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ローゼンベルク家の食卓

【エピローグ】気付かなかった男

2011/01/22 19:14 四話十海
 
  • 拍手お礼短編の再録。
  • 時間は前後しますが、第四話エピローグです。『食卓』の締めくくりは、やはり食卓から。
 
 コーヒーの香りに満ちた空気の中、眼鏡バイキングは目を細め、頬の筋肉をゆるませて。ほほ笑む口のすき間から、さっきまで食いしばっていたはずの白い歯をのぞかせた。

「ありがとう、オティア」
「……………さっさと行け」

 お前のためにやったんじゃない! 腹立たしさを視線に込めて、ずいとばかりに突きつける。

「うん。ありがとう!」

 するりとかわされた。
 クラゲ野郎め。こいつと居るだけでイライラする。さっさと失せろ、と言いたい所だがあいにくと今こいつが向かっているのは自分の『家』だ。
 
 エリックが店から出るやいなや、オティアはすっと立ち上がり、飲み終わったカップを捨てた。溶け残った氷と紙のカップとプラスチックの蓋をきちんと分けて。それからつかつかとカウンターに歩み寄り、『いつもの』コーヒーを一袋購入。紙袋は断り、シールを貼ったのを肩からかけたメッセンジャーバッグに入れて足早に外に出る。

 店の前にはチェーンで街灯にしっかり繋いだ青い自転車……去年のクリスマスプレゼントだ。時々、事務所までの行き帰りに使っている。
 近づくと、カゴに入れたキャリーバッグがごそごそと動いた。

「にーう!」
「……待たせた」

 チェーンを外し、サドルにまたがる。はるか向こうに、ひょろひょろ歩くトゲトゲ頭が見えた。やけにゆっくり歩いてるな……あれならすぐに追いつけそうだ。
 ペダルに足をかけ、勢い良くこぎ出す。足下でチェーンがこすれ、タイヤが回り、ジャーっと音がした。

 薄々予想はしていたが、隣をすり抜けた時、クラゲ野郎は全然気付いていなかった。そのまま全力で自転車を走らせ、ほぼ最短記録でマンションに着いたのだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
  
「……ただ今」
「にゃーっ!」
「お帰り。早かったな」

 キッチンでは、既にエプロンを着けたディフとシエンが野菜を刻んでいた。

「用事はもう済んだのか?」

 黙って買ってきたばかりのコーヒーの袋を見せる。

「ああ。デカフェの補給か」
「ん」
「ヒウェルが来る前に隠しとけ」
「了解」

 この二カ月と言うもの、ヒウェルが自宅で飲むコーヒー豆は秘かにデカフェ(カフェイン抜き)に変えられていた。きっかけはオティアの見つけた新聞記事だった。

『多量のカフェインを日常的に摂取していると、体が刺激に慣れてしまう。そうなると次第に効かなくなって行き、どんどん濃いコーヒーを大量に飲むようになる』
『カフェインの致死量は成人で5〜10g、コーヒーはおおよそ一杯で100mg』

 どろりとしたコーヒーを常飲し、明らかに胃の具合が悪そうなヒウェルの健康を案じてディフがデカフェを買って来た。受け取ったオティアが中味をヒウェルの家のコーヒー缶に入れた。以来、定期的にこうして補充している。
 袋の外側には、コーヒーの銘柄と一緒に大きく「デカフェ(カフェイン抜き)」と印刷されている。見られたら一発でばれてしまう。この頃は同じのを自分でも買おうとしているのか、『あれ、どこで買ったんだ』と度々聞かれるようになってきた。

『買い物のついで』『コーヒー飲みに行ったついで』etc,etc……はぐらかしてきたがそろそろ言い訳を考えるのも面倒くさくなってきた。
 いっそ奴の留守中にこっそり入れてやろうか。それとも、缶に詰め替えてから渡してやろうか?
 ひとまず別宅のキッチンに行き、食器棚にしまっておく事にする。

 そろそろ、眼鏡クラゲが着く頃合いだ。
 本宅に戻るとちょうどインターフォンが鳴った所だった。
 
「……どうした、バイキング? …………頼んだ覚えはないぞ? ………上がってこい」

 シエンは餃子の作成中だ。このタイミングなら、クラゲ野郎とも構えずに話せる。
 奴のうかつな一言で崩れてしまう危険性はあるが、何かあればディフがいる。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「腹減ったー。今日の飯、何?」

 オティアはちらっとこっちを見て、ぶっきらぼうにひと言。

「餃子」
「……だよな」

 食卓には蒸したの、スープに浮いたの、焼いたの。テイクアウトの中華に比べりゃいささか小振りな餃子が並んでる。
 付け合わせは春雨のサラダ、豆腐とブロッコリーのキャセロール、主食は炊いた米。
 並ぶ食器は当然ながらレンゲとハシだ。

「うまい。やっぱ餃子にはコメだよな!」
「よく言うぜ。フライドポテトと一緒にわしわし食ってた奴が」
「………」
「昔の話だよっ! 美味かったんだ。揚げものとの取り合わせが……」
「確かフィッシュ&チップスも好物だったんじゃないかな、ヒウェルは」
「ああ、こってりタルタルソースかけてばくばく食って。決まって後で胃もたれしてたよな」
「その食べ方、体によくないよ……」
「わかっちゃいるんだけどさ。揚物とタルタルソースの組み合わせが、これまた美味いのよ……背徳の味ってやつは甘美極まりないのさっ」

 微妙に固まる食卓の空気を、白い子猫が見守っていた。
 ……いや、そろそろkittenと呼ぶのは失礼にあたるかも知れない。体格こそ母猫に似て小柄ではあったが、今や手足はすらりと伸び、しっぽは優雅な曲線を描いてくるりと後足に巻き付く。この家に来て8カ月、オーレは均整のとれた成猫のプロポーションを備えつつあった。

「んにゃぎゅるるる」

 今日はシエンが小エビ入りの缶詰めを開けてくれた。何度も撫でて、『ありがと』って言ってくれた。
 理由はわからないけれど、うれしいからゴロゴロのどを鳴らし、お行儀良くエビをいただいた。

「俺さー、なんかこの頃体調いいんだよなー。何つーか、胃が、軽い」
「ほーう?」
「だけどスタバでいつものレシピでオーダーすると、飲んだ後でやけにずしっと来るんだ……頭の芯までピーンとつっぱる感じが抜けなくって」
「いい事じゃないか。頭をはっきりさせたくてコーヒーを飲むんだろう?』
「そーなんスけどね。物には限度がある訳で……仕方ないから、最近はエスプレッソのショット数減らしてるんです」
「一つ聞くがお前。普段は何ショット入れてたんだ?」
「……えーっと、一、二、三、四……」

 ごく自然に両手の指を動員して勘定するヒウェルをディフが遮った。

「わかった、皆まで言うな」
「このごろはショットの追加無しでも十分って感じなんだー」
「……いい傾向じゃないか。ようやく人間の飲めるコーヒーを口にするようになったってことだな」
「人を人外扱いすんじゃねーっ」
「違うのかい?」
「ちょ、レオン……そんな、あっさりサクっと……」
「ははは」

 ちらりとオティアはヒウェルの顔をうかがった。だいぶ血色もよくなってきているし、何より肌の内側から濁ったようなくすみが消えた。唇の荒れも治まっている。胃のコンディションは徐々に回復しているようだ。
 そろそろ教えてやるべきだろうか?

 レオンが食後の紅茶を入れ、シエンとディフがデザートの愛玉子のゼリーを用意している間にオティアは別宅に行き、食器棚からヒウェル用のコーヒーを取ってきた。

「ほい、これお前の分」
「……」

 ヒウェルからゼリーの盛られたガラスの器を受け取り、入れ違いにコーヒーを渡した。

「これ、いつものやつ」
「え、俺に?」
「そろそろ切れてるだろ」
「……ありがとう」

 袋入りの状態で受け取るのは始めてのはずだ。案の定、しみじみと観察してる。

「そっかー、スタバのコーヒーだったんだ。道理で親しみのある味だと…………!」

 気付いたらしい。
 あえて素知らぬ振りでゼリーに添えられたレモンをしぼってかける。愛玉子のゼリーにはほとんど甘みがない。普通はシロップをかけて食べるのだが、オティアはレモンだけで十分なのだ。

「オティア……あの……これ、デカフェって」
「ああ。そうだ?」
「ってことは……あれか?」

 かっくんっとヒウェルの顎が落ちる。

「つまり……その………」

 袋を持つ手がわなわなと震えてる。と、思ったらいきなりがばっと頭を抱えてつっぷした。

「俺は二カ月もの間、ずーっとカフェイン抜きのコーヒーを飲んでたのかーっっ」

 さっぱりした味わいのゼリーを口に運ぶ合間に、さらりとレオンが口を挟んだ。

「気がつかない程度の舌だってことだね」
「うぐぐぐぐ……」

 ぐうの音も出ないままデカフェの袋を抱え、へたれ眼鏡は真っ白に燃え尽きたのだった。
 

 ※ ※ ※ ※
 
 
 食事が終わり、後片づけも一段落し、双子はそろって部屋へと戻って行った。
 軽く一杯やろうかと大人三人で居間のバーカウンターへと場を移し、スコッチをグラスに注ぐ。
 琥珀色の液体を口に含み、舌の上で転がすように味わい、咽の奥へ。広がる木の香りを十分に楽しんでから、ディフがぽつりと言った。

「あのな、ヒウェル」
「ああ? 何?」

 方やこちらはデカフェがよほど衝撃だったのか。目を半開きにして背中を丸め、スコッチのソーダ割りをちびちび舐めている。その割には『いい酒を雑な飲みかたするのは許せない』とばかりに、がっちりボトルをキープしていた。
 実に、みみっちい。

「お前のコーヒーを、デカフェにしたのには訳がある」
「ほー? どーせ、ままのお気遣いってやつでしょ? オティアに持ってかせりゃ、俺が大人しく飲むからってんで……」

 へっと口を歪めてせせら笑うヒウェルの額を、こん、と軽くディフが小突いた。あくまで軽く。

「阿呆。考えついたのは、オティアだ」
「え?」
「新聞記事を見つけたんだよ。極端に濃いカフェインを日常的に摂取してると、体が刺激に慣れて覚醒効果が薄れてくる。だから余計に濃いコーヒーをがぶ飲みするようになる」
「あー……言われてみれば」
「なるほど。実際には効いていないのに、コーヒーを『飲む』行為で効いたつもりになっているんだね」
「ああ、そうだ」

 レオンはにこにこしながら、くいっと一口。スコッチを含み、ゆっくり飲み下した。滑らかなのどが上下する。

「それじゃあ、味も香りも、豆の焙煎の善し悪しも関係ないね」
「ぐっ」

 ヒウェルはぐんにゃりと口を曲げ、無意識に胃の辺りをさすった。

「あの子が言ったんだ。『飲んで効いた気になっているだけなら、中味がどうでも関係ない』って」
「つまり……それは、その……」

 ぱちぱちとまばたきする。

「お前があんまり無茶な飲み方するから、な」
「そ、そうだったのかっ」
「多分、デカフェって物があると知らなかったんだろう。最初の一回目は俺が買った。だがそれ以降は全部オティアが準備してるんだ」
「俺の……ために?」
「ああ、そうだ。空きっ腹に飲むより、何か食わせた方がいいって茶菓子まで用意して、な」
「そこまで……俺の体を気づかってくれたのか……」

 ヒウェルはかすかに頬を染めて両手を組み、感動に打ち震えた。

「オティアが、俺のためにっ」
「よかったじゃないか」
「ああ、よかったな……レオン、グラス出せよ」
「ありがとう」

 その手元からさりげなくスコッチの瓶を回収し、レオンとディフは心置きなくナイトキャップを楽しむのだった。

(気付かなかった男/了)

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