▼ 【4-19-2】★事情聴取
朝が来ても、双子の熱は下がらなかった。
「二人とも休ませよう」
「その方がいいね」
「今日は俺がつきそってる」
「わかった。必要なものがあったら電話してくれ」
「OK」
互いの体に腕を巻き付け、しっかりと抱き合う。薄く開いた唇が重なり、差し出された舌が求め合う。
いつも朝のキスは軽くつつきあうだけだったし、そのつもりだった。
「う?」
「んー……」
「うっ、んっ!」
にゅるり、とレオンの舌が入ってきて、あっと思った時は俺の中をねっとりと舐め回していた。
「……ふ……は……あぁ……」
『行ってきます』のキスが終わり、解放された時はすっかり呼吸が乱されていた。
「レオン……っ!」
にらみ付けると、明るい茶色の瞳が細められ、ちゅっと首筋にキスが降ってきた。
「あ……」
「行ってくる」
「………行ってこい」
くそ。
向こうは俺の弱点を知り尽くしてる。どうにも、こう言う時は分が悪い。
深呼吸して、キッチンに向かった。
※ ※ ※ ※
朝食は二人ともカボチャとレンズ豆のスープを少しだけ飲んだ。アレックスの用意してくれた薬を一回分、水で飲ませる。
「もう少し眠った方がいいな」
シエンはこくっとうなずくと枕に頭をつけ、目を閉じる。ほんの少しだが、オティアの方がしゃっきりしているようだ。
「食堂にいる。何かあったら呼べ。動けなかったら携帯鳴らせ。いいな?」
「ん……」
「にー」
「そうだな。頼んだぞ、オーレ」
白い子猫の顎の下を撫で、ほんの少しドアを開けたまま廊下に出た。
調査員を何人も抱えているような大手ならいざしらず、うちみたいな個人経営の探偵事務所は、調査をするのも書類を作るのも分業なんざする余裕はない。
オティアが来てからは事務処理はほとんどあいつに任せていたが、さすがに裁判のための資料だの。調査報告書をまとめるのは自分でやらなきゃいけない。
あの子のことだから、そのうち覚えそうではあるが。とにかく、現時点ではやるべきデスクワークはいくらでもあった。
食卓のいつもの椅子に腰を降ろし、書類とノートパソコンを広げる。リビングのローテーブルは書き物には不向きだし、書庫やレオンの書斎では遠過ぎる。
カリカリとペンを走らせながら、ふと懐かしい光景を思い出した。
テキサスの家。
庭に面した窓の大きなダイニングキッチンで、お袋が、よくこうして食卓で書き物をしていた。
その時によって書いてるのはレシピのノートだったり、家計簿だったりと違っていたけれど、本を読む時も、編み物や縫い物をする時も、必ず食卓のいつもの場所に座っていた。
だから、俺もわかっていたんだ。
そこに行けば、いつだってお袋は居るって。
ちりん。
かすかな鈴の音と、人の気配に顔を上げる。
「に」
オティアが居た。寝巻きの上からぐるっとフリースのブランケットを巻き付けている。足もとには真っ白い小さなナースが胸を張り、ぴん、と尻尾を立てて付き添っていた。
「どうした? 具合悪いのか?」
「話したいことが……ある」
「無理するな」
「昨日……何があったか……」
それは、俺もずっと気掛かりだった。
「話せるのか」
「ん」
うなずいて、いつもの場所に座った。膝の上にオーレが飛びのり、ブランケットの中にもぐりこんでひょこっと顔を出す。
カンガルーみたいだ。
「シエンは?」
「眠ってる」
「そうか」
ノートを閉じて向かい合う。
「よし、話せ。何があった?」
「スタバでエリックと会った」
「ああ」
それは、わかっている。知りたいのはその後だ。
「シエンが、謝った」
「何故?」
「俺が………」
口ごもり、うつむいている。オーレを抱く手に力が入る。霧に煙る森の色。華奢な体を包む、柔らかなグリーンのブランケットにぐしゃり、と皺が寄る。
「オティア」
ぴくっと震えて顔を上げた。見返す紫の瞳の奥に迷いが揺らいでる。
「話せることだけで、いい」
「……俺が、奴のパソコンのデータを、消したから」
「故意か? 偶然か?」
「…………偶然」
「エリックはそのことを?」
「多分、知らない」
「そう、か」
自分の手で叩いたり、落としたりして物理的に壊したのではなさそうだ。力を使った……いや、使っちまったんだな。自分では意識せずに。
結婚式でもカメラがあちこちで原因不明の動作不良を起こしていた。おそらく、あれと同じことが起きたんだ。
「そうしたら、あいつが言ったんだ。かえってすっきりした、いつまでも未練たらしくあんな物持ってちゃいけなかったんだって」
「シエンに?」
「ああ」
さあっと血の気が引いた。
そいつはまずいぞ、バイキング! 消えたデータに何が含まれていたかは知らんが……モーションかけてる相手の前で『未練たらしく』、だと?
正々堂々、包み隠さずと言えば聞こえがいいが、恋愛の場合は必ずしもほめられた話じゃない。よりによって、最悪のタイミングで前の相手のことを自分からばらしやがって。
「……それで。シエンは、何て」
「俺じゃないんだ、って……あいつは慌てて、ちがうって答えた」
あンのバカ!
フォローするどころか、背中押して、穴の底に突き落としやがったか。
食いしばった歯をこじあけると、咽の奥から低いうなり声が迸った。
「……続けろ」
「シエンは……どうちがうのかって。それでもあいつは、諦めなかった。誰かの身代わりじゃない、君だけを見てるって」
『エリックは悪くない』
だから、あんなことを言ってたのか、シエン。
エリックの本意は理解した。奴の言ってることは、嘘ではないと。それでも感情は納得しなかった。
「シエンは……もう、会わないって言って………店を飛び出した。エリックが追いかけてった」
「そうか」
OK。何があったか、およそのことは掴めてきた。俺がシエンを発見するまでの間に起きたことは、エリックから聞くとしよう。
今は、それよりも大事なことがある。
「……大丈夫か、オティア」
「……ん」
のろのろとうなずいている。やばいぞ、視線が泳いでる。舌の動きもおぼつかないようだ。
「……部屋、戻る。もうちょっと………寝る」
「オティア?」
立ち上がりかけた体が、ぐらりと揺らぐ。
「おいっ」
「にゃぐっ」
間一髪、床に崩れ落ちる前に受け止めた。オーレはブランケットにしがみつき、毛をもわもわに逆立てている。尻尾が普段の倍の太さにふくらんでいた。
「大丈夫か?」
「………………無理」
猫抱えたまま倒れるなんて、この子には滅多にないことだ。よほど消耗したんだろう。
ちらりと一昨年の十一月を思い出す。あの時も、こんな風に急に倒れた。がりがりに痩せて、汚れて、血をにじませて。
この部屋の、この食卓で。
「……運ぶぞ」
あの時と同じように抱き上げて、そっと部屋に運んだ。子猫も、飼い主ももろともブランケットで包んで。
シエンの隣に横たえ、毛布をかけた。
「おやすみ」
※ ※ ※ ※
昼過ぎになっても、双子はこんこんと眠り続けている。昨日のできごとをオティアが俺に話したことで、胸のつかえが取れたんだろうか。あるいは消耗した分を回復させるための眠りなのか。
昨夜の残りで昼食をすませ、食器を洗っていると携帯が鳴った。
夜勤明けでようやくお目覚めか……待ちかねたぞ、バイキング。
「エリック」
「あ、その、えっと」
うろたえてやがる。なるほど、まずいことをやらかした自覚はあるんだな。ならば話は早い。
「話せ」
「……はい」
オティアから聞いた話を、改めてエリックの視点から聞き出した。時折、こちらから質問をはさみながら。
先入観に捕らわれず、加害者、被害者、目撃者から話を聞く。捜査の上で大事なことだ。エリックの奴も客観的に、己の見たこと、したこと、聞いたことを述べている。さすが現役の捜査官だ。
「妙な感覚でした。周りの人には、まるでシエンが見えてないみたいで……それに、何故か彼の走ってく先々で、蛍光灯が割れたり、ショーウィンドーにヒビが入ったりして」
「……そうか」
力が暴走していたのか……よほど怖かったんだろう。
瞳の奥にゆらめく虹。崩壊する倉庫を思い出し、背筋を冷たいものが走り抜ける。
危ない所だった。放っておいたら、どんな大惨事を引き起こしていたか!
一通り話を聞き終えてから、迷った。
俺はこの男を怒鳴りつけるべきか、それとも感謝するべきなのか? あの子を追いつめたのはこいつだ。だが、パニックに陥り力を暴走させていたシエンを現実に引き戻したのも、他ならぬエリックなのだ。
「……センパイ?」
「わかった。何があったのか、理解した。お前が、意図的にあの子を傷つけようとしたんじゃないってことは、な」
「………すみません」
「謝るな」
「シエンは……」
「今日は休ませた」
「そう……ですか」
「にゃーっっ」
かすかにオーレの声がする。子ども部屋も、居間のドアも、猫いっぴき出入りできるよう、細く開けてあった。
「あの、もしかして、自宅、ですか」
「そうだ」
「あのー、それで、ですね。オレ、スタバに忘れ物しちゃって」
いきなり当たり障りのない話題を振って来やがったな。さすがに気まずくなったか。
「それならアレックスが回収した。レオンの事務所で預かってるそうだ」
「にゃーーーおおおうっ!」
オーレの声がだんだん近づいてくる。リビングまで出てきたか。ランチは部屋に置いてきたはずだが、さてお嬢様、おかわりをご所望か?
思うまもなく、ひょい、とキッチンに姿を現した。たたーっと走り寄ってくると足下に体をすり寄せ、顔を見上げ、かぱっと口を開けた。
「みゃーっ!」
この鳴き方、飯の催促じゃなさそうだ。電話の向こうにもはっきり届いたらしい。エリックがいそいそと退却を始める気配が伝わってきた。
「……後で取りに伺います」
「わかった。レオンには話を通しておく」
「ありがとうございます。それじゃ………」
「待て、エリック」
「う……あ……はい」
「言いたいことはそれだけか?」
「オレは……オレは………」
ひゅう、とのどを鳴らしている。
「車道に飛び出したシエンの肩を掴んで引き戻した。とっさの事とは言え、配慮に欠けた行動でした」
いささかよれた声だったが、きっぱりと言い切った。
「申し訳ありません」
「緊急だったんだ。だが、あの子は怯えただろうな」
「……はい」
「最後に一つ、確認したい」
「何でしょう?」
「正直に答えろ、ハンス・エリック・スヴェンソン。貴様の言う『未練』とやらは、終ったのか?」
「……はい」
少し鼻にかかった声はいつもにも増して濁音を強く、重たく響かせた。
「完全に、終りました」
「わかった。では今後その件に関しては一切言及しない。一切、だ。いいな?」
「了解、D」
「以上。通信終了」
電話を切る。
『エリックは悪くない……悪くないんだ……』
長い長いため息が漏れた。
「にーっ」
ばりっとジーンズが引っ張られる。小さな猫のちっぽけな爪で。
「あ、こら」
オーレはたたっと先に走って行き、ぴんと尻尾をたてて振り返った。
「にゃーっ」
「……わかった、今行く」
「んにゃっ、んにゃーっ」
緊急らしい。
白い尻尾に先導され、子ども部屋にすっ飛んで行くと……二人がうなされていた。歯を食いしばり、目を閉じて、うっすらと汗を浮かべて。互いにしっかりと抱き合い、すがりつき、ガクガクと震えている。
「シエン……オティア?」
枕元に駆け寄ると、はっとシエンが目を開けた。
怯えた紫の瞳が室内を見回し、俺を見つけるなり、ぎゅーっとしがみついてきた。
熱い。
手のひらが。腕が。押し付けられる体が。それなのに、がたがたと震えている。顔も首筋も紙のように青白い。
「ディフ……ディフっ」
「ここに居るよ」
「行かないでっ」
「ああ、どこにも行かない。大丈夫だ、シエン……大丈夫だから」
受け止めて、背中を撫でる。
オティアは半身を起こし、オーレを抱いてぼんやりと見ていた。震えるシエンと、抱きしめる俺を。
「俺は、ここに居るよ……」
もしも。
もしも、この背に刻んだ翼に命が通っているのなら……空を飛ぼうなんて大それた望みは抱いちゃいない。ただ広げて包み、守りたい。泣くことすらできずに震える、この二人の愛しい子らを。
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