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ローゼンベルク家の食卓

【4-19-1】子猫が3匹

2010/06/25 23:10 四話十海
 
 雨が傘を叩く。ぱらぱらと。ぱらぱらと。いつまでも同じリズムで変わらずに。腕の中の小さな子は手のひらを広げ、ぎゅっとしがみついてくる。

「や……わたし……他所になんか……行きたくない」

 あの時とはちがう。血のつながりがあろうとなかろうと、法的な権利や義務があろうとなかろうと、もうためらうのものか。すがりつく子を、途中で放り出したりしない……決して。
 シエンが小さく震え、体をぐいぐいと押しつけてきた。

「エリックは……悪く……ない……」
「ああ。大丈夫、よく、わかってる」
「ディフっ……っ」
 
 
 ※ ※ ※
 

「そら、ついたぞ、シエン。家(home)だ」

 こくっとうなずき、シエンはほんの少し力を抜いた。
 玄関を入ると、家には既に暖房が入れられ、温かい空気が行き渡っていた。

「あ」

 ちりちりと鈴を鳴らし、尻尾をぴーんと立てて白い小猫が走ってくる。つま先立ちでちょこまかと。俺たちを見上げてピンクの口を開けて、甲高い声でにゃーっと一声。

「オーレ。お前がいるってことは………つまりその……」

 オティアは既に帰ってきてるってことか。その時になって初めて俺は、まだシエンの発見を伝えていなかったことに気付いた。

(何てこった!)

 雨の中、震えていたこの子を守るのに全力を傾けていたもんだから……だが、電話もメールも入れずとも、オティアにはわかっていただろう。双子は呼び合う。この二人は特に、常人には無い力がそなわっている。
 
「お帰りなさいませ」

 居間に入ってゆくと、うやうやしくアレックスが進み出てタオルをさし出してくれた。

「ただいま」
「どうぞ」
「ありがとう」

 不思議はない。オティアを迎えに彼を送ったのは俺自身だ。そのまま事務所に立ち寄り、一緒に帰ってきたんだろう。レオンへの連絡も忘れずに。そして、準備万端整えて俺たちを待っていてくれったて訳だ……有能執事の差配に手抜かりはない。

 タオルをシエンに渡そうとした。だが、シエンは俺にしがみついて離れようとしない。仕方がないので、自分もろともすっぽりとタオルで包んで部屋まで連れて行った。チリチリと鈴の鳴る音が足下を付かず離れず追ってくる。やや離れて、アレックスの足音が続く。
 子ども部屋の前まで行くと、すっとドアが開いてオティアが出てきた。

「風呂の準備、できてる」
「そうか」

 その時になって、やっとシエンは俺の上着から手を離し、よろよろとオティアに向かって踏み出した。同時にオティアも進み出る。どちらからともなく手を伸ばすと二人は互いに寄り添い支え合い、バスルームへと歩いていった。
 まずはこれで一安心、か。
 部屋の中には暖房はもちろん、加湿器もセットされている。そして、二つ並んだベッドのうち、オティアの使っていた方のカバーが外され、ちゃんと掛け布団から枕、シーツにいたるまできちんと準備されていた。去年の十一月以来、この部屋はずっとシエンが一人で使っていたはずなんだが。

「……これは?」
「当分こちらでお休みになられるそうです」

 見回すと、机の上には携帯や財布、読みかけの本。オティアの身の回りの品がきちんと置かれていた。ベッドサイドのテーブルには、青い目覚まし時計。そして、床の上にはオーレ用のケージとトイレまであった。

「そうみたいだな」
「マクラウドさまの分も、お風呂の用意ができております。お二人には私がついておりますので、今のうちに」
「ありがとう」

 言わずとも互いに通じていた。
 おそらくこの後、シエンは寝込む。その影響でオティアも寝込むだろう。いつまでも濡れ鼠のまま、ぼーっと突っ立ってる暇はない。
 大股で廊下を通り抜け、寝室に移動する。上着と靴は防水性だがあいにくとジーンズやシャツはそうじゃない。歩いてくる間にけっこう水が染みていた。
 上着を脱ぐと、下のシャツに皺が寄っていた。小さな手のひらが力いっぱい握った形に。

『エリックは悪くない、エリックは悪くない』

 ずっと、あの子は同じ言葉をつぶやいていた。
 繰り返し、繰り返し、途切れながら。

 ハンス・エリック・スヴェンソン。金髪眼鏡のバイキングの末裔、サンフランシスコ市警察の有能な鑑識捜査員で、信頼できる後輩。お前、いったい何をやらかした?
 事と次第によっちゃ、ただじゃおかんぞ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 米は少なめ、水分を多め、ショウガを加えた『おかゆさん』を少しだけ口にすると、双子はアレックスの用意してくれた薬を飲み、申し合わせたようにベッドに潜り込んで目を閉じた。オーレはオティアの枕元にくるっと丸まって、尻尾の中に顔をうずめた。

「……頼んだぞ、ナース・オーレ」
「みゅっ」

 夕飯の席でレオンとヒウェルに事態を説明するのは俺の役目だった。だが何分、情報が少なくて……エリックが関わっているらしいことは事実なのだが、それ以上のことは推測でしかない。

「するってぇと、何か? あのバイキング野郎のせいで、何があったか知らんが雨ん中、傘もささずにシエンは走り回ってた、と」
「ああ」
「たった一人で」
「……そうだ」

 説明しているうちに、改めてグツグツと腹の奥底でマグマのような怒りがたぎる。泡立ち、煮え立ち、ぬうっとせりあがってきた。
 ヒウェルは口を歪めて何ごとか言いかけたが、俺の顔を見るとさーっと蒼ざめて、黙り込んだ。

「勤務中じゃなきゃ、今、この瞬間にでも奴の襟首ひっつかんで問いただしたい所だ……」

 テーブルの下で、そっと手を握られる。
 わかってる、レオン。無茶はしない。指に力を入れて握り返した。
 微かにレオンはほほ笑むと、ぽん、と肩を叩いて。それからさらりと言った。

「ああ、そうだ。スヴェンソンくんの忘れ物を、アレックスが回収してきたよ」
「忘れ物?」
「ああ。白い、ひらべったい音楽プレイヤーだ」

 ヒウェルがまばたきして、目を細める。

「あーiPod?」
「そう、確かそんなものだったかな」

 覚えがある。
 エリックが二度目に夕飯を食いに来た翌日、シエンがいじってたアレだ。

「どーしたんだ、それ」
「借りた」
「………誰に?」
「エリック。んー………なんか、使い方、よくわかんないな。気に入った曲だけ聴きたいんだけど」

「ちょっ、ディフっ、お前、それっ」
「おっと」

 知らぬ間に、フォークが妙な角度に曲っていた。

「あー……やっちまった」
「そのようだね。工具を取ってこようか?」
「いや、この程度なら」

 両手で掴んで、ぐっと力を入れる。多少歪みが残ったような気がしないでもないが、この程度なら許容範囲だろう、うん。

「馬鹿力め……」
「そんな顔すんなって。バーベキュー串ひん曲げた訳じゃあるまいし。スプーンぐらいユリ・ゲラーだって曲げてるだろ」
「いや、そーゆーレベルじゃないから……」

 ヒウェルは目をそらし、口の中でぶつぶつと何事かぼやいてる。レオンは素知らぬ顔で仔羊のトマトソース煮込みを口に運び、静かに咀嚼して赤ワインで流し込んだ。ゆるく上下する咽に。僅かにワインのにじむ唇に、自然と目が吸い寄せられる。

「事務所で預かってるから、取りに来るように伝えておいてくれ……」

 空になったグラスを、明るい茶色の瞳をすうっと細めて眺めている。その横顔はいつになく美しく、見ているだけで背骨の内側を帯電した指先で逆しまになで上げられるような心地がした。

「スヴェンソンくんに」
「………わかった」
 
 
 ※ ※ ※ ※
  
 
 夜中にふと、目がさめた。
 前にも、こんなことがあった。

 隣に眠るレオンを起こさぬよう、静かにベッドを抜け出す。枕元に灯る柔らかな小さな明かりを頼りにガウンを羽織った。
 念のため、左胸のイニシヤルを確かめる。

 ……D。まちがいなく俺のだ。

 静かに。静かに。スリッパに足を入れて、ドアに向かう。廊下に滑り出ると、急ぎ足で子ども部屋に向かった。

(四人でこの家に眠るのは、久しぶりだ)
 
 子ども部屋のドアを細く開ける。夕食の皿を下げた時、残しておいた小さな明かりがまだ灯っていた。
 中を伺うと、まず目に入ったのは、空っぽのベッドだった!

(なっ!)

 オティアがいないっ?
 ぎょっとして踏み込む。と……。

 むくっとシエンの隣で誰かが身を起こした。髪の長さこそ違うが、瓜二つの顔だち。肩も、腕も、全身のシルエットからしてそっくりのもう一人。やや遅れて、小さなしなやかな生き物がにゅっと顔を上げた。

「ああ……いたのか……」
「ん………」
「みゅ」

 シエンのベッドで寄り添って寝ていたのだ。さらにその枕元には、白い毛皮のちっちゃなナース。

「水、足りてるか?」
「ん……」
「そうか」

 しぱしぱとまばたきすると、オティアはまたシエンの隣に横たわり、目を閉じた。オーレはぴん、と尻尾を立て、かぱっと口を開いて一声。

「にーっ」
「ああ。おやすみ」
「にゅっ」

 子猫が3匹ぴったりくっついてる。寒いか、とは聞く必要もなかった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 居間に戻ると、レオンがひっそりと立っていた。

「あ……起こしちまったか」
「いなかったから……心配した」

 そう言って目を伏せる彼の顔は、何だかちっちゃな子どもみたいに見えて。思わず抱きしめていた。

「大丈夫だ。俺は、ここにいるから」
「………」

 腕の中でくすっと笑う気配がした。

「どうした?」
「あべこべだ。迎えに来たのは、俺の方なのに」
「んー……まあ、気にすんな」

 抱き合ったまま、寝室に戻る。
 ベッドに入ると待ちかねたようにレオンの腕が巻き付いてきた。
 今度は俺が、抱きしめられる番だった。

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