▼ 【3-3】okayusan
入院してからそろそろ三週間。
ベッドにずーっと横になってるのもさることながら、飯がいただけない。
基本的に好き嫌いはない。カリフラワーが苦手なくらいで何でも食えるタイプなのだが……病院の飯は、なあ。
最初の頃はプリンとかオートミールばかりで正直、閉口した。
脂っこいべとっとしたペースト状の物体を口に運びながら、いつものアレが食いたいなと胸のうちでぼやいたもんだ。
米と塩と卵さえありゃ簡単にできるんだが、さすがに病室で作る訳にも行かないし。
最初にそいつの作り方を教わったのは15歳、高校一年の時だった。
※ ※ ※ ※
高校に入って最初の年、十一月の終わり頃。
ルームメイトのレオンが風邪で寝込んだ。
どう考えても俺のがうつったとしか思えないんだが、あいつは黙って医務室に行き、ドクターの診察を受けて。
薬をもらってきて、やっぱり黙ってベッドで寝ていた。
飯時になるとよろよろと起きあがってきたので
「寝てろよ」と言うと
「いい。食堂で食べる」
立ち上がって歩き出そうとして……すぐにふらっと倒れそうになった。すかさず支える。寝間着越しでも体が熱いのがはっきりわかる。
「……無理だろ」
首を振って俺を手で押しのけて歩き出そうとする。とんだ意地っ張りだ。まっすぐ歩くことさえろくにできてないじゃないか。
ほら、またよろけてる……ってか転ぶ!
考えるより先に体が動いていた。
気がつくとレオンの背中と膝に手を回し、抱き上げていた。ディズニー映画のお姫様でも抱き上げるみたいに……。
(意外に軽かった)
「いいか、レオン。食堂までこのまま運ばれてくか。それともここで大人しくしてるか。今選べ!」
「………わかったよ」
降ろせと言われたけれどあえて聞こえないふりをして、ベッドまで運んで横たえた。
「食堂のおばちゃんから何かもらってくる。いい子で寝てろよ?」
※ ※ ※ ※
……えらそうに言い切って出て来たのはいいんだが。
いざ何をもらうかとなると選択に困る。
ちなみに学生寮の本日の夕飯は魚と貝のフライに付け合わせは大量のマッシュポテト。スープはマカロニとトマトの入ったミネストローネ。
スープだけでも、と思ったんだがどろっとして油がギトギト浮いていて、あまり病人の口に合いそうにない。
と言うか、レオンの場合は寮で出される飯はことごとく口に合っていないようで、何食ってもいい顔をしたためしがない。
俺がたまに朝飯を作ると、ものすごく嬉しそうに笑って「君は料理が上手いんだな」と言ってくれる。
それが嬉しくてまた作る。
(……そうだな、何か作ろう……)
寝込んだ時、お袋が食わせてくれたのは何だったっけ。
スープ。
チキンより牛乳とコーンのが好きだった。
すりおろしたリンゴ。
アイスクリーム。
薄い味付けの卵のリゾット。
幸い、鍋はある。テキサスから出てくる時、実家から一つ持参したやつが。

直径約7インチのがっちり丈夫なホウロウびきの鋳物の鍋、色はカボチャみたいなオレンジ色。
親父とお袋の新婚時代は大活躍したものの、家族が増えてからは小さすぎてすっかり出番が無くなってたのでもらってきたのだ。
(何せ男二人の兄弟だ。7インチ程度の鍋では到底足りやしない)
一人で使うには丁度いい。
ただしこの鍋、やたらと頑丈で他の人間の基準からすると、とんでもなく重たいらしい。
最初のルームメイトがキッチンの調理台からどかそうとした際にうっかり蓋を足の上に落っことし、それが原因で俺は入学一ヶ月目にして部屋を追い出されるハメになった。
時期外れに寮の部屋なんざ他に空いてるはずもなく。当時二人部屋を一人で使っていた二年生がいたので否応無くそこに移された。
それが彼……レオンハルト・ローゼンベルクだった。
さて材料はどうするか……ちょっと考えて、クラスに日本からの留学生がいたことを思い出した。
料理が得意らしく、しょっちゅう黒い謎のシートでまいた変わった形のライスボールとか(タワラガタと言うらしい)、魚の切り身や甘辛く煮た野菜を混ぜたスシなんかを作っては持参し、ランチタイムに食わせてくれた。
彼女なら、米を常備してるんじゃないかな。
携帯を取り出し、電話をかけてみる。
「ハロー、ちょっと頼みがあるんだけどいいかな?」
※ ※ ※ ※
女子寮ってのはいつ来てもどきどきするね。
まだ男子閉め出しの時間には間があるが、閉店間際のスーパーに駆け込んでる気分だ。
目的の部屋に行き、ドアをノックする。
「ハイ、マックス」
「やあ、ヨーコ。ごめんな、無理な頼みして」
「いいけど……何に使うの、米」
「うん、ルームメイトが風邪で寝込んでるから」
「ああ……おかゆさん、作るんだ?」
「オカユサン?」
「うん。こっちで言うところのリゾット? 日本では寝込んだ時の定番メニューなんだよ」
「ふうん……作り方、わかるか?」
彼女はくいっと眼鏡の位置を整えて、俺の手の中にある物に視線を注いだ。
「その鍋で作るの?」
「うん。これしか持ってないし」
「ちょっと待っててね」
ヨーコはすたすたと部屋の奥に入って行き、同室の子と何やらひそひそ話していたけれど……何を話してるのかまではよく聞こえなかった。
※ ※ ※ ※
「ね、ね、あれ、あんたのクラスのマックスでしょ? 体は厳ついけど、顔はけっこー可愛いじゃない!」
「んー、確かに顔はそこそこ、性格も可愛いつーか素朴なんだけど……いま一つ小動物的な何かが足りない」
「えー、あたしは余裕でOKだけどなー。声かけちゃおっかな」
「いや、夜の女子寮にル・クルーゼの鍋持ってくる時点で脈ないと思うよ……」
(しかも寝込んでるルームメイト(当然男)に夕飯作るために)
※ ※ ※ ※
「はいお待たせ、米」
ヨーコはカップに入れた米をざらざらと鍋の中に入れてくれた。
「とりあえず一回分。足りなかったらまた明日あげるから」
「サンキュ。恩に着る」
ぺらりと一枚、メモを渡される。
「あと、こっちはその鍋でおかゆさん炊くときの分量ね」
「うわあ、助かるよ。お袋に電話する手間が省けた」
(うわ、何、そのヒマワリみたいな笑顔全開はっ! 反則級だあ……)
「これ日本のお米だから……こっちのお米とは微妙に水加減、違うし」
「確かに、ちょっとずんどうってか、背が低いな。ほんとにありがとな、ヨーコ。後で改めてお礼させてくれ」
(ああ……惜しいなあ。これでもーちょっとミニマムなら言うことないんだけど、この子)
「You are welcome!(どーいたしまして!)」
鍋をかかえて足早に寮を出た。
すれ違う女の子の目線が何だか妙に集中してるような……いや、いや、気のせいだろ。
俺がかかえてるのはただの鍋。
別に珍獣の卵じゃないんだから。
※ ※ ※ ※
部屋に戻り、そっとレオンの様子をうかがう。
よく眠っていた。
こいつを見てると、実家の飾り棚に置いてある陶器の人形を思い出す。ロイヤルコペンハーゲンの、白一色の。

鼻筋のすっと通った貴族的な顔立ち。気高く、高貴で。一つだけ違うのは件の人形が伏し目がちに斜め後ろを見ていることだ。レオンはいつも前を見つめている。
透き通ったかっ色の瞳で。
よく『男にしとくには惜しい美形』なんて言い方があるけど、こいつの場合はそうじゃない。
骨格がしっかりしていて、むしろ男『だから』きれいなんだとつくづく思う。色も白くて肌もなめらかで……。
たぶん、地色は俺の方がむしろ白いくらいなのだろう。しかしながらこっちは日焼けしていてけっこうザラザラ、生傷も多い。そこ行くとレオンは温室の中で傷ひとつなく咲く薔薇の花みたいだ。
最初に顔を合わせた時、こいつは礼儀正しく挨拶はしてくれた。でも妙に素っ気なかった。
「レオンハルト・ローゼンベルク? どっちも長ったらしい名前だな。舌噛みそうだ。レオンって呼ぶけどいいよな?」
「……ああ」
「俺のことはマックスでいい。あ、ディフって呼ぶ奴もいる。どっちでも言いやすい方でいいや」
「気がむいたらね」
その時、俺は思ったんだ。
こいつとこれから寝ても覚めても同じ部屋で過ごすのか。
もしかしたらそいつは……すごく楽しいことなんじゃないかって。
「ん……」
レオンが眉をしかめて小さくうめく。
熱のせいで肌がほんのり赤い。だいぶ汗かいてるな……着替えさせた方がいいんだろうか。
(いや、さすがにそれは遠慮した方が良いだろう)
軽く汗をふいて、水で濡らしたタオルを額に乗せて。パジャマのボタン、上一つだけ開ける。
少しは楽になったんだろうか。表情が穏やかになった。
ほっとしてキッチンに戻った。
※ ※ ※ ※
米を軽く洗って水気を切る。
ヨーコが入れてくれた米は180CC、だから……水の分量は5カップ(アメリカの1カップは240cc)。一緒に鍋に入れて火にかけて。
沸騰したところで弱火にして……
「触らずに30分待つ、と。いいな、これ、楽で」
最初は水の方が多くて、ほんとにこれでちゃんとできるのか不安になったけれど、信じて待つ。
気長に待つ。
すかすかの水がとろりと粘りを帯びてきて、米も白くふっくらと膨らみ、水気と混じり合って行く。
そして30分がすぎると……。
「おお、ちゃんとできてる」
卵を入れて、軽く混ぜて、塩で薄く味をつけた。粉チーズは……無くてもいいな。って言うかむしろ無い方がいい。
皿にもりつけ、スプーンを沿えて。トレイに乗せて運んでいった。
「……レオン。起きてるか?」
「ああ」
レオンはゆっくりと起きあがり、額のタオルに手をやった。
「これ……君が?」
「うん。俺が寝込んだ時、お前もやってくれたろ?」
「……ああ」
「飯、できたぞ。食えるか?」
「ああ……いいにおいだ」
「熱いから、気をつけてな」
「これ、何だい? リゾット?」
皿の中味を見て、目をぱちぱちさせて、不思議そうに首をかしげている。
「オカユサン」
「え?」
「日本から留学してる娘が教えてくれた。病気の時の定番メニューなんだと」
「ふうん……」
スプーンですくいとったオカユサンをふー、ふーと吹いて。少しずつ口に入れて、ゆっくりゆっくり食べている。
何となく見てたら顔が緩んできて、気がつくとにこにこ笑ってた。
ごめん、不謹慎だよな。
お前が寝込んでるのに。
「味、薄かったら塩足すぞ」
「いや、ちょうどいいよ」
そしてレオンは笑った。
ちょっと汗ばみ、やつれていたけれど……。しみじみと嬉しそうにほほ笑んだ。
かっ色の瞳が……入れたばかりの紅茶みたいだ。透き通っていて、あったかい。
きれいだ、と思った。
「そうか……遠慮せずたっぷり食え」
「一度にそんなには無理だよ、ディフ」
「……え?」
ずっとディフォレストって言ってたのに。その前はマクラウド。
「君がそう呼べって言っただろ? それに長い名前は……」
「舌噛みそうになる」
「……うん、まあ、そんな所」
※ ※ ※ ※
その後、ヨーコは帰国して高校の教師になった。
今でも時々、メールのやり取りをしている。
なぜか教え子たちからは『メリィさん』と呼ばれているらしい。
あの時教わったオカユサンは、若干のアレンジを加えつつ寝込んだ時の定番食を勤めている。
そして、あの日以来、レオンは俺のことをディフと呼んでいる。
今もずっと、変わらずに。
(okayusan/了)

※月梨さん画、右が看護夫ディフ、左が風邪ひきレオン、下がヨーコ。
次へ→【3-4】ホット・ビスケット
ベッドにずーっと横になってるのもさることながら、飯がいただけない。
基本的に好き嫌いはない。カリフラワーが苦手なくらいで何でも食えるタイプなのだが……病院の飯は、なあ。
最初の頃はプリンとかオートミールばかりで正直、閉口した。
脂っこいべとっとしたペースト状の物体を口に運びながら、いつものアレが食いたいなと胸のうちでぼやいたもんだ。
米と塩と卵さえありゃ簡単にできるんだが、さすがに病室で作る訳にも行かないし。
最初にそいつの作り方を教わったのは15歳、高校一年の時だった。
※ ※ ※ ※
高校に入って最初の年、十一月の終わり頃。
ルームメイトのレオンが風邪で寝込んだ。
どう考えても俺のがうつったとしか思えないんだが、あいつは黙って医務室に行き、ドクターの診察を受けて。
薬をもらってきて、やっぱり黙ってベッドで寝ていた。
飯時になるとよろよろと起きあがってきたので
「寝てろよ」と言うと
「いい。食堂で食べる」
立ち上がって歩き出そうとして……すぐにふらっと倒れそうになった。すかさず支える。寝間着越しでも体が熱いのがはっきりわかる。
「……無理だろ」
首を振って俺を手で押しのけて歩き出そうとする。とんだ意地っ張りだ。まっすぐ歩くことさえろくにできてないじゃないか。
ほら、またよろけてる……ってか転ぶ!
考えるより先に体が動いていた。
気がつくとレオンの背中と膝に手を回し、抱き上げていた。ディズニー映画のお姫様でも抱き上げるみたいに……。
(意外に軽かった)
「いいか、レオン。食堂までこのまま運ばれてくか。それともここで大人しくしてるか。今選べ!」
「………わかったよ」
降ろせと言われたけれどあえて聞こえないふりをして、ベッドまで運んで横たえた。
「食堂のおばちゃんから何かもらってくる。いい子で寝てろよ?」
※ ※ ※ ※
……えらそうに言い切って出て来たのはいいんだが。
いざ何をもらうかとなると選択に困る。
ちなみに学生寮の本日の夕飯は魚と貝のフライに付け合わせは大量のマッシュポテト。スープはマカロニとトマトの入ったミネストローネ。
スープだけでも、と思ったんだがどろっとして油がギトギト浮いていて、あまり病人の口に合いそうにない。
と言うか、レオンの場合は寮で出される飯はことごとく口に合っていないようで、何食ってもいい顔をしたためしがない。
俺がたまに朝飯を作ると、ものすごく嬉しそうに笑って「君は料理が上手いんだな」と言ってくれる。
それが嬉しくてまた作る。
(……そうだな、何か作ろう……)
寝込んだ時、お袋が食わせてくれたのは何だったっけ。
スープ。
チキンより牛乳とコーンのが好きだった。
すりおろしたリンゴ。
アイスクリーム。
薄い味付けの卵のリゾット。
幸い、鍋はある。テキサスから出てくる時、実家から一つ持参したやつが。

直径約7インチのがっちり丈夫なホウロウびきの鋳物の鍋、色はカボチャみたいなオレンジ色。
親父とお袋の新婚時代は大活躍したものの、家族が増えてからは小さすぎてすっかり出番が無くなってたのでもらってきたのだ。
(何せ男二人の兄弟だ。7インチ程度の鍋では到底足りやしない)
一人で使うには丁度いい。
ただしこの鍋、やたらと頑丈で他の人間の基準からすると、とんでもなく重たいらしい。
最初のルームメイトがキッチンの調理台からどかそうとした際にうっかり蓋を足の上に落っことし、それが原因で俺は入学一ヶ月目にして部屋を追い出されるハメになった。
時期外れに寮の部屋なんざ他に空いてるはずもなく。当時二人部屋を一人で使っていた二年生がいたので否応無くそこに移された。
それが彼……レオンハルト・ローゼンベルクだった。
さて材料はどうするか……ちょっと考えて、クラスに日本からの留学生がいたことを思い出した。
料理が得意らしく、しょっちゅう黒い謎のシートでまいた変わった形のライスボールとか(タワラガタと言うらしい)、魚の切り身や甘辛く煮た野菜を混ぜたスシなんかを作っては持参し、ランチタイムに食わせてくれた。
彼女なら、米を常備してるんじゃないかな。
携帯を取り出し、電話をかけてみる。
「ハロー、ちょっと頼みがあるんだけどいいかな?」
※ ※ ※ ※
女子寮ってのはいつ来てもどきどきするね。
まだ男子閉め出しの時間には間があるが、閉店間際のスーパーに駆け込んでる気分だ。
目的の部屋に行き、ドアをノックする。
「ハイ、マックス」
「やあ、ヨーコ。ごめんな、無理な頼みして」
「いいけど……何に使うの、米」
「うん、ルームメイトが風邪で寝込んでるから」
「ああ……おかゆさん、作るんだ?」
「オカユサン?」
「うん。こっちで言うところのリゾット? 日本では寝込んだ時の定番メニューなんだよ」
「ふうん……作り方、わかるか?」
彼女はくいっと眼鏡の位置を整えて、俺の手の中にある物に視線を注いだ。
「その鍋で作るの?」
「うん。これしか持ってないし」
「ちょっと待っててね」
ヨーコはすたすたと部屋の奥に入って行き、同室の子と何やらひそひそ話していたけれど……何を話してるのかまではよく聞こえなかった。
※ ※ ※ ※
「ね、ね、あれ、あんたのクラスのマックスでしょ? 体は厳ついけど、顔はけっこー可愛いじゃない!」
「んー、確かに顔はそこそこ、性格も可愛いつーか素朴なんだけど……いま一つ小動物的な何かが足りない」
「えー、あたしは余裕でOKだけどなー。声かけちゃおっかな」
「いや、夜の女子寮にル・クルーゼの鍋持ってくる時点で脈ないと思うよ……」
(しかも寝込んでるルームメイト(当然男)に夕飯作るために)
※ ※ ※ ※
「はいお待たせ、米」
ヨーコはカップに入れた米をざらざらと鍋の中に入れてくれた。
「とりあえず一回分。足りなかったらまた明日あげるから」
「サンキュ。恩に着る」
ぺらりと一枚、メモを渡される。
「あと、こっちはその鍋でおかゆさん炊くときの分量ね」
「うわあ、助かるよ。お袋に電話する手間が省けた」
(うわ、何、そのヒマワリみたいな笑顔全開はっ! 反則級だあ……)
「これ日本のお米だから……こっちのお米とは微妙に水加減、違うし」
「確かに、ちょっとずんどうってか、背が低いな。ほんとにありがとな、ヨーコ。後で改めてお礼させてくれ」
(ああ……惜しいなあ。これでもーちょっとミニマムなら言うことないんだけど、この子)
「You are welcome!(どーいたしまして!)」
鍋をかかえて足早に寮を出た。
すれ違う女の子の目線が何だか妙に集中してるような……いや、いや、気のせいだろ。
俺がかかえてるのはただの鍋。
別に珍獣の卵じゃないんだから。
※ ※ ※ ※
部屋に戻り、そっとレオンの様子をうかがう。
よく眠っていた。
こいつを見てると、実家の飾り棚に置いてある陶器の人形を思い出す。ロイヤルコペンハーゲンの、白一色の。

鼻筋のすっと通った貴族的な顔立ち。気高く、高貴で。一つだけ違うのは件の人形が伏し目がちに斜め後ろを見ていることだ。レオンはいつも前を見つめている。
透き通ったかっ色の瞳で。
よく『男にしとくには惜しい美形』なんて言い方があるけど、こいつの場合はそうじゃない。
骨格がしっかりしていて、むしろ男『だから』きれいなんだとつくづく思う。色も白くて肌もなめらかで……。
たぶん、地色は俺の方がむしろ白いくらいなのだろう。しかしながらこっちは日焼けしていてけっこうザラザラ、生傷も多い。そこ行くとレオンは温室の中で傷ひとつなく咲く薔薇の花みたいだ。
最初に顔を合わせた時、こいつは礼儀正しく挨拶はしてくれた。でも妙に素っ気なかった。
「レオンハルト・ローゼンベルク? どっちも長ったらしい名前だな。舌噛みそうだ。レオンって呼ぶけどいいよな?」
「……ああ」
「俺のことはマックスでいい。あ、ディフって呼ぶ奴もいる。どっちでも言いやすい方でいいや」
「気がむいたらね」
その時、俺は思ったんだ。
こいつとこれから寝ても覚めても同じ部屋で過ごすのか。
もしかしたらそいつは……すごく楽しいことなんじゃないかって。
「ん……」
レオンが眉をしかめて小さくうめく。
熱のせいで肌がほんのり赤い。だいぶ汗かいてるな……着替えさせた方がいいんだろうか。
(いや、さすがにそれは遠慮した方が良いだろう)
軽く汗をふいて、水で濡らしたタオルを額に乗せて。パジャマのボタン、上一つだけ開ける。
少しは楽になったんだろうか。表情が穏やかになった。
ほっとしてキッチンに戻った。
※ ※ ※ ※
米を軽く洗って水気を切る。
ヨーコが入れてくれた米は180CC、だから……水の分量は5カップ(アメリカの1カップは240cc)。一緒に鍋に入れて火にかけて。
沸騰したところで弱火にして……
「触らずに30分待つ、と。いいな、これ、楽で」
最初は水の方が多くて、ほんとにこれでちゃんとできるのか不安になったけれど、信じて待つ。
気長に待つ。
すかすかの水がとろりと粘りを帯びてきて、米も白くふっくらと膨らみ、水気と混じり合って行く。
そして30分がすぎると……。
「おお、ちゃんとできてる」
卵を入れて、軽く混ぜて、塩で薄く味をつけた。粉チーズは……無くてもいいな。って言うかむしろ無い方がいい。
皿にもりつけ、スプーンを沿えて。トレイに乗せて運んでいった。
「……レオン。起きてるか?」
「ああ」
レオンはゆっくりと起きあがり、額のタオルに手をやった。
「これ……君が?」
「うん。俺が寝込んだ時、お前もやってくれたろ?」
「……ああ」
「飯、できたぞ。食えるか?」
「ああ……いいにおいだ」
「熱いから、気をつけてな」
「これ、何だい? リゾット?」
皿の中味を見て、目をぱちぱちさせて、不思議そうに首をかしげている。
「オカユサン」
「え?」
「日本から留学してる娘が教えてくれた。病気の時の定番メニューなんだと」
「ふうん……」
スプーンですくいとったオカユサンをふー、ふーと吹いて。少しずつ口に入れて、ゆっくりゆっくり食べている。
何となく見てたら顔が緩んできて、気がつくとにこにこ笑ってた。
ごめん、不謹慎だよな。
お前が寝込んでるのに。
「味、薄かったら塩足すぞ」
「いや、ちょうどいいよ」
そしてレオンは笑った。
ちょっと汗ばみ、やつれていたけれど……。しみじみと嬉しそうにほほ笑んだ。
かっ色の瞳が……入れたばかりの紅茶みたいだ。透き通っていて、あったかい。
きれいだ、と思った。
「そうか……遠慮せずたっぷり食え」
「一度にそんなには無理だよ、ディフ」
「……え?」
ずっとディフォレストって言ってたのに。その前はマクラウド。
「君がそう呼べって言っただろ? それに長い名前は……」
「舌噛みそうになる」
「……うん、まあ、そんな所」
※ ※ ※ ※
その後、ヨーコは帰国して高校の教師になった。
今でも時々、メールのやり取りをしている。
なぜか教え子たちからは『メリィさん』と呼ばれているらしい。
あの時教わったオカユサンは、若干のアレンジを加えつつ寝込んだ時の定番食を勤めている。
そして、あの日以来、レオンは俺のことをディフと呼んでいる。
今もずっと、変わらずに。
(okayusan/了)
※月梨さん画、右が看護夫ディフ、左が風邪ひきレオン、下がヨーコ。
次へ→【3-4】ホット・ビスケット
