▼ 【4-15-4】パンの器にスープたっぷり
「それじゃ、また月曜日に!」
帰路につくデイビットと彼の愛犬を見送り、手を振る。ふとサリーはシエンの手元に目を留めた。
「あれ。もしかしてそれ新しい手袋?」
「あ……うん」
シエンは微妙な表情でうなずく。
「きれいな色だね」
「ありがと……」
オティアはちらりと二人に視線を向けたが、結局何も言わなかった。
「抹茶クリームっぽい色だね」
「そっか? どっちかっつうとピスタチオクリームだろ」
「結局、食べ物か……」
ディフが手首の時計を確かめる。
「そろそろランチタイムだな。飯食いに行くか? 案内してもらったお礼だ。ご馳走させてくれ」
「お、サンキュー!」
「何か食べたいもの、あるか?」
「んー」
サリーが目をぱちぱちとさせて首をかしげた。
「やっぱり、温かいものがいいかな……クラムチャウダーとか」
「OK!」
※ ※ ※
朝とは逆に、101号線を北へ北へと向かい、陸地の端っこにやってきた。
海の上を渡る風はことさらに冷たい。
車を降りた所でオティアの携帯にメールが入った。タイトル無し、本文のみのショートメッセージ。内容はいたって単純。
『オーレは元気。ランチは小エビ入りの缶詰めをさしあげた』
「……」
目を通し、黙って携帯をしまう。
「ミャウ!」
猫?
はっとして顔を挙げる。
すぱっと青い空を背にした、太い柱の上に陣取った丸い看板。舵輪をかたどったフレームに、カモメが一羽止まっていた。寒さのせいか、もこもこに羽毛を膨らませている。看板の円周にそって地名が。そして中央には赤々と誇らしげに、あの甲殻類の姿が描かれていた。
「……カニ」
「ああ、カニだな」
「イチョウガニって言うんだ。ほら、甲羅の形が葉っぱに似てるだろ?」
「……」
記憶の中でイチョウの葉っぱと看板のカニを比べてみる。色は似ても似つかないが、確かに扇型の甲羅が似ている。
「ああ」
本日のランチはフィッシャーマンズワーフのボーディンベーカリー。
レゴで組み立てたようなカラフルな四角い建物の内側に一歩入るなり、こんがり焼けた小麦粉の匂いに包まれた。
甘くて、こうばしくて、ほんのちょっぴり酸っぱい。それまで大人しく体の片隅で控えていた空腹感がにゅうっとのびあがり、大声で叫び始める。
『おなかがすいた。おなかがすいたぞ!』
壁や天井、あるいはガラスケースの中。店内にはいたる所にパンで作った動物や、クリスマスツリー、リースが飾られていた。
「あ」
シエンの目が引きつけられる。長々と横たわる、ほぼ等身大のアリゲーター。
「これ、全部パンでできてるんだ」
「ああ。ここまで来ると芸術だな」
(ディーンが作ってたロボットのパン。粘土じゃなくて本物のパンで作ったらこんな感じなのかな?)
「……」
オティアは商品の棚に山盛りにされた、とあるパンをじっと見ていた。これは展示用じゃなくて、ちゃんと食べられるらしい。
「イチョウガニ……」
「ああ。イチョウガニだな」
「これ、カニが入ってるのか?」
「いや、形だけだ」
「そうか……」
「食いたいか、カニ」
「いや……別に」
ランチタイムを迎え、カフェの中は徐々に混み始めていた。
一行はディフを先頭にわさわさと人混みをかき分け、どうにか大人5人が座れる席を確保する。
メニューを広げて、さて何にしようか首をひねる双子にサリーがほほ笑みかけた。
「スープとコーヒーのセットがおすすめだよ」
「スープ?」
「うん。ミネストローネとか、チリもあるけど俺はクラムチャウダーが一番好きだな」
「じゃあ、それで」
「ん」
「俺も」
「俺は……サンドイッチ追加するかな。テリーも食うか?」
「食う食う! サンキュ!」
「カニでいいか?」
「OK、OK!」
やがて、運ばれてきた料理を見て双子は目を丸くした。
スープって言うから、カップに入ったのを想像してたのに!
現れたのは、丸いパンをくりぬいた器に、たぷたぷのクリームスープを満たした代物だった。ご丁寧に、くりぬいたパンもごろっと横に添えられている。
「こ、これ、どうやって食べればいいの?」
「中身を食べながら、この蓋の部分を浸して食うんだ……こんな風に」
ディフはおもむろに、パンの塊を太い指でむしっとちぎり取り、チャウダーに浸してみせた。
「器は皮の部分だけだから、けっこう丈夫なんだ。こぼれる心配はない。中身食べ終わる頃には汁を吸って、いい具合にほやほやになってる」
初めて見た、パンの器なんて!
実質的にこの巨大な丸パン、まるごと一つが一人分ってことなんだ。食べ切れるだろうか?
「食べきれない分は、お持ち帰りできるからね」
「………うん」
巨大なパンの器に満たされた、濃厚な味のクリームスープ。具材は細かく刻んだジャガイモ、ニンジン、キャベツ、わすれちゃいけない、むき身のアサリがたっぷりと。
一口含むと、体いっぱいに海の香りが広がった。
恐る恐る千切って浸してみたパンは、いつも食べてるものと違ってほんのりと酸っぱい、ヨーグルトに似た風味があった。
「このパン、酸っぱい」
「サワードーって言うんだ。サンフランシスコのご当地ブレッド」
「ふうん」
「美味いか?」
「うん、割と好きかも」
答えるシエンの隣では、オティアが黙々とチャウダーに浸したサワードーを口に運んでいた。
「サンフランシスコのクラムチャウダーは色々あるけれど、ここのは日本のクリームシチューに似ていて食べやすいな」
「日本にもあるのか、クリームシチュー」
「あるよ。こっちのとはちょっと違うけど、寒い日には、よく作るね。固形のルー……こっちで言う所のホワイトソースが売ってるし」
「缶詰めじゃないんだ」
「うん。思いっきり分厚い板チョコみたいな形をしてる」
「ははっ、チョコと間違えてかじる子がいそうだな」
サリーはそっと目をそらした。
「あー……そうだね……たまに……いるよ」
一瞬、テーブルに微妙な沈黙が訪れる。
「……かじったのか、彼女」
名前こそ出さないものの、おそらく全員、同じ人物の顔を思い浮かべている。
「甘いの期待したら、しょっぱくてショックだったって」
「固さは問題じゃないんだ……」
「どんだけ丈夫な顎なんだ」
ガラスの壁の向こうでは、実際にパンを作っている様子を見ることができた。
白衣を着た職人たちが鮮やかな手つきで生地をこねて、形を整え、オーブンの天板に並べて行く。
同じ作業をしているのに、一人一人の動きが微妙に違うのだ。
シエン熱心に見ていた。あまり熱心に見ていたものだから手が止まり、スープがさめてしまうほどだった。
(楽しいんだな)
目を輝かせてパン作りに見入るシエンを見て、ディフは嬉しかった。
一昨年の冬に買い物に行った時のことを思い出す。オープンカフェで、ホットビスケットを食べていた姿を。
常にびくびくと周囲を警戒していた。楽しむなんてもっての他、増して何かに興味を示すなんて夢のまた夢。
あの時と比べて、何と言う進歩だろう。
(思いきって、連れ出してよかった……)
「シエン」
「ん?」
「自分でもパン、焼いてみるか?」
頬をうっすら赤くそめて、こくっとうなずいている。
「よし、それじゃ今度、ソフィアに作り方を教えてもらおう」
「うん!」
※ ※ ※ ※
巨大なパンの器にたっぷりスープ、そして熱いコーヒー。テリーとディフはあまさず平らげ、おまけにカニのサンドイッチもぺろり。
しかしながらやはりと言うべきか、サリーと双子はさすがに全部は食べきれず……
「すいません、ドギーバッグを三つお願いします」
「かしこまりました」
防水加工の施された持ち手付きの四角い箱に、くり貫いた蓋の部分のサワードーがきちっと収められる。
「何でこれ、ドギーバッグ(犬用バッグ)って言うの?」
すかさず犬の専門家テリーが答える。
「昔は、食べきれない分を『犬用に持ち帰る』って言って包んでもらったんだ。その頃の名残だな」
「だから犬の絵が付いてるんだ」
「そうだよ」
何となくおかしくなって、シエンはくすっと笑った。
「どうした?」
「うん。この中には、犬飼ってる人いないのにって思って」
「……そう言えばそうだな」
「猫はいるけどね」
「Kitty bagってのは聞いたことないな」
箱に印刷された犬のシルエットをつぶさにオティアが観察している。
四角いマズル(鼻面)、ピンと立った耳、短い尻尾に短い足。全体的に角張って、がっしりした体つき。
「……テリアだ」
「ああ、テリアだな」
「スコティッシュ」
「そうだね、スコッティの特徴だ」
オティアは満足げにうなずいた。
※ ※ ※ ※
「ただいま、イザベラ。MySweet、我が愛しの大輪の薔薇よ!」
帰宅するなり、ディビットはいつものように妻を抱きしめ、いつものように熱い口付けを交わし、いつものように彼女の美しさ、優しさ、気高さをほめ讃えた。
「今日はドッグパークの帰りにシェルターに寄ったんだ。そこで誰に会ったと思う? シエンとオティアだよ!」
「まあ、デイビット、珍しい人に会えたのね」
「うん、ばったりとね。いい機会だから、うちのLittle-princessを紹介したよ!」
デイビットはわしわしと傍らに控えるベアトリスの頭をなで回した。
「ベアトリスもあの子たちが気に入ったようだ」
イザベラはほほ笑んで夫の言葉に耳を傾ける。
その後、デイビットの報告は延々と30分以上に及んだ。話が一区切りついた頃合いを見計らい、イザベラはにっこり笑って夫の唇にキスをした。
「それはよかったわね、デイビット」
「うん、実に有意義な時間だったよMySweet」
「じゃあ、手を洗っていらっしゃい。そろそろお昼にしましょう」
「ああ、そうだねMy Honey」
一方、マンションに戻ったオティアとシエン、そしてディフは……。
「ただいま」
「なーっ」
オーレの入念なチェックを受けたのだった。それはもう、足の先に至るまで念入りに。
留守番して拗ねてる所に、知らないにおいをわんさかつけて帰ってきたものだから、お姫さまは大むくれ。
ぺしぺしと尻尾で叩きながら三人の間を練り歩き、かぱっとピンクの口を開けて甲高い声で鳴いた。
※このアイコンは化け猫アイコンメーカーで作成しました。
「なーっ、なーっ、なーっ」
「何か……猛烈に抗議されてる気がする」
「みゃーっ!」
「手、洗ってくるか」
「み」
オーレは耳を伏せてじとーっと三人をにらみつけている。あまつさえ背中をまるめて尻尾を膨らませた。
ものすごく、目つきがわるい。
「……シャワー浴びた方が良さそうだな」
「ん」
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