたらとくっきり鮮やかなターコイズブルーの瞳。テリーだ。同じ里親の元で育った卒業生。
何かと自分のことを気にかけて、あれこれ世話を焼くおせっかい。
素早く身を翻して駆け出した。
「待て!」
だが、運悪く荷物を満載した台車が目の前を塞ぎ、進路を断たれる。横合いの路地に逃げ込もうとした時にはすでに遅く……
かすかに薬品の香る手が、がっしりと襟首を引っつかんでいた。
「くっそ、放せよっ」
「ダメだ」
「……大声出すぞ」
「かまわん、警察にでもどこにでも行く。この手は絶対、放さない」
なけなしの脅しも不発に終った。ビリーは観念し、ふてくされた顔でじとーっとテリーをねめつけた。
「あンだよ。このまま家まで引きずってくつもりか。お袋にでも頼まれたってか?」
「話がある」
「はぁ?」
くいっとテリーは片手をしゃくり、すぐそばのハンバーガー屋の看板を指さした。
「とりあえずバーガーでも食ってかないか」
「……メガな」
「ああ」
「ドーナッツもつけろよ」
「いいだろう」
「ポテトはLサイズ以下は認めない。それとシェイクもな。イチゴだぞ、イチゴ! バニラは却下!」
「OK……」
金額からして絶対無理だと思った。半分いやがらせのつもりで吹っかけたのだが、テーブルにはリクエストした通りの品がどんどんっと並んでいた。
うず高く積み上げられたメガサイズのバーガーが二つ。ポテトのLサイズにジェリードーナッツ、そしてイチゴシェイクが二人分。
(わざわざ全品俺に付き合うつもりかよ……こいつ、阿呆か?)
「よく金があったな、貧乏学生」
「心配すんな、バイトしてるから」
「バイト?」
「ああ。シッターやってるんだ。知り合いの家の3歳児と………犬」
「犬?」
「シェルターから引き取られてきたばっかで、人間のこと怖がってんだ。俺は犬が専門だから、手伝ってんだよ。躾とか、コミュニケーションの取り方とか、散歩とか、色々」
「ふーん」
「見るか、写真。こっちがディーンで、こっちがサンダー」
「子どもも犬も同じ扱いかよ………わ、でけぇ!」
携帯の画面には、もさもさの黒い犬が写っていた。耳はたれていて、目尻が下がってる。ぬいぐるみのクマみたいにあどけない顔立ちだが、既に頭が大人の膝の高さを越えている。
「たぶん、レオンベルガーって犬種の血が入ってるんだな。これでも子犬なんだ」
「どんだけでかくなる気だよ、このイヌは!」
「本人に聞いてくれ」
「はぁ?」
テリーはがぶっとメガサイズのバーガーをかじると、猛烈な勢いでもしゃもしゃと咀嚼し、ごっくん、とシェイクで流し込んだ。
それからおもむろにぐい、と口元を手の甲で拭い、じっと見つめてきた。わずかに緑の混じった空色。コマドリの卵色って言うらしいが、コマドリも卵も見たことがないから本当にそんな色をしているのか、わからない。
自分にとってこの色は、あくまで「テリーの瞳の色」だ。
何となく気まずくて目をそらす。だが、静かな声が追いかけてきた。
「犬の世話は毎日だ。だけど、こう見えても俺は忙しい。いつだってリクがあった時に行ける訳じゃない。だから、お前にも手伝ってほしいんだ」
「マジかよ!」
「バイト料弾むぞ? サンダーの飼い主はけっこう気前がいいんだ」
「ふーん……」
犬は嫌いじゃない。
四角い画面の中の犬は飼い主らしい人物の足にピタリと身を寄せ、上目遣いにこっちを仰ぎ見ている。正確には、写真を撮るテリーの手元を。ふと、鏡を見ているような奇妙な感覚を覚えた。
「……こいつ、でかい図体して人間のこと怖がってんだって?」
「ああ。前の飼い主に酷く虐待されてたらしい。保護したときはあちこち傷だらけだった。肋骨が折れてて、目も腫れてて……」
「………」
「左の目の上に、白いラインが入ってるの、わかるか?」
「ああ」
「ナイフで切られたか、棒で殴られたか。とにかく肉が抉れて、傷が治った後は白い毛しか生えてこなかったんだ」
「……」
無意識に拳を握っていた。
こいつも自分と同じなのか……。
「今でもそっち側に人が立つと、怒る。とてもじゃないけど、生半可な根性じゃ世話できない」
ビリーはこくっと咽を鳴らした。
無理だって言いたいのか? 怖けりゃ辞めとけって? 冗談じゃない!
「バイト料、忘れんなよ。絶対、間でピンハネすんな」
「OK、決まりだな。それじゃ、サンダーの飼い主に話通しとく」
携帯を取り出し、ぷちぷちとメールを打ちながらテリーはほほ笑みかけてきた。
「……今週の土曜と日曜、どっちが都合いい?」
やけに手際がいいじゃねーか! 俺、ひょっとしてハメられたのか?
「………………………土曜」
「OK」
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